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それをお金で買いますか の商品レビュー

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2014/11/20

示唆にとよむ一冊。間違いなくおすすめすることができる。 Michael J. Sandelの講義は有名であり、学生に質問をしながら問題の本質を議論していく対話型である。 本書も著者は答を出さない。出すのは論点とその本質だけ。そして論旨は明快であり、かつ深遠である。 そのテーマと...

示唆にとよむ一冊。間違いなくおすすめすることができる。 Michael J. Sandelの講義は有名であり、学生に質問をしながら問題の本質を議論していく対話型である。 本書も著者は答を出さない。出すのは論点とその本質だけ。そして論旨は明快であり、かつ深遠である。 そのテーマとは、サブタイトルにもあるとおり「資本主義の限界」である。 お金を出して何でも買える世界が実現すればみんなはHappyになれるだろうかということである。 資本主義を崇拝する人間から言わせたら答は明らかにYESであろう。なぜならば、買い手と売り手が存在する市場ができあがりさえすれば、市場が効率性を極大化してくれるのだから。 しかし、待ってほしいと彼は言う。資本主義だからといって売ってはいけないものもあるだろう、と。 たとえば、人間の臓器の売買を例に挙げよう。 現在は自由意志により臓器の提供を許可しているが、臓器を提供してくれた人に金銭的なインセンティブを与えるという法律を作成したとしよう。 収入がたくさんある人は自分の臓器を売ってまでしてお金を稼ぎたいと思わない。一方で、可愛い我が子のためになればと、貧困にあえぐ人は臓器を売るかもしれない。 資本主義者の言い分に立つと、買い手と売り手が存在すれば誰もが幸福なり、そこに損害を被る人はいないのだから積極的にこのような市場を作るべきというところだろうか。 しかし大抵の人はこの問題に対して嫌悪感を抱く。 なぜならば、人間の臓器は売買する「モノ」として適さないと思うからだ。 著者の表現を借りると、道徳という高級な規範が、資本主義を介して市場に持ち込まれると低級な規範によって締め出されるという現象が発生する。 最近、ロジカルであること及び合理的であることが正しいとされており、道徳という考えが廃れてきている。 正しいことが良いこととは必ずしもイコールではないのだ。新しい資本主義の時代には、時代はめぐり道徳性という考えも必要なのではないだろうか。 我々は道徳性という考えを近年、軽んじる傾向になるのではないだろうか。しかし一方で、経済的な合理性があるにせよ他人を貶めてまで利己的な行動に走ることはない。資本主義が正しいというのであれば、他者を殺したって経済的な合理的を追求するはずであり、それを法も認めるはずである。そうなっていないということは、人間の真ん中にあるものは道徳なのではないのだろうか、と考えずにはいられない。 現在の経済学では道徳を定式化することができない。 株価は非常に単純な確率微分方程式にて定式化することができるのに。

Posted byブクログ