暇と退屈の倫理学 増補新版 の商品レビュー
國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を読んだ。大好きな本でこれまでに何度か読み返しているが、増補新版は初めて。なので、付録の『傷と運命』を初読み。國分さん知的態度にいつも学ぶのはハイデガーのような哲学の巨人にも当たり前のように批判的態度で臨み、ロジカルかつクリティカルにその誤りを...
國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』を読んだ。大好きな本でこれまでに何度か読み返しているが、増補新版は初めて。なので、付録の『傷と運命』を初読み。國分さん知的態度にいつも学ぶのはハイデガーのような哲学の巨人にも当たり前のように批判的態度で臨み、ロジカルかつクリティカルにその誤りを指摘できること。そして、当たり前を人間本性に照らしながら思弁すること。学生の頃から、論よりその態度に影響を受けてきた。 「退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである」。(『人類史のなかの定住革命』33頁)いわゆる「文明」の発生である。p93 人は消費するとき、物を受け取ったり、物を吸収したりするのではない。人は物に付与された観念や意味を消費するのである。ボードリヤールは、消費とは「観念論的な行為」であると言っている。消費されるためには、物は記号にならなければいけない。記号にならなければ、物は消費されることができない。p152 環世界論から見出される人間と動物の差異とは何か?それは人間がその他の動物に比べて極めて高い環世界間移動能力をもっているということである。人間は動物に比べて、比較的容易に環世界を移動する。p296
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前半では、暇と退屈について人類史的系譜をたどったり、「疎外」概念を現代によみがえらせることの必要性が論じられていますが、ハイデガーの『形而上学の根本問題』における退屈論を批判的に検討する後半の議論が、本書の中心となるように思います。 ハイデガーはこの書のなかで、ユクスキュルの環...
前半では、暇と退屈について人類史的系譜をたどったり、「疎外」概念を現代によみがえらせることの必要性が論じられていますが、ハイデガーの『形而上学の根本問題』における退屈論を批判的に検討する後半の議論が、本書の中心となるように思います。 ハイデガーはこの書のなかで、ユクスキュルの環世界論や哲学的人間学の成果を批判的に継承し、人間と動物のあいだに絶対的な差異を認めることで、動物的な環境への「とらわれ」から自由になった人間が、そのためにかえって退屈に悩まされるようになったという筋道を描き出しています。そのうえで、この自由を積極的に受け止めなおすための決断主義が主張されていると著者は解釈しています。 これに対して著者は、人間と他の動物とのあいだに絶対的な断絶を認めず、せいぜいのところ人間は、他の動物に比べて比較的自由に環世界の移動をおこなうことができるというべきではないかと主張します。しかし、比較的慣れ親しんだ環世界に突如として「不法侵入」のように衝撃がもたらされ、それによって人間が「とりさらわれ」、その対象について思考することしかできなくなると著者は述べ、ここに暇と退屈という人間の条件とうまくつきあっていくためのヒントを見いだそうとしています。 前半の労働論やポストモダン的な消費社会論の限界を批判している箇所は、おおいにうなずきながら読んでいたのですが、けっきょくのところ著者の立場がこれらの問題をどのように克服しえているのか見通すことができずにいます。あるいは、絶望することなく、決断主義に走ることもないやり方といえば「逃走」することしかないのではないか、という先入見があるせいなのかもしれませんが、著者の主張の持つポジティヴなメッセージがはっきりとつかめないもどかしさを感じています。
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退屈の第一形式がいけないのはなぜ? 一時的なものであるので、また没頭に戻れるのでは? ものを考えられなくなるというが、考えられるのでは?立ち止まって考えることはできる ↑ これは退屈とは言わないかも。 熱中しつつも新たなことを考える余裕がある最もいい状態? ドゥルーズの局所的自...
退屈の第一形式がいけないのはなぜ? 一時的なものであるので、また没頭に戻れるのでは? ものを考えられなくなるというが、考えられるのでは?立ち止まって考えることはできる ↑ これは退屈とは言わないかも。 熱中しつつも新たなことを考える余裕がある最もいい状態? ドゥルーズの局所的自我と仏教の自我は似ている サリエンシーと予測モデル。恋と衝突は大きなサリエンシー、トラウマにもなり得るし新たな予測モデルの構築にもなり得る 自らの傷跡よって人は退屈の感じ方が違う。幸せや不幸せの感じ方も違う。心の穴。
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2015年9月20日に開催された第1回ビブリオバトル全国大会inいこまで発表された本です。予選D会場発表本。
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有名な哲学者(ラッセルやハイデガーなど)の主張をベースに、著者がそれに異議を唱えながら、「暇」と「退屈」を哲学的に考えていく。哲学の本にしては、具体例も多く、わかりやすく面白かった。 考え方の過程が書かれており、著者の脳内を覗いているようだった。哲学には、答えはなく、様々な考え方...
有名な哲学者(ラッセルやハイデガーなど)の主張をベースに、著者がそれに異議を唱えながら、「暇」と「退屈」を哲学的に考えていく。哲学の本にしては、具体例も多く、わかりやすく面白かった。 考え方の過程が書かれており、著者の脳内を覗いているようだった。哲学には、答えはなく、様々な考え方がある。全てを飲み込むのではなく、自分で考えること、人に流されないことも哲学をすることなのだと思う。 著者の講演を聞いたが、めんどくさそうなオッサンだなと思った。他の人の考えに触れること自体は面白い。比較的、読みやすく書かれているところは評価出来る。哲学するってこういうことなのかな。 暇と退屈とは何か。国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕がうまれる。ひとつは金銭的な余裕。もうひとつが時間的な余裕。われわれは裕福になり、暇を得た。 人は暇を得たが、暇を何に使えばよいのか分からない。このままでは、暇の中で退屈してしまう。なぜ人は暇の中で退屈してしまうのだろうか?そもそも退屈とは何か? こうして、暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかという問いがあらわれる。〈暇と退屈の倫理学〉が問いたいのはこの問いである。
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友人の勧めで読み始めた一冊。 教えてもらってなかったらまず読んでなかったろうと思う。 最初から最後まで突き放すことなく丁寧にガイドしてくれて、前述の議論をさりげなく振り返り「あぁ、そういやそういう話だった」と思い出させてくれるのでストレスなく読み進めていくことができました。 これ...
友人の勧めで読み始めた一冊。 教えてもらってなかったらまず読んでなかったろうと思う。 最初から最後まで突き放すことなく丁寧にガイドしてくれて、前述の議論をさりげなく振り返り「あぁ、そういやそういう話だった」と思い出させてくれるのでストレスなく読み進めていくことができました。 これは(あとがき読む限り)たぶん編集者さんの手腕なんやろうなと。うーん。凄い。 肝心の内容について。 結論部分から言えば、 「そうそう!!学ぶ楽しみってこういうことだよね!!」 ってこと。 その楽しみは訓練しないと手に入れられない。 みたいな話も腑に落ちる。 これからの思考にあたって色んなエッセンスを貰った気がします。 それ以外の部分では、これまで哲学が議論してきたことが載っており、少しだけ哲学の世界に触れられたような気がします。 おもしろいなー。 今年はほんとにいい本と良く出会う。 嬉しい。
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『人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾れねばならない。 ウィリアム・モリス 』 p27 ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいわけではない。 『「ウサギ狩りに行くのかい?それならこれをやる...
『人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾れねばならない。 ウィリアム・モリス 』 p27 ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいわけではない。 『「ウサギ狩りに行くのかい?それならこれをやるよ。」そう言って、ウサギを渡すのだ。 さてどうなるだろうか?その人は嫌な顔をするのに違いない。 答えは簡単だ。ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいのではないからである。 人は獲物が欲しいのではない。退屈から逃れたいから、気晴らしをしたいから、ひいてはみじめな人間の運命から目をそらしたいから、狩りにいくのである』 P36
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はじめは面白く読んでいたのだが、三章あたりで事実と意見の意図的な混同があるように感じられて、危うさを感じたため読むのをやめてしまった。
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まえがきを読んだ時から、とんでもない本と出会ってしまったと感じた。こういう実感は、かなり稀有なものである。何年かに一度あるかないかだ。そのくらい、ぐっと私の心に直接入り込んでくるものがあった。たまたま欲していたこともあるのかもしれない。 詳しくは、また今度書きます。
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面白かった。何度も寝落ちしながら、最後まで通読。最後に熊谷先生と繋がっていたり、色々な方面とリンクしているのも興味深い。倫理だけに留まらないし、例が具体的で分かり易い。きっとこれは先生自身の為の勉強だったのでしょう。あとは読者の人生にどう落とし込むか、読者次第。哲学を読者の幸福に...
面白かった。何度も寝落ちしながら、最後まで通読。最後に熊谷先生と繋がっていたり、色々な方面とリンクしているのも興味深い。倫理だけに留まらないし、例が具体的で分かり易い。きっとこれは先生自身の為の勉強だったのでしょう。あとは読者の人生にどう落とし込むか、読者次第。哲学を読者の幸福に繋げられたら、素晴らしい。 暇と退屈は、持っている前提だけど、次世代はもっと低燃費で、自然と、浪費も消費も、うまい人生のやり過ごしを知っている気がする。そう感じると、さとり世代は必然⁈の進化なのか?
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