水声 の商品レビュー
随分、私小説風の響きのする作品だな、と頭の中で声がする。もちろん、私小説の筈はないけれど、頭の中の何処かでそれをなぞってみるたくもある。きっと記憶というものの描かれ方がそう感じさせるのだ。例えば上野周辺の描かれ方。ごく個人的な昭和の風景がそこには見える。その作家の記憶に残っている...
随分、私小説風の響きのする作品だな、と頭の中で声がする。もちろん、私小説の筈はないけれど、頭の中の何処かでそれをなぞってみるたくもある。きっと記憶というものの描かれ方がそう感じさせるのだ。例えば上野周辺の描かれ方。ごく個人的な昭和の風景がそこには見える。その作家の記憶に残っている風景を恐らく同じ目の高さで眺めた同じ時代の記憶が、それに釣られるようにして呼び起こされる思いがする。失われてしまったものの記憶は何故か湿度が高い。現在進行形のものは、乾いている。 物語はミステリー風の展開。但し過去に起きた出来事がなんだったのかを推理するのは難しくない。それを主人公の語る記憶と伴に遡る物語。考えてみると、全てのミステリーは過去へと遡る物語である。と同時に、遡り切ったら一気に現時点に立ち戻り、辻褄が合って収支の合計がゼロとなる。原因一つに対して結果が一つ。しかし現実の世界では推理小説のように単純な解決が与えられることは、ない。現在が如何に過去の出来事の積み重ねの上に成り立つものであっても、今、この瞬間に起こる一つひとつの判断が、行く先を決定する。過去と未来の収支を合わせる機会は、死の瞬間まて訪れない。いやむしろ過去の出来事へ背負わせる因果の糸は生き永らえている限り増えるばかり。その重さが自然と湿り気を帯びる。 過去へ向かう視線と、未来へ向くしかない視線。それは、記憶と現実という対比を生み、頭と身体の分離を強要する。 川上弘美を読むとそんなことばかりいつも考えてしまう。 その狭間にいつまでも留まって居ることは出来ないけれど、一定以上の年月を生きてみれば、人生にはそんなエアポケットのようなものが幾つもあったのだと気付かされる。若い時はそんな昼とも夜とも付かない淡いの時など、一瞬にして過ぎ去るように思えたけれども、不惑を過ぎてみれば、その黄昏の時がいつまでも続いているように思えてならない。夕焼けは薄らぎ、全てを覆い隠す夜の闇は未だ訪れない。中途半端な時を意図もないままに遣り過ごす。しかし、この小説の主人公と同じように、それが格別悪いことのようにも思えない。 それは、恐らく自分というものの輪郭が不明瞭になっていくことを意味するのだと思う。姉と弟、夫と妻。親と子。幼い頃には明確に異なるものとして対比される関係にあったものの関係性は時と伴に曖昧になる。年齢、身長など測ることによって明確に出来た違いの持つ意味が薄れる。それと伴に自己と他の差も鞣されるようにして小さくなり、終には渾然となる。その混沌に身を置くことに対する抵抗感は徐々に小さくなる。大胆な仮想の物語のようでありながら、この小説に現実的な肌触りを感じるのは、きっとそんなことを自分自身も感じて生きているからなのだろう。 川上弘美の熟年は次に何を産むのか、そのことをぼんやりと思う。
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【過去と現在の間に立ち現れる存在】都と陵はきょうだいとして育った。だが、今のふたりの生活のこの甘美さ!「ママ」は死に、人生の時間は過ぎるのであった。
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川上弘美最新作。 家族とは夫婦とは。 川上弘美らしくほわわんとしてまたもやつかみどころがない。水が漂い続けているような感じ。二人の間にも同じ水が流れている(…?)
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川上弘美の最新作。 断片的に積み上げられるエピソードが、ゆっくりと大きな流れになっていく様子、妙に淡々とした登場人物、そして緩やかに現実から少しずつずれていく感覚……どれをとっても非常に『川上弘美らしい』1冊だった。
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