いのちの停車場 の商品レビュー
著者、南杏子さん、ウィキペディアによると、 ---引用開始 南 杏子(みなみ きょうこ、1961年 - )は、日本の小説家、内科医。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 東京の救急救命センターで働いていた、62歳の医師・白石咲和子は、ある...
著者、南杏子さん、ウィキペディアによると、 ---引用開始 南 杏子(みなみ きょうこ、1961年 - )は、日本の小説家、内科医。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 東京の救急救命センターで働いていた、62歳の医師・白石咲和子は、あることの責任をとって退職し、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療の医師になる。これまで「命を助ける」現場で戦ってきた咲和子にとって、「命を送る」現場は戸惑う事ばかり。咲和子はスタッフたちに支えられ、老老介護、半身麻痺のIT社長、6歳の小児癌の少女……様々な現場を経験し、学んでいく。家庭では、老いた父親が骨折の手術で入院し、誤嚥性肺炎、脳梗塞を経て、脳卒中後疼痛という激しい痛みに襲われ、「これ以上生きていたくない」と言うようになる。「積極的安楽死」という父の望みを叶えるべきなのか。咲和子は医師として、娘として、悩む。7万部突破『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』、連続ドラマ化『ディア・ペイシェント 絆のカルテ』著者最新作。 ---引用終了
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人の最期をどのように考え向き合うのか。最期の希望は、本人と家族では大きく乖離する。その乖離を家族が様々な感情を持ちながら整理していくことになる。ACPについて推進されているが、実際の場面になったらやはり家族の気持ちが優先することもある。そんな時に白石や仙川のような在宅診療のチーム...
人の最期をどのように考え向き合うのか。最期の希望は、本人と家族では大きく乖離する。その乖離を家族が様々な感情を持ちながら整理していくことになる。ACPについて推進されているが、実際の場面になったらやはり家族の気持ちが優先することもある。そんな時に白石や仙川のような在宅診療のチームがあるといいな。
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たんたんと進んでいく在宅医療の話。 主人公の白石先生は、誠実であり常に一生懸命、思考に柔軟性がある。 在宅医療に必要な要素を全て兼ね備えている素晴らしい先生。 そんな白石先生ではあるが、ご自身のお父さんの尊厳死には思い悩む。 どんなに死期が近いとは理解出来ていたとしても、自...
たんたんと進んでいく在宅医療の話。 主人公の白石先生は、誠実であり常に一生懸命、思考に柔軟性がある。 在宅医療に必要な要素を全て兼ね備えている素晴らしい先生。 そんな白石先生ではあるが、ご自身のお父さんの尊厳死には思い悩む。 どんなに死期が近いとは理解出来ていたとしても、自分の肉親の死期を早めるような行為や判断を敢えて行うのは難しい。 とはいえ、私自身は尊厳死を強く望み、場合によっては積極的安楽死も。 もう人生も終盤。家族に迷惑をかけませんように。散り際を想像することがたびたび。
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ラストの衝撃に「え…」としか感想が出てこない。 このお話のラストがこんな風に終わるなんて。 え…嘘…そんな… どこかで聞いたと思ったら1週間前に私の口から出た言葉だ。 そんな驚きはいいよ、いらないよ。 続編と一緒に2冊借りてきておいて良かった。 放心したままじゃ私の心に良くない。
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終末医療 さまざまな感情が入り混じり読んでいて辛かった。 生きたい思いと、死を受け入れる思い、本人の気持ち、家族の気持ち。 自分なら、と思っていても どちらの立場でもきっとその時がくれば気持ちは揺れる。 終わりある命について考えることは大切。
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在宅看護という今まであまり無かった分野に急に携わることになった主人公の苦労が感じられた 老老介護や終末期ケア、積極的安楽死など現代日本における医療の問題やタブーについて深く考えさせられた 私は将来看護師になりたいと思っているのでこれらの問題を避けて通ることは出来ない 本などを...
在宅看護という今まであまり無かった分野に急に携わることになった主人公の苦労が感じられた 老老介護や終末期ケア、積極的安楽死など現代日本における医療の問題やタブーについて深く考えさせられた 私は将来看護師になりたいと思っているのでこれらの問題を避けて通ることは出来ない 本などを沢山読み、自分の考えを深めていきたい
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「停車場」は「天国行きの電車を待つ場所」というイメージ。 南杏子さんは話す。 在宅医療が、そういう場所であればいいな。 自宅で見守る家族の負担は相当なもの。 第5章「人魚の願い」 6歳の少女と家族のエピソード。 現実を受け入れられない父親と 1日でも長く生きてほしいと願う母親。...
「停車場」は「天国行きの電車を待つ場所」というイメージ。 南杏子さんは話す。 在宅医療が、そういう場所であればいいな。 自宅で見守る家族の負担は相当なもの。 第5章「人魚の願い」 6歳の少女と家族のエピソード。 現実を受け入れられない父親と 1日でも長く生きてほしいと願う母親。 読んでいて辛かった。 でも、患者に寄り添う医療とは何か。 それを知ることができた。 辛いだけの治療で延命をすることに意味はあるのか。 物語の中だけでなく、現実に悩み苦しんでいる人は多くいると思う。 患者も見守る人たちも 安らかに「天国行きの電車を待つ」ことはできないだろうか。
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死と向き合う。 読んでいるのはいつの間にか小説ではなく、それをきっかけに覗く自らに関連した死であり、その連想により脱線し、物語が繋がらなくなる。死の瀬戸際に立ち会い、考えさせられる読書。 小説が先だったか、近頃、死について考える事があり、その為に手に取った小説だっただろうか。生...
死と向き合う。 読んでいるのはいつの間にか小説ではなく、それをきっかけに覗く自らに関連した死であり、その連想により脱線し、物語が繋がらなくなる。死の瀬戸際に立ち会い、考えさせられる読書。 小説が先だったか、近頃、死について考える事があり、その為に手に取った小説だっただろうか。生きる事の歩みや出会いをバスに乗り合わせたかのように例えるなら、バスから降りずに停車する生き様は在宅医療に似ている。物語は在宅医療の現場を通して、患者と向き合う在宅医。自らの選択で停車場を決め、降車していくのだろう。自らのいのちは自由なのか、ならば自ら停留所を決めて良いのか、読後もその答えは分からず、小説も答えは明かさない。 死と同時に作話は途切れる。そして物語は、別の語り部が紡ぎ続ける。それが種の存続における利他性の本質であり、継承こそ人生の寄る辺。子孫、あるいは営為や事業であれ、歴史や教養、認知そのものであれ、いずれ。
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サイレント・ブレスを読んでいたので、在宅医療の内容は二度目となる。 病態·患者により治療方針は大きく異なるのだろうが、いずれにしても大変。20年以上前に妻の母親の終末期医療に接したので痛いほど心境がわかる。妻とはその経験をもとに、死に臨んで、お互い無駄な延命治療はしないよう決めた...
サイレント・ブレスを読んでいたので、在宅医療の内容は二度目となる。 病態·患者により治療方針は大きく異なるのだろうが、いずれにしても大変。20年以上前に妻の母親の終末期医療に接したので痛いほど心境がわかる。妻とはその経験をもとに、死に臨んで、お互い無駄な延命治療はしないよう決めたのだが、周囲が理解しないと難しい。遺言書ということになるのだろうか。 作品中に主人公の父親が安楽死を求めるシーンがあったが、見届け人がいて、また録画をしても無罪となるのは難しいのだろうか。映画ではこの章がコロナ禍の中で相応しく無いとしてカットされてしまったとか。この作品の大事な肝のような気がするのだが、大衆向けの映画とは合わないようだ。 小児癌の子どもの章では涙が出てしまう。子供は死を理解しているのだが、親が中々受け入れられない。 再生医療の章は、以前、再生医療に関わっていたので関心を持って読んだのだが、治療の結果はどうだったのだろうか。その後の経過報告が無く、不完全燃焼だった。
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映画を先に見た。 吉永小百合の顔を思い出しながら、再び感動。 救急医療は一分一秒を争う現場だが、 在宅医療は患者の生き死に直接対面する。 医者と患者を両方経験した父親だからこその決断、自発的安楽死。 「金沢は武士の町、切腹を介錯して欲しい。」 父の矜恃と娘の覚悟が胸を締め付け...
映画を先に見た。 吉永小百合の顔を思い出しながら、再び感動。 救急医療は一分一秒を争う現場だが、 在宅医療は患者の生き死に直接対面する。 医者と患者を両方経験した父親だからこその決断、自発的安楽死。 「金沢は武士の町、切腹を介錯して欲しい。」 父の矜恃と娘の覚悟が胸を締め付けた。 今は二人に一人が癌になる。 新薬や治療法も研究されている。 どこで区切りをつけるか? 私は一番にはQOLを考えたい。 野呂君が医者になって帰ってきた続編も早く読みたい!
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