ピダハン の商品レビュー
ゆる言語学ラジオの紹介から 未知の言語の理解のプロセス、その中で体得したピダハン文化への理解、他の言語論との衝突、衝撃の終章 まさに目から鱗の連続だった。 文明文化への適応が人の悩みの源泉ではという著者の指摘はすごく納得するけれど、おいそれとその枠から出る勇気のない自分にとって...
ゆる言語学ラジオの紹介から 未知の言語の理解のプロセス、その中で体得したピダハン文化への理解、他の言語論との衝突、衝撃の終章 まさに目から鱗の連続だった。 文明文化への適応が人の悩みの源泉ではという著者の指摘はすごく納得するけれど、おいそれとその枠から出る勇気のない自分にとっての解はどこにあるのか。。 ただ、この一冊からも著者がいろいろありつつもピダハン同様生き生きと暮らしている雰囲気を感じ、これが本の力になっているのだと思う。ピダハン同様、直接体験に裏打ちされた力強さ
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最近YouTubeでハマっているゆる言語学ラジオでも紹介されていた本。アマゾンの少数民族ピダハンの文化と言語について、伝道師である著者のフィールドワークを基に記述されている。 著者が現地で活動する際、文化・環境の大きな違いに戸惑いながらも、なんとか頑張っていく様は、ある種冒険譚...
最近YouTubeでハマっているゆる言語学ラジオでも紹介されていた本。アマゾンの少数民族ピダハンの文化と言語について、伝道師である著者のフィールドワークを基に記述されている。 著者が現地で活動する際、文化・環境の大きな違いに戸惑いながらも、なんとか頑張っていく様は、ある種冒険譚を読んでいるような気分だった。ただ、厳しい環境である現地に妻子を連れて行くのは、正直理解し難かった(これは日本人とアメリカ人の文化の差なのだろうか)。 著者は、ピダハンの言語には、普通の言語なら大抵備わっている筈の数や色等を示す単語がないと指摘しており、特に文法においてリカージョン(再帰)がないことを強調している。ボクはそこまで生成文法に詳しくなく、またピンカーの「言語本能論」も読んだことがないのだが、著者によると、リカージョンの欠如は、チョムスキーの普遍文法の逸脱であるとされる。それから、著者は今次言語学で主流となっている生成文法に対し批判を展開している。 確かに、ピダハンのリカージョンの欠如は興味深い現象ではあるものの、それだけで生成文法の誤りを証明できるものでもないような気がする。 そもそもリカージョンが人類普遍の文法要素であるということを初めて知ったわけだが、素人感覚として、まず生成文法のこの定義の仕方に若干無理があるような感じもある。帰納法を基にする構造主義からのパラダイムシフトとして、演繹法による生成文法が持て囃されたわけだが、構造主義が好きなボクにとっては、生成文法はその有用性こそ理解できるものの、無理矢理理論に当て嵌めようとしている感が好めなかった。また、その根本の理論は構造主義を引き継いでいるものも多い。 今回のピダハンの事例は、演繹法としての生成文法に対する強い批判にはなるだろうが、構造主義の価値観では大きな矛盾にはならない気もした。 とはいえ、素人言語学徒にも分かりやすいような説明があり、とても面白い本だった。
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面白かった。 自分探しの旅を成功させた人。 前半は小説を読んでいるようなワクワクを感じ、後半は言語学に関してなんとなく知ることができた。 前半を読んでいて、キリスト教も出張歯医者もピダハンには不要ではないか?と思った。彼らは今の状態で満たされていて、豊かになったり賢くなったり...
面白かった。 自分探しの旅を成功させた人。 前半は小説を読んでいるようなワクワクを感じ、後半は言語学に関してなんとなく知ることができた。 前半を読んでいて、キリスト教も出張歯医者もピダハンには不要ではないか?と思った。彼らは今の状態で満たされていて、豊かになったり賢くなったりする必要性を感じていないのではないか?むしろ、中途半端に知識が入ってくることで不幸になるんじゃないか?と不安だった。 けれど、後半で、ピダハンでの経験からキリスト教を信じられなくなったのは驚いた。ピダハンには必要ないどころか、自分にとっても必要ないと思う程の経験だったということだ。 筆者も書いているが、豊かだけどストレスフルな生活と、必要十分だけどストレスフリーな生活、どちらが良いんだろうと月並みなことを考えてしまう。 日本の便利な生活を知っている私はアマゾンで暮らせないけど、都心から一度くらい離れてみるのも人生に必要かもしれない。
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かなりおもしろい。 「ゆる言語学ラジオ」で取り上げられており、読んだ。 不安や心配やしんどいことを思い悩むときに、読むといいかもしれない。それくらい、常識というものを吹っ飛ばされるので、ついでに悩みも吹っ飛んでくれるかもしれない。 アマゾンの少数民族ピダハンと30年以上ともに暮...
かなりおもしろい。 「ゆる言語学ラジオ」で取り上げられており、読んだ。 不安や心配やしんどいことを思い悩むときに、読むといいかもしれない。それくらい、常識というものを吹っ飛ばされるので、ついでに悩みも吹っ飛んでくれるかもしれない。 アマゾンの少数民族ピダハンと30年以上ともに暮らしながら、その言語と文化を研究した男の、研究成果といった本である。著者は言語学者であり、キリスト教の伝道師でもある。 言語学として、宗教学として、人類学として……。さまざまな観点から書かれているのでひとまとめに感想を書くのが難しい。学術的な用語も出てくるが、めちゃくちゃ難解というわけではない。 しかし、やはりとにかく、特筆すべきはピダハンたちの文化だ。いや、彼らの文化と、われわれの文化の相違に、感じ入るところがある。 わたしたちが常識と思っているものが、どれだけ地域や時代にとらわれた一時的なものであるのかを教えてくれる。 ピダハンの文化や美徳とするものを端的に表すと、「直接体験のみを重んじる」ことだ。会ったことのない人間から聞いた話は信じないし、そもそも関心がない。外部の知識も聞くことは聞くが、自分たちの生活に真剣に取り入れることはない。 (その点が、一般的に想像できる人間集団と大きく異なるところだろう。普通、自分たちの文化を大切にしながらも、外部の知識や便利な物品は手に入れたいと考えるものだ) だから、著者がイエス・キリストの素晴らしさを説くとき、ピダハンたちは「会ったことがなく顔も知らない人間の言葉を信じているの?」と言う。 彼らは福音や奇跡の内容を理解できないわけではない。むしろ、説明するとしっかり理解している。その上で、「それはあくまで、あなたたちのストーリーだ。ピダハンには必要ない」と一貫した態度をとる。 著者は言語学者でもあるので、「実証」の大切さを身に染みて知っている。あるとき彼は気がつく。実証の大切さを重んじてきた自分が、こと信仰においてのみ、実証を軽んじていたことに。 天使も奇跡も処女懐胎も、そのどれもが、実証とはかけ離れたものであった。 著者はこれまで、無神論者や不可知論者たちとも、多く対話をしてきたという。シカゴのストリートで説教したこともあるという。きっと、神なんているわけないよ、という言葉も多く聞いただろう。それでも彼は自分が信仰によって救われた直接体験をもとに、アマゾン奥地へ赴き、ピダハンに信仰を説く。そして引き裂かれる。心の奥底にあった小さな疑問が、アマゾンで爆発したのだろう。 「イエスって誰やねん、会ったことないんやけど」。このシンプルな反応に対し、著者はついに反論できなくなる。 ピダハンには「心配する」にあたる語彙がないという。いま食べるものがないことを嘆かない。それは、自らの狩りの技術や、良質な狩場を知っていることの自信の現れでもあるだろうし、人生をあるがままに受け入れることの美徳を信じているからだとも思う。 著者自身、ピダハン以外でも20以上の部族を調査したらしいが、ピダハンたちほど幸せそうな人たちはいなかったという。 ただし、「ピダハン最高」と一方的に断定する本ではないし、ピダハンが完璧な存在であると言っているわけでもない。 彼らは数字や計算を用いないので、たまにやってくる交易商人にうまく騙されているのではないかと疑っているし、商人にもらった酒を飲んで暴れ回ったりもしてしまう。また、医療技術がほとんどないので、マラリアにかかればほとんど死ぬしかない。赤子の死亡率は西洋人に比べてかなり高いし、平均寿命はずっと短い。 文化や価値観は一長一短だ。しかしそれらを差し引いても、彼らの幸福そうな様子というインパクトは大きい。 単純な物差しで文化や価値観を比較することの浅はかさを、あらためて理解させられる。 まだまだ書きたいおもしろいエピソードが大量にあるのだが、キリがない。 たとえばピダハンは、空の世界、地面の世界、地面の下の世界、いう風に、宇宙を「スポンジを重ねたケーキ」のように信じており、その境界を「ビギー」なる言葉で表現するのだが……やはりキリがない。 本を読むのが面倒な人には、ゆる言語学ラジオをオススメする。
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70%くらいまでは、アマゾンでの生活・トラブル・ピダハンの生活様式や言葉の特徴等についての章が続く。 個人的に文化人類学は好きな分野でもあり、とても読みやすかったのと、エヴェレットの描写が具体的で自分もアマゾンに居る事が想像できるくらい読んでいて楽しかった。 70-90%あたりは...
70%くらいまでは、アマゾンでの生活・トラブル・ピダハンの生活様式や言葉の特徴等についての章が続く。 個人的に文化人類学は好きな分野でもあり、とても読みやすかったのと、エヴェレットの描写が具体的で自分もアマゾンに居る事が想像できるくらい読んでいて楽しかった。 70-90%あたりは、ピダハン語を言語学観点から分析し、今までチョムスキーが述べている論旨を覆すことになるのでは?という話や、音声学の話が詰め込まれている。少しは言語学には興味はあったものの、言語学の知識があまりなかったため、完全に理解し、楽しむことができなかった。(いつかチョムスキーのことも調べた後にリベンジしたい。) 90%以降の部分は、エヴェレットの本来の目的であるキリスト教布教についてのエピソード。ここも、文化の違いによりエヴェレットが感じることがありありと書かれていて、とても楽しかった!
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文化と言語によって自分(人間)の思考回路が作られているというのは感じていても、この本の中で何度も自分の言語に関する常識をひっくり返された。 「直接体験の原理」。ピダハンが未開の地の原住民族ではあっても、彼らを魅力的にするのは全てこの原理なんだって最後にストンと来るのはとても面白い...
文化と言語によって自分(人間)の思考回路が作られているというのは感じていても、この本の中で何度も自分の言語に関する常識をひっくり返された。 「直接体験の原理」。ピダハンが未開の地の原住民族ではあっても、彼らを魅力的にするのは全てこの原理なんだって最後にストンと来るのはとても面白い。 言語学としても面白いし、前半のピダハンの文化も面白い。ずっと著者の話に爆笑させられながら読める。 まだ自分の言葉に落とし込めるほどこの本を理解しきれてないのだと思うけれど、信仰や文化などと言語の関係性など、自分の思考原理となる大部分を理解するヒントがこの本にあるって思ってるし何回も読みたい。
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アマゾン奥地の人が、どんな生活をして何に価値を置いて、どう生きているのか。 私の知らない世界があるということ、 不便な生活なようで、実は彼らは本当の幸せを手に入れているということ。 私たちは便利なものを手に入れた代わりに失っているものがあることに気がつかなければならないのかもしれ...
アマゾン奥地の人が、どんな生活をして何に価値を置いて、どう生きているのか。 私の知らない世界があるということ、 不便な生活なようで、実は彼らは本当の幸せを手に入れているということ。 私たちは便利なものを手に入れた代わりに失っているものがあることに気がつかなければならないのかもしれません。 言語学の専門的な内容が多く、素人の私には難しい部分もたくさんありました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
宣教師であった著者が、アマゾンのジャングルに住むピダハン族の生活、世界観、言語について語っている本。後半はピダハン後が言語学に与えた大きな影響、その特異性について取り上げられている。 儀式もない、神や創造神話もない、生活を向上させる意欲も、罪の意識も、数や左右の概念も、過去形・未来系の語りもない、彼らにはただ眼前のジャングル生活の現実がある。超自然的な観念が一切ないというわけではなく、聖霊の存在は認めるが、それも実際に見えている・言葉で交流をする現実のものとして実在しているのである。過酷ながらもその生活は笑いに満ち、不安にさいなまれるものはいないという。まるで、聖書の「野のゆり」のような暮らし!福音を一切必要とせずに幸せに生きるピダハンと暮らすことで、著者は最終的に無神論者になってしまうのだから、皮肉な話だけど。 福音は苦しむ人間を救うものではあるが、彼らには救われるべき不幸はそもそもなかったし、信仰なしに隣人愛と喜びの生活を実践できていた。神の意思によってピダハンに「遣わされた」はずの宣教師が自らの信仰の意義を見失ってしまうのも無理のないことではあるだろう。 困難は自分自身の力で切り抜けることが当たり前という価値観で、難産の産婦を見殺しにしてしまったりもするのだが、誰かに依存したり人を妬み恨んだりということもない。でもピダハン同士は村全体がとても親密であり、(助かる見込みがあるのなら)窮地にある同族を助け合うのも当然のこと。この辺りのバランスがすごい。もちろん手放しでピダハンは素晴らしい民族だなどと言うことはできないけど、精神の安定がこんなに強靭な暮らしがあるんだなと驚いた。 後半で触れられている、言語は文化と切り離せないものであり、文法的事項も言語が使われている・いた文化の制約と人間の認知とが生み出したものである…という言説も今では違和感なく受け取られるような印象だが、それもこのピダハン論争あってのことなのだろう。
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著者がアマゾンの奥地で体験するピダハンとの日々はリアルなドキドキワクワクの冒険話。また言語や文化という観点から世界の見え方、幸せとはなんだろうと考えてさせてくれる哲学とか宗教的なな話にも繋がってくる。哲学とか宗教は人生の苦難を知ってる人が諭してくれるもののイメージがあるが、人生に...
著者がアマゾンの奥地で体験するピダハンとの日々はリアルなドキドキワクワクの冒険話。また言語や文化という観点から世界の見え方、幸せとはなんだろうと考えてさせてくれる哲学とか宗教的なな話にも繋がってくる。哲学とか宗教は人生の苦難を知ってる人が諭してくれるもののイメージがあるが、人生に満足しているピダハンとの体験を通じて幸せってこういうことなのかなの思えることが、変に身構えずそうかぁって思えるので爽やかで現実的なことに思える。
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言語学者の著者が、アマゾンの原住民族から言葉と哲学学んだ記録。言葉というのはその人の生きる世界を表していて、知れば知るほど面白いものだなと思う。世界の捉え方はひとつじゃなくて、どちらが正しいと決めつけることなんてできないから、色んな見え方感じ方、角度があるんだと知るのは大切だなぁ
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