ハイパーハードボイルドグルメリポート の商品レビュー
まさに本を読むことの意味。 全てがすごかった。 ゴミ山とロシアの宗教の街が 心に残った。 食は文化も歴史も 経済も信条も全て写し込んで 生きるために必須で。
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『ヤバさを見つめれば、普通が見えてくる。 生について考えるには死が必要であり、 裏がなければ表も存在しない。』 2020年のベスト3入り! お気に入り確定本。
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この番組は自分の平穏な日常を気付かせてくれるほど、ヤバい世界に生きる人を見せてくれた。 そんな番組を作る人はどんな考えを持ち、目の前に起こる事に何を思ったのか知りたくなり読んだ。 僕が想像や理解が及ばない貧困、人種差別、宗教あらゆる社会の中で生きる人がいる。今日を僕と同じく食べ...
この番組は自分の平穏な日常を気付かせてくれるほど、ヤバい世界に生きる人を見せてくれた。 そんな番組を作る人はどんな考えを持ち、目の前に起こる事に何を思ったのか知りたくなり読んだ。 僕が想像や理解が及ばない貧困、人種差別、宗教あらゆる社会の中で生きる人がいる。今日を僕と同じく食べて生きている。 全て僕と同じ人もいないし、違う人もいなんだとこの本を読んで思っていた。
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最初はテレビからはいったんだけど、テレビは人生を考えさせられた。本はその時の衝撃よりは劣るけど(汚さなどの臨場感は映像がないと伝わらない)、この本も読んで深くこころにささった。いま恵まれている毎日を大切にしたい。
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テレビドキュメンタリーの裏側と、この方がテレビをくそくらえと思いながらも撮り続ける意味が書かれていた。複数の命題が絡み合うなかで、目を背くことのできない現実がそこにあった。
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ごはんが無ければ人間は生きていけない。逆に言えば、生きるという営みの中には「ごはん」が必ず鎮座しているわけであり、その人が食べる食材や食べるための調理法は、その人の日々の生活を映し出す鏡とも言える。 では、世界のヤバい場所で暮らしている人たちは、どんなヤバい飯を食っているのだろう...
ごはんが無ければ人間は生きていけない。逆に言えば、生きるという営みの中には「ごはん」が必ず鎮座しているわけであり、その人が食べる食材や食べるための調理法は、その人の日々の生活を映し出す鏡とも言える。 では、世界のヤバい場所で暮らしている人たちは、どんなヤバい飯を食っているのだろうか? そうしたコンセプトのもと製作されたテレビ番組、「ハイパーハードボイルドグルメリポート」を書籍化したのが本書。もともとはテレビ東京の深夜番組として映像化されていたが、書籍化にあたり番組では(尺的にも内容的にも)放送できなかった未公開エピソードを大幅加筆しており、番組を作成していた上出氏の心情や考えがありありと表現されたまさに「完全版」の一冊である。 「ヤバさ」と一言で言っても、ベクトルはさまざまだ。食人者と言われている元少年兵が食べる廃墟飯、路上生活を重ねるドラッグ中毒の娼婦が食べる屋台飯、台湾マフィアたちの酒池肉林、カルト宗教の信者が作るベジタリアン料理、有害物質で汚染された豚を食べるスカベンジャーなど、極上から最底辺まで幅広く、「ヤバさ」の中でもこんなに格差があるのかと思い知らされる。清潔で安全な日本では考えられないような「食べられればいい飯」が出てきたと思ったら、逆にまともな料理なのに食べている人が全然マトモじゃなかったり、読んでいてワクワクするほどのバラエティーに富んでいた。 本書を貫くコンセプトは、「人には人の正しさがある」だ。物乞いや強盗をして食事にありつく者もいれば、朝から晩まで低賃金の仕事をこなし、なけなしの銭で米を買う者もいる。 「清貧に甘んずる」のを美徳とするのは満ち足りた人々だけだ。日々の食事に事欠く人々は倫理では測れない。人は食わなければ死ぬし、食うためなら何だってしてもいい。リベリアやケニアの貧困者たちを先進国の基準で捉え、彼らに道徳を説いてしまえば、彼らの背後に潜む悲惨さから眼を背けることになる。 取材に応じてくれた人たちは、社会から切り離された存在である。内戦の影響で住む家を無くした元政府軍と元反乱軍、動物を殺すことへの罪悪感から植物と乳製品だけを食べる街、ゴミ山で生きるしかなく、鉛で汚染された食物を食べて身体を壊す子どもたち。彼らの食事を通じて描かれる世界のリアルとは、「ヤバい」と「普通」の間、そして「正義」と「悪」の間は切り分けられないほどぼやけているということだ。そして、食事の間だけは善悪を忘れられることができ、美味しい食事に舌鼓を打つのは誰もが同じということだ。食事は現代社会が抱える闇を浮きぼりにするが、同時に闇を忘れさせてくれる存在であるのかもしれない。 本書は、私たちとはかけはなれた「ヤバい」状況のもとごはんを食べる人々のルポだが、不思議と食事の様子は想像ができるし、「食べてみたい」と思えるようなものも少なくない。過酷な環境で生きながらも、みな食べると言う行為を楽しみにしており、日々の生活と毎日の食事に真摯に向き合っている。世界のアングラな部分を見ながら食について再考できる一冊。ぜひ味わってみてほしい。
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先に本を読んでから、動画を見ると自分の想像力の無さがわかる。 本当に悪い奴は、笑顔で近寄ってくる。 ここに出てくる人物たちは生きることに必死だ。悪い奴の飯じゃなく、生きるのに必死な人たちの飯。
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TV番組の事は全く知らなかったのですが、この本を読むとさぞインパクトのある番組だったんだろうなあと想像します。 色々な「ヤバい」人たちの食べているものを取材する話なのですが、この「ヤバい」という軽薄な言葉が似合わない位に真摯な本です。 きっとTVは色々な煽りのキャプションやテロッ...
TV番組の事は全く知らなかったのですが、この本を読むとさぞインパクトのある番組だったんだろうなあと想像します。 色々な「ヤバい」人たちの食べているものを取材する話なのですが、この「ヤバい」という軽薄な言葉が似合わない位に真摯な本です。 きっとTVは色々な煽りのキャプションやテロップが沢山出たんでしょうが、本なので著者の心象風景がふんだんに書かれていて胸に迫ります。 煽情的な小見出しですが、中身を見ると対象としっかり向き合っているのが感じられて、読んでいてとてもよかった。 特にゴミの山で暮らす少年との時間は神聖な物を感じました。この話がどう見てもクライマックスで感情が高ぶりますが、この後もこの少年の日常は続いていくんだなと思うと暗澹たる気持ちになります。こうやって安全なところから読んで勝手に心を痛めるというのも、ほんと他人事だよなあ・・・。 毎日何かを食べて命をつないでいる訳なのですが、我々、あれがうまいこれがうまいとあれやこれややっていられるのはいつまでなんでしょう。豊かで何でもすぐ手に入る生活はこのまま続くのかと考えてしまいました。
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リベリアで、日本から支援食料が売られているのを指摘したときの話、これが考えさせられる。本来ならば子ども向けを想定していたものが、流通ルートのどこかで買い叩かれて市場で大人が買っている。食糧がない場合は子どもに渡るのだろうが、常に食糧を支援してほしいとは限らない。では必要な金に換え...
リベリアで、日本から支援食料が売られているのを指摘したときの話、これが考えさせられる。本来ならば子ども向けを想定していたものが、流通ルートのどこかで買い叩かれて市場で大人が買っている。食糧がない場合は子どもに渡るのだろうが、常に食糧を支援してほしいとは限らない。では必要な金に換えたほうが、という思考は至極真っ当なもの、という箇所だ。 明日を生き抜くためだけに生きている人たちの叫びが、食を通してダイレクトに届いてくる。
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サブカル系YouTuberのおすすめでこの番組が紹介されていたので観てみたら、ものすんごい番組が地上波でやっていたのだとびっくりして、書籍化されたものがあると知り、これは読むしかない!と偶然ヴィレヴァンで見つけた本作を購入し、鈍器のような厚みだけれどもほとんど数日で読み終えた。 ...
サブカル系YouTuberのおすすめでこの番組が紹介されていたので観てみたら、ものすんごい番組が地上波でやっていたのだとびっくりして、書籍化されたものがあると知り、これは読むしかない!と偶然ヴィレヴァンで見つけた本作を購入し、鈍器のような厚みだけれどもほとんど数日で読み終えた。 冒頭にも記されているように、番組は上出さんが出会ったもののほんの一部を切り取ったものにすぎず、番組を視聴済みだったとしても書籍版は必読です。ただ、あの番組の、無駄なキャプションやBGMでこちらの思索や感情を規定しようと操作することなく、ただただそこにある真実として(恣意的に切り取られた風景だとしても)それを見て、何を考えどう感じるのかはこちらに委ねられている、その距離の取り方が大変絶妙なので(24時間テレビのような障害者ポルノに勤しむ、視聴者を舐め腐った番組とは訳が違う)、上出さんの主観や感情が可能な限り削ぎ落とされた番組も是非本を読む前に見てほしい。 本の帯にも書いてあるのだけれど、あくまでも本著のテーマは「飯」。日本とは物理的にも文化的にも生活的にも遠く離れた地の人々の生活を、人間ならば、というか生き物ならば必ず共通する食事を通して写し出す。もちろん、テレビ番組として成り立つような、センセーショナルな場所がセレクトされているのは言うまでもないが。肌の色や言語、文化、置かれている環境、ありとあらゆるものが全く違う人々も、私と同じように飯を食う。飯を食うために働き、働くから腹が減り、そして飯を食う。 彼らにはそれぞれの物語があり、それを私は上出さんの言葉や映像を通してでしか触れることができないけれども、私と全く違う人生を送る人がいて、それぞれの時間と空間がある、という想像力は常に保ち続けなければならないし、それを踏み台に自身の生活を振り返るような失礼なことをしちゃいけないと思った。 そして上出さんのドキュメンタリーの暴力性への自覚は、メディアのみに通ずる話ではなくて、他者の人生への介入(興味ゆえの不躾な関心)の暴力性の自覚を私にもたらした訳で、それが乏しく感じますね、今の日本社会では。(大きい主語は好きではないけれど。)この自覚をどのような環境下においても持ち続けたいですね。 最後、上出さんとゴミ山スカベンジャーの男の子とのやりとりは、世界平和そのものを映していると私は思ったし、心底美しかった。それは男の子の境遇を肯定しているのではなくて、人間に備わった生来の善性を信じて良いのだと思わせる光景だった。
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