騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編(下) の商品レビュー
途中まで、不思議な世界に入り込み、どうなるのかわからなかったけど、案外最後は普通にハッピーエンドで、ちょっと拍子抜けした感がしなくもありませんが、久しぶりに続きが気になって、読書に没頭させられてしまう本でした。 やっぱり、村上ワールドが好きだな。
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この作家の長編の作品は途中で読み進めるのが辛くなる事がよくあると思う。 これも同様だったがそこを抜けると面白さが増してくる。 最後は収まるところに収まったという感じだ。
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作者のファンではないので。。。文章は巧なのは理解できるが、この小説は何を言いたいのであろうかと思ってしまった。難解ではないので、意外とすらすらと読み終えたが、最後まで疑問が残ったままだった。哲学的であるからだろうか。「この世界に確かなことは何ひとつないかもしれない。でも少なくとも何かを信じることはできる」、最後のこの言葉は心に残った。
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1、2部分まとめて。 私の「村上春樹が書く小説の好きなところ」が変わらずあって、それは主人公の事象に対する受け入れ方であったり、人に対する接し方である。 主人公は絵描きで、ある時から友人の父の雨田具彦(高名な画家)の家に住むことになる。屋根裏部屋には美しいみみずくがいて、そこで「...
1、2部分まとめて。 私の「村上春樹が書く小説の好きなところ」が変わらずあって、それは主人公の事象に対する受け入れ方であったり、人に対する接し方である。 主人公は絵描きで、ある時から友人の父の雨田具彦(高名な画家)の家に住むことになる。屋根裏部屋には美しいみみずくがいて、そこで「騎士団長殺し」というタイトルの絵を発見したところから物語が展開していく。 パーフェクトな隣人の免色、妻のユズ、胸の小さな秋川まりえなど、登場人物も魅力的。 一見完成されている免色と、未完成な秋川まりえ(免色の娘かもしれない)の対比。 自分を導いてくれるものは何かあるだろうか。
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今まで読んだ村上春樹小説の中で一番すっきり読み終えた。彼の描く独特の世界観、好きだなぁ。 この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。でも少なくとも何かを信じることはできる。 私は何を信じて生きていこうかなぁ。 免色さんみたいな生活、絶対真似できないけど憧れる。 ...
今まで読んだ村上春樹小説の中で一番すっきり読み終えた。彼の描く独特の世界観、好きだなぁ。 この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。でも少なくとも何かを信じることはできる。 私は何を信じて生きていこうかなぁ。 免色さんみたいな生活、絶対真似できないけど憧れる。 騎士団長の「~あらない。」の言い回しが途中からすごくツボだった。そしてなぜかしわがれ声で脳内再生。 二重メタファーとか、ちょっと理解できないとこも多々あったけど、面白すぎて一気読み。 5年後に読んだら、また違った解釈ができるようになるかな。
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私は春樹世代ではない。 春樹の年齢に近くもないし、春樹の流行に立ち会った世代でもない。 流行からも名声からも完全に切り離されたところで、「風の歌を聴け」をまるで事故のように読み、うわお!と驚愕し、追ってきた次第。 確かに「いるかホテル」とか「羊男」とか「やみくろ」とかには、酔った。 しかし「海辺のカフカ」の、僕の若い肌がシャワーの水を弾いて云々、という記述で、あれれ、と感じ始め、 「1Q84」の二つの月がうんたらかんたらという陳腐なイメージには辟易した。 そう春樹の近作に接すると辟易という言葉がしっくりくる。 それはアマゾンだかで読んだ「もはや彼の言う孤独は私の孤独とは重ならなくなった」というレビューと同じく。 すなわち幻滅。 ちなみにこのへん、マスコミがわざわざノーベル賞秒読み!?式の特集を、時期に合わせて組むことの無粋さと関係する。 だって取り上げ方が、「ハルキスト未見読書会」といった、かつてのヲタクバッシングに似たものだもの。 んで、この「騎士団長殺し」も、同じ感想。 あいかわらずスノッブ(語の悪い意味において)な30代の男が、別れた奥さんをうだうだ思いながらも、人妻とセックスしたり少女に信頼されたりして、甘やかされている。島耕作? 渡辺淳一? ゴルゴ13? ただしここまでくれば春樹的人物は、自家中毒というのか自覚が生まれてきたというのか、自分の持って回った冗長な言い回しや韜晦癖を自認しているふしもある。 つまりはネカチモでエライ青年のハナモチナラナイモノローグを、あえて行っているという、老年春樹のエクスキューズ込みの地の文なのだ。卑怯。 でも、かつてシティライクな感覚で打って出(て売れ)た作家が、ジジイ・ノスタルジイに浸っているところに、わざわざ好意的に寄り添う必要は、読者にはないのではないか、と思う。 春樹が前もって張っている予防線に、果然として言ってもいいのではないか、「ダサイよ!」と。 そもそも単行本の装丁がダサイ。 文庫においては見直された、新潮社文庫部内には比較的良心的な本の作り手がいたということだろう。 さらにいえば本作ではミステリーの枠組みを利用しているけれど、ミステリ作家がどれだけ苦心していると思ってるの? 枠だけ使って真相はワカラン、だって純文学だもんねー、じゃジャンル小説への無礼極まりないよ。 この点でも「甘やかされている」、だって村上春樹の作品だからね。でもこれで本当にいいの!? 「1Q84」でもそうだったが、こんなに電話を手軽に導入してしまって、いいの!? 個人的には、回想が行ったり来たりする叙述を整理して、なるべく時系列順にするべきだと思う。 そうすれば私の妹への思いも、妻やまりえが妹の変奏曲に過ぎないということも、はっきりする。 要するに、語り手が妹を失ったせいで歪んでしまったその歪みが、より直裁に現れてくるのだ。 この歪みを認めたくないがゆえの迂遠さが、この小説に成っている。 思春期の歪みを、見ず、いまも見ずにいる、から、状況が、わざわざ穴を用意して、穴に潜って出るという、本来無用な経験を強制せねばならなくなった。 これもまた「甘やかされすぎ」。 春樹は私小説を必ず批判し、それが日本の作家ではなく世界の作家であるという自負を荷っている。 が、大江健三郎のような新しい私小説とは別の意味で、春樹式私小説家的作家自身の境遇を、もはや体現しつつあるのではなかろうか。 つまりは子供を持たないということについて。 2ちゃんだか5ちゃんだかの小梨だか小蟻だかのルサンチマンの渦巻くじゅくじゅくに、少しでも触れてみればいいのだ。 逆にいえばそういったルサンチマンの書き手がこの小説をどう読むのか、あるいは春樹の奥様がどう感じたのか、は想像するだに、……。 思い返せば「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」でも、夢の中で強姦すりゃあ俺の子供が生まれるんだよ、という酷くマチズモな考えが、あった。 春樹はいかにも女性の立場に立った柔らかな意見の持ち主、という感じが、エッセイからは立ち昇り、糸井重里と同じくそのイメージに寄りかかっているところがあるが、実は作品においてはひどくマチズモで女性蔑視的でミソジニーなのだ。 さらにいえばサリンジャーのホールデンにとってのフィービーと同じく、イノセントへの回顧と同時に間違いなくインセストタブーへの志向を示している。 さて、最終的に春樹ファンにとって不快なことを書いてしまうが。 春樹の精髄は短編小説(本作のベースは「木野」だし)。 長編を読むと、ベッドで妻の隣に横たわったまま、甘く自身の性器をダラダラとシゴき続けるような、生理には準じながらも生物としては反するような、いわばアナーキーな感覚に、浸される。 そんな中、ただ天井裏にみみずくた佇む光景だけが、清い。
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異様で割と過酷な試練を乗り越えたのに、そのあとがさらっと終わりすぎていて、もう少し重みがあってもよかった。 自分も仕事で絵を描くので、絵に関する描写はすごくよかった。
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村上春樹作品の中でも読み易い作品でした。 イデア、メタファー。 ファンタジーにして哲学的。 これぞといった内容でしたね。
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こういう終わり方なのか?そうなのか。 4巻はこれまでの3冊のストーリを巻き取って収束していく。 まだ終わってほしくないという気持ちを持ちつつ読んでいたけど、掃除機のコードのように、容赦なく巻き取られてしまった。
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小学校の頃身体が入るギリギリの狭い穴に入って遊んでいた、そこそこ長いその穴を抜けると渓谷に出た記憶が今では現実か夢か分からないものになっている事を思い出した。
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