教育格差 の商品レビュー
本書で著者は繰り返し言う。 ・「生まれ」による学力格差について日本は凡庸な社会である。 ・教育改革は行われるが、分析可能なデータの取得は十分には行われず、そのためその意味について検証が行われないまま改革が繰り返されてきた。 社会経済的地位が高い親を持つ子供の学歴獲得競争におけ...
本書で著者は繰り返し言う。 ・「生まれ」による学力格差について日本は凡庸な社会である。 ・教育改革は行われるが、分析可能なデータの取得は十分には行われず、そのためその意味について検証が行われないまま改革が繰り返されてきた。 社会経済的地位が高い親を持つ子供の学歴獲得競争における優位性について、様々なデータを用いて説明する。就学前段階から既に教育格差が生じ、小学校、中学校、高校、大学、就業という流れの中で、その格差は縮小することはなく拡大し続けるという。 漠然と人々が感じている「そうだろうな」という結論に至る過程を、丁寧にデータを積み上げて説明してくれる。日本は他国と比べてPISA平均値は高いかもしれないが、凡庸な教育格差のある社会なのだと。 その格差は緩やかゆえ、自覚しにくい。自分がどの階層の所属集団に属するのかはっきりとはわからないし、普段あまり意識しないのではないか。しかし、「生まれ」と学歴獲得競争の結果についてのデータ分析による「答え合わせ」(明確な因果関係の立証は難しいため、こういう表現が使われている)によれば、例外はあるものの、マクロに見れば大多数の人々は「生まれ」によってその後の学歴、職歴がある程度決まってしまう。そして、その格差は再生産されていく。 著者は本書の執筆に長く逡巡したという。なぜなら本書が教育格差の再生産を強化してしまう可能性があるからだ。教育格差が「生まれ」によって決まってしまうということに自覚的になった社会経済的地位の高い層(本書の読者の多くはこの層だろう)は、自分の子供が学歴獲得競争を優位に進めることに意識的になるのは想像に難くない。しかし、目の前に厳然と存在するし教育格差を正しく認識するところから始め、一人一人の潜在可能性を最大化するための教育環境整備の重要性を訴える。 本書は様々な読みができる本だと思う。もちろん、日本の教育格差の現実をデータで示すことが主眼だ。しかし、そのデータの積み上げの過程で触れる、他国の教育環境や民族構成(使用言語を含む)や、教師の児童・生徒への期待が実際の学力に影響を与えるという「教師のラベリングによる予言の自己成就」など、もっと知りたくなる論点が散りばめられている。そして著者が繰り返し嘆いているのが、日本の教育に関するデータの貧しさと、「教育改革」のやりっぱなし、なのだ。最低でも、私たち大人が「ちゃんと見直して自分の弱点を把握」しないことには、現実は一歩も前に進まない、という身につまされる事実を突きつけらる一冊だ。
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著者は、本著の執筆を「学術的雪かき」と表現している。 誰もやらないが、やらなければならない「教育格差」の明示を「やれやれ」と肩を竦めて行ったというエピローグを読むと、この問題の切実さを感じる。 『過去の現状を把握せず、内省もしないのに「主体的で深い学び」? 批判的思考? それって...
著者は、本著の執筆を「学術的雪かき」と表現している。 誰もやらないが、やらなければならない「教育格差」の明示を「やれやれ」と肩を竦めて行ったというエピローグを読むと、この問題の切実さを感じる。 『過去の現状を把握せず、内省もしないのに「主体的で深い学び」? 批判的思考? それって悪い冗談だよね」という15歳の著者の怒りがひしひしと伝わってきた。
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教育格差(ちくま新書) 非大卒より大卒の方が幸せである。と受け取れるように感じたからである。著者自身が書いていたが、例外を探せばいくらでもいる。相対的にそういう傾向があるということ。 タイムライン https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
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私の両親の世代(昭和一桁生まれ)はほとんど大学には行っていないだろう。私の世代(昭和30~40年代生まれ)は大学卒も増える。私は社会に出てから、職場では大卒の人ばかりと接してきた。顧客にも大卒が多かったと思う。しかし、お付き合いのあるご近所さんには非大卒の方もいる。職業は様々だが...
私の両親の世代(昭和一桁生まれ)はほとんど大学には行っていないだろう。私の世代(昭和30~40年代生まれ)は大学卒も増える。私は社会に出てから、職場では大卒の人ばかりと接してきた。顧客にも大卒が多かったと思う。しかし、お付き合いのあるご近所さんには非大卒の方もいる。職業は様々だが、皆我が家と同じくらいの生活レベルである。(同じような家に暮らしている。)本書を読んでいて、5章あたりまで、ずっと違和感があった。非大卒より大卒の方が幸せである。と受け取れるように感じたからである。著者自身が書いていたが、例外を探せばいくらでもいる。相対的にそういう傾向があるということ。でも、やはり身近で感じるのは違う。親自身非大卒で、子どもにも大学進学を希望しない、けれども、いつも子どもと野球をしていて楽しそうである。幸せそうである。そんな家庭がいくつもある。幸せの形は人それぞれだろう。ただ、極端に貧しいのは困る。そのためのセーフティネットは必要だろう。教育政策は万人に有効なものは難しい。それぞれの現場で、それぞれに対応するしかない。システムの改善は常に必要だが、教職員にゆだねられる部分が大きい。だから教職を魅力あるものにすることが必要だ。ただそれも、何を魅力と感じるかは人それぞれで難しい。難しいけれども大事なことだから考えなければならない。試行錯誤を続けなければならない。教育社会学を科学的にするには、地球科学の手法が使える気がする。実験・検証というのは難しい。が、過去の具体的ないろいろな動きを見る中で共通性は見出せるのではないか。一般化可能なこともあるだろう。それも、ときと場合、人によるのだろうが。うーん、難しい問題だ。
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