数学する身体 の商品レビュー
この本は、甲野義紀さんのtwitterから知りました。 若い時に甲野さんに影響を受けたということもあり、哲学的な書物で、身体で感じるというか、身体についての考察が共感を得ることが出来た作品でした。 ◯荒川修作さん、チューリングさん、岡潔さんの関連する書物なり映画を見たくなりました...
この本は、甲野義紀さんのtwitterから知りました。 若い時に甲野さんに影響を受けたということもあり、哲学的な書物で、身体で感じるというか、身体についての考察が共感を得ることが出来た作品でした。 ◯荒川修作さん、チューリングさん、岡潔さんの関連する書物なり映画を見たくなりました。 ◯恐らく読み返す本になると思います。
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3つ以上を数えるために数字を生み出し、そこから数式を編み出し、それが機械をつくり、そして人工知能となって、人間の思考に迫っていく。そんな数学の大きな流れを追うことで「心って何だろう?」ということに向き合った本。 僕らは数学があるから思考するし、数学があるから便利な世界で暮らすわけ...
3つ以上を数えるために数字を生み出し、そこから数式を編み出し、それが機械をつくり、そして人工知能となって、人間の思考に迫っていく。そんな数学の大きな流れを追うことで「心って何だろう?」ということに向き合った本。 僕らは数学があるから思考するし、数学があるから便利な世界で暮らすわけだけど、果たして思考=数学なのかは、どうなんだろう。 仮に心というものが玉ねぎのように一枚一枚分析して剥ぎ取れるものだとしても、確かに玉ねぎを生み出した種子のチカラの不思議さは、剥ぎ取れないよなあ。
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本を読んだ時、今まで過ごした日々との関わりを感じる瞬間が一番好きです。 この本はその瞬間を多く感じさせてくれました。
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これは深いわ。久しぶりにこういう本を読んだ。 ある意味で哲学書。だけど語り口は優しくて、スッと心に入り込んでくる。 我々は数学を誤解している。 著者はその誤解を少しずつひも解いていくのだ。 一瞬「計算すること」=「数学」と思ってしまうが「そうではない」と言い切る。 歴史的には(計...
これは深いわ。久しぶりにこういう本を読んだ。 ある意味で哲学書。だけど語り口は優しくて、スッと心に入り込んでくる。 我々は数学を誤解している。 著者はその誤解を少しずつひも解いていくのだ。 一瞬「計算すること」=「数学」と思ってしまうが「そうではない」と言い切る。 歴史的には(計算ではなく)「数えること」から始まった。 これはまだ分かる。次へのステップが面白い。 実は「数学とは【論理】に発展した」というのだ。 これも時系列に沿って考えてみれば明白なのに、なぜかそこに気が付かなかった。 古代より「数えること」は、生活する上で必要なことであった。 そして紀元前3世紀に、ユークリッド「原論」が数学を体系化する。 しかしその中身は、数えることが主眼ではなく、あくまでも公理公準を示しながら論理展開していくものだった。 もちろん「計算」は主眼ではない。 公理公準を読んでいると、一種の哲学のように感じてしまう。 「同じものに等しいものは、互いに等しい」なんて、もはや哲学じゃないか。 江戸時代に「原論」が日本に輸入された際は、そのあまりにも当たり前の論理展開に「レベルが低い」と言って一蹴されたらしい。 しかし、決してレベルが低いという話ではない。当たり前のことを、改めて「前提」とすることで、「では、この場合はどう解釈するのか」を論理で積み上げていく。 この辺は独特な文化の違いも影響しているだろう。 日本では「論理」よりは「感じること」の方が重きを置かれている気がする。 だから当たり前の情報を共有するよりも、情緒を共有する方が、気持ちとして心地いいのだろう。 こうしてみると、数学を通じて、人間の内面を覗いていくのは理解できる。 本書では、後半チューリングと岡潔を取り上げている。 数学者でありながら、二人とも最終的に「人間の心とは何か?」について追い求めているのは、何か不思議な気がするのだ。 特にチューリングは、「どんな数式も、01の数式で置き換えられる」という画期的な理論を見つけ出し、コンピューターの基礎をつくった。 よく考えるとこれも不思議だ。 無理数も虚数も、すべて「01」で表現が出来ている。 宇宙に飛び出すロケットの軌道も、「01」で計算出来ている。 ちなみに本書で「計算」の発展については、16世紀頃と記してある。 これも遅いと思うが、歴史をひも解くと納得。 アラビア数字と「ゼロ」、およびその「ゼロを位取りする」方法が生まれて初めて「計算」が誰でも身近になったのだ。 それまでは、おそらく特殊な才能の持ち主しか、計算は出来なかったのだろう。 アラビア数字とゼロのお陰で、計算が民主化されたのだ。 そう思うと、非常に面白い。 つまり「原論」以降、2000年間くらい、「数学とは論理」だったのだ。 それが「計算」となり、更に今これからは「心」に発展していくのかもしれない。 チューリングも岡潔も目指したのは、人の心だ。 それを数学で再現する。(「解明する」と言った方が分かりやすいかもしれない) 本書のタイトルは「数学する身体」だ。これも深い意味がある。 心こそ、身体があるから存在すると、チューリングも岡潔も認めている。 身体はセンサーの役割で、外界からの情報をインプットしていく。 それを「心」に変換していくのであるが、そこには大きく数学が寄与するだろうことを示しているのだ。 数学が身体を拡張していく。(コンピューターは明らかに人間の能力を拡張している) その時に「心」はどう変化していくのだろうか? 世界が大きく変わる中で「根源的な何か」を追い求めている本書。 すごく価値がある一冊だ。 (2019/12/30)
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人類と数学の関わりを紐解きながら数学の歴史が語られています。特に数学者岡潔に関する記述に惹かれました。次は岡潔氏の著作「日本のこころ」を読んでみたいと思います。
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「数学する身体」 森田真生 著 数学は苦手です。 遠ざけてきた世界です。 文字に関心を高める生き方をしてきました。 文字を通して数学の世界を味わえるなら、、、と思い、 手にした一冊です。 「よく生きるために数学をする。 そういう数学があってもよい。」 著者の理念...
「数学する身体」 森田真生 著 数学は苦手です。 遠ざけてきた世界です。 文字に関心を高める生き方をしてきました。 文字を通して数学の世界を味わえるなら、、、と思い、 手にした一冊です。 「よく生きるために数学をする。 そういう数学があってもよい。」 著者の理念が子供たちにこそ届いてほしいです。
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森田真生「数学する身体」読了。数学の話から抽象化の極みであるコンピュータの話に転じさらに情緒の話に及ぶ著者の見識に驚いた。その流れはチューリングと岡潔の生涯を辿る事から生まれる。数学が無機的なだけでなく有機的な側面を持てるという点が数学する身体に繋がる。面白かった。
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人類は、身体を道具として、数に対する認知世界を広げていった。 こういうはるか遠くの話から、本書は説き起こされる。 まったく数学の素養がない身としては、ちょっと茫洋とした感覚になる。 そこから、二人の数学者が取り上げられる。 チューリングと、岡潔。 偶然なのか、二人とも近年、映画...
人類は、身体を道具として、数に対する認知世界を広げていった。 こういうはるか遠くの話から、本書は説き起こされる。 まったく数学の素養がない身としては、ちょっと茫洋とした感覚になる。 そこから、二人の数学者が取り上げられる。 チューリングと、岡潔。 偶然なのか、二人とも近年、映画やドラマになった人たちだ。 この二人がどうつながるのか、つながりがあるのかないのかさえ、予見がつかない読者だったのだが・・・ 心と身体の問題を数学の領域で問うた人たちだったとのことだ。 チューリングは、そのためにまず、身体とともにあった数を切り離し、計算されるもの(データ)から、計算するもの(プログラム)への転回をもたらし、現代のコンピュータ科学の基礎を築く。 これに対し、岡は(主研究たる多変数解析関数の話はとても自分には扱えないので置いておく)、わかるということが、対象と一体化することだと考えた人だという。 数学的な道具を使い、数学者は数学の風景を切り開いていく。 切り開いた先には、その主体が関わることで現出した新しい風景ができあがっていく・・・。 主客一如というのか、すごく東洋的な考え方だ。 数学にまったく縁のない自分にも、なぜかするっと読めてしまう不思議な本だった。 筆者が、脳科学や哲学など、さまざまな知見を導入して、思想史的な布置を作ってくれるので、読めるのかなあ、と思う。
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数学は哲学。世界を、心を理解する方法から、世界に、心に「なる」ことへ。チューリングと岡潔(と芭蕉)を通して語られる森田さんの哲学。チューリングは偉大でありつつ悪役で、岡潔に大きく傾倒している様が読み取れる。私はまだまだ「理解」の側にしか立てないな。岡潔の著作を読んでみたくなった。
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第1章 数学する身体 第2章 計算する機械 第3章 風景の始原 第4章 零の場所 終章 生成する風景 第15回小林秀雄賞 著者:森田真生(1985-、東京都、数学) 解説:鈴木健(1975-、エンジニア)
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