生きるぼくら の商品レビュー
題名を見て中身を読む。途中で題名を再確認して、読み終えてから余韻とともに題名を再度読む。生きることを後押しすることは優しいことではない。厳しいけどもその中にある『絶対的な優しさ』 自然農法の稲作と生きること。みんなが繋がって生きているから、生きるぼくら、なんだろうな。
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都会で便利に快適に楽に暮らすのもいいけど 田舎で自分で、自分たちで、何か作ったり誰かと関わったりして生きることが羨ましくなるような作品 今自分の人生終わってるな、負け組ってやつだなと思っているときに 自分を大きく変えるいいきっかけになる本だと思う 変えるって不安だけど、その先で...
都会で便利に快適に楽に暮らすのもいいけど 田舎で自分で、自分たちで、何か作ったり誰かと関わったりして生きることが羨ましくなるような作品 今自分の人生終わってるな、負け組ってやつだなと思っているときに 自分を大きく変えるいいきっかけになる本だと思う 変えるって不安だけど、その先で助けてくれる人はいる
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『本日は、お日柄もよく』然り、著者の綴る言葉は曲がった背中をパシンと叩いて伸ばしてくれるような力強さがあり大好きだ。 痛みでしか生きている実感が湧かなかった主人公が自然や人の温もりと触れ合い人生を見つめ直す中で生きる力を取り戻す姿は応援せずにはいられない。 特に、大好きな祖母...
『本日は、お日柄もよく』然り、著者の綴る言葉は曲がった背中をパシンと叩いて伸ばしてくれるような力強さがあり大好きだ。 痛みでしか生きている実感が湧かなかった主人公が自然や人の温もりと触れ合い人生を見つめ直す中で生きる力を取り戻す姿は応援せずにはいられない。 特に、大好きな祖母の認知症の進行に背を背けず自尊心を大切にして献身的な介護をする様子は見たくない現実から引きこもっていた主人公の成長と繊細な優しさを感じることができた。 生きているとどうしようもなく辛くて行き場のない時がくる。そんな時、この本のようにタイミング良く蜘蛛の糸が差し伸べられるとは限らない。 しかし、この本を読んで私は決してひとりじゃないことを改めて実感した。私を育ててくれた人や環境、今の私を取り巻く全てと生きるぼくらはきっと自分が思っているよりずっと強くて輝いている。
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本屋さんに立ち寄った時、タイトルを見て惹かれ、購入しました。 引きこもりだった主人公が人との触れ合いで生きる力を取り戻すお話。 お米が育っていく姿と主人公が成長していく姿が重なって見えました。 お母さんが人生を置いて家を出ていく時、とても辛かっただろうなと思いました。 人生が...
本屋さんに立ち寄った時、タイトルを見て惹かれ、購入しました。 引きこもりだった主人公が人との触れ合いで生きる力を取り戻すお話。 お米が育っていく姿と主人公が成長していく姿が重なって見えました。 お母さんが人生を置いて家を出ていく時、とても辛かっただろうなと思いました。 人生が自立するため、母が背中を押してくれたことに人生自身が気づけてよかった。
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現実に存在する土地が舞台の小説を読んだあとは大体行きたくなってる単純。原田マハの土地の描き方上手。蓼科行きたい。移動中に本読むことが多いけど家族ものは涙腺がゆるゆるになってこまる。
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原田マハさんの言葉選びかとにかく大好き。 様々な問題を抱えている人がいる中で、自然と人で助け合って支え合っていくところ、豊かな自然の風景や季節が目に浮かぶ。
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楽しみにしてたのに、まだまだ最初のほうの、いじめのシーンが長すぎて、読めない、、、3ページ位読むと、気分か悪くなってしまうので、全然進まない。無理してでも、読み続けるべきでしょうか?
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・私は、純平に対して、あからさまにカッコ悪い、嫌な、面倒なやつという見方をしていた。けれど麻生人生(原田マハさん)の見方は、わかりやすい彼の行動だけに向けられず、見えにくい、わかりにくい、見ようとする人にしか見えない、「人としての良さ」に向けられていたのがよかった。だから自分に向けられた意地の悪いひと言の後にも、彼を見切らず、稲の写真を送ったのだと思う。 ・人生が純平の意地の悪いひと言によって心の窓を閉めた時の自分に対する見方(「ちょっとした外界の刺激にたちまちひるんで引きこもろうとする自分が、まだいるのだ。純平のひと言よりも、そっちのほうに、すっかり気落ちしていた。」)もよかった。過去の嫌な出来事気持ちが持っていかれきっていないというか、「まだ」という言う見方は、成長しようとしている、前を向いている見方だと思う。 好きなセリフ・作中の言葉 ・「なんかさ。志乃さんって、超頼れる先輩って感じ。相談したら答えてくれるし、具体的に行動してくれる。朝カッコいいよね」 ・高齢者に接するときの田端さんは、明らかに心がけが違うとわかる。ゆっくりとしてやさしい口調はもちろんだが、「おじいちゃん」「おばあちゃん」とは呼びかけず、必ず名前を呼ぶ。名前で呼びかけることは、その人の個性を尊重することなのだ、と田端さんは人生に教えてくれた。「お元気ですか」などとも言わないで、その人が興味のありそうな話題をすぐに出す。そして、「ありがとう」と言う。高齢者に接するうちに、自然と「ありがとう」が出てくるようになったそうだ。この人たちが、いまの社会を、日本を作ってくれたのだ。そういう感謝の思いがいつも田端さんの胸の中にはあるのだ。 ・「ありがとうって、誰に言うんすか」と人生が訊くと、「決まってるでしょ、お米によ。実ってくれてありがとう、ってね。自然とそういう気持ちになっちゃうんだな、これが」 志乃さんの答えに、「ああ、それはよくわかるなあ」と田端さんが相槌を打った。 「なんだか、無性にありがたい気分になるんだよ。ほかの野菜の収穫のときでも、もちろんそうなんだけど・・・・・・やっぱり、お米は特別だね。生きてる証しっていうか。自然と、命と、自分たちと。みんな引っくるめて、生きるぼくら。そんな気分になるんだ」 へえ、と人生は思わず声を漏らした。 生きるぼくら。なんだかヘンテコだけど、そうとしか言いようのないフレーズ。その言葉が、ふっと手を伸ばして、人生の心の表面にそっと触れた気がした。 ・引きこもりをしていた頃の自分も、そうだった。狭い部屋の中に閉じこもっていたのは、過酷な社会の中で自分は伸びていけないかもしれない、と感じて怖かったからなのだ。 けれど、いまならわかる。田んぼで育つ稲のように、自分たちには、空を目指してどんどん伸びていく本能が備わっているはずなんだと。 あんなに小さなひと粒の種から、青々と育ちつつある稲、その力。「お米の力を言じて、とことんつき合ってあげなさい」と、米作りを始めるまえにばあちゃんが言っていた。 自然に備わっている生き物としての本能、その力を倍じること。すなわち、生きる力、生きることをやめない力を肩じること。 「お米の力」という言葉を、「人間の力」という言葉に置き換えてみる。すると、それは「自分の力」という言葉になる。 「自分の力」を肩じて、とことんつき合ってあげなさい。ー自分自身に。
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みんな孤独を抱えてる。 一歩外に出てしまえば独りだ。 そこに焦りを感じて独りよがりになるのか、 歩み寄ろうとするのか。 時々濁った手に押しつぶされそうになるけど、世の中が出した正解と欲張りな大人にはなりたくないと思った。 「生きるぼくら」。 稲作をするみんなの姿があったかくて手を...
みんな孤独を抱えてる。 一歩外に出てしまえば独りだ。 そこに焦りを感じて独りよがりになるのか、 歩み寄ろうとするのか。 時々濁った手に押しつぶされそうになるけど、世の中が出した正解と欲張りな大人にはなりたくないと思った。 「生きるぼくら」。 稲作をするみんなの姿があったかくて手を繋いでるように見えた。 私も小さい時から祖母に言われた言葉がある。 「叱ってくれる人がいるうちは華だよ」。 怒ることと叱ることの違いがわかる今だからこそ、 志乃さんの言葉は厳しいけど優しい。 田端さんも人生のお母さんも愛が柔らかい。 原田マハさんの本を初めて読んだのだけど、 種が芽吹いて花になるような強さと優しさを感じることができてもっと読んでみようと思った。
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「生きる僕ら」とタイトルにあるように、懸命に生きる若者にフォーカスした話だと思いながら途中まで読み進めていたが、自分が読み終えた時に最も感じたのは子を生かす周りの大人たちの強さだった。様々な境遇で育った子供たち、そのせいで社会に馴染めない性格となってしまった子供。しかし登場人物の...
「生きる僕ら」とタイトルにあるように、懸命に生きる若者にフォーカスした話だと思いながら途中まで読み進めていたが、自分が読み終えた時に最も感じたのは子を生かす周りの大人たちの強さだった。様々な境遇で育った子供たち、そのせいで社会に馴染めない性格となってしまった子供。しかし登場人物の誰もが育てることを当たり前に諦めていなかった。子の成長を支え見守り続ける大人たちの努力で生かされてきた私たちは、懸命に生きなければならない
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