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街場の共同体論 の商品レビュー

4.3

45件のお客様レビュー

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2014/08/04

…学校教育は「共同体の次世代を担いうる成熟した市民の育成」のためのもの…であるから、…「成員なちがみな均質的であり、数値化できる能力に従って階層化された集団」よりも、「全員が天才であるような集団」のほうが、危機的状況を生き延びる確率が高い。…の箇所は印象に残りました。何度も読んだ...

…学校教育は「共同体の次世代を担いうる成熟した市民の育成」のためのもの…であるから、…「成員なちがみな均質的であり、数値化できる能力に従って階層化された集団」よりも、「全員が天才であるような集団」のほうが、危機的状況を生き延びる確率が高い。…の箇所は印象に残りました。何度も読んだことがある内容含まれているのですが、「その何度も」の箇所は難しいことではなく心に留め置きたいことが多いです。

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2014/07/29

小難しいことほど まじめに 肩の力を抜いて ゆったり 静かに 考えたい 「本」の素敵なところは わからなかったら また 振り返って そこから 読み直してみたり まったく 別のことをしていたときに あっ あれ こういうことだったんだ と 腑に落ちたり そんな  「知」の楽しみ...

小難しいことほど まじめに 肩の力を抜いて ゆったり 静かに 考えたい 「本」の素敵なところは わからなかったら また 振り返って そこから 読み直してみたり まったく 別のことをしていたときに あっ あれ こういうことだったんだ と 腑に落ちたり そんな  「知」の楽しみ を 内田さんの本は 与えてもらえる いい時間でした

Posted byブクログ

2020/07/15

【面白かった話し】 ・かつては、母親が子どもの実態を把握していて、把握をしていない父親が決定権を持つという構造だったが、今は母親が実態を把握しつつ決定的な影響も持つという構造になっている。母親は子ども以上に的確にその能力を判断し、将来の夢も打ち砕いてしまうがために、閉塞感があふれ...

【面白かった話し】 ・かつては、母親が子どもの実態を把握していて、把握をしていない父親が決定権を持つという構造だったが、今は母親が実態を把握しつつ決定的な影響も持つという構造になっている。母親は子ども以上に的確にその能力を判断し、将来の夢も打ち砕いてしまうがために、閉塞感があふれてしまっている。 ・日本は安全で豊かな社会であったために、ネットワークに属さずに孤立して生存が出来るが、安全性に問題がある社会では、ネットワークに属しているかどうかが「格差」どころではなく「生存可能性」に差が出てきてしまう。 ・ほんとうの人間的能力は事後的にしかわからないというのが、少し前の時代では通用していたが、今はあらゆることが商取引的になって、就活でも自己PRなどというものをやらせる。何の役に立つかわからない能力はゼロ査定するというのが、今の人事採用のやり方。 ・人類は、どうやって同じものをみんなが求めないように、欲望を散らすかということを考えてきたが、今のグローバル市場主義では、みんなが同じ欲望を持ってフェアな条件で奪い合いすることを理想としている。人類が育ててきた知恵を否定する行為。 今の日本社会は、若い人がスタンドアロンで「誰にも迷惑をかけず、かけられず、自分らしく生きたい」というようなことを言えるほど、もう豊かでも安全でもない。「お互いに迷惑をかけたりかけられたりしながら、愉快に生きていく」ノウハウを、若い人たちは身につけていかなくちゃいけない。(p.86) 現代人はつい忘れがちですけれど、「他者からの支援なしには生きられない」ということは人類史の90%においては「それが常態」だったのです。「ひとりでも生きられる」ということが言える社会は、近代以前には存在しなかったし、今もこれからも例外的なエリアにしか存在しない。(p.112) 僕たちが生きている間に遭遇する決定的局面は、すべて「どうしていいかわからない」状況です。結婚相手を決めるときも、就職先を決めるときも、乗った飛行機がハイジャックされたときも、僕たちは「こうすれば正解」ということをあらかじめ知らされていません。どうしていいかわからないけれど、決断は下さなければならない。人生の岐路というのは、だいたい「そういうもの」です。(p.170) ネット上で求められているのは、「個別的論点について、十分に情報を持っており、推論が適切なので、その判断に信頼がおける人」です。 そういう人って、別に自己宣伝をしなくても、自然に「フォロワー」が増えてくる。自分たちが感知できない微細なシグナルを感知できている人って、やっぱりわかるんです。そういう判断の適切な人というのは、これまではなかなか表に出てきて吟味されるという機会がありませんでしたけど、ネット時代になって、だんだん水面上に顔を出してきたんだと思います。(p.213) 匿名というのは我執ということです。自分のした発言の責任を、生身の自分としては引き受ける気がないということが問題なのは、「責任を取ることのできない妄言を吐き散らす」ことではなく(それもちょっと問題ですが)、それ以上に「どんなことがあっても生身の自分は手つかずのまま温存したい」という我執が見苦しいからです。(p.223)

Posted byブクログ

2014/07/26
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

自己発見のためにはルーティンを守ることがけっこう大切なんです。毎日毎週同じことを繰り返す。同じことを繰り返していないと、自分の中に生じた変化がわかりませんから。 例えば、毎日同じ時間に同じ道を通学していると、四季の変化がわかる。昨日はまだ咲いていなかった花が咲いていたり、霜柱が立ち始めたり、同じ道を歩いている自分の歩幅が変わっていたり、視線の高さが違っていることに気付く。自分の身体に起きつつある微細な変化を点検するためには、定型的な生活を過ごす必要があるんです。(p.82) 子供に必要なのは、もっと静かで、安定的で、内省的な時間なんです。(p.83) 年収によって格付けされるということが理不尽だというのではなくて、人々は等しい条件で競争するのでなければならないし、現に等しい条件で競争しているという前提そのものが「嘘」だからです。(p.117) 弱者支援が「もっと金を」ということに一元化されてしまうと、それは同時に「金がすべての人間的問題を解決する。金以外には人間の苦しみや欠如感を埋める手立てはない」という命題に同意していることになる。そのことの危険性について、もっと警戒心を持ってほしいということを申し上げているのです。(p.130) もっと重大なのは、マニュアルを精緻化することで、僕たちの社会は「どうしてよいかわからないときに、適切にふるまう」という、人間が生き延びるために最も必要な力を傷つけ続けているということです。(p.169) 長い時間をかけて、さまざまな機会に遭遇し、想像を絶した状況に投じられたあとに、それぞれの才能は開花する。 「鶏鳴狗盗」が教えるのは、好機を得てはじめてその才能が花開くこともある、ということです。それまでどんな価値があるか知れなかったある種の個人的な「傾向」のようなものが、特異な経験を通過することで「受肉」する。(p.186) 人間の営みというのは本質的に集団的なものであって、集団全体のスキルを上げて、知性を活性化し、感情を豊かにして、集団としての生きる力を高めることが、生き延びる上では必要だということを確認すればいいんです。(p.219) 学ぶというのは、何らかの実定的な知識や技術や情報を教わることではなく、「学ぶ仕方を学ぶ」ということなんです。弟子はそれを師から学ぶ。(p.248)

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2014/07/19

(以下引用) 豊かさと親しみは食い合せが悪いんです。金ができるとみんながだんだん排他的になる。でも、まだ日本全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている。いつの時代がいいとか悪いとか、一概には言えないと思います。個人が原子化して、親族や地域社会が崩壊したの...

(以下引用) 豊かさと親しみは食い合せが悪いんです。金ができるとみんながだんだん排他的になる。でも、まだ日本全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている。いつの時代がいいとか悪いとか、一概には言えないと思います。個人が原子化して、親族や地域社会が崩壊したのは、日本が安全で豊かになって、一人でも暮らせるようになったことの代償なんですから。それ自体は言祝ぐ成果なのです。(P.89) この三種類の社会制度資本(自然資源、社会的インフラ、制度資本)は、専門家によってクールかつリアルな専門的知見によって管理運営されなかればならない。私念や私欲が介在してはならない。当たり前のことです。ですから、社会的共通資本の運営は、政治イデオロギーと市場経済は関与してはならないとされています。政治イデオロギーはどれほど賛同者が多くても、それを駆動しているのは私念です。市場はどれほど規模が大きくても、それを駆動しているのは私欲です。私念と私欲を動機に行動することが「悪い」からではありません。私念は常に誤り、私欲は常に邪悪であるからではありません。そうではなく、私念は私欲は「ころころ変わる」からです。(P.136) コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力だということです。(P.166) 我が国のエリート層を形成する受験秀才たちは、あらかじめ問いと答えがセットになっているものを丸暗記して、それを出力する仕事には長けていますが、正解が示されていない問いの前で「臨機応変に、自己責任で判断する」訓練は受けていません。むしろ誤答を病的に恐れるあまり、「想定外の事態」に遭遇すると、「何もしないでフリーズする」ほうを選ぶ。彼らにとって「回答留保」は「誤答」よりましなのです。でもライオンが襲ってきたときに「どちらに逃げてもよいか、正解が予示されていないから」という理由でその場で立ち尽くすシマウマは、たいてい最初に捕食されます。ですから秀才たちに制度設計を委ねると、その社会が危機を生き延びる可能性は必然的に逓減することになります。(P.170)

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2014/07/13

最近のニュースをみていると、「おとな」になりきれていない「おとな」が多いことを実感させられる。混沌とした日本社会の中でどう生きていくのかー、子どもたちに何を伝えていく必要があるのかー、色々考えさせられることが多かった。

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2014/07/10

いい先生をもち、大人で、若い人を大切にし、道端のごみもなんとなく気になって拾ってしまう。そんな人こそ、今の日本に必要だというまっとうな、しかし、あまり誰も言わない話。

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2014/07/09

街場シリーズ・共同体論。他所で語られていることの繰り返し部分も多く、大切なことだからなのだということを強く意識させる。次世代へのパスがだせること、ロールモデルがいない状態で、自分がまず「おとな」になってみること、システム保全仕事はボランティアだけど、システムの保全が「自分の仕事」...

街場シリーズ・共同体論。他所で語られていることの繰り返し部分も多く、大切なことだからなのだということを強く意識させる。次世代へのパスがだせること、ロールモデルがいない状態で、自分がまず「おとな」になってみること、システム保全仕事はボランティアだけど、システムの保全が「自分の仕事」だと思う人がいないと、システムは瓦解する。他にも色々あるが、コミュニケーション能力という言葉が内包する違和感がまたすこし氷解した。 あと、「身体に悪いことはしない(しなかった)」と敢然と言われたことで、同じくそうで、そうだったけど、そこに迷いもあったので、それでいいんだと少し気楽になった。

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2014/08/30

『階層の二極化と反知性主義の関連は、指摘する人があまりいませんけれど、これは車の両輪のような現象だと思います』 ー『第七講 弟子という生き方』 例えば郊外の森に囲まれた一軒家に暮らすことにどれだけの価値を見出だせるか。自己充足的な生活が可能で、自然豊かな環境が整っているとして。...

『階層の二極化と反知性主義の関連は、指摘する人があまりいませんけれど、これは車の両輪のような現象だと思います』 ー『第七講 弟子という生き方』 例えば郊外の森に囲まれた一軒家に暮らすことにどれだけの価値を見出だせるか。自己充足的な生活が可能で、自然豊かな環境が整っているとして。 その問いに応えようとすると、どれだけ個人主義を標榜しようとも、人は究極的には社会的生物であるということを思い知る。なに不自由なく暮らせるとしても、人は他人との遣り取りを求めるもの。例えば最近読んだ「極北」の主人公が、閉ざされてはいるが安定している現状から不確かな未来へ向けて行動することを選択しても違和感なく追うことできるのもその証であったのだと気付く。結局、内田樹先生が「当たり前」のこととしている感覚の拠り所はその辺りに根元があるように思う。 共同体というもの対する相性は、個人的には余り良くない。そもそも、全体主義的匂いのしそうな考えには鳥肌が立つ。でも、弟子という生き方には共感が湧く。自分自身のこれまでを振り返ってみて、自分のしてきた努力はというものは結局のところ尊敬する人の見渡している高みにへ近づきたいという単純な動機に裏付けられたものであったなとの想いもある。 なるほどなぁ、とまたしても眼から鱗が落ちるような感慨に捕らわれる。内田樹先生の指摘は相変わらず説得力がある。一見正しそうに見えるものの真の構図はこれこれこういうことなんですよ、と、またしても自分が如何に目明きの癖に何も見えていなかったかを思い知る。 そして全体主義を忌避して敢えて取った行動が、反って全体主義を助長しかねないということを指摘され、ぐうとなる。これからは精々ゴミを拾う人になろうと思う。

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2014/07/01

個人的に気に入っている内田樹先生の本。 内田先生の本は大体読んでいるので、内容的には 今までの著書と大きくは変わっていないように思えます。 だから、新しいことはあまりないのですが、 だんだん内田先生の書いていることが、先鋭的・過激に なっているような気がします。彼の意見に異をとな...

個人的に気に入っている内田樹先生の本。 内田先生の本は大体読んでいるので、内容的には 今までの著書と大きくは変わっていないように思えます。 だから、新しいことはあまりないのですが、 だんだん内田先生の書いていることが、先鋭的・過激に なっているような気がします。彼の意見に異をとなえる というか反対者を過激に攻撃するというのではなくて なんか書いていることが、純化しているという感じ がします。当たり前のことを、彼の素晴らしい理屈で 展開されていて、それがとても気持よくどんどん読み込めていく本だと思います。 最後の章(講)の『弟子という生き方』の部分では少し 粘着性のあるどろっとした話もあって、ここは新しい部分かと思います。 また、教育の大切さ。教育の本質。人間関係の根っこ がこの理屈にあるような気がします。

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