ソクラテスの弁明 の商品レビュー
おそらくとても大切なことが書いてあるのだろうが、今のレベルでは深く理解できていない気がする。 またいつの日か読み返したい。
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哲学の原点に倫理的な動機があったことがよく分かる。訳文は読みやすく、訳者の解説も充実しており、紀元前の古代ギリシャの裁判の理解には周辺知識が必須であるため有益である。プラトンの生涯の説明などもありお得でもある。解説によると本書は『裁判で実際に語った内容の記録』ではなく『ソクラテス...
哲学の原点に倫理的な動機があったことがよく分かる。訳文は読みやすく、訳者の解説も充実しており、紀元前の古代ギリシャの裁判の理解には周辺知識が必須であるため有益である。プラトンの生涯の説明などもありお得でもある。解説によると本書は『裁判で実際に語った内容の記録』ではなく『ソクラテスの生と死とは何だったかの真実を、「哲学」として弁明するプラトンの創作』であり、有名なデルフォイの『神託』事件の史実性も微妙ということであった。だが、ここはあまり気にしなくてもいいと思う。『ソクラテスの弁明』が書かれたのはソクラテスの刑死から10年以内くらいらしく、人々の「あの有名人ソクラテスさん」に関する記憶も鮮明であったはずで、少なくとも「ああ、いかにもソクラテスさんが言ってそう!」くらいのリアリティはあるはずだ。 語られていることの中心は『不知の自覚』に象徴的なように、神々の知恵の前では取るに足らないような『人間的な知恵』を自覚し、知らないことは知らない言うような謙虚な姿勢であり、それに伴う誠実さや、大衆に迎合しない勇気である。しかしこれが、ソクラテスが主張する『魂というものができるだけ善くなるようにと配慮』することの全貌なのだろうか?後の哲学の発展を知る我々には、『ソクラテスの弁明』には形而上学的な動機が欠けているように思う。私のソクラテス理解が皮相的なものだとしても、そこには倫理的動機と形而上学的動機の質的な差異があるように思う。アリストテレスが「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」と書いた、あの情熱である。その欠如は、ソクラテスの行動が神々=デルフォイの『神託』に突き動かされたものであり、神々という世界の究極原因そのものは、ソクラテスの『人間的な知恵』にとっては当然ながら探究の範囲外だったことにも明らかだろう。おそらく同じ「?」が、プラトンをしてイデア論に至らせたものではないだろうか。そして私が思うに、ソクラテスの倫理的な動機に、プラトンの形而上学的な動機が混在しなければ、それから約2400年に及ぶ哲学の発展はなかったのではないか、そのようにも思われる。 読後、私に思い出されたのはキェルケゴールであった。彼はソクラテスを自らの範としつつ、ただ一人で神の前に立ち、大衆を挑発するように自説を展開した。 訳者の解説に対する違和感を述べておくと、『ソクラテス=プラトン哲学の核心とも言うべき「魂」と「肉体」の峻別』ということが説明されているが、少なくとも『ソクラテスの弁明』においては「善く生きる」ことが中心であり、解説で触れられているような心身二元論的な発想は表立ってない。むしろそれは『パイドン』などに見られるプラトン固有の発想に分類されるのではないか。確かに死について肯定的に語られるが、それはあくまで、死について知りもしないのに恐れるのはおかしいという『不知の自覚』の実践の一例である。訳者は『死後への期待は、死がなにものでもないというもう一方の想定よりも、はるかに力強く語られている』と主張するが、それを念頭に改めて本文を読んでみても、私の理解は動かされなかった。
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少なくとも概要は多くの人が知っているであろう本書。気まぐれに紐解きました。 古代ギリシャの賢人ソクラテスが被告となった裁判での彼の弁明とされるもの。 どうしても現代の法廷を基準にして読んでしまい、当時の文化、思想、知識の視点を想像しながら楽しむというのが困難でした。そのあたり...
少なくとも概要は多くの人が知っているであろう本書。気まぐれに紐解きました。 古代ギリシャの賢人ソクラテスが被告となった裁判での彼の弁明とされるもの。 どうしても現代の法廷を基準にして読んでしまい、当時の文化、思想、知識の視点を想像しながら楽しむというのが困難でした。そのあたりをもう少し勉強し直す必要を感じました。 現時点での感想としては、「裁判ごっこ」の域を出ないと感じたのが正直なところ。被告ソクラテスと原告人の双方とも、真っ直ぐな議論ではなく、次元のズレた発言の応酬で、茶番です。古代においては、これも裁判なのでしょうね。 ソクラテスの弁明内容には理路整然とした美しさを期待していたのですが・・・。 矛盾を感じる箇所も散見されるので、史実に加えて作者プラトンの創作がかなり含まれている気がします。 「無知の知」のエピソードが代表的なところです。冷静に読むとやはり無理があり、ソクラテスを持ち上げるためのフィクションと思われます。現代でも当たり前のことですが、各分野のトップランナーとされる人物にはそれに値する知識、技術、実績があり、その道において非専門家よりも優れていることは否定しようがありませんので(人格の謙虚・傲慢は知・無知とは別問題)。 名著と言われる本書ですので、私の哲学の素養をもっと練ることで味が出てくるはず・・・
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ソクラテスだよと思ってたらソクラテスについてプラトンが書いたなんと創作物みたいなやつだった!だからこれは実質プラトンかも!!! 濡れ衣着せられたソクラテスですが結局死刑になっちまったよ〜な話 書いてるのは弟子のプラトンね。ソクラテスを陥れた奴は結局何かを得れたのかな。 自分は...
ソクラテスだよと思ってたらソクラテスについてプラトンが書いたなんと創作物みたいなやつだった!だからこれは実質プラトンかも!!! 濡れ衣着せられたソクラテスですが結局死刑になっちまったよ〜な話 書いてるのは弟子のプラトンね。ソクラテスを陥れた奴は結局何かを得れたのかな。 自分はそんなことしてないけど、あれこれ言い訳すんのもアレだし、己を貫き通して死にすら殉じるぜ!みたいなのよくこの界隈で見る気がする。己の矜持や誇りがすごくて、かっこいい生き様ってこういうのを言うんだろうな〜と思ったりした。私もこうなりたい! あとびっくりしたんだけどプラトンとソクラテスってめちゃ歳が離れてるんだね。 プラトンが20代の時にソクラテスは70歳で死刑になっちゃうし。でもプラトンが12歳の時にソクラテスと知り合ったらしいから、そこから素晴らし教えや影響を受けていたのかな〜と思う。 私も色々読んで哲学を味方につけたいなと思う。
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「息のつづく限り、可能な限り、私は知を愛し求めることをやめません」 「毎日議論をすること、これはまさに人間にとって最大の善きことなのです。」 最後のところはソクラテスの呪詛のように感じた。今も我々がソクラテスの呪い、哲学の中にいるように。 でもある意味、ソクラテスがあそこで死刑と...
「息のつづく限り、可能な限り、私は知を愛し求めることをやめません」 「毎日議論をすること、これはまさに人間にとって最大の善きことなのです。」 最後のところはソクラテスの呪詛のように感じた。今も我々がソクラテスの呪い、哲学の中にいるように。 でもある意味、ソクラテスがあそこで死刑となったからこそ我々が今も哲学しているとも言える。終わらなかったからこそ。 ソクラテスの子らよ。
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初めはこのような裁判形式の話だと思わず、斬新で何より語り口調だったのは読みやすいと感じる大きな点だった。語り口調だとはいえ内容や語彙は難しく、新しく学ぶことができた。無知を知っているのではなく無知であることを分かっているというのが正しいニュアンスだったことは驚いた。哲学書は初めて...
初めはこのような裁判形式の話だと思わず、斬新で何より語り口調だったのは読みやすいと感じる大きな点だった。語り口調だとはいえ内容や語彙は難しく、新しく学ぶことができた。無知を知っているのではなく無知であることを分かっているというのが正しいニュアンスだったことは驚いた。哲学書は初めてだったので他の本も読みたいと感じた。
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プラトンはなぜ「ソクラテスの弁明」を書いたのか? ソクラテスの無実を訴えたいのだとすると、普通にソクラテスの無実を訴えればよい。つまりいかに嫌疑が誤っていたか、裁判員がなぜ判断を誤ったかについて書けばいい。 プラトンの選択は異なる。訳者によると「ソクラテスが裁判で実際に語っ...
プラトンはなぜ「ソクラテスの弁明」を書いたのか? ソクラテスの無実を訴えたいのだとすると、普通にソクラテスの無実を訴えればよい。つまりいかに嫌疑が誤っていたか、裁判員がなぜ判断を誤ったかについて書けばいい。 プラトンの選択は異なる。訳者によると「ソクラテスが裁判で実際に語った内容の記録ではなく、また、その言葉の忠実な再現でもない。ソクラテスの裁判とは何だったのか、ソクラテスの生と死とは何だったのかの真実を、「哲学」として弁明するプラトンの創作」だという。 プラトンはソクラテスの弁明によってというより、その死から哲学的な刺激を受けたのだ。ソクラテスが無罪放免になっていたら、プラトンはこの本を書いていなかったかもしれない。生・成功・無罪放免は、死・失敗・死刑と比べれば哲学的な深みが皆無だからだ。プラトンはソクラテスの発言自体以上に、死に対して哲学的に欲情し、哲学のオカズにしたのである。 なんか私はこの姿勢に関心してしまった。多分ソクラテス界隈では許されていた態度なのだと思う。どんなことも主観やしがらみから切り離して哲学することが、哲学者として求められた態度だっただろう。だからソクラテス本人はプラトンの哲学的欲情を知っても怒らなかっただろうし、逆の立場だったら今度はソクラテスが「プラトンの弁明」を書いただろう。しかしソクラテスが殺されたのは、ソクラテスにもこういう不謹慎さがあったかなと思った。 この本を存在させ、ソクラテスの死を以降2000年に渡り哲学的オカズにし続けたという意味で、プラトンは歴史に残る変態である。 弁明の有効性自体は「お前何余計なこと言っとんじゃい」というところもあれば、かなり強い議論を展開していたところもあったが、普通の感覚からすれば原告の主張の有効性が完全に棄却されたのだから、ソクラテスは無罪になったはずだ。有罪になった理由は何だったのだろう。この主題は多分古今東西、色んな人の創作意欲を掻き立てたはずなので、今後読んでみたい。
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ソクラテスが語る「無知」とは、単に知らないことではなく、私益や欲にとらわれ、自ら進んで見ようとしない態度。 人は欲望や立場に飲み込まれると、あえて真実から目をそらし、無知を選んでしまう。だからこそソクラテスは「自分が無知であることを自覚する」ことの重要性を説いたのだと思う。 ...
ソクラテスが語る「無知」とは、単に知らないことではなく、私益や欲にとらわれ、自ら進んで見ようとしない態度。 人は欲望や立場に飲み込まれると、あえて真実から目をそらし、無知を選んでしまう。だからこそソクラテスは「自分が無知であることを自覚する」ことの重要性を説いたのだと思う。 現代でも、自分の利益や欲ばかりを優先する場面は多い。その中で「知らないことを知らない」と認める姿勢を持つことが、人として誠実に生きるために大切だと感じつつ、バカを演じる方が得をするのは現代でも同じだなと感じた。
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この本を読んでいるあいだ、私はまるで紀元前のアテナイにいて、法廷の片隅からソクラテスの言葉を傍聴しているような気持ちになった。論理や言葉の力で彼が人々に語りかける姿に引き込まれ、ページをめくる手が止まらなかった。 解説を読みながらでなければ理解できない部分もあったが、それでも彼...
この本を読んでいるあいだ、私はまるで紀元前のアテナイにいて、法廷の片隅からソクラテスの言葉を傍聴しているような気持ちになった。論理や言葉の力で彼が人々に語りかける姿に引き込まれ、ページをめくる手が止まらなかった。 解説を読みながらでなければ理解できない部分もあったが、それでも彼の思想の核は強く響いてきた。とくに印象に残ったのは、「知らないことを恐れる必要があるのか?」という問い。人は死を恐れるが、それは“死”を知らないからであって、本当に恐れるべきことなのか? もしかしたら、死は良きものかもしれない――そんな風に、未知を恐れずに、自らの信念に従って生き抜く姿勢に心を揺さぶられた。 ただの哲学者の言葉というよりも、「命を賭けて真理を語る人間」の言葉を目の前で聞いたような、そんな読書体験だった。
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有名すぎる本作、ようやく手に取って読破。 無知と不知の違いについては目から鱗だった。日常において、知らないことを知らないと自覚する事は、実は現代人の私たちも大多数が出来ていないように感じる。 インターネットが普及し簡単に事物を調べられるからこそ、この本の価値が増しているように思う...
有名すぎる本作、ようやく手に取って読破。 無知と不知の違いについては目から鱗だった。日常において、知らないことを知らないと自覚する事は、実は現代人の私たちも大多数が出来ていないように感じる。 インターネットが普及し簡単に事物を調べられるからこそ、この本の価値が増しているように思う。
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