教室内カースト の商品レビュー
スクールカーストのことは大変興味深い。誰でもどこかのグループには位置している。スクールでなくても、2人以上人がいれば極端でなくてもなんとなくカーストは作られる。自分は小学校高学年から中学まで場面緘黙を発症して、この本の表現だと「どのグループにも入らない最下層」を経験しているため、...
スクールカーストのことは大変興味深い。誰でもどこかのグループには位置している。スクールでなくても、2人以上人がいれば極端でなくてもなんとなくカーストは作られる。自分は小学校高学年から中学まで場面緘黙を発症して、この本の表現だと「どのグループにも入らない最下層」を経験しているため、かえって冷静に観察できるようになった気がする。
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学校の中で構造化されているヒエラルキーを分かりやすく解説している。ただ、論拠としているデータが神奈川県の公立中学2年生という限定されたもの、大学・教師へのインタビューから抽出されたもののみで論じており、仮説の検証までには至っていない。これ以降の様々な文献も読んでみる必要がある。た...
学校の中で構造化されているヒエラルキーを分かりやすく解説している。ただ、論拠としているデータが神奈川県の公立中学2年生という限定されたもの、大学・教師へのインタビューから抽出されたもののみで論じており、仮説の検証までには至っていない。これ以降の様々な文献も読んでみる必要がある。ただ、この時期に自分が最下層にいたこと、もがいていたこと、諦めていたことだけは間違いない。
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学生時代になんとなく感じるクラス内での序列。ここまで、研究や考察がされた本はなかったと思う。インタビューなど文字にして改めて見ると、あったあったと思う反面なぜあの頃はそんな事を気にしていたのかと思う。ただ、ここからいじめに発展することは確かだと思うので、こういう序列に本人も教師も...
学生時代になんとなく感じるクラス内での序列。ここまで、研究や考察がされた本はなかったと思う。インタビューなど文字にして改めて見ると、あったあったと思う反面なぜあの頃はそんな事を気にしていたのかと思う。ただ、ここからいじめに発展することは確かだと思うので、こういう序列に本人も教師も保護者も敏感になる必要がある。
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スクールカーストの存在が、大学生の具体的な発話記録からうかがえる。子どもだけでなく、教務室でも同じ状況はある。 暴力系のいじめ、コミュニケーション操作系のいじめ
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スクールカーストの実態を一冊の本にまとめたのは評価されるべきで、内容も示唆に富んでいます。 中学・高校での人間関係はサバイバルだと感じますし、僕らの時とは質が違っています。カースト序列を変更する手立ては(今のところ)無くて、カーストそのものを廃する方法も分かっていない……。人間関...
スクールカーストの実態を一冊の本にまとめたのは評価されるべきで、内容も示唆に富んでいます。 中学・高校での人間関係はサバイバルだと感じますし、僕らの時とは質が違っています。カースト序列を変更する手立ては(今のところ)無くて、カーストそのものを廃する方法も分かっていない……。人間関係を考えれば、仲の良い人同士で集まってグループが出来上がるのは当たり前の事なのですが、カーストの『見えない力』によって自分の序列に合った人としか接する事が出来ないのは問題だと思います。 カースト上位はクラス運営の実権を握っているが円滑に進めなければならないという暗黙のプレッシャーがあって大変だし、カースト下位は上位者に見下されて大変だし、結局どこに属しても苦痛であるのは変わりません。 グループ内での人間関係は良好で、心の安寧がありますが、上位グループでは足の引っ張り合いが横行し、居場所としては不安定のように感じます。『今度は私が(下位グループに)落とされるかも……』という不安を抱えて生活していては、精神的に滅入るでしょう。 僕の中学生活は、教室では一才喋らないで本を読む地味で無口な心配児でしたが、部活動のテニスではぎゃあぎゃあ騒いで先輩・後輩共に仲良くしていました(部長でしたしね!)。そんな『教室では大人しいけど部活では円満な人間関係』だったから、随分と先生方に心配されていたようです(笑)。 何が言いたいのかというと、学校では問題児でも、家では家事を手伝う子だっているだろうし、その逆もあるだろうし、学校だけが全てではないということです。自分の安寧する居場所を最優先で確保していれば、多少の我慢もできるのでは、と思います。しかし、生活の殆どを学校で過ごす学生にとって、その学校生活が苦痛であるならば、焼け石に水かも知れません。 その、スクールカーストの何が嫌かって、カーストの基準でしか人間を測っていないんですよね。多様性を認めない、これが感情的に許せない。性格や人格等ってのは、多様であるからこそ面白いのであって、それを教室内の雰囲気に合致するように行動しなくてはならないってのは違和感があります。 例えば、僕の知り合いに空気を読まない人がいますけど、『お前空気読んで行動しろよ』と強制するのは簡単ですが、それは僕と彼の関係のみ適用されるのであって、彼が持つ他の友達からは『(空気を読まないのが)いい!』と言ってくれる人だっているかも知れません。だから強制はしないし、できるものでもありません。彼のすべてが僕のものならば話は別ですが、彼は彼の人間関係があります。僕はそれを尊重したいのです。 そういった尊重性が教室内カーストには無く、上位グループ・下位グループが共に蔑み合い、畏怖し、負の感情を持っていれば、そりゃあうまくいかないでしょう。 学級運営を円滑に進めるためにはスクールカーストが必要悪と、教師側の意見として挙がっていますが、スクールカーストを利用しなくても円滑に進められるシステムがあると思うし、もっと研究が必要です。これからの成果に期待します。 僕の評価はA-にします。
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〈メモ〉 生徒と教師はほぼ同じように教室内カーストを観察しているがその解釈を異にしている。すなわち、生徒はそれを固着化した「権力」関係と捉えるが、教師は生徒それぞれの「能力」の問題へと帰着させる。教師は「能力」ヒエラルキーを学級運営に利用するが、生徒はそれを、教師による「権力」へ...
〈メモ〉 生徒と教師はほぼ同じように教室内カーストを観察しているがその解釈を異にしている。すなわち、生徒はそれを固着化した「権力」関係と捉えるが、教師は生徒それぞれの「能力」の問題へと帰着させる。教師は「能力」ヒエラルキーを学級運営に利用するが、生徒はそれを、教師による「権力」へのおもねりと受け取る。
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評判が良かったため購入。いじめやいじりは区別がつけにくく把握が難しいから、大本となる学校の人間関係、つまりスクールカーストを見てみよう、という話。 忘れていた自身の学生時代のことを思い出していろいろともやもやした。小学校時代はなぜか足の速い子、運動神経のいい子がもてるよね。そし...
評判が良かったため購入。いじめやいじりは区別がつけにくく把握が難しいから、大本となる学校の人間関係、つまりスクールカーストを見てみよう、という話。 忘れていた自身の学生時代のことを思い出していろいろともやもやした。小学校時代はなぜか足の速い子、運動神経のいい子がもてるよね。そしてクラスに一人くらい嫌われている子がいた。中学時代になるとあからさまなスクールカーストがあった。大人になってから卒業アルバムを見直すとみんなどっこいどっこいの田舎の中学生なのだけれど、あの頃は中学校が世界の全てだったから、クラスや部活であの子より上だ下だと序列を感じていたな。高校時代はスクールカーストの高い子と友達だったから確かに楽しかった。 マジメとヤンキーが互いに嫌いあっていたというのは80年代の話だと思う。受験戦争に意義が唱えられ、勉強が重視されなくなってから、マジメの価値は落ちたよ。 生徒と教師からの聞き取りが根拠のほとんどを占めており、論文としての根拠は薄弱かもしれないが、スクールカーストという言葉を全面に出し世に知らしめたという点で価値のある本。スクールカーストの存在を否定する者がいなかったにもかかわらず、それが形成される根拠やカーストの決め方は非常に曖昧であり明文化されない。にもかかわらずどの生徒にも共通して認識されているところが闇を感じる。 生徒からの聞き取りによりスクールカーストは上位の生徒にも下位の生徒にもデメリットがあると考えられるのに、教師の捉え方が全く異なることにいやな感じがした。スクールカーストは権力であり、上位の者がいない場で中位の者が場を盛り上げることがあることから決してコミュニケーション能力によりカーストが形成されているわけではないという結論が出ているのに、教師はスクールカーストを能力ととらえている。上位は積極的で自分の意見をはっきり言える、人付き合いもうまいと。そして下位の者はぼんやりしていて楽をしていると。教師のあまりにも都合の良いものの見方に憤りを感じた。上位の者は友達が多い「ように見える」だけで、裏で反発されていることもある。自分の意見をはっきり言うのは、それが通る場だから。上位とされない者でも自分の意見は持っているが、相手にされないので言わない。能力が序列になるのではなく、序列の差が態度に現れる。 学級経営というのはモデルケースが見えない。理想とされる学級はどんなものなのか、多種多様な人間がいる中で、未成熟な生徒達がどのように互いとの関わりをもてばうまくいくのか、誰も示さない。生徒達は自ずとカーストを形成し、役割を決め、日々がうまく回るようにしているのかもしれない。学校以外の世の中で、勝手に作られた同年代だけの集団においてただ仲良くあることを求められる場というのは思いつかない。学校が全ての世界である生徒は苦しい。ただ仲良くあれ、それが正しいとされる世界は辛い。 典型的な体育教師の認識の仕方に本当に憤りを感じた。下位の生徒の将来をダメだと決めつけ、学級経営のためには上位の生徒を使って回していくのが良いと考え、唯一クラスで圧力から逃れられている存在なのに、積極的にスクールカースト形成に力を貸している。強く自己主張できるのがそんなに偉いのか。騒がしいのが偉いのか。静かに日々を過ごすことがそんなにいけないのか。学校という逃げ場のないところで自身の振る舞いにかかわらず下位と評価されるのはどれだけ心が傷つけられ、自尊心が抉られることか。 スクールカーストは、学級という均質を目指す箱が必然的に作り出した闇に思える。個を重視するなんてよく言うよ。
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http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334037192
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現高校生の者です。少し、自分の経験と照らし合わせながらスクールカーストについて書いてみたいと思います。 僕は、中学生の時どちらかといえば下位層でした。成績は良かったので、完全なる最下位層になることはありませんでしたが、劣等感というのは感じていました。スポーツも得意で無かったですし...
現高校生の者です。少し、自分の経験と照らし合わせながらスクールカーストについて書いてみたいと思います。 僕は、中学生の時どちらかといえば下位層でした。成績は良かったので、完全なる最下位層になることはありませんでしたが、劣等感というのは感じていました。スポーツも得意で無かったですし。 そんな僕に、中2の時転機が訪れます。下位層を仕切ってるような奴が僕に悪口を浴びせてくるので、僕はそいつと関わらないようにしました。どうやったかというと、中位層の人たちと仲良くなるようにしたのです。前述のように、僕は「どちらかというと下位層」であり、もともと中位層にも友達が何人かいたため、その人たちと良く話すようにしたのです。結果として、僕は嫌なやつから離れることができました。しかし同時に、下位層で仲が良かった人たちと話す機会が減りました。これについては、果たしてこれで良かったのだろうかと今も思っています。まぁ中位層になって明るくはなれましたが。 そして僕は、地元の進学校に進みました。(田舎なのでそこまで凄い高校ではないですが)今現在、確かに目立っている人は決まっているなと思います。ただ、この本に書いてあるほど、明確なグループ分けはされてないように思いました。目立っている人とそうでない人でグループはありますが、境目がはっきりとはしていません。つまり、自分の高校ではスクールカーストがそこまで明確ではないのかなぁと思います。(モテる人とモテない人(自分)は明確ではありますが) だから、この本に書いてあることが全てではないのです。これから、研究が進んで、例外も焦点にされたら良いかと思います。進学校の状況であるとか。僕の通っている学校はオタクが生き生きとしているので、何故オタクがこんなに批判されているのか理解出来ませんでした。逆にオタクじゃ無い人の方が引けを感じてしまうくらいなので。やはり、環境によって学校も生徒も様々なのです。 あと、中位層に関してもっと書いてあっても良かったと思います。個人的に中位層が一番だと思うので。僕は上位層なんかに憧れたことはありません。本の中にも少し書いてありましたが、上位層は批判されて当たり前のような人たちばかりです。5章で先生が上位層を褒め称えているような記述がありましたが、それは間違っていると思います。これは、先生が学校の治安を悪くするのに加担しているようなものです。そんな先生には出会いたくないな…。「下位層の人は使えない」とか言っている人がいたけど、そんなのはその人が意識変えればどうにでもなることじゃないですか。生徒のモチベーションを上げるのが教師じゃないんですか?偉そうなこと書いてしまいましたけれど。 本自体は読み進めやすかったです。興味のある方は手に取ってみるのもよいかと思います。長々と書いてしまって申し訳ありません。
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本田由紀さんによる追加考察 ①「スクールカースト」のような集団間の上下関係が最も顕在化するのが教室内であるならば、その教室の構造にこそメスを入れる必要があるのではないか。 ②「スクールカースト」が顕在化するのが教室内であるとしても、自分(たち)の押しの強さや有利な立場をよいこ...
本田由紀さんによる追加考察 ①「スクールカースト」のような集団間の上下関係が最も顕在化するのが教室内であるならば、その教室の構造にこそメスを入れる必要があるのではないか。 ②「スクールカースト」が顕在化するのが教室内であるとしても、自分(たち)の押しの強さや有利な立場をよいことに、他者に敬意を払わず押しつぶすようなふるまいは、日本社会のいたるところに見られるのであり、そのようなより広い社会的な素地をももっと踏み込んで問う必要があるのではないか。 この2つのことについては、私自身も本書を読み進めていく中で感じていたことと同じだったので、私自身も教員としての経験を伊達に積んできたわけではないなということを再認識することができたのが、最大の収穫かなと思っている。 それにしても、インタビューに応じた若い教員の科白を読んでいて、教員の質が低下したなと言われざるを得ないことも痛切に感じてしまったので、まずは私たち公立学校教員とはそもその誰のために、何のために存在しているのかをきちんと総括しておかなくてはならない時期に来ているということにも痛感させられた、ということも付け加えておきたい。
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