ゴドーを待ちながら の商品レビュー
意味は定義しないが、構造は設計する作者の指紋が、ゴドーよりもべったり付いている。演者に余地があるとすると、作者はさながらまどろむ神か。
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同じ場所、同じ登場人物。少しずつ異なる世界線。そして、ゴドーとは? 序盤退屈でしたが、後半どっぷりと惹き込まれました。
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何も起こらない荒野の道端でウラジーミル、エストラゴンという2人の浮浪者が「ゴドー」という人物を待ち続ける物語。2人は他愛もない会話をしながら、時には喧嘩し、時には哲学的なことを語り、ただ時間を潰している。 物語は進まない。会話が支離滅裂と面白さが読み取れず...。不条理劇と呼ばれ...
何も起こらない荒野の道端でウラジーミル、エストラゴンという2人の浮浪者が「ゴドー」という人物を待ち続ける物語。2人は他愛もない会話をしながら、時には喧嘩し、時には哲学的なことを語り、ただ時間を潰している。 物語は進まない。会話が支離滅裂と面白さが読み取れず...。不条理劇と呼ばれるジャンルの作品で、「意味がないこと」に意味を見出そうとする姿が皮肉や哲学として面白いとされる。 読解力や想像力が試される作品かなと感じる。
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第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」を観て、元ネタ?として読んだ。高校生にはやや早すぎて、薄ぼんやりとしか分からなかった。手元にないけど、今読みたいかも
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本当にわからん。 支配と服従の構造。 支配の暴力性と正当性。 足の痛みなど身体的苦痛。 メタ演劇。
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結局のところ、設定勝ちという作品。話の内容自体は全く面白くもなんともない。 いつくるとも知れないゴドーを待ち続ける2人の男。ゴドーは来るのか?はたまた、ゴドーとは何者であり、ゴドーが来ることで2人はどうなるのか?終始何も起きない。待つ事、故に動けない2人がその為に時間を浪費する構...
結局のところ、設定勝ちという作品。話の内容自体は全く面白くもなんともない。 いつくるとも知れないゴドーを待ち続ける2人の男。ゴドーは来るのか?はたまた、ゴドーとは何者であり、ゴドーが来ることで2人はどうなるのか?終始何も起きない。待つ事、故に動けない2人がその為に時間を浪費する構図。これは死を待つ者が生きる人生ではないか。
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「不条理演劇」の代名詞と、オビに書かれている。 分からないままに、進むこともない対話。 ゴドーを待っている、それだけは分かる。 待つのを止めればいい、何度も試みられるけれど、待つことを諦めることも出来ない。 時々、少年がやってきて、ゴドーが存在していることを暗示し、去って...
「不条理演劇」の代名詞と、オビに書かれている。 分からないままに、進むこともない対話。 ゴドーを待っている、それだけは分かる。 待つのを止めればいい、何度も試みられるけれど、待つことを諦めることも出来ない。 時々、少年がやってきて、ゴドーが存在していることを暗示し、去ってゆく。 しかし、待つという行為は、自らでは進められない。 多分、解釈が可能な作品ではないのだと思う。 でも、ぼんやりと、進まない物語を読みながら、どこかにスポットを当ててしまうんだと思う。 感想を生み出す物語、ということなんだろうか。 謎。
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ノーベル文学賞受賞作家であるサミュエル・ベケットの代表作。 1952年刊行。 戯曲の形式をとっており、「不条理劇」に分類される(らしい)。 エストラゴンとウラジミールの二人の浮浪者は、田舎道で話し込みながら、救済者「ゴドー」を待っている。 しかし、待てども待てどもゴドーは来な...
ノーベル文学賞受賞作家であるサミュエル・ベケットの代表作。 1952年刊行。 戯曲の形式をとっており、「不条理劇」に分類される(らしい)。 エストラゴンとウラジミールの二人の浮浪者は、田舎道で話し込みながら、救済者「ゴドー」を待っている。 しかし、待てども待てどもゴドーは来ない。 ゴドーが誰かもわからない。 なぜ二人がゴドーを待っているのか、何をしてくれるのかもわからない。 読み手に明かされないだけではなくて、二人もわかっていないし、考えてもいない。 二人のところにポッツォとその従者ラッキーが現れる。ポッツォはラッキーに手酷い折檻を加える。 ポッツォたちが通り過ぎた後も、エストラゴンとウラジミールはゴドーを待ち続ける。 ゴドーは来ない。 二人のところに、ゴドーからの伝言を持った少年が現れる。 ゴドーからは「今日は行けない。明日行く」というメッセージだった。二人はメッセージを受けて、今日の寝床を探しにいく。 ここで第一幕が終わる。 つづく第二幕でも二人はゴドーを待つ。 ゴドーは来ない。 これは第一幕と対比になっているが、連関がなくなっている。 以上が、本作のあらすじ。 一通り読了したが、まったく面白いとは思えなかった。 ストーリーが滅茶苦茶というか、ストーリーが存在しない。作中を縦に貫く流れがない。 だから、どうこの作品を面白いと思えば良いのかが分からなかった。 確かに、作品のインパクトという意味では申し分ないだろう。読み手に衝撃を残すという意味では成功している。故に現代まで読み継がれているのであろう。 また、独特の世界が確立されていて、その手触りを感じることができる。これはベケットの天才的センスの立証に他ならない。 本作には色々な解釈がある。 終末論に支えられた「ゴドーは終焉のアナロジー」という見方や、文字通り「ゴドーは救済者」というもの、或いは「受動的に救いを待つことへのアンチテーゼ」だという解釈もある。 個人的には、最後の見方を支持する。 受け身で救済を待つエストラゴンとウラジミールのもとには結局救いはもたらされない。彼らは本作の前も後も、ずっと救いだけを待ち続けて、無為な一生を終えてしまう。だから、自らを救うため、自らの人生に意味を与えるために能動的に行動しなければならない、そういう示唆を与えていると思った。 しかし本当は、ベケットはどのような意味もこの作品に持たせていないのではないかと思う。 思わせぶりな描写や、謎めいた主題を与えて、読み手の考察を煽っているだけに過ぎないのではないか。意味不明な第二幕も、単にこの困惑を助長させるための舞台装置だと。 実際、「ゴドーはだれか?」という問いに対して、後年ベケットは「知っていたら作中に書いたでしょう」と答えている。 つまり、ベケット自身もこの明確な回答を持っていなかったと思われる。 謂わば、本作は現代でいう『エヴァンゲリオン』のようなもので、読み手のもっともらしい考察を織り込んで、前提として成立する物語なのだ。そこに正解はなく、読み手に丸投げされた作品だと言っていい。 私はこのような作品を面白いと思えないし、斜に構えて面白いと言うような読者にもなりたくない。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ゴドーという未知の人を待つ2人の老人と貴族と奴隷の会話劇。身体の痛みを訴え一種の救済や現状の脱出を求めるが不条理にも現実は変わらず事態は悪転していく様を描写してる。第一幕で全員とあったはずなのに第二幕では1人除いて全員がそれを忘れている。ループや夢の恐怖に苛まれながら、ゴドーを待ちその後の目的も忘れゴドーを待つことが目的となってしまった事を示しているのか。ゴドーと会ってしまったらその状況から変わってしまう事への恐れの暗示なのかなって思いました。
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ひたすらゴドーなるものを待つ2人 待てど暮らせどこない 嫌になって 首を括ろうとしたりするが失敗に終わる はたして2人は何を待っているのか? ゴドーとは誰なのか? 傑作戯曲とのことだけれど なんとも理解に苦しむ作品 解説によると神を待っているとか いろいろな解釈があるようだけれ...
ひたすらゴドーなるものを待つ2人 待てど暮らせどこない 嫌になって 首を括ろうとしたりするが失敗に終わる はたして2人は何を待っているのか? ゴドーとは誰なのか? 傑作戯曲とのことだけれど なんとも理解に苦しむ作品 解説によると神を待っているとか いろいろな解釈があるようだけれど 頭がついていかない 待つということ 最近なくなったな 待つということ 待っている人を思いながら待つと いくらでも待てる そんなこともありました その間は、けして無駄ではないと思うのです
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