それをお金で買いますか の商品レビュー
2023年末からこれまでの間に資本主義、民主主義に関する本をいくつか読んだ。どれもとても面白かったが、「市場主義の限界」と銘打つこの本もとても面白かった。以前読んだ「これからの正義の話をしよう」よりも読みやすかった。 今から10年前の2014年に出たこの本には、公平・不公平、善...
2023年末からこれまでの間に資本主義、民主主義に関する本をいくつか読んだ。どれもとても面白かったが、「市場主義の限界」と銘打つこの本もとても面白かった。以前読んだ「これからの正義の話をしよう」よりも読みやすかった。 今から10年前の2014年に出たこの本には、公平・不公平、善、道徳、倫理、冒涜、腐敗、効率といった言葉がよく出てくる。モノやコト、サービスを商品化して値札を付けて販売し、その多寡で評価する場を市場と呼び、何でも市場化してその運用を市場に任せることに警鐘を鳴らしている。僕自身、自分が居た会社でやりたくないことを業務委託契約に基づいて外注し、悪気を感じるどころか良いこと(Win-Win)をしたとさえ思っていた。これはまだカワイイ方で、この形式がもっとエスカレートして金額さえ相応しければ犯罪をほう助したり、実行すらしてしまうようなケースが出てきている。こういうことをただ嘆くのではなく、序章に記載のあった次の言葉を心に置いておき、正しく測る自分のモノサシをもっておきたいと思う。 ■問題となる善(健康、教育、家庭生活、自然、芸術、市民の義務など)の価値をどう測るべきかを決めなければならない。これらは道徳的・政治的な問題であり、単なる経済問題ではない。
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市場の原理と倫理のせめぎ合い。何を売り買いしていいのかは、できることと、やってもいいとみなされるかの境界が曖昧で、時代とともに変わっていくという、正解のない問いに対する考察。いろんな事例があって面白いが、自分の考え方を変えるほどのインパクトは無い。
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ようやく読み終わった。 難しかった。できればもう少し分かりやすく書いてほしかった。 市場主義の浸食により、道徳や善や規範が失われているが、あなたたちはそれでよいのかい?という内容。 ただ個人的にこの善と規範という観念が時と場合によって解釈が違うように感じるため、なかなか肌感覚...
ようやく読み終わった。 難しかった。できればもう少し分かりやすく書いてほしかった。 市場主義の浸食により、道徳や善や規範が失われているが、あなたたちはそれでよいのかい?という内容。 ただ個人的にこの善と規範という観念が時と場合によって解釈が違うように感じるため、なかなか肌感覚に合わず分かり難い場面が多かった。 善は時に公共益と解釈したほうが良い場面だろうと思うことがあったり、時に道徳であったり信念とまとめた方がしっくりくると思うことがしばしば。 (だから本文では「善」とひとまとめにしてあるのだろうが) 規範の方はさらに捉え方が難しい。 結局、自分の中にこの文脈がないから捉えにくいのだと思うし、この文脈を持つためには私は市場主義に侵されすぎているのだろうと思う。 金銭で売買されてしまう時間や場所、道徳心や風景。 それに慣れていくことは悪いことではないのかもしれない。 時には経済的解決が簡潔で妥当と思える時もあれば、なんでもお金で解決することは腑に落ちない時もある。 基本的には経済主義的解決方法は効率が良いのだが、真心が伴わないことも多いのだろう。 いわゆる間違った勝ち方というものかもしれない。
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◾️要約 何かが商品になることは、大きく二つの道徳的・倫理的な問題を引き起こす可能性がある。 一つ目は不公正の問題であり、一見自由な個人の意思に基づくように見える取引でも、貧困などにより実質的に強制されている場合がある。しかし、仮に不公正の問題が解消されたとしても、あらゆるものを...
◾️要約 何かが商品になることは、大きく二つの道徳的・倫理的な問題を引き起こす可能性がある。 一つ目は不公正の問題であり、一見自由な個人の意思に基づくように見える取引でも、貧困などにより実質的に強制されている場合がある。しかし、仮に不公正の問題が解消されたとしても、あらゆるものを商品として扱うことには抵抗感がある。 なぜなら、ある対象を商品として金銭的価値により測定することは、それを評価するのにふさわしい方法よりも低級な方法で評価することにつながり、その対象が持つ価値・善を腐敗させる場合があるからだ。これが二つ目の問題点である。この問題を解決するためには、その対象がもつ価値・善を、どのように評価するのがふさわしいのかを決める必要がある。しかし、その評価方法は個人の価値観によるところが大きく、絶対的な答えが存在しないため、十分な議論がなされていないのが現状である。 ◾️感想 具体例をふんだんに紹介しながら、今の世界が抱える問題を示唆してくれるとても良い本だった。 一見「合理的」に見える商品化(行列の優先レーンや、スタジアムへの命名権等)も、公共性の観点から問題になりうるというのは、新たな気づきであった。この「合理的」という感覚が、経済学やそれを盲信する国家による刷り込まれているのが恐ろしい。
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近年、市場主義経済が生活の色々な場面に浸透し、かつてはお金で買えなかったものが、どんどんお金で買えるものになっていっている。行列の割り込み(ファストパス)から、空港の手荷物検査の割り込み、結婚式のスピーチ、他人の生命保険※、妊娠の代行(代理母)まで、現代アメリカは生活がすみずみ...
近年、市場主義経済が生活の色々な場面に浸透し、かつてはお金で買えなかったものが、どんどんお金で買えるものになっていっている。行列の割り込み(ファストパス)から、空港の手荷物検査の割り込み、結婚式のスピーチ、他人の生命保険※、妊娠の代行(代理母)まで、現代アメリカは生活がすみずみまで売り買いできんばかり。 ※バイアティカルのこと。高齢者や末期患者から生命保険を買い取って保険金を払う代わりに、死亡時に死亡保険金を受け取るビジネス。対象者が早く死ぬほど儲かる。 経済学者は、このような市場主義経済の浸透は、我々の道徳心※には影響を与えないと考えている。あるいは、影響を与えるかについてそもそも関心がない。 ※本書の言葉では共通善。少し意味がズレるが、日常的な平易な日本語に言い換えれば道徳心かなと。個々人それぞれの心ではなく、我々に共通し、我々を結ぶ道徳的価値観という意味合いが強いが。 しかし、これほど多くのものをお金で売り買いすることが本当に我々の道徳心を損ねていないのかを、いい加減真剣に検討すべき段階に来ているのではないのか? すごく平たく言うとそのような問題提起をしている本。 たとえば、現代アメリカでは、実現こそしていないものの、養子に出る子供を育ての親に割り当てる方法として、市場を導入するーーつまり子供に値段をつけて売ることを唱える論者がいるそうだ。 最も多くのお金を払える者が、子供を最も高く「評価」しているのだから、子供を受け入れるべきだ。それが、最も「効率的に」「子供という善※」を「分配」できることになるのだという。 ※原文はgoodだろうが、日本語的には「財」とでも言った方がイメージしやすいような 市場経済でこのような取引が行われたとしても、経済学者は、それは人々の道徳心には何も影響を与えないという。 本当にそうか?養子を市場で売り買いすることは、「よりカネのあるカップルが親になる資格がある」いう価値観や、「子供の価値は数値化できて優劣がある」という価値観を暗に下敷きにしているし、そういう価値観を後押しするではないか。なにかを市場経済で取引することは、道徳的な価値観と無関係でいられないではないか。 筆者が指摘しているのはそういうことだろう。 親としての資質は資金力では測れない。子供の命の価値も測れない。我々はそういう価値観を持っているはずだ。養子の市場が暗に示す価値観は、我々の持つ価値観とぶつかる。だからこのような提案には抵抗感を覚えるわけだ。 上記のような現代アメリカにおける具体例を待つまでもなく、我々は、お金で売り買いしてはならないものがあると、道徳心で直感しているだろう。 たとえば、人の命。 これは本の中で出てきた例ではなく、私が考えたものだが、外れてはいないはずだ。 誰かを殺してみたいと思っているAさんと、死にたいと願うBさんがいたとする。AさんがBさんにお金を払って同意のもと殺人をさせてもらったとしたらどうだろう。 我々の道徳心が抵抗感を覚えるのはなぜだろう。Bさんは普通の状態でそんな取引に応じるわけはなく、精神疾患を抱えていたり、家族の経済的困窮から仕方なくこの取引に応じたはずで、これは公正な取引ではないという理由からだろうか。(公正の論理) しかし、では、AさんとBさんが完全な自由意志によって取引が成立したのであれば、これを容認してもいいのだろうか? 筆者はこれを容認しないだろう。 公正な取引かどうかが問題である以上に、この取引が前提にし、後押しする、道徳的な価値観を問わなければならない。 それは、「殺人を犯したいという欲望は是認されてもいい」という価値観であり、「命は尊い」という我々の道徳心を腐らせる。(腐敗の論理)それこそが問題なのだ。 ◾️感想 この「腐敗の論理」を提示したところがよくある議論と一線を画していて面白い。 なにもかもに値段がつけられる風潮に抗うために、カネではない別の適切な方法で価値を測るべきものがあるんじゃないか、とサンデルさんは言っていると思うのだけど、 私はそもそも価値を測ることが「できない」と認定すべきなんじゃないかと思う。認定すべきというか、そう思っている。親としての資質とか、子供とか、人の命とか。測れるはずだというのが幻想だと思う。測れない、と認めることによって、いろんな指標で優劣を比較されることから、守るべきだと思う。
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商業主義の拡大と、それに対して私たちはこのままでいいのか?と問いを投げかけてくる本。 ファストパス、臓器提供にパパ活、電車から公園にまで企業の商品広告、売買されるサインボール…具体例がたくさん書かれていて、こんなところにも市場が広がって来ている、、!とびっくり。もはやお金で買えな...
商業主義の拡大と、それに対して私たちはこのままでいいのか?と問いを投げかけてくる本。 ファストパス、臓器提供にパパ活、電車から公園にまで企業の商品広告、売買されるサインボール…具体例がたくさん書かれていて、こんなところにも市場が広がって来ている、、!とびっくり。もはやお金で買えないものを探す方が難しい社会。 でも、全て本当にお金で買えて良いの?道徳、倫理は?人として正しい? 罰金vs料金が印象的。金額が大した問題でないとき、罰金は料金となる。良心が咎めていたものを、料金によって許されるべき行動と認識してしまう点は指摘されるまで気づかなかった。知らないところでどんどん道徳心が蝕まれていく危うさ 。
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豊富な事例が多数紹介されていてとても面白かったです。サンデル氏は本書の中で、「お金で買えないもの」と「お金で買えるかもしれないが堕落をもたらすもの」を区別しています。前者の例は友情。友情をお金で買おうとしても、真の友情は得られません。逆に長年の友人に対してお金で何か対処しようとし...
豊富な事例が多数紹介されていてとても面白かったです。サンデル氏は本書の中で、「お金で買えないもの」と「お金で買えるかもしれないが堕落をもたらすもの」を区別しています。前者の例は友情。友情をお金で買おうとしても、真の友情は得られません。逆に長年の友人に対してお金で何か対処しようとしたら、間違いなくその友情は終焉を迎えるでしょう。本書では後者の「お金で買えるかもしれないが堕落をもたらすものがある」を中心に議論されています。 その例がたくさん挙げられていますが、たとえば教育現場への商業主義の浸透。アメリカでは民間企業が校舎の命名権を買い取って、自社ブランドの名前をつけたり、ある自治体の全ての学校に対して自社ブランドのドリンクだけを販売する権利が売買されている例があります。また民間企業が授業の教材を提供している例もあるそうで、石油会社が作成した「海上での原油流出事故について」説明された教材もあるようですが、どれだけ自社に都合が良い説明が書かれているか想像にかたくありません。 経済学では「外部不経済」という概念があります。公害などのように、経済活動が(悪しき)副産物として生み出してしまうもののことですが、市場メカニズムがもたらす道徳の腐敗、も大きな意味での外部不経済と言えるでしょう。サンデル氏が最後に述べているように、効率性(市場メカニズム)と道徳の両面に気を配りながら、市民全体で議論を重ねることが大事、ということで、資本主義と民主主義の共存面でとても重要な視点を提供してくれる本でした。
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サンデルの本なので読んだ。 道徳的に非売品なものが市場に出るようになった今日に疑問を投げかける話。 やはり、経済学と政治学は相性が悪い。経済では個人は自己利益を追求するものとして見なされる。しかし、政治学では、そうではなく、個人は倫理観を持って行動する主体だと見なされる。ここ...
サンデルの本なので読んだ。 道徳的に非売品なものが市場に出るようになった今日に疑問を投げかける話。 やはり、経済学と政治学は相性が悪い。経済では個人は自己利益を追求するものとして見なされる。しかし、政治学では、そうではなく、個人は倫理観を持って行動する主体だと見なされる。ここで、経済学と政治学の矛盾が生じる。 命名権の話は興味深い。私は世代的に、サインや、クラブ名の販売がされて当然の時代に生きてきた。そして、それを当然のことと見なしていた。しかし、それは、その本来の目的を忘れさせ、その価値を腐敗させてしまう。 また、市場を不平等の観点から見ることは今や一般的であるが、腐敗の観点から見ることはそうではない。確かに、賄賂や裏口入学はものの価値の腐敗を招く。これは大変新鮮な視点だった。 共通善を達成するためには、市場の存在価値を見出す必要がある。この点では、遅刻に罰金を科す例が分かりやすかった。罰金がない方が、罪悪感から遅刻をすることはない。そのため、それは共通善を考えた行動であると言える。しかし、それを科すようになると、人々は共通善を忘れ、罰金を払えば遅刻をしても良いと考えるようになる。これは、間違いなく、腐敗である。
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道徳的価値観を資本主義的市場に持ち込むとどうなるか。我々が普段何気なく過ごしている日常のあらゆるところで、この話の内容を意識せざるを得ない部分があるなと感じた。 アメリカでは、よりそれが顕著なんだろうなと読んでいて思う。 合理的で商業主義的な考え方が浸透すると同時に個人の自由と...
道徳的価値観を資本主義的市場に持ち込むとどうなるか。我々が普段何気なく過ごしている日常のあらゆるところで、この話の内容を意識せざるを得ない部分があるなと感じた。 アメリカでは、よりそれが顕著なんだろうなと読んでいて思う。 合理的で商業主義的な考え方が浸透すると同時に個人の自由という名の下で、道徳的価値観をそっちのけで自分を安売りしてしまっていないか? 社会がそういう仕組みになってしまっていないか? 単純に個人をに批判するのとはまた違うということを深く洞察している一冊。 正義の話をしようを読んでから読むとより理解は深まるかと。
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市場経済をどこまで広げてよいのか? 自由意志を持つ個人同士が納得した上でモノを売買することは当たり前で良いことのように思われる。 しかし、本当にそうなのか?売買してはいけないものがあるのではないか? それを売買することは「不平等」を拡大しないか、そして何よりそのモノの価値を「...
市場経済をどこまで広げてよいのか? 自由意志を持つ個人同士が納得した上でモノを売買することは当たり前で良いことのように思われる。 しかし、本当にそうなのか?売買してはいけないものがあるのではないか? それを売買することは「不平等」を拡大しないか、そして何よりそのモノの価値を「腐敗」させないか。 拡大し続ける市場社会に警鐘を鳴らす一冊。
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