教誨師 の商品レビュー
絶対読むべきです! 『死刑反対か賛成か』 そんな薄っぺらい言葉で語られるような、 本ではありません。 人間が人間を赦すということが どういうことか? 読んでいて時に、 その重さに押し潰されそうになります。 死刑囚の重荷を一緒に背追い込んで、 それを墓場まで持っていかなければ...
絶対読むべきです! 『死刑反対か賛成か』 そんな薄っぺらい言葉で語られるような、 本ではありません。 人間が人間を赦すということが どういうことか? 読んでいて時に、 その重さに押し潰されそうになります。 死刑囚の重荷を一緒に背追い込んで、 それを墓場まで持っていかなければならない (そんな苦痛を伴うにも関わらず、ボランティア) 教誨師の苛烈な苦悩。 その活動には、 尊敬の念しかありません。 この本によって、 教誨師としての活動が もっと多くの人に認知され、 死刑制度について沢山の人が議論する きっかけが生まれることを願います。
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大杉漣氏が残した映画作品の教誨師を観て、この職業に興味を持った。 殺人の罪を犯したものは死を持って償うのが当然だと単純に思っていたけれど・・・・。 冤罪だと思われる人が死刑になったり、 自分から死刑でなければいけないと思う者。 罪の意識が薄い者。 突発的に殺人を犯し、深く反省...
大杉漣氏が残した映画作品の教誨師を観て、この職業に興味を持った。 殺人の罪を犯したものは死を持って償うのが当然だと単純に思っていたけれど・・・・。 冤罪だと思われる人が死刑になったり、 自分から死刑でなければいけないと思う者。 罪の意識が薄い者。 突発的に殺人を犯し、深く反省する者。 著者も書いておられたが、悲惨な事件を一つでも減らすには、これらさまざまな者たちの心情を知ることに意味があるのではないかと思う。
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なんというか、感想しずらい、、というか残しづらい。。フィクションならすらすら述べれるけど。 ずっしりと覆い被さる。圧迫感を感じた。
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ジャケ買い。全然中身知らなくて、タイトルで買った。 教誨師とは、死刑囚が最期の時を迎えるまでに、必要であれば面談し、宗教的な面でのサポートをする宗教者。いろんな宗教、宗派の方がいるらしい。こういうのって、やっぱり人間には宗教が必要だからなのかな。自分は全然知らなかった。大杉漣の映画でちらっと聞いたぐらいか。 一気に読んでしまった。 教誨師は浄土真宗本願寺の僧侶。真宗の雰囲気が色濃くただよう。著者はノンフィクションの作家さんだし、門徒の方でもないのだが取材し的確に表現するとこういう雰囲気も伝わるものなのだと驚いた。一部どうかなと思うことがないでもなかったけど、これは宗教者の書いた本ではないのだ。 主人公というべき渡邉師は広島で被爆し、なんとか生きながらえてその後東京の寺に婿に入る。篠田師に導かれ教誨師の道へと足を踏み入れる。 いま生きている人間は、間違いなく死ぬ。それは誰も変わらない。でも死刑囚は、病気や身体の寿命において死ぬより先に、他人に死刑執行の時を決められて死ぬことがわかっている。そしてその理由は、社会的に許されない犯罪を犯して、社会によって死刑を確定されたからなのだ。 渡邉師と死刑囚たちの会話。普通なんだ。死刑囚だからと言って特別ななにかがあるわけではない。人間だ。そのことを改めて確認してしまう。 教誨によってお経を読むようになったり、本を読むようになったり、字を書く練習をしたり。そういう時間をすごしていく。 やがてやってくる「その瞬間」。自分もこの本を読みながら死刑囚を知ってきたのだ。人間としてのひとりひとりを。そして「その瞬間」を迎える。死の直前の人間とは。この世の誰もが死んだ後がわからない。でも、その直前までを目の当たりにする人がいる。医師や看護師の方は職業上、病から死に至る人をみていくだろう。でもこの死刑執行の場面は如何だろう。渡邉師はみんなで「人殺し」をしていると表現をする。そしてその死の瞬間を見守る。職業上。 二つのことを思った。 死を突きつけられた人間にとっての「救い」とはなにか。渡邉氏は宗教にはできない。できるのは人間が人間として向き合うだけ。多分そこからでないとなにも起こらないのだろう。いくら教義を振りかざしたとしても。 死刑制度って必要なのだろうか。お恥ずかしながらこの件についてはまったく知識がない。でも考えたいと思った。この国に生きる人間としてどうしたらいいのかを自分が考えようと思った。 自分は「わたしは誰かこころの支えになるためになにかがしたいです」「誰にでもなんでも相談にのります」という感じの人が苦手だ。というか拒否感がすごい。必要とするなにがしかの物質的な支援ならいい。「こころ」ってなんだよと思う。そういう人の話を聞いていると、ご本人に悪気はないのだろうけど「わたしにはできる」という謎の上から目線を感じてしまうのだ。それはあなたが「誰かのこころの支えになってる」って感じたいだけではないのか。誰かのために「今行動している」と感じたいだけではないのかと思うのだ。本当にそうしている人って、そういうことを言わない気がする。 篠田師も渡邉師もやっていることがすごくても、出てくるのは内省の言葉ばかりなのだ。失敗をした。後悔している。うまくいかない。これしかできない。言葉が出ない。自分の中の感情が出てしまった。その連続なのだ。 死刑囚には嘘の自分を見抜かれる。そんな緊張感の中、自己開示をしながら他人と対する。すごい。でもこれ、死刑囚じゃなくても日々自分もそうしたらいいのではないかと思うのだ。だって今ここで話をできる人はお互いいずれ死んでいく身だけは決まっているのだから。そう思って日々、人と対するのもいいかもしれないと思う。やってみようかな。失敗しても誰にも気がつかれないさ。
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死刑囚と対話を重ねてその死刑執行にも立ち会う、教誨師の話。 ほんとうに、命は命でしか償えないのだろうか?って考えた。
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罪を犯した人間は法によって裁かれるが その人間をそうさせるに至った周囲の環境、人々が裁かれることは無い 死刑囚ってのは、人間の世界で生きていく事の出来ない人が何かの間違いで人間として生まれてしまったんじゃないかと思う この世に何の価値も無い毒蛾のような存在である死刑囚など、悔い改...
罪を犯した人間は法によって裁かれるが その人間をそうさせるに至った周囲の環境、人々が裁かれることは無い 死刑囚ってのは、人間の世界で生きていく事の出来ない人が何かの間違いで人間として生まれてしまったんじゃないかと思う この世に何の価値も無い毒蛾のような存在である死刑囚など、悔い改めさせる事など無用で、とっとと現世から消し去ってしまえ というのが読了以前の考えでしたが多少なりともそこに人間の姿が見え、再考する余地もあると感じた そうはいってもやはり許し難い死刑囚も当然いる というか大多数がそう 確実に被害者がいる以上、感情的にならず人間として対等に見れるようになるには、それこそ悟りを開かないと到底無理かも
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“死刑制度”とはなにか、教誨師という立場から知ってみたい、そんな気持ちで購入した一冊。しかし、そういった気持ちを圧倒されるほどの内容だった。 “教誨師の仕事とは空である”そんな一文になんとも言えないような感覚に陥った。死刑について知ったり、考えたりするだけではなく、毎日を生きるうえで躓いたり、どうしようもない悲しみに襲われたときにも作中で説かれている仏教の教えは救いになると思う。 この一冊は生涯手放すことはないだろうと確信した。そんな、一冊。
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死刑とは何のためにあるのか。「教誨師」というものさえ知らなかった。中盤の死刑執行の場面は読んでいて胸が苦しくなった。読むのに時間はかかったけど、読んでおいてよかった。
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人間は弱い。人との出会いや置かれた環境によって、善人にもなれば悪人にもなる。誰もが心のうちに拭い切れない煩悩を抱えている。はるか天上の阿弥陀仏から見れば、そんな人間は所詮みな悪人ということだ。まずは自分の中にある「悪」、つまり目に見えぬ心の闇をしっかり見据えることこそ肝要と篠田は...
人間は弱い。人との出会いや置かれた環境によって、善人にもなれば悪人にもなる。誰もが心のうちに拭い切れない煩悩を抱えている。はるか天上の阿弥陀仏から見れば、そんな人間は所詮みな悪人ということだ。まずは自分の中にある「悪」、つまり目に見えぬ心の闇をしっかり見据えることこそ肝要と篠田は説く。(25ページ) 「一般の人は死刑っていうものは、まるで自動的に機械が行うくらいにしか思ってないでしょう。何かあるとすぐに死刑、死刑と言うけどね、それを実際にやらされている者のことを、ちっとは考えてほしいよ」(250ページ) 彼が見つめた「死」はいずれも、自然の摂理がもたらしたものではなかった。若き日に広島で見たのは、戦争という人間の愚かさが作りだした無用の「死」であり、東京で見たのは、人間が法律という道具で作りだした罰としての「死」であった。(338ページ)
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「夜と霧」や「シーシュポスの神話」のテーマである、圧倒的な絶望の中でも、生きる意味を見出せるのか、という問い。 死刑を宣告された受刑者と、それを支える教誨師(初めて知った)を通して、改めて考えさせられた。 いつかは死ぬ我々と、死刑執行を待つ受刑者、何も変わらないのではないか?
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