ピダハン の商品レビュー
言語学者であり、キリスト教の伝道師でもある著者は、アマゾン奥地に住むピダハンと呼ばれる民族の村を訪れます。 目的は伝道と、そのための言語研究。(ピダハンの言葉はかなり特殊で、近い関係にある言語がない上に、その他の言語;ポルトガル語や英語が全く通じません。伝道のためには、かなりの時...
言語学者であり、キリスト教の伝道師でもある著者は、アマゾン奥地に住むピダハンと呼ばれる民族の村を訪れます。 目的は伝道と、そのための言語研究。(ピダハンの言葉はかなり特殊で、近い関係にある言語がない上に、その他の言語;ポルトガル語や英語が全く通じません。伝道のためには、かなりの時間をかけて、まずは言語を習得する必要があるのです。) 現地での生活ぶりや、ピダハンの文化についての記述は興味深く、言語研究に関する専門的な内容も意味深いもののように感じます(ここは専門的すぎて、私自身は流し読みしかできず) が、最も面白く感じたことは、そもそも神を信じず、かなり「現実的」な思考をするピダハンの文化や思想を深く理解するに至った著者が、最終的にキリスト教信仰をやめてしまうことでした。 ピダハンは、実際に知っている人の言葉しか信用しないし、自分が経験したことしか語りません。精霊信仰のようなものはあるのですが、宗教とはまた違うようで、会ったこともない神やイエスの言葉を信じ、言い伝えるなんていう「迷信」は受け入れられないというわけです。 また、例えば「不安」を示すような言葉もありません。お礼や謝罪を表す言葉もありません。できることはお互い手伝えばいいし、できないことはできない、といったところでしょうか。人の死に対しても極めて現実的、すべての人はいずれ死ぬのだという前提に基づき、死者を弔う行事すらないそうです。 厳しいアマゾンの自然の中での、現実的な暮らしの中の、現実的な思考。 いつ死ぬかわからない。だからこその現実的な思考なのでしょうか。 しかしこれは、目に見えぬ将来や世間といったものに惑わされ悩む私たちの、生き方のヒントになると、全編通じて感じました。 平均寿命はアメリカ人の半分ほど(というと、40歳〜せいぜい50歳くらいでしょうか?)、原始的な厳しい暮らしをしているにもかかわらず、ピダハンたちはとても明るく、幸せそうにしているといいます。著者をはじめとする、外部の人間が持ち込む先進的な道具や機会に対しても、一部を除いてほとんど興味を持たないそうです。自分たちの文化はあくまで自分たちの文化、よそと比べて悩んだり羨んだりといった概念もないということでしょうか。 さらに興味深かったのは、日本人である私にとっては、こういったピダハンの考え方よりも、キリスト教信仰のほうがさらに理解しづらいことなんだなぁと感じたことです。 (当時は)信心深いキリスト教信者である著者の視点で書かれた文章であるにもかかわらず、その観察対象であるピダハンの感じ方考え方のほうが、むしろ自然に受け入れられるという読書経験。 ピダハンの暮らしや文化は、先進国の私にとっては十分珍しく、厳しそうに感じたにも関わらず!です。 ごく一般的な日本人と同じく、仏教や神道に触れる機会を持ちながら、特に信仰心もない私は、しかし、無宗教だとも考えていません。 お天道さまが見てるよ、といった感覚、あらゆるモノに神が宿るといった感覚は、私はの感性や思考に染み付いていて、それが私にとっての宗教心なのかな、と考えています。 が、著者のような、「本当の(?)」信仰心を持った人からすれば、限りなく無宗教であり、不思議な世界観を持った人種に属するのかなぁと考えたりしました。
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新聞の書評で見かけて面白そうだと借りてみたが、期待以上だった。 アマゾンの奥地に住む民族「ピダハン」にキリスト教伝道のため入り込んだ著者。もともと言語学者でもあり、聖書をピダハン語に翻訳する、という目標もあったようだ。 まず、現代日本やもちろん著者の国アメリカからは想像だにで...
新聞の書評で見かけて面白そうだと借りてみたが、期待以上だった。 アマゾンの奥地に住む民族「ピダハン」にキリスト教伝道のため入り込んだ著者。もともと言語学者でもあり、聖書をピダハン語に翻訳する、という目標もあったようだ。 まず、現代日本やもちろん著者の国アメリカからは想像だにできないような苛酷なジャングルの暮らしに、伝道のために家族で(幼い子供を3人連れて)飛びこむというそのエネルギーに仰天。 著者の学者としての探究心とか、奥さんがそういう未開の暮らしをいとわない成育環境にあったというのも大きな要因だったとは思うが、私のような信仰心皆無の人間からは、まずもって信じがたい。 学術的な記述ももちろんあるが、半分はピダハンとの暮らしのなかで繰り広げられる数々のエピソードで、これがまた驚くべきというか、非常にユーモラスというか、信じられないというか。 ピダハンの人々の、徹底した自分たちの文化への誇りと、生きることへの真摯さと、何ものにも惑わされない信念に溢れたエピソードが満載なのだ。 陳腐なのを承知で言えば、とにかく面白い。 そして、いかに現代文明に生きる人々が、知らず知らずのうちに自分たちの文化を最良とし、少数民族に押し付けようとする傲慢さの中にいるかということも思い知らされる。 それをはねつけるピダハンの人々の逞しさ、清々しさといったら、痛快なことこの上ない。 なんと、著者はそもそも伝道が目的であったはずが、彼らと共に暮らすにつれ、とうとう信仰を捨ててしまったという(ついでに家族とも訣別してしまったらしいが)。 最終章で語られるその著者の気持ちの変化は、非常によく理解できるというか、納得がいくというか…私のような、特段の信仰心を持たない日本人には、きっと得心がいくのではないだろうか。 反面、キリスト教や、篤い信仰心を持つ人々からは驚くべき信じられないような告白なのだろうと思うと、文化や信仰、生まれ育った環境の違いがもたらすものの大きさについて、考えずにはいられない。 文化が言語やその文法に及ぼす影響について、ピダハン研究を通して、それまでの言語学の通説を覆すほどの大きな議論になっているらしいが、学術的な側面は私にはよくわからない。 それでも、私のように単に体験記のように読んだとしても、とにかく胸躍る、エキサイティングな、わくわくする、本当に楽しめる、素晴らしい傑作です。 星10コ付けたいくらい。 多分、私が今までに読んだ本の中で、間違いなくベスト3に入る。
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話者400人未満の、アマゾン奥地の隔絶した言語への探究が明らかにする、文化の尊厳に気づかされる。福音伝道者として言語を学んでいった著者が、やがて信仰を失ってしまうという結果は皮肉ではあるが、多くを考えさせる余韻を残す。
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