数学する身体 の商品レビュー
数学の生い立ち、数学に人生を捧げる人達と数学との向き合い方・考え方など、『数学と人間』をテーマに書かれているような感じです。数学をよく理解していない私にとって、聞いたことのない数学理論の話しが登場しますが、逆に興味が湧いてくるのは、著者の描き方たる所以だと思う。
Posted by
前半は数学の刺激的な歴史のはなし。 subitizationスービタイゼーション: 人間は少数のものは一瞬で判断できるが、およそ3個を超えるとこの能力は消える。それで、指折り数えるような方法は世界には様々発展した。漢字やローマ数字のみならず、マヤ文明でも古代インドでも、数を表す...
前半は数学の刺激的な歴史のはなし。 subitizationスービタイゼーション: 人間は少数のものは一瞬で判断できるが、およそ3個を超えるとこの能力は消える。それで、指折り数えるような方法は世界には様々発展した。漢字やローマ数字のみならず、マヤ文明でも古代インドでも、数を表す文字は1から3までは棒の本数、しかし4から異なる。 紀元前5世紀ギリシャ: 古代文明の時代から、数は測量や暦など、日常の具体的な問題の解決のために発展してきた。ところがこの頃「いかに」正しい答えを導くかよりも「なぜ」正しいかを重く見る動きが現れる。→ユークリッドの『原論』:素数が無限にある証明で有名。 定理theoremの語源は、「よく見る」というギリシャ語theorein、 数学mathematicsの語源は「学ばれるべきもの」というギリシャ語μάθημαマテーマタ (ハイデッガー「学びとは、はじめから自分の手元にあるものを掴み取ることである」) アルジャブル: 古代ギリシャ文明衰退後、数学的遺産の後継者は、アッバース朝(750-1258)のイスラム社会。理論先行のギリシャと、計算重視のインドの数学が合流。初期アラビア数学者アル=フワーリズミー著『ジャブルとムカバラの書』『イルム・アル・ジャブル・ワル・ムカバラ("Ilm al-jabr wa'l-muqabalah")(約分と消約との学=The science of reduction and cancellation)』 →代数を表すラテン語algebraアルゲブラの語源→アルジャブルの目指す、未知数を含む式を解きやすい形に持ち込むための機械的手続き(即ちアルゴリズム)を考案し、その正当性を幾何学的手段で証明すること。 記号化する代数 この時代の計算には記号がなく、自然言語だけで表現されていた。16世紀に活版印刷の普及も手伝って記号法の統一が進み、+-×÷や√が出揃ってくる。 フランスのヴィエトは記号操作による「一般式」を確立。未知数に母音、既知数に子音を使っていたが、デカルトは未知数にxyz、既知数にabcなど、記号代数の表記をほぼ現代の形に整理した。 図形の問題も、古代ギリシャ以来の「作図された問題を解く」のではなく、記号化によって(図形を一般式に置き換えて解く)代数の問題に書き換わった。 その後、ニュートンとライプニッツがそれぞれ、微分と積分を発明。個々の図形に接線を引くのではなく、一般的な方程式に対してその接線や面積を求めるアルゴリズムを確立。 この流れにより、数学は物理的制約から自由になり、「無限」や「虚数」などの概念を獲得していく。つまり、図形に描けないような「あり得ない」ことでも、数式上「あり得る」ならば、数学で扱えるようになった。 作品の後半は、2人の天才の人生にフォーカス。 数学は、天才の頭脳の中で発展したのではなく、むしろ身体性に裏打ちされた行動の中で発展したのだというような話。詩や俳句からのインスピレーションが数学の進展に寄与したりもする、そんな話を読んで、理系とか文系とかいう区分には何の意味もなく、技術者でありながら読書趣味の自分を肯定してみたりする。
Posted by
読んだからと言っても…数学が身近になったとは、言えない。だけど、数学する人と話したいな、話を聞いて、感じたいな。と思いました。
Posted by
興味を惹かれる内容がとても多い 数学の表面的な難しさを取っ払って、数学という行為の面白さや美しさそのものの中に飛び込ませてもらえる本
Posted by
参考文献が挙げられている本を読んだとき、それらの参考文献のいくつかを読んでみようかなと思うことも、その本自身の面白さを物語る尺度ではないだろうか?数学の魅力を、チューリングと岡潔を取り上げて語る。入りに身体を意識させ、そのごチューリングに至っては、コンピューティングに、最後に身体...
参考文献が挙げられている本を読んだとき、それらの参考文献のいくつかを読んでみようかなと思うことも、その本自身の面白さを物語る尺度ではないだろうか?数学の魅力を、チューリングと岡潔を取り上げて語る。入りに身体を意識させ、そのごチューリングに至っては、コンピューティングに、最後に身体とつながる心の重要性に向かう。数学読み物としては、なかなか楽しめると思います。間違いなく、(一部は有名な著作も散見されるが)参考文献の何作かは読んでみたいと思いました。
Posted by
第一章 数学する身体 人工物としての“数” 道具の生態系 形や大きさ よく見る 手許にあるものを掴みとる 脳から漏れ出す 行為としての数学 数学の中に住まう 天命を反転する 第二章 計算する機械 I 証明の原風景 証明を支える「認識の道具」 対話としての証明 II 記号の発見 ...
第一章 数学する身体 人工物としての“数” 道具の生態系 形や大きさ よく見る 手許にあるものを掴みとる 脳から漏れ出す 行為としての数学 数学の中に住まう 天命を反転する 第二章 計算する機械 I 証明の原風景 証明を支える「認識の道具」 対話としての証明 II 記号の発見 アルジャブル 記号化する代数 普遍性の希求 「無限」の世界へ 「意味」を超える 「基礎」の不安 「数学」を数学する III 計算する機械 心と機械 計算する数 暗号解読 計算する機械コンピュータの誕生 「人工知能へ」 イミテーション・ゲーム 解ける問題と解けない問題 第三章 風景の始原 紀見峠へ 数学者、岡潔 少年と蝶 風景の始原 魔術化された世界 不都合な脳 脳の外へ 「わかる」ということ 第四章 零の場所 パリでの日々 精神の系図 峻険なる山岳地帯 出離の道 零の場所 「情」と「情緒」 晩年の夢/情緒の彩り 終章 生成する風景
Posted by
「数学する身体」魅惑的なタイトルです。 著者は、京都に拠点を構え、独立研究者として活動する数学者だそうです。「数学の演奏会」なるライブ活動で、数学に関する彼の想いを表現しています。そして、本作で最年少で小林秀雄賞受賞されています。(小林秀雄先生の著作を理解できたことが無いのですが...
「数学する身体」魅惑的なタイトルです。 著者は、京都に拠点を構え、独立研究者として活動する数学者だそうです。「数学の演奏会」なるライブ活動で、数学に関する彼の想いを表現しています。そして、本作で最年少で小林秀雄賞受賞されています。(小林秀雄先生の著作を理解できたことが無いのですが) 「はじめに」において、この作品を 数学にとって身体とは何か、ゼロから考え直す旅とします。まず、著者の文章力に驚きます。どなたかが、悟りを開いているようなと形容されていました。明確で簡潔。脳と文章が一致しているような印象です。(あくまで個人の感想です。) 第一章では、数学する身体として、数学は身体を使ってきたことを説明します。視覚で少数の数を認知する。体の部位を使って物を数える。(手の指10本で10進法⁉︎)そして、それらの限界から 数字や計算など道具の発見に繋がります。 第二章では、計算する機械として、数学の道具の進化の歴史が語られます。古代ギリシャの言語による証明から、算用数字の発明、記号•代用数字の利用と長い時間をかけて、世界の各地でそれぞれの数学の道具が発展していきます。そして、計算が追いつかなくなり、概念•理論への進化となります。 第三、四章では、著者が啓蒙する、岡潔氏という日本を代表する数学者への想いと、その実績について解説されます。まず、身体の中の脳へ科学的アプローチしていきます。そして、岡潔氏の情緒に対する考え方を丁重に扱っていきます。身体の心「彩り輝き動き」を喚起する言葉として「情緒」を表現に使います。情緒は個々の身体に宿る、とも。 著者は、この岡潔氏の日本的情緒を身体に備えることを望んでいるのかと思う。 終章で 岡潔氏の言葉を取り上げる。心になり心をわかる 心の世界の奥深くへ分入る。という、西欧的な心作る心を理解するとは違うアプローチに自身も惹き込まれているようです。 ライブ映像がネットにありましたので視聴させていただきました。若くきらめく知性でした。小中学生にも是非ライブしてもらいたい。数学だけでなく、あらゆる学びに共通すると思いますので。
Posted by
2022.01.01. 読了後、しばし衝撃の余韻に浸る。 日本人であれば、気づけば足し算をして割り算をして旅人算をして、と算数教育が始まる。中学に上がれば、名前が数学に変わるものの、次々と新しい定理や公理を学んでいく。新たな武器を身につけ問題を解いていく数学は楽しい。そして、大...
2022.01.01. 読了後、しばし衝撃の余韻に浸る。 日本人であれば、気づけば足し算をして割り算をして旅人算をして、と算数教育が始まる。中学に上がれば、名前が数学に変わるものの、次々と新しい定理や公理を学んでいく。新たな武器を身につけ問題を解いていく数学は楽しい。そして、大学受験を最後に数学の世界からは遠ざかる。 普通に人生を生きていれば、こんなものだろう。 この本は、「そもそも数学とは、数学という行為とはそもそも何なのか」ということを振り返る暇がなかったことを気づかせる。 現代に教室で学ぶ数学を、人類がどのように獲得してきたかということから、アラン・チューリングを引用して心と数学の関係、岡潔を通じて数学する身体の意味を分かりやすく紐解く。 自分の環世界がまた一つ大きくなった感覚を覚える。 人生とは、自分の環世界を広げていく営みなのかもしれないと思った。 以下、印象に残ったこと ・ギリシア時代の数学は専ら自然言語による。記号の発明は数学において大きな進歩であった。 ・数学とは身体的行為であること。計算という行為を切り離してできたのがコンピュータ。 ・チューリングは、計算という行為を切り離してコンピュータに近い機械を作った。人間の思考や心までも最終的には切り離して、計算可能なものとして機械化できると考えていた。 ・人間は、人間という生物としての来歴、そして個々人の人生の時間の蓄積や想像に立脚した環世界を生きている。風景とは、それらによるところが大きく、見るものによって変わるもの。 ・その人固有の生涯の縁に従って生きるだけだ。 ・ミラーニューロン。私たちの心は他者と共感しやすいものである、環境を横断する大きな心がまずあって、後から仮想的な小さな私へと限定されていく。 ・情とは自他を超えたものである。客体ではなく、自分自身が客体になることでわかることがある。 ・ 関連対談(web 西洋の哲学では人が自由な意思に従って責任を持って何かを為すことは、基本的によいこととされますが、古代中国の哲学ではむしろ「無為」が理想とされます
Posted by
読むほど、「数学」と捉えていた事柄の輪郭が解けて、液体のようになり、体の中に取り入れられる読書体験。
Posted by
『人は何かを知ろうとするとき、必ず知ろうとすることに先立って、すでに何かを知ってしまっている。一切の知識も、なんらの思い込みもなしに、人は世界と向き合うことはできない。そこで、何かを知ろうとするときに、まず「自分はすでに何を知ってしまっているだろうか」と自問すること。知らなかった...
『人は何かを知ろうとするとき、必ず知ろうとすることに先立って、すでに何かを知ってしまっている。一切の知識も、なんらの思い込みもなしに、人は世界と向き合うことはできない。そこで、何かを知ろうとするときに、まず「自分はすでに何を知ってしまっているだろうか」と自問すること。知らなかったことを知ろうとするのではなく、はじめから知ってしまっていることについて知ろうとすること。』
Posted by