飼い喰い の商品レビュー
ああ、生きていて良かった。 これを読むために生きてて良かった。 それくらい面白い本。 農業とか、食とかに興味のある人は読んでいて楽しくてしょうがない本だと思う。
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筆者が3匹の豚を飼い、屠り、食べるまでのルポルタージュ。とても面白い。作者の豚を見る目が、優しく、しかし客観的で、そしてかなりユニーク。他の作品も読んでみよう。
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「♪三匹の子豚」と言えば我々の世代的には懐かしのNHKの「ブー、フー、ウー」だが、著者・内澤洵子にとっては「夢、秀、伸」の三匹だ。三元豚の夢はいじめっ子で、何時も伸がエサを食べようとするのを邪魔する。中ヨーク種の伸は体の大きいヨークシャー種なのに気が弱い。デュロック種の秀は二頭の...
「♪三匹の子豚」と言えば我々の世代的には懐かしのNHKの「ブー、フー、ウー」だが、著者・内澤洵子にとっては「夢、秀、伸」の三匹だ。三元豚の夢はいじめっ子で、何時も伸がエサを食べようとするのを邪魔する。中ヨーク種の伸は体の大きいヨークシャー種なのに気が弱い。デュロック種の秀は二頭のやりあいにも我関せずで一心不乱にエサを食べる。 「飼っている豚に名前を付けちゃったんだぁ」と呟くのは近所の養豚場の人。食べるつもりなら名前付けると情が移るから駄目とたしなめ、「昔、軒先で飼っていた豚でも潰す時は近所の豚と交換していたもんだ」と語る。そう、内澤がこの三匹を飼う目的は潰して食べるためなのだ。 どうせ飼うなら最初からと、貰い受ける豚の子を得るために種付けから参加。交配する豚の生態について次々と疑問をぶつけるが逆に養豚場の人に「女のひととこういう話をしたことがないから」と恥ずかしがられ、人口受精では何頭もの種豚の精子を混ぜて種付けするところに驚く。出産に立ち会い、更には雄豚の去勢まで自ら手掛ける。そして三匹の豚を飼う為に千葉の東部にかなりうらびれた一軒家を借り、予算が無いからと豚小屋も手伝ってもらいながらも自分で造り、ついでに雨漏りまで修理。そしていよいよ3匹の子豚がやってきた。 基本的に豚は平均で115Kg超前後にまで育てたところで出荷できるが生育期間は約半年という。即ち、夢・伸・秀の三頭とこれから約半年間に及ぶ飼育に入る訳だが、兎に角も型破りの体験記。三頭と一緒に暮らすその一挙手一投足が楽しめるだけでなく、普段何気なく食べている豚肉がどのような経路を辿って我々の口に入るのか、養豚業とはどうなっているのかを余すところなく伝えている。 それにしても、良くぞ「豚を飼って、潰して、食べる」という突拍子もない企画を思い付いたもんである。とても思い付きだけでは実現できなかったはずだが、それもこれも前著「世界屠畜紀行」取材で培った養豚場、屠殺場などの人脈の賜物だろう。「世界屠畜紀行」は残念乍ら買っていたものの読んではいなかったのだが、これも含めて内澤の作品をやはり読まなきゃダメだなと反省。なんたって宮田珠己・高野秀行と並ぶエンタメ・ノンフの旗手なのだから。
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名作ルポルタージュ『世界屠畜紀行』の前段に相当する、種付けから飼育、そして屠畜から食べるにいたるまでの体験ルポ。 改めて”いのち”というものを考えさせられるし、”いきる”ために必要な食の問題についても考えさせられる。 ふだん無自覚に食べている食肉だって穀物だって、元は”いのち”で...
名作ルポルタージュ『世界屠畜紀行』の前段に相当する、種付けから飼育、そして屠畜から食べるにいたるまでの体験ルポ。 改めて”いのち”というものを考えさせられるし、”いきる”ために必要な食の問題についても考えさせられる。 ふだん無自覚に食べている食肉だって穀物だって、元は”いのち”であり、それを食することで自分の”いのち”を存えさせる。けれどいずれは自分もだれかの”いのち”の元になっていく…。 そう考えると、けして食物を疎かにしてはいけないし、敬う気持ちを忘れてはならないといえるだろう。
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内澤さん、素敵です。 屠畜場のルポのやつ(書名を忘れました)を読んでいたので、きっとこれも面白いだろうと読む前から安心していました。 期待通りです。よかった。 そして美味しそうで、たまらん。
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豚に名前をつけて育て、そして殺して食べたいと思い、困難を乗り越えて実行していくドキュメント。 豚たちと著者の間に出来た奇妙な絆と、そして本を通じて会ったこともない僕にもその絆が出来てしまったかのような気持ちにさせられます。それを食べる。憧れとも嫉妬とも批判ともつかない、不思議な、...
豚に名前をつけて育て、そして殺して食べたいと思い、困難を乗り越えて実行していくドキュメント。 豚たちと著者の間に出来た奇妙な絆と、そして本を通じて会ったこともない僕にもその絆が出来てしまったかのような気持ちにさせられます。それを食べる。憧れとも嫉妬とも批判ともつかない、不思議な、流れるような感覚です。ほとんど出てこない著者のお母さんのインパクトと、そこへの収斂(ではないが)で急に現実に戻る。肉を喰う全ての人に。
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同じ飼い食いした者のひとりとして、とても共感できました。 かなり似たような思考や感情のプロセスをたどるんだなと改めて…。 目をそらさず、向き合うことを忘れないでいようと思います。
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自分で3匹豚を飼い、名前を付けて可愛がり、最後は屠殺して食べるまでのルポルタージュ。 毎日食べてるお肉はこうやって、見目愛くるしい動物たちを殺して作られてるものなんだなあと改めて。感謝しなければ。
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何気に並エンドで並べられていて、何となく心惹かれて買ってしまった1冊。 積読がイヤになるぐらい溜まっているのに、なんとなく読みたくて。 世界各地の屠殺場を取材してきた著者が「肉になる前を知りたい」との思いで三匹の子豚(受精から知っている三匹)を飼い育て最後には喰らう、という豚へ...
何気に並エンドで並べられていて、何となく心惹かれて買ってしまった1冊。 積読がイヤになるぐらい溜まっているのに、なんとなく読みたくて。 世界各地の屠殺場を取材してきた著者が「肉になる前を知りたい」との思いで三匹の子豚(受精から知っている三匹)を飼い育て最後には喰らう、という豚への愛が溢れるルポ。 著者は三匹の豚にそれぞれ『伸』『夢』『秀』と名前をつけて育てるのだが、協力をしてくれる畜産家の方々からは名付けに反対される。反対の理由は「名前をつけると愛着が湧いて食べられなくなるから」と。 本書を読むと、どうもそれは日本的な考え方らしい。 世界中の屠殺場を見てきた著者によると、屠殺場内に畜霊碑があるのは日本だけ、だそうだ。 それでふと思い出したのが、中学時代の家庭科授業で見せられた1本のVTR。 ドイツ?のとある農家で飼われていた豚が子供を含む一家総出で屠畜されソーセージを作る、という内容。(ソーセージ作りの授業でした) 小さな子供も当たり前のように屠畜を手伝っていた事にビックリした記憶がある。 生き物を殺し食べる事が『罪悪を感じつつ』なのか、それとも『食べる為に育てたから全てを喰らう』なのか。 そういう文化の違いが【畜霊碑】という形で現れるのだろうか。 ふと思ったんだけど『声以外は全て食べる』と言われる沖縄に【畜霊碑】は存在するのだろうか? 私を含めて日本人はイカとか魚の活き造りは喜んで食べるくせに、ほ乳類になるとからっきしダメになる傾向がある。 私も肉は好きだしモリモリ食べれるけども、自分が育てた豚を食べる事ができるかというと…わからない。 我が家の扶養家族(金魚)が食べられる魚だったとしても、間違いなく食べない。愛玩として飼っているから食べられない。んじゃ最初から食用として飼ってたら食べられる?という問いには…? わからない。答えられない。 自分で育てた、ものすごく愛情を注いで生活のすべてを注いで育てた豚を喰らう。 ただそれだけ、なんだけれども。 凄い1冊だった。
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