暇と退屈の倫理学 増補新版 の商品レビュー
ワークだライフだと騒がれる今こそ、僕らは「暇と退屈」と向き合わなければならない。 哲学の巨人たちの主張を読み進めながら、私たちが日々時間を費やしている物事の真相が浮き彫りになっていく。
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『退屈』という1つのテーマについて、様々な学問の視点から考え、向き合う哲学書。 親切な本だったので、哲学とは全く無縁な自分ですが、なんとか最後まで読み進めることができました。 (かなり疲弊しましたが…) なぜ退屈するのか… なぜ退屈は苦しいのか… 退屈とどう向き合って生きるのか… この本に出会っていなければ、考えることもなかったと思うので、手に取って良かった。 浪費と消費の違いについても、とても考えさせられました。 少し時間を置いて、再読したいと思った一冊です。
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暇な状態を人は耐えられない。消費より浪費。人は観念を消費する。浪費は限界があり、満足を得られる。例えば、お腹いっぱいに食べるという行為が挙げられる。人は移動しながら、刺激を得る。人はそれぞれ違う時間感覚で生きている。世界から刺激を受けながら、心地よい安定状態を求めるのが人であるという主張だと受け止めた。心地よいことを反復し、習慣にする。それが人生。しかし、人はその習慣にさえも退屈する。退屈を取り除くためには、予想外の視点を得る気晴らし、楽しみが必要だ。
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暇と退屈の正体を哲学的に解釈して説明したもの。パスカル、ハイデガー、マルクス、ガルブレイスなど多分野に渡る知識人の解釈を著者が解説、評価してくれる。國分さんらしく、パキパキと音が聞こえてくるようなテンポの良さ。暇は自由でないと得られないし、ある程度先進国というか安定した環境でない...
暇と退屈の正体を哲学的に解釈して説明したもの。パスカル、ハイデガー、マルクス、ガルブレイスなど多分野に渡る知識人の解釈を著者が解説、評価してくれる。國分さんらしく、パキパキと音が聞こえてくるようなテンポの良さ。暇は自由でないと得られないし、ある程度先進国というか安定した環境でないと感じられない。退屈は、何かに囚われていない状態で、ある意味退屈を選択しているとも言える。囚われすぎると、何々原理主義や過激な行動に結びつくこともあるが、退屈を感じている人々は、それを羨ましく思うこともある。暇と退屈とそうでない時間を足すと人生そのものになるわけで、よい学びになりました。
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暇と退屈の正体を、哲学を中心に引合いに出して解釈していく。のが8割。 その上で、それにどう取組むか、倫理学で結論とするのが2割。 哲学本と知っていたら手を出してなかった。案の定、2割も分からない。この厚さ、フライトののお供にぴったり。 けど、だいぶ違う見識が得られたと思う。良書
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●哲学っておもしろい。「退屈とはなんぞや?」という問いで、400ページを超える本を書けるというのもすごい。 ●ハイデッガーの主張を批判的に分析することで「退屈」を哲学した内容。
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仕事ばかりしていたのですが、産休に入ることになり時間の使い方の参考にするために購入してみました。 普段、哲学の本など読まないのですが、わかりやすい文体で読み進められました。 あーこういう人いるいる!なるほどこんな見方があるんだ!など発見がたくさんあり、自分の視点をもっと高くしてく...
仕事ばかりしていたのですが、産休に入ることになり時間の使い方の参考にするために購入してみました。 普段、哲学の本など読まないのですが、わかりやすい文体で読み進められました。 あーこういう人いるいる!なるほどこんな見方があるんだ!など発見がたくさんあり、自分の視点をもっと高くしてくれる本でした。 今後の暮らしに役に立つような気がしました。
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なんか忙しくしてた自分がバカっぽく感じてしまった。 忙しくて考える暇がないことを選択してたんだろうなー
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『中動態の世界』を読んで、筆者の他の本も気になり、雑感を適当に… 環世界に適応しすぎる人間の運命が退屈からの逃避をひきおこす。 人間がある環境から別の環境に適応しすぎる、その能力が過剰にあることが問題となるという視点は資本主義社会の問題点と類似している。 資本主義社会において...
『中動態の世界』を読んで、筆者の他の本も気になり、雑感を適当に… 環世界に適応しすぎる人間の運命が退屈からの逃避をひきおこす。 人間がある環境から別の環境に適応しすぎる、その能力が過剰にあることが問題となるという視点は資本主義社会の問題点と類似している。 資本主義社会においては生産能力の過剰がバブルと恐慌という循環をもたらし、膨大な失業者を生み出し、資本の再編によって資本の集中、そして寡占や独占という形で資本家が支配力を持つようになる。 そうした現象の問題は生産能力が足りないことではなく、過剰だということだ。 例えば、レオ・ヒューバーマン著『資本主義経済の歩み上下』(岩波新書)にて1929年の世界恐慌を以下のようにまとめている「西方の世界は、豊富の中の貧困という矛盾に直面した」(216頁) 「豊富の中の貧困」というこの言葉はそれを端的にあらわしているように思える。 本書でも経済に関してそうした指摘はあるが、それだけではない。 現代特有の問題点を指摘している。 それは「消費」の問題だ。 ボードリヤールは「消費」と「浪費」は異なるとして、現代は「消費」しかできない。 確かに現代では物がありあまっている、しかし本当に自分たちが必要な物はわずかしか生産されていない。その希少性こそが現代の特徴であり、物が足りない社会だという。 大衆消費社会とは、観念や意味の「消費」をし続けさせる社会であり、同時に「浪費」によって人々が満足するのを妨げる社会だ。 さらに、消費の論理は「労働≒生産」をも覆っている。 つまり、「働くことで生きがいを得る」というような観念を労働者も消費しているという。 ルドルフ・シュタイナーは『経済学講座』(ちくま学芸文庫)において、経済を一つの有機体として捉え、それは「生産」、「流通」、「消費」の循環という形で論じている。 資本主義社会批判には上記の分類で言えば、 資本の拡大再生産という「生産」に関する批判、 生産拠点のグローバル化という「流通」に関する批判、 そして大衆消費社会、つまり「消費」に関する批判がある。 本書はこの「消費」から「生産」へのつながりを暇と退屈という視点から捉えなおすことで、資本主義社会の別の可能性にも触れている。 後半の退屈の第二形式から環世界の話へとつながり、補論にてサリエンスの話へとつながっていく所は今後も気になる。 定住革命に関するところも素晴らしい。 技術の進歩こそが全てを解決するという単純化された人間の歴史を根底から見直すことにもなる。 退屈の第一形式=第三形式のサーキットにおいて、一方でのテロと一方での全体主義が結びつく。 エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』(東京創元社)とは異なる、自由≒退屈に耐えられない人間を描いている。
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旧版も持ってるはずだがどこかにしまい込んでしまったようなので新版を購入.タイトルにあるように暇と退屈を考察していかに生きるかを述べている希望の書であった.生憎自分は暇とも退屈とも無縁であるが,その理由がわかった気もする. それと読み物として読みやすく大変面白い本であった.
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