街場の共同体論 の商品レビュー
内田樹氏はいつも、「現代」を鮮やかに切り取って僕たちに示してくれる。この本では、「家族」「学校」といった共同体を軸に、激減してしまった「おとな」がするべきことを説く。 「父親の没落と母親の呪縛」の章では、“現代日本のシステム的に、家庭内に父親の居場所というものはない”といった内容...
内田樹氏はいつも、「現代」を鮮やかに切り取って僕たちに示してくれる。この本では、「家族」「学校」といった共同体を軸に、激減してしまった「おとな」がするべきことを説く。 「父親の没落と母親の呪縛」の章では、“現代日本のシステム的に、家庭内に父親の居場所というものはない”といった内容が尋常ならざる説得力を持って語られ、胸をえぐられるようであった。 そして、コミュニケーション能力とは「人と気持ちよく会話する能力」ではなく、「コミュニケーションが成立しなくなったときに対処しようとできる能力」である、という記述が印象に残った。
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内田先生大好き!再読必必至! 母と子供の関係、「おとな」、セミパブリック、メンターなどなど、今までと言ってるとこぶれないし、読んだ時期なのか、すんなりと落ちた。 2014/10/12読了。
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デトックスに読みました。 「家庭における父親の居場所」というものに、とても納得してしまいました。 システム的に、父親の居場所と言うものはない。 でも、家庭で自ら機能することを放棄している父親を30年以上見続けていると、 それでいいのかと、 私はどうにかできないのかと、 ...
デトックスに読みました。 「家庭における父親の居場所」というものに、とても納得してしまいました。 システム的に、父親の居場所と言うものはない。 でも、家庭で自ら機能することを放棄している父親を30年以上見続けていると、 それでいいのかと、 私はどうにかできないのかと、 とても苦しくなります。 父親は、嫌いです。 でも、父親を、不憫に思っています。 どうにかしたいと、 だって、どうにかできる方法を見つけなきゃ、 私が前に進めないからです。 でもそのためには、 父が変わろうとしてくれなければ、 もう私には打つ手立てがありません。 人に変わることを願うことほど、 傲慢な考え方はありません。 どうしたら、いいんですか? わたしはずっとこのまま、 一人なんでしょうか。 自分の一人を、父親のせいにしているかのようなこの 悪しき循環を、断ち切りたくて、断ち切りたくて。 ほんとうに、困ってしまっているのです。
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- ネタバレ
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まぁ、期待したよりは為になる部分ってのは少なかったかな。けど、なるほどなぁと思える部分、おもろって思える部分があったので...最後の師弟関係の部分はちょっとくどかったかなぁ。
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内田樹さんの、家族、地域、学校など、共同体についての話ということで、自分にとっては好きな話が多かった。 たぶん、短時間で一気に書いたんだろうな、と思える気迫あふれる文体でした。内田さんのことばで言い直すと、「憑依してる」文章なんじゃないかと思います。 久しぶりに、すらすらと、わく...
内田樹さんの、家族、地域、学校など、共同体についての話ということで、自分にとっては好きな話が多かった。 たぶん、短時間で一気に書いたんだろうな、と思える気迫あふれる文体でした。内田さんのことばで言い直すと、「憑依してる」文章なんじゃないかと思います。 久しぶりに、すらすらと、わくわくしながら読める本に出会えた。よかった。
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グレゴリー・ベイトソン ダブルバインド 命令に従えば罰せられ、命令に従わなくても罰せられる 豊かさと親しみは食い合せが悪い。金ができるとみんなだんだん排他的になる。でも、また日本人全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている システムの保全が自分の仕事...
グレゴリー・ベイトソン ダブルバインド 命令に従えば罰せられ、命令に従わなくても罰せられる 豊かさと親しみは食い合せが悪い。金ができるとみんなだんだん排他的になる。でも、また日本人全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている システムの保全が自分の仕事だと思う人がいないとシステムは瓦解します。システムの保全仕事は基本的にボランティア。システムの保全はみんなの仕事だから、みんなで手分けして行うもの こどもはシステムの保全はみんなの仕事だから自分の仕事でないと思う。大人はシステムの保全はみんなの仕事だから自分の仕事だと思う。 いまの日本は子どもの数が異常に増殖してしまった社会です。 システムがあまりにもよく出来ていたせいで、システムが崩れだした時に、それを止めるのが自分の仕事だと思う人間がいなくなってしまった。それが日本の現状だと僕は思っています。 コミュニケーション能力とは、どうしてよいかわからないときに、どうしたよいか分かる能力の一種 本当の人間的能力は事後にしかわからない 鶏鳴狗盗 国民みんなが未成熟で、非知性的、利己的であるほうが、自分にとっては都合が良いと思った人たちが、久しく日本のシステムを支配してきて、その方向に舵を切ってきたから、こうなった 匿名というのは我執 どんなことがあっても生身の自分は手付かずのまま温存したいという我執が見苦しい クレーマーを生み出したのはメディア。相手が行政でも、医療機関でも、学校でも、とにかく一番口うるさく文句をいう人の言い分を、最優先に聞くべきだということをルール化したはメディアですよ。 クレーマーって、まさに不適切な場合にお門違いなクレームをつける、という行為そのものによって、謝罪とか賠償とかでいくばくの満足を得る代わりに、社会的評価を自分で下げてしまっている人なわけでしょう。 嫌なやつは社会的に上昇できない。階層社会で上位にたどりつけるのは、いい人だけなんです。知らないことを知らないと言える人、他人の仕事まで黙ってやる人、他人の失敗を責めない人、だけが相互支援、相互扶助のネットワークに呼び入れられて、そこでさまざまな支援を受けることができる
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帯文等の事前情報から、近年の個人主義を否定し、懐古主義を感情的に書いているだけではないかと疑いながら読み始めた。しかし、いい意味で期待を裏切る内容だった。ほぼ全て理論的で、それでいて非常に読みやすい内容となっている。ただ古き良き時代を取り戻す、個人主義こそ理論的な帰結、といったも...
帯文等の事前情報から、近年の個人主義を否定し、懐古主義を感情的に書いているだけではないかと疑いながら読み始めた。しかし、いい意味で期待を裏切る内容だった。ほぼ全て理論的で、それでいて非常に読みやすい内容となっている。ただ古き良き時代を取り戻す、個人主義こそ理論的な帰結、といったものを否定し、もっと大きな視点で語られている(理論的に)
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これまでの著作でも繰り返し述べている事がいちばん分かりやすくシャープにまとめられていて、なんなら内田氏の本読むならこれ一冊でええんちゃうかと。身につまされつつ、視野が広がりつつ、点が線に繋がりつつ、様々なブレイクスルーの契機となった。
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市場経済の原理を適用すべきでない分野(本書いうところの社会的共通資本)、例えば教育とか地域コミュニティとかについての内田節は共感できるところが多い。これらの分野では、等価交換ではなく、敢えてオーバーアチーブする人が一定程度の割合で存在することで社会が維持されるというのはおっしゃる...
市場経済の原理を適用すべきでない分野(本書いうところの社会的共通資本)、例えば教育とか地域コミュニティとかについての内田節は共感できるところが多い。これらの分野では、等価交換ではなく、敢えてオーバーアチーブする人が一定程度の割合で存在することで社会が維持されるというのはおっしゃるとおりかと。 クレーマーになって相手に頭を下げされて一時的に快感を得ても、その代償に周りから次第に遠ざけられ、社会的評価を失い、下層社会に落ちていく、だから、いい人でなければ階層の上位には行けないんだという構図は、岡田斗司夫や佐々木俊尚の主張にも通じるものがあるね。 政治的なイシューでは共感できない部分もあるが、こうしたテーマを語らせれば、面白く読めますね。(まあ、言ってることはいつも同じなんですけど)
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本書では、主に日本の共同体が戦前と戦後でどう変化したかについて述べられており、現代に求められるものについての内田さんの考えが示されている。資本主義経済システムの要請からくる反家父長制によって旧式のあらゆる共同体が解体され、個々人に分割されてしまったこと。親子関係しかり、学校教育し...
本書では、主に日本の共同体が戦前と戦後でどう変化したかについて述べられており、現代に求められるものについての内田さんの考えが示されている。資本主義経済システムの要請からくる反家父長制によって旧式のあらゆる共同体が解体され、個々人に分割されてしまったこと。親子関係しかり、学校教育しかり。経済学科で学ぶ身としては、簡単なミクロ経済モデルを扱う際に登場する「合理的経済人」、つまり「経済活動を行うにあたり完全に合理的であり、自己の利益を最大化するために行動する」と仮定された存在を思わず考えてしまった。この考え方には、人は「この商品は同種の商品の中で最もすばらしい」とか、「このスーパーよりもあのスーパーで買うほうが安い」などといったすべての情報(完全情報)を知っているという仮定が存在する、と習っている。が、それよりも根っこの部分にある重要な仮定として、「すべての人が同じ価値観を持ち、同じものを求める」ことがある。当たり前のことかもしれないが、今日の経済学というものは資本主義経済上に成り立っているのだな、と感じた。 資本主義経済が影響を及ぼしたのは、人々の労働形態のみではなく様々な価値観に対してでもあったことは、今まであまりしっかりと考えたことがないことだった。新たな見方を知ることができたので、この本と出会えてよかったと思った。言われてみればいたるところで「消費者マインド」に支配されているな、とは思う。ただ、家族間の関係やご近所づきあいの希薄化にも一枚かんでいるとは考えていなかった。確かに、共同体が解体すれば、商品の需要者は増える。内田さんが指摘されているように、みなが同じものを求める状態のほうが、企業にとっては生産活動をしやすいし利益を上げることはできるだろう。それでも、私にはそういうシステムが少しさびしく感じられた。実際に以前の時代を生きたわけではないが、なんとなくそう感じてしまった。とはいえ、私が古き良き日本として語られる昔の日本像を知るのは、もっぱらイデオロギー操作に加担したとされるマスメディアからなのだから、皮肉なことである。 読み終わって、内田さんはただただ現在に悲観し文句をつける人物ではないのだと改めて感じた。一見古くさいと思われるようなやり方の中にこそ、日本の今後の生存条件があるのではないか、という主張は、まえがきにあった「『当たり前のこと』に帰着します」という言葉通りだった。やはり、読みやすい文章ではありながらも言葉に重みがあると感じた。ただ、「最近少年犯罪が増加しているとコメンテイターたちがコメントしているが、実際はそうではなく個人の印象である」と批判しているのに対し、内田さん自身も「おとな」比率が5%というのを感覚で語っていることが少し気になってしまった。 今後求められていくのは、親子関係の再編と個人のリテラシー向上ではないだろうか。お互いが助け合うことができるコミュニティや「おとな」を生み出すためには、幼少期に親から受けた印象が大きな力を持つだろうから、まずは親子関係から変えていく必要がある。個人のリテラシー向上というのは、メディアの情報をただ受容するのではなく、疑ってみたり、検証したりすることができる能力を身につけることである。本書の中でも述べられていた、「自分らしさにこだわれ」「集団に帰属するな」という個人主義的イデオロギーのアナウンスに対しても、それを社会的必然性と捉えるのか、他者の考えの押し付けと捉えるのかは個人次第である。流れてくる情報を、はいそうですかと鵜呑みにするのではなく、一度立ち止まって考えてみる。ただ、ともすると「自分らしさにこだわる」ことと紙一重ではあるので、「師匠」を見つけ師事できることが一番の近道なのかもしれない。
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