結婚式のメンバー の商品レビュー
The Member of the Wedding(1946年) アメリカ南部の田舎町で生まれ育った12歳の少女 フランキーことフランセス・ジャスミン・アダムズは、 母亡き後、父と暮らし、 家政婦ベレニス・セイディー・ブラウンの世話を受け、 近所に住む従弟ジョン・ヘンリー・ウェ...
The Member of the Wedding(1946年) アメリカ南部の田舎町で生まれ育った12歳の少女 フランキーことフランセス・ジャスミン・アダムズは、 母亡き後、父と暮らし、 家政婦ベレニス・セイディー・ブラウンの世話を受け、 近所に住む従弟ジョン・ヘンリー・ウェストと遊ぶのが 常だったが、いつも退屈し、環境に倦み、 思春期を迎えた自身の肉体と精神を持て余していた。 そんな中、兄ジャーヴィスの結婚が決まった。 彼は新妻ジャニスと ウィンターヒルという町で生活するという。 フランキーは結婚式を機に 兄夫婦と共にウィンターヒルへ脱出しようと目論む……。 自らにとって“正当な”“あるべき場所”へ エスケープしようと足掻き、もがく少女の 得手勝手なドタバタ。 端で見ている側にとってはバカみたいなエピソードの 連続なのだが、当人は至って真剣。 そんな風に環境や変化の途上にある自分自身に 違和感を覚えることなく大人に成りおおせた者は幸いである。 (でも、そういう人って大概つまんないヤツだよな) ※後でブログにもう少し細かいことを書くかもしれません。 https://fukagawa-natsumi.hatenablog.com/
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加島祥造訳『夏の黄昏』バージョンで読んだ。 子どもから大人になる境目の、一番苦しい蛹の時間をていねいに描写した物語。 大きな戦争が起こっていても、人種差別がはびこっていても、人の悩みは今とそんなに変わらない(わたしの悩みは人と違う、と思うところまでそっくりそのまま)。
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少女の繊細な気持ちが残酷でもあり美しくも表現されていた。村上訳だと訳者本来の作品がチラついて、ちょっと物語に入りづらい気がした。
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思春期女子ってすごいなぁ。 でもここまでの子はそんなにいないよね。そうでもないのかな。どうなんだろ。
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テーマは孤独と愛。孤独は世間上あまり良くないイメージらしい。けど孤独はいけないとか悪いとか誰が決めたのかなって思う。自分はかっこいいと思う。逆に群れることしか出来ない人間や独りじゃ何も出来ない人間の方が魅力を感じない。孤独を感じる時が多ければ多いほど人を愛することや優しくすること...
テーマは孤独と愛。孤独は世間上あまり良くないイメージらしい。けど孤独はいけないとか悪いとか誰が決めたのかなって思う。自分はかっこいいと思う。逆に群れることしか出来ない人間や独りじゃ何も出来ない人間の方が魅力を感じない。孤独を感じる時が多ければ多いほど人を愛することや優しくすることは出来るのかなって思う。
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人生のある時期の衝動。 自分が何者か。どこにいるべきか。何をすべきか。 心も脳もバラバラになるほどヒリついた感情。 全てを壊し、自らさえも壊したくなる。そうしないと自分がここにいることが確かめられない といった感情。 そんなものに瑞々しくあふれている。 これはすごい。
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読んでいると中学生に戻ってしまう。愛されたいが、簡単に理解されたくない、勝手に孤独になっていくそんな心境。 フランキーは『我ら闇より天を見る』のダッチェスだ。復讐する相手のいないダッチェスだ。
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73冊目『結婚式のメンバー』(カーソン・マッカラーズ 著、村上春樹 訳、2016年4月、新潮社) 米の女流作家カーソン・マッカラーズが1946年に著した作品。 著者の自伝的要素が多分に含まれており、田舎街での生活に倦む12歳の少女の、広い世界へ旅立つ事への渇望が生々しく描き出さ...
73冊目『結婚式のメンバー』(カーソン・マッカラーズ 著、村上春樹 訳、2016年4月、新潮社) 米の女流作家カーソン・マッカラーズが1946年に著した作品。 著者の自伝的要素が多分に含まれており、田舎街での生活に倦む12歳の少女の、広い世界へ旅立つ事への渇望が生々しく描き出されている。 狂気的と言っても良いほどに暴走してしまう彼女の様は痛々しいが、そこには我々読者も経験した、過ぎし日の相貌がある。 「あたしたちはいろんなことを次々に試してみるんだけど、結局は閉じ込められたままなのさ」
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なんと言えばいいのだろう。 12歳の少女が体験する、12歳の少女(あるいは少年でも)の誰でもが感じる心の機微を、美しい、それこそ我々が12歳の頃に感じていたような美しい夏を舞台に描き出す。 私が読んだのは新訳の村上訳で、多分に私の色眼鏡が入ってしまっている部分はあるとは思うが、少...
なんと言えばいいのだろう。 12歳の少女が体験する、12歳の少女(あるいは少年でも)の誰でもが感じる心の機微を、美しい、それこそ我々が12歳の頃に感じていたような美しい夏を舞台に描き出す。 私が読んだのは新訳の村上訳で、多分に私の色眼鏡が入ってしまっている部分はあるとは思うが、少女の心、あるいはある猛烈に暑い夏を描くその文章の美しさ。 物語自体は、本当になんとも言えない。しかしなんとも言えない良さがある。 でもそれ以上に、この美しい文章を堪能して欲しい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この作家の名前を初めて知ったのは、たぶん町山智浩のポッドキャスト「アメリカ映画特電」の、「心は孤独な狩人」(1940)を原作にした映画「愛すれど心さびしく」(1968)の回において(2007)。 後に「トラウマ映画館」としてまとめられた。 その「心は孤独な狩人」を、後に皆川博子が「辺境図書館」(2017)で取り上げていて、うおーっと驚いていたら、なんとその後、村上春樹による「心は孤独な狩人」邦訳が出た(2020)。 とはいえ本作(1946)はそれ以前に「村上柴田翻訳堂」開幕作品として選ばれていた(2016)ので、春樹は本作をジャンプ台にして「心は孤独な狩人」に立ち向かわんとしていたんだろうな。 ちなみに本作、「夏の黄昏」という邦題で加島祥造の訳(1990)、「結婚式のメンバー」という邦題で渥美昭夫の訳(1972)、竹内道之助の訳(1958)がある。 ざっくりいえば、十数年だか二十数年だかの単位で新訳が生まれているわけだ。 なぜか。 どの時代、年代、世代にとっても普遍的な、ある時期=プレ思春期を描いているから、翻訳者の欲を呼び込むのではないか。 また本作は、原作発表後に舞台化し、その舞台をほぼ忠実に、フレッド・ジンネマンが映画化している(1952)。 英語字幕版しか見つけられなかったので流し見した程度だが、なかなかよさそう。 (泣く→歌う、新しい友人が女性→男性、とか変更点があるみたいだけど。) 長々とアダプテーションの歴史を書いてみたが、この話の影響下に編まれたクロード・ミレール「なまいきシャルロット」(1989)との出会いが、私にとっては実質的に「結婚式のメンバー」との出会いであった、と、今回初めて知った。 なんでも映画化権が得られなかったので異曲を作ったらしいが、ほぼ同工異曲といっていいくらい人物配置が似通っている。 さらにいえば、グレタ・ガーウィグ「レディバード」も本作の影響下にあると思った。 というか、あれがこれに影響していると線を引くよりは、どの国どの年代どの世代にも通用すると思うべきか。 で、作品の感想だが、ちょっとまとめるのが難しい……自分にとってあまりにも切実に感じられたので。箇条書きで。 ・12歳という年齢設定が絶妙。根拠の無い自信。いや、自信がないからこそ現実逃避的なファンタジーに縋らなければならないのか。その狭間。子供にとってはこの夢想に賭けるしかない、ということがあるのだ。 ・ここではないどこかへ、という生涯続きかねない夢想の、最も生まれたての姿が、描かれているのかもしれない。 ・苛々と、反面、人恋しさを、ここまで描き込めるとは。 ・「なまいきシャルロット」は13歳(同じシャルロット・ゲンズブール主演「小さな泥棒」は16歳)。「レディバード」は17歳。はっきりいってセックスとの距離感が異なる。身を任せたいと焦がれる対象が、人であるなら話は早いが、結婚式という「イベントへの恋」(ベレニスが変だよと言っている。同年代の男の子に恋しな、と)への恋慕だから、話も気持ちもこじれてしまう。 ・さらに作中の兵隊について。12歳でも、性の舞台に引き上げられんとする外圧がかかるということを、書いている。少なからぬティーンエイジャーは、なし崩しにそうなるわけだが、本作では拒否し(ガラスの水差しで殴打→逮捕されるかもという怯えが、子供っぽい想像で、なお痛ましい)、逃亡。 ・作者は後にバイセクシャルになり、同じくバイセクシャルの男性と結婚、離婚、再婚、自殺目撃、自分も早逝を迎えるわけだが、本作に描き込まれた性への違和感が、あったのだろう。 ・で、最近ちくま文庫から短篇集が刊行され、帯に角野栄子、藤野可織がコメントを寄せているのも、クィア小説として再注目されているからなんだろう。もちろん読む。 ・が、もうちょっとふてぶてしい異性愛者のアラフォー男性でも切実に感じたということを、書いておきたい。「わたしがわたし以外の人間であればいいのにな」は、何度思ったことか。 ・また自分の娘が数年後にこの年齢になってどんな精神の遍歴を送るのかと想像するだに、辛いんだか甘美なんだかわからない気持ちになる。 ・とはいえ、三人で抱き合って泣く場面の、失われた永遠を、ときどき額に入れて思い返したい。支えになってくれるはずだ。 ・ちなみに南部ゴシックという名称でウィリアム・フォークナーと同じ括りに入れられることもあるらしいが、ベレニスという黒人の料理女が、確かにフォークナー作品にもいそうだと感じた。日本でいえば忌憚ない近所のおばちゃんか。
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