レストラン「ドイツ亭」 の商品レビュー
人間であることは、つらいものだ。 ユルゲンの告白に、父ヴァルターが投げかける言葉。 第4部、後半に出てくるこの言葉が、ずしりと心に響いた。 本作は、アウシュビッツ裁判を軸に、代理ミュンヒハウゼン症候群や、猟奇的快楽に葛藤する場面など、人間であるとは?についての問いかけが散りばめ...
人間であることは、つらいものだ。 ユルゲンの告白に、父ヴァルターが投げかける言葉。 第4部、後半に出てくるこの言葉が、ずしりと心に響いた。 本作は、アウシュビッツ裁判を軸に、代理ミュンヒハウゼン症候群や、猟奇的快楽に葛藤する場面など、人間であるとは?についての問いかけが散りばめられている。 戦時下の異常な状況下での行為を裁くことに、意味はあるのか。公正な裁きなんてあるのか。 戦後20年経ってから行われた裁判は、当初そんな雰囲気のなか始まる。 ヒトラー政権下では、服従以外の行為は自身や自身の家族を危険に晒すことにもなる。 それを前提にしても、アウシュビッシュ収容所での行為はあまりにも残虐で、非情すぎた。 2022年、アウシュビッシュ収容所の門で、ナチス式敬礼をした外国人観光客が罰金刑に処されたというニュースを思い出した。 人間ってなんだろう。 人間であるとは、どういうことなんだろう。
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1963年、フランクフルトで始まった「アウシュヴィッツ裁判」。被告人や証人、それを取り巻く市井の人々の物語。当時のドイツの人々の複雑さが臨場感を持って体験できる。厳しい内容だが、希望も感じられた。
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ナチスドイツがやったこと、思い出さなくていいしゃない、な空気のドイツで アウシュヴィッツで起きたことの裁判がはじまった。 ドイツでは70年代まで、配偶者の許可がないと女性が働けなかったこと 隣国ポーランドへ行くのにビザが必要だったこと、 東ドイツの描写など 当時の空気感が想像...
ナチスドイツがやったこと、思い出さなくていいしゃない、な空気のドイツで アウシュヴィッツで起きたことの裁判がはじまった。 ドイツでは70年代まで、配偶者の許可がないと女性が働けなかったこと 隣国ポーランドへ行くのにビザが必要だったこと、 東ドイツの描写など 当時の空気感が想像できた こういうのは実話を読んだ方がいいと思ったけど 小説で読むのもいいかも。 彼らはわれわれに慰めてもらいたがっているんだろう。 なんて図々しいんだろう。 でも、うっかりやってしまいそう。そういうこと。 生き残った人も、生き残ってしまったこと、アウシュヴィッツと聴くたびに思い出してしまうこと。 生き残った人にもものすごい傷跡を与えたんだと感じた。
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舞台は1963年のドイツ。ようやく終戦20年が経過しようとし、戦争を経験した人々は日常を取り戻しているころだ。日本では東京オリンピックが開催を迎えようとしていたが、ドイツではアウシュビッツ裁判が始まり、絶滅収容所にかかわった人々が裁かれていた。 下町でレストランドイツ亭を営...
舞台は1963年のドイツ。ようやく終戦20年が経過しようとし、戦争を経験した人々は日常を取り戻しているころだ。日本では東京オリンピックが開催を迎えようとしていたが、ドイツではアウシュビッツ裁判が始まり、絶滅収容所にかかわった人々が裁かれていた。 下町でレストランドイツ亭を営む父母を持つ主人公が裁判の通訳を務め、知らなかった史実(彼女らの世代は、収容所で何が行われていたか教育を受ける機会、知る機会がなかった)や、自らの家族史を知っていく。 戦時に、体制を批判することや異を唱えることは、簡単にできることではない。独裁下であればなおのこと、収監され命の保証はないのだから。 でも・・・。 1964年生まれの私の両親は空襲や疎開を経験し、また世の中の大人は戦争を経験した人たちがほとんどで、正義であれ、大義があったとて、戦争の下では悲惨な状況しかないことを経験しており、戦争をしてはいけないという『常識』があった。2023年の現在、大人のほとんどが戦時下の生活を経験しておらず、『常識』は揺らいでいる。 本書の著者アネッテ・ヘスさんは1967年生まれの同世代だ。訴えるべく情熱や、あせりが良く理解できる。物語を希望で終わらせたこともしかりだ。
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※このレビューにはネタバレを含みます
ずっと読みたくて、ようやく読めた本。 主人公の女性は物語の冒頭は、結婚と彼氏のことしか頭にない本当に普通の一般女性、 裁判に関るなかで強制収容所の実態を知り 人生との向き合い方や関わり方が変化していくのがおもしろかった。 あとドイツにこんな時代があったんだな、ということも大変勉強になった。 この主人公のように家族や恋人からも理解されなくて辛い思いをしても、向き合って戦ってくれた人達がいるから、現実に起きた歴史として、わたしたちは知ることができたと思うと、感慨深いものがあった。 ていうか、ドイツって昔は奥さんが働くのも旦那さんの許可が無いと認められないとか、そんな法律があったんですね?! この本で初めて知った、意外で驚き。 やっぱり収容所の実態や裁判のやり取りはかなり非人道的で、被告人達の主張もひどいと思ったし、その非日常とごく普通の家族の団欒のギャップがすごい。 そんな物語の終盤、 幼い弟君が、 「本当は姉さんが帰って来てくれたら、 プレゼントは何もいらないんだ」 という言葉がなんだか胸に染みて泣けました。
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誰にでも話したくない過去がある。 しかし中には、話さなければならない過去も存在する。 主人公エーファは検察の事務所に勤務する、ごく普通の”フロイライン”(ドイツ語で「若いお嬢さん」)。父親が営むレストラン「ドイツ亭」の手伝いに御曹司ユルゲンとの交際と、平和で充実した日々を過ごし...
誰にでも話したくない過去がある。 しかし中には、話さなければならない過去も存在する。 主人公エーファは検察の事務所に勤務する、ごく普通の”フロイライン”(ドイツ語で「若いお嬢さん」)。父親が営むレストラン「ドイツ亭」の手伝いに御曹司ユルゲンとの交際と、平和で充実した日々を過ごしていた。そんな中彼女は突然、アウシュヴィッツ裁判の通訳を依頼される。 解説曰くアウシュヴィッツ裁判とは、ドイツの司法がドイツ人を裁いた法廷のこと。300人を超える証人が召喚され、かの収容所での出来事が白日の元に晒された。 「あんたは、あの残酷物語を世の中に広める手助けをしたいの?」 「過ぎたことは過ぎたことにしておいてちょうだい、エーファ。それが一番なのよ」 ヒトラー・ゲッベルスの元秘書らが「自身の職務を全うしていただけで、ユダヤ人の迫害や収容所の出来事については何も知らなかった」と以前読んだ本で語っていた。 その他ドイツ国民の発言も同様で、戦後何十年が経っても知らぬ存ぜぬの一点張り。みんな薄々でも勘づいていただろうに…。 エーファや彼女と同時代を生きる若者も、両親から(恐らく学校からも)何も聞かされていなかった。新聞に書いてある犠牲者数を刷り間違いだと勘違いするほどに無知だった。真実が明るみになっていくのを目の当たりにした時の恐怖と言ったら如何ほどのものか。 それでも彼女が通訳を引き受けたのは、過去の過ちを知るのが新時代を生きる者の務めだという気概の他に、裁判の話題を避けたがる家族やユルゲンの態度に不審感を覚えてのことだろうと見ている。 被告人は全て収容所の元職員。戦後咎められることなく、のうのうと社会に溶け込んでいた。裁判ではこれまた「知らなかった」としらをきり通し、態度も呆れるくらいにふてぶてしかった。 ドイツでは1949年に死刑制度が廃止されているため何名かは最高刑である終身刑の判決を受けていたが、死刑になっても彼らは死の直前まで悔い改めなかっただろう。多くの国民が裁判を機にそれぞれの過去と向き合ったのとは相反して。 「彼らはわれわれに慰めてもらいたがっているんだ」 「知らなかった」発言以外にも、過去の本で拾い読みした現象を思い出した。 ドイツの歴史の授業で被害側の話を聞いた生徒達は、加害側の自分達ではなく被害側の気持ちになってよく涙を流すのだと。それは過ちを繰り返しかねない行為なのだとも。 これは半ばエーファにも通じるものだと思う。(彼女がそうしたように)加害側の責任を思い知るのは大事だが、被害側の苦難を自ら味わいに行くのは結局何も理解していないに等しい。 真実を知ることで日常にネガティブな変化が訪れたとしても、やはり知らなければ、話さなければならない。本当に悔い改めたいのなら、下手な言い訳はせずにちゃんと自分達側から懺悔すること。 他人事とは到底思えない。果たして我々はどこまで出来ている?
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アウシュヴィッツの犯罪事実を裁判に訴えることで明るみに出し人々に広く知らしめた事実をうまく小説にしている.主人公エーファが通訳をすることで今まで知らなかったことを知り,また自分の過去も無関係で無かったことに衝撃を受けながらも,成長していく姿にドイツのもつ強い意志のようなものを感じた. 物語としても,エーファの恋人との関係や姉の異常な精神など,さまざまな心理描写が巧みでとても面白い.骨太の読み応えのある本だ.
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物語の女性主人公である24歳のエーファは、フランクフルトで営むレストラン「ドイツ亭」の次女で、両親、姉、弟の5人家族だ。 ドイツ語とポーランド語の通訳を仕事としているエーファは、偶然にもアウシュビッツ裁判で原告側、即ちホロコーストでの被害者側の証言を通訳する事となる。 両親、姉、...
物語の女性主人公である24歳のエーファは、フランクフルトで営むレストラン「ドイツ亭」の次女で、両親、姉、弟の5人家族だ。 ドイツ語とポーランド語の通訳を仕事としているエーファは、偶然にもアウシュビッツ裁判で原告側、即ちホロコーストでの被害者側の証言を通訳する事となる。 両親、姉、そして恋人からは、通訳の仕事に強く反対されるのだが、エーファは好奇心とドイツ人としての義務感からこの仕事を引き受ける。 そして裁判が進むにつれて、それまで平和で幸せな暮らしを過ごしていたレストラン「ドイツ亭」の家族は、徐々にアウシュビッツ裁判に、否応なく引き込まれて行く事になる。 揺れ動くエーファの心の内側が見事に綴られ、がんばれ頑張れと応援し続ける気持ちで私の読書は進んだ。 この一冊は、ドイツが犯した歴史上の汚点ともいえる犯罪を自ら顧みて、今現在の若いドイツ人達の親世代が克服しかねる歴史と真実を知る準備を備えていると、著者はテレビで発言されたとの事だ。
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963年フランクフルト。ごく普通の24歳の女性エーファ。翻訳の仕事をしている彼女が、両親や恋人の大反対を押し切って、アウシュビッツ裁判の証言者の通訳を引き受けたことで翻弄されていく。断片的に思い出す自分の謎の記憶や、深い愛情で結ばれていた両親の知らなかった過去がどんどん見えてきて...
963年フランクフルト。ごく普通の24歳の女性エーファ。翻訳の仕事をしている彼女が、両親や恋人の大反対を押し切って、アウシュビッツ裁判の証言者の通訳を引き受けたことで翻弄されていく。断片的に思い出す自分の謎の記憶や、深い愛情で結ばれていた両親の知らなかった過去がどんどん見えてきて、悩みに悩みむエーファ。そしてポーランドへの贖罪の一人旅。アウシュビッツを知る事でエーファが成長していく話だった。自分としては、検察の司法修習生ダーヴィトが1番印象的だった。 「慰めを、求めていたんだよ。彼らはわれわれに慰めてもらいたがっているんだ。」
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人間は誰しも弱く利己的な部分を持っていると思う。平常時には普通の、他人にも思いやりを持てる人達が、戦争のような異常な状況下では、我が身を守るために卑怯な行為をしたり、弱さから大局に抵抗できずに流されてしまったりする。そういう異常な状況に置かれたとき、私自身はどこまで普通を保てるだ...
人間は誰しも弱く利己的な部分を持っていると思う。平常時には普通の、他人にも思いやりを持てる人達が、戦争のような異常な状況下では、我が身を守るために卑怯な行為をしたり、弱さから大局に抵抗できずに流されてしまったりする。そういう異常な状況に置かれたとき、私自身はどこまで普通を保てるだろうか。または、自分の両親がこの小説の主人公エーファの両親のようなことをしたと知ってしまったとき、私は何を考えてどう行動するだろうか。エーファと同じようにするのだろうか。エーファは両親を許せる日が来るのだろうか。アネグレットの行為はトラウマからきているのだろうか。弱く、流されてしまった人達はどこまで責められるべきなんだろうか。あとから償うことはできるのだろうか。【被害】と【加害】の境界はどこなんだろうか。この小説から受ける問いかけはとても難しく、重い。 はっきり加害者と言えるような、ひどい残虐行為をした人達が平気で噓をつき、なんとか逃れようとおそろしいほど厚顔無恥な態度を取る一方で、「知らなかった」り「何もできなかった」人達が後々まで罪悪感に苦しむ姿、家族を殺されたり自身が拷問を受けたりした人達がその記憶に苛まれ続ける姿も印象に残った。
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