中国化する日本 の商品レビュー
タイトルだけでだいぶ損をしているような本なのでできるだけ広く読まれて欲しいと思う。中国の世界観について理解が深まったし、日本の時代割、特に江戸について斬新な視点を得ることができた。
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物々しいタイトルではあるが、歴史の大局を論理立てて整理しており、新鮮な切り口もあり、興味深い。 ただ、『中国化』と『江戸時代化』と、単純に二元論化するところは、やや無理があり、腹落ちしないところも多々あり。 『中国化』が新自由主義的発想で、今後の日本の在り方をそこに求めるべし、と...
物々しいタイトルではあるが、歴史の大局を論理立てて整理しており、新鮮な切り口もあり、興味深い。 ただ、『中国化』と『江戸時代化』と、単純に二元論化するところは、やや無理があり、腹落ちしないところも多々あり。 『中国化』が新自由主義的発想で、今後の日本の在り方をそこに求めるべし、という前提も自分自身、納得感が低い。 新自由主義的な「中国化」、社会主義的な「江戸時代化」と二者択一ではなく、日本の伝統、文化、価値観を生かした、日本なりの第三の道があるはずで、それは中国化というよりは、西欧人の価値観に近いような気がする。 問題なのは、日本人が国家観を自分なりに考えることを放棄していることであり、本著が世にそれを問題提起をすることは意義あることだと思う。 幕末維新についていえば、 ・討幕のエネルギーは「次三男の不満」だけでなく、薩摩や長州などの新興富国強兵藩と幕府との貿易も含めた経済権を巡る権力闘争、という側面の方が重要な気がする。 ・明治新政府の岩倉使節団の成果が過小評価されていると思う。 確かに天皇の周りには儒学者がいたとはいえ、欧米の最新のノウハウを十分に消化した上で、(そのまま導入するのではなく)日本としてどう生かしていくのかに苦心があったと理解している。 (単に「中国化」を指向した、ということではなく) 以下引用~ 相手の信じている理念の普遍性を先ず認め、だったら他所から来たわれわれにも資格があるでしょうという形で権力の正統性を作り出すやり方が、宋朝で科挙制度と朱子学イデオロギーが生まれて以降の、かの国の王権のエッセンスです。 ・要するに、江戸時代の稲作普及によって、地元で自分の田んぼの管理さえきちんとしていれば、基本的に食べていけるという環境が整ったから、中国式の自由市場社会の魅力が薄れてきたのです。 ・ヨーロッパでは、家事の市場化(執事さんやメイドさんのこと)によって文字通りの「独身貴族」的な人生設計を可能にしたイギリス、アジアでは、イエの後継者を一人に絞り込むことでやはり多産の必要性を減らした日本が最初の罠を抜け、近代化をリードしたのだ、と見ることができるわけです。 ・近世日本というのは身分制社会でありながら、実は「身分が上のものがすべてを独占して、下のものにはなにもやらない社会」でなく、「身分が上のものが名を取る分、下のものが実をとる社会」だったのです。 ・天皇を中国皇帝並みの専制君主にするということは、つまり失政があったら天皇陛下ご本人の責任ということになりますから、当然、中国史の通り革命が起こって王朝交代ということになりかねない。
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これはただのエッセイ。「歴史観」というった体系だったものじゃあない。 キーワードの「中国化」とは「新自由主義化」と同義。著者本人の意識とは別に「体制順応のススメ」に堕している。本書は「新自由主義」による「東洋学」に対する「レイプ」。 近代日本の姿を「ブロン」と言う比喩で表す本書だ...
これはただのエッセイ。「歴史観」というった体系だったものじゃあない。 キーワードの「中国化」とは「新自由主義化」と同義。著者本人の意識とは別に「体制順応のススメ」に堕している。本書は「新自由主義」による「東洋学」に対する「レイプ」。 近代日本の姿を「ブロン」と言う比喩で表す本書だが、なによりも本書こそが「近代化論」と「市場原理主義」の「ブロン」。「ひも付き研究」が行き着く先がよくわかる一冊。 堺屋太一をはじめとした我が国の「新自由主義者」が「右翼ナショナリズム」に媚を売り、庇護され結託することで、「維新の会」を始めとする「奇怪なブロン」を生み出す助産士役を自ら買って出るなかで、「右翼ナショナリズム」に「批判」をあびせ、「右翼ナショナリズム」から独立した思考をまとまった形で表明した点では、日本の「新自由主義者」本としては異色。
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中国化する日本 面白い! これぞ読書の醍醐味と言えるような本。 頭をつかまれてグラングラン揺らされているような感覚で一気に読み終えた。これまでの既成の何か、脳みその一箇所を破壊してくれる。 著者も前書きで触れ、書中で何度も語っているが、「先の大戦をどう捉えるか」ということや「...
中国化する日本 面白い! これぞ読書の醍醐味と言えるような本。 頭をつかまれてグラングラン揺らされているような感覚で一気に読み終えた。これまでの既成の何か、脳みその一箇所を破壊してくれる。 著者も前書きで触れ、書中で何度も語っているが、「先の大戦をどう捉えるか」ということや「中国との関係をどうするか」といった類の本ではない。 それらの議論とは一線を画している。 これまでの歴史を「中国化」という観点から新たにとらえ直し、やさしい文体で語りかける。(言っていることは常に過激だが) この本の主張が歴史学では一般的なものなのか、(筆者はそう主張し、多くの参考本をつけている。)僕にはわからない。 しかし、自分の中の何かを変えてくれることは間違いない。 オススメ!
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「中国化」という単語とそれの対立概念である日本的な社会(特に江戸期の社会)という概念を軸にわが国の歴史を振り返った本。現代の歴史学における最先端の議論を平易な文体で読めることと、歴史を振り返り現代の様々な問題のヒントを得ようとしている点で有意義。加えて詳細に主張の出典を示している...
「中国化」という単語とそれの対立概念である日本的な社会(特に江戸期の社会)という概念を軸にわが国の歴史を振り返った本。現代の歴史学における最先端の議論を平易な文体で読めることと、歴史を振り返り現代の様々な問題のヒントを得ようとしている点で有意義。加えて詳細に主張の出典を示しているので、興味が出た所を読み進めることが可能。 ただ難点をいうと、筆者は根っからの学者なのか皮肉的な記述が多く、場合によっては気分を害する。さらに「中国化」の概念の定義が曖昧でよくわからない。ただ、言おうとしていることは何となくだがつかめるとは思う。 個人的に触れたことが無い議論が多かったので、面白かった。
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これまで当たり前だと思われてきた歴史観がずいぶんと覆されつつある。こうした傾向は以前からあったともいえるが、近年、特にその傾向が著しいようにみえる。本書は、こうした新しい歴史観、著者によれば、歴史研究者の間ではすでに通説となりつつあるという視点に基づき、日本の歴史を問い直している...
これまで当たり前だと思われてきた歴史観がずいぶんと覆されつつある。こうした傾向は以前からあったともいえるが、近年、特にその傾向が著しいようにみえる。本書は、こうした新しい歴史観、著者によれば、歴史研究者の間ではすでに通説となりつつあるという視点に基づき、日本の歴史を問い直している。その試みは大変興味深く、また面白い。今後日本が何をなすべきかという点についても、新しい視座を提供している。続きはブログ→http://hiderot.blogspot.jp/2012/06/blog-post_21.html
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日本、そして世界はこれから「中国化」する。 18世紀末、フランス革命、アメリカ独立戦争から始まったとされる「近代」。200年以上がすぎて国民国家、民主主義といった近代的なフレームはそろそろ寿命を迎えているかもしれない。 先進国の止まらぬ財政赤字、EUの破綻(まだしてないけど)はそ...
日本、そして世界はこれから「中国化」する。 18世紀末、フランス革命、アメリカ独立戦争から始まったとされる「近代」。200年以上がすぎて国民国家、民主主義といった近代的なフレームはそろそろ寿命を迎えているかもしれない。 先進国の止まらぬ財政赤字、EUの破綻(まだしてないけど)はそれの現れだとすると、世界はその次どこに向かうのか?近代の次は?という問いに挑んだ本。 「中国化」とは、10〜13世紀にかけて中国大陸にあった宋の時代に完成した社会システムのフォーマットを指す。 *皇帝の独裁政治 *政治は皇帝の一極支配だが、経済は徹底的に自由化 それまでは、世襲により先祖代々からその土地にいる有力者(貴族)達の合掌連合(封建制)によって構成されてきた中国王朝。 しかし皇帝の圧倒的な権力で、各ローカルの有力者達はクビ、中央から皇帝が派遣する人間が治めることによってローカルルールを撤廃、それによって中国大陸に巨大な開かれた市場(グローバリゼーション)が誕生した。 そのフォーマットが、後のモンゴル帝国によって世界中に輸出されることになり、それが西洋の近代化、そして今日のグローバル化につながっていく。 一方、日本列島ではこの開かれた社会「中国化」とはまったく逆の社会システムのフォーマットが完成される。 がっちりかためられた身分制度、先祖代々からその土地に定住して、まわりの人たちとまあまあのところで妥協しながら生きて行く、例えば農民に産まれたら地元の自分のたんぼの管理(自分の役割)だけをきちんとしていれば基本的になんとか食べて行けるという閉じたムラ社会が江戸時代に完成する。 日本の歴史は、この閉じた「江戸時代化」を開かれた「中国化」にしようとするも、結局は閉じた「江戸時代化」に戻り、それが江戸時代には250年も続く完成度となり、明治維新で再び「中国化」にしようとするも、結局はまた再「江戸時代化」(昭和ファシズム化)してしまう。戦後も、自民党の先生が地元に公共事業を持ってくるという「田中政治」という再々「江戸時代化」になる。 グローバリゼーションの新興国への冨のシフトにより弱っていく先進国の政府にはできることは、これからどんどん少なくなっていく。その中で国民国家、民主主義といった近代的なフレームはうまく機能しないかもしれない。そうなったとき、先進国が舵取りする先は「中国化」なのかもしれない。
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いきなり、『中国化する日本』なんてタイトルをみせられたら、多くの人は嫌な予感がするだろう。あっち方面のトンデモ本に違いないとか、あるいは、ああこれから日本は中国に支配されるのか勘弁してくれよといったものだ。 しかし、本書はそのようなタイプの議論とは一線を画す。「中国化」とは...
いきなり、『中国化する日本』なんてタイトルをみせられたら、多くの人は嫌な予感がするだろう。あっち方面のトンデモ本に違いないとか、あるいは、ああこれから日本は中国に支配されるのか勘弁してくれよといったものだ。 しかし、本書はそのようなタイプの議論とは一線を画す。「中国化」とはすなわち近世宋朝中国に確立された社会のあり方のことである。 それは一体どういうものであるのだろうか?本書の言葉を借りれば「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」であるという。より具体的には、 1)権威と権力の一致・・・皇帝が名目上の権威者に留まらず、政治的実権をも掌握する。 2)政治と道徳の一体化・・・政治的な「正しさ」と道徳的な「正しさ」が同一視されるようになる。 3)地位の一貫性の上昇・・・政治的にエライ人は人間的にも立派というタテマエが成立する。 4)市場ベースの秩序の流動化・・・商業ベースのノマド的な世界の出現 5)人間関係ネットワーク化・・・「広く浅い」個人的なコネクションが優先される こうした世界観を拒否したのが、鎌倉武士の時代から江戸近世にいたるまでの日本近世へと結実した特徴はご推察どおり、これをまるっきり裏返しにしたものである。 すなわち 一 権威と権力の分離 二 政治と道徳の弁別 三 地位の一貫性の低下 四 農村モデルの秩序の静態化 五 人間関係のコミュニティ化 である。 ・・・しかし、いま問われているのは、そのような意味での日本史の終わり ついに日本社会もその個性を失い、中国と同様のグローバルな秩序に飲み込まれるという事態の可能性なのです・・・・(p51) こうした意味での中国化を拒み続けてきた日本の歴史的経緯を考察する極めて意義深い内容になっているのでオススメ。
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政治システムを中国的、江戸的と分けて再評価する解説方法はわかりやすく、知的な興奮もあるが、事あるごとに「専門○○の間では一般的な見方」と繰り返すのは、論だけで受け入れられる自信がないのか、読者の権威への弱さにつけこんでいるのか。また、中国的、江戸的いずれにも悲観的であり、そのシニ...
政治システムを中国的、江戸的と分けて再評価する解説方法はわかりやすく、知的な興奮もあるが、事あるごとに「専門○○の間では一般的な見方」と繰り返すのは、論だけで受け入れられる自信がないのか、読者の権威への弱さにつけこんでいるのか。また、中国的、江戸的いずれにも悲観的であり、そのシニカルな口調も気になった。
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結局のところ「中国化」とはなんなのか、最後まで掴めなかった。ウケを取りやすい言葉を選んだとしか思えない。 読んでても全然頭に入ってこないし、俺の読解力はかなり低下してるな、という危機感だけは生まれた。
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