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茨木のり子詩集 の商品レビュー

4.3

52件のお客様レビュー

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    21

  2. 4つ

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2022/07/07

かつては、茨木のり子と言えば「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」 に強く惹かれたけれど・・・ あらためて読み返してみたら、やっぱり印象が変わってきている。 「歳月」や「古歌」が、しみみじと良い。

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2022/07/06

いいな、というものもあったけれど、全体の中のごく一部でした。ただ、その一部への印象がとても強い。 韓国?の人への見方があまりないもので、りゅうれんれんのくだりはかなり衝撃を受けました。 日本人なら、発見された時点でヒーロー扱いだったはず。国が違う事で受ける印象が違うというのはただ...

いいな、というものもあったけれど、全体の中のごく一部でした。ただ、その一部への印象がとても強い。 韓国?の人への見方があまりないもので、りゅうれんれんのくだりはかなり衝撃を受けました。 日本人なら、発見された時点でヒーロー扱いだったはず。国が違う事で受ける印象が違うというのはただただ、悲しい。 著者は、戦時中が青春だった頃だというのをずっと悔いていたのかなと思う。大抵のことは、そんなこと悔やんでも〜と思うところだけれど、他責で無くされたという想いは死ぬまで消えないものなのかもしれない。

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2022/03/25

詩集って読むの初めてで、難しいかなって思ってたけど、読みやすかった! その日の気分とかで感じ方が違くて、自分と向き合える素敵な本。 自分の感受性くらい っていう詩が好き

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2021/10/12

今読んでもじわじわ涙が出てくる わざと怖い顔して壁作って卑屈になってた高校生の時の自分が、この言葉たちに出会えてよかったな。言葉は柔らかくて丁寧なのに、内側の強さが滲み出る。攻撃したり、言葉をきつくしたりしなくてもいいと教えてもらった。こんな人になりたい

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2021/01/26

どの詩を読んでも心にしみる。日本語を大事にした人。当然詩人だから特に大事にしたのですね。それと同じぐらい隣国の言葉も大事にしたのですね。その事をこころしなくてはいけない。

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2020/12/27

ばかものよ、を叱咤ととるか激励ととるかは読者次第だ。 20歳を目前に読めてよかった、詩人みずからの内省のかたちをとりならがら、読者への深い愛情を感じた。 この詩が目的だったが、戦後が抱えたもどかしさが鋭い感性をもつ少女から伝わってくるようだった。

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2020/06/13

美術工芸家の場合、縄文型と弥生型の2つに分かれるように、詩人には、古今和歌集型と万葉集型がいて、ほとんどがその2つに分類できる。という対談の中の茨木さんのお話が面白かった。 好きな詩 ・ぎらりと光るダイヤのような日 ・怒るときと許すとき ・花の名 ・言いたくない言葉 ・兄弟 ・...

美術工芸家の場合、縄文型と弥生型の2つに分かれるように、詩人には、古今和歌集型と万葉集型がいて、ほとんどがその2つに分類できる。という対談の中の茨木さんのお話が面白かった。 好きな詩 ・ぎらりと光るダイヤのような日 ・怒るときと許すとき ・花の名 ・言いたくない言葉 ・兄弟 ・居酒屋にて ・知 ・自分の感受性くらい ・波の音 ・木の実 ・一人は賑やか ・さくら ・お休みどころ ・よりかからず ・笑う能力 ・行方不明の時間 ・なれる ・歳月 ・山小屋のスタンプ ・それを選んだ ・こわがらない ・詩

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2020/05/27
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

※「茨木のり子全詩集」(花神社)が在庫なしで登録できなかったので仮登録。(岩波の方に載ってないやつあるかもしれません) ・よかった編 「自分の感受性くらい」 初めて読んだ時は教科書に載ってたんじゃないかなー。言い訳を許さぬ”ばかものよ”に当時怖くなったことを思い出す。というか根性なしなので、すべて自分の責任で逃げ場がないというのは今も怖い。でも外野がどうあれ、やっぱり自分の幸せを追求するのは本質的に自分しかいないよなあと。怖いけども手放せない名句。 「マザー・テレサの瞳」 ”外科手術の必要な者に繃帯を巻いて歩いただけ~”のフレーズにそうだろうなあ、と思う。だって彼女が救いたかったのはおそらく命じゃなく魂だろうから。最近闘病記とか読んだせいか、終末医療とかQOLとかいう単語が浮かぶ。しかしうっすら理解はできても、波打ち際に砂の城を築くような行為を、生涯かけて実践し続けた彼女を”静かなる狂”というのがいい得て妙だなーと思った。 「獣めく」 えっこれも茨木のり子なの?下手なエロ本よりそわそわするんですが。亡き旦那さんへの想いと思い出を綴った遺稿の1篇らしい。発表する気があったのか分からない私的な詩だからなのか、生々しいというか率直で、よっぽどぞっこんだったんだなあと違う一面を見たりもした気が。 総評 正直よく分からない詩もあった。昔読んでて懐かしい詩もあった。激しい詩も優しい詩も色々ごちゃまぜで、全部は消化しきれない感がある。でもその分読み直すごとに発見がありそうというかその時の自分に引っかかる詩があると思うので、今いいなと思った詩だけでも心にとめて、また時間をおいて読みたいと思う。

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2020/04/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

抜こうと思っているわけではないのに 追いかけているわけでもないのに 人を抜いたと感じる瞬間の いわんかたなき寂しさ 父を抜いたと感じてしまった夜 私は哭いた 寝床のなかで 声をたてずに … そういう瞬間を持ってしまう自分が おお とても 厭! どうみたって その人より 私が たちまさるとは真実おもえないのに … 抜いたときには 確かにわかる けれど 抜かれるときには わからないらしいのだな … 一人でいるのは賑やかだ 誓って負けおしみなんかじゃない 一人でいるとき淋しいやつが 二人酔ったら なお淋しい おおぜい寄ったなら だ だ だ だ だっと 堕落だな … … 四十年前の ある晩秋 夜行で発って朝まだき 奈良駅についた 法隆寺へ行きたいのだが まだバスも出ない しかたなく 昨夜買った駅弁をもそもそ食べていると その待合室に 駅長さんが近づいてきて 二、三の客にお茶をふるまってくれた ゆるやかに流れていた時間 駅長さんの顔は忘れてしまったが 大きな薬缶と 制服と 注いでくれた熱い渋茶の味は 今でも思い出すことができる … 人を愛するなんてことも何時のまにやら 覚えてしまって 臆病風はどうやら そのあたりからも 吹いてくるらしい 通らなければならないトンネルならば さまざまな怖れを十分に味わいつくして行こう いつか ほんとうの 勇気凛凛になれるかしら 子供のときとは まるで違った … 大岡 ぼくらの同級生でも、軍の学校へ行ったのが何人かいましたね。ぼくは、死ぬのは嫌でたまらなかった。そういう意味では、戦争中、自分がなぜ死んでもいいという気持ちになれないのか、という自責の念、恥ずかしさはすごくありました。 茨木 ああ。 大岡 「お国のためならば死んでもいい」というふうなことを、少年でも顔にあらわさなきゃならないような時代でしたが、ぼくは漠然としてはいたけれど、文学とか言葉の作品、そういうものの大事さがあるっていうことをなんとなく感じていたから、まだ死にたくない、という気持ちがあったんですけど、茨木さんの場合は、女性だから、もう一つそこのところが複雑だと思うのね。 茨木 ええ。 大岡 結局女性の場合には後続部隊というか、男の連中が出で立ってゆくのを見送って、口もとまで出てくる悲しみや喜びを全部押しかくして、外には出さない、という形だったでしょう。そこからくる抑圧された思いというのが、戦後になって爆発するわけですけれど、女の人の多くは、風俗、つまりファッション的なもので戦争中の抑圧を解放する。また、恋愛もね。さまざまだと思うんですが、茨木さんの場合は、むしろ稀なケースですね。つまり、言葉というものに初めからぶつかった、という人は、あの当時まだ少なかった。 茨木 ええ、何よりもまず自分のしっかりした言葉がほしいと思った。変わってたかもしれませんね。 … … 茨木 単純にすっきりさせたい。モヤモヤや悶々をそのまま出したくないんですね。だってほかの人の作品を読むときでも、単純な言葉で深いことを言えてるものが最高と思いますもの。それから、さっきの弱さをあんまり出したくないということを、自分で分析しますと、戦後すぐのこと、当時は過去のものは全部否定的でしたよね。そういう風潮に影響されたと思うんですけど、日本の詩歌の伝統も「淋し、佗し」の連続でいかにも弱々しいという思いがわっときた。もっと強くて張りのある詩が書かれるべきであると自分なりに考えたらしいんですね。 … … 大岡 …言葉っていうものを、自分自身に固有のものと思わない、という気持ちが、ますます強くなっていく。…言葉というのは何だろうと思う。翻訳でもむしろある種のものが伝わってしまうということが、言葉のある意味の恐ろしさを示すものではないかと思えてくる。つまり精密出なくても伝わってゆく、そしてそれは一概に否定できなくて、むしろ、しゃべっているとお互いにわかりあってしまうことがずいぶんあるという気がします。翻って考えてみると、日本語でしゃべり合っていたって、お互いにわかりあっていると言えないんじゃないか。そういう意味でいうと、言語というものは、非常にたくさんの、ぶよぶよしたものを身にまとっているんじゃないか。そういう部分でわれわれは、わかりあったり、わかりあえなくて喧嘩したりしるんじゃないかっていう気がして、だから、ぼくは言葉というものに対して、ある意味でいえば、非常に頼りないものだなっていう気がするんです。逆に言うと、そういうものであるにもかかわらず、わかりあえるところが、言葉のすごさだろうとも思っているんです。…

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2020/03/24
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※このレビューにはネタバレを含みます

もともと『自分の感受性くらい』の詩だけは知っていたけれど、茨木のり子さんの他作品は初めましてでした。 … 一人の女性の人生が、ぎゅぎゅぎゅぎゅっと結晶化されたような一冊だった。 私と20代前半に作ったものから、70代亡くなる直前に作ったものまで。 若く美しい時代が、戦争に奪われた、女性のくやしさや渇望や希望や決意。 けたたましく変わりゆく時代の中で、自ら選び取った時代おくれ。 一人の愛する人に向けられた美しく悲しい眼 歳を重ねてもなお少女のような初々しさ どれもどれも 芯のある素敵な言葉たち 茨木さんの詩は、読みが遅れて追いつく。と解説にあるように、この先、一編一編から響く感情は変わっていくと思いますが、今の私が一番好きな作品は、 『言いたくない言葉』でした。 2020.3.18

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