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たとへば君 の商品レビュー

4.6

41件のお客様レビュー

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2023/11/19

この間借りた「あの胸が…」を図書館に返却したときに借りてきた。後半の癌末期の闘病記録は読むのが辛かった。だけど素晴らしい夫婦、素晴らしい家族でした。歌のある暮らしは人生を倍以上に豊かにするな。うらやましい。

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2023/02/28
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

独り者である私としては40年も共にいたご夫婦の情愛など、本当のところは分かるわけはないと思うのだけれど、それでも、泣いてしまいました。 夫の永田さんが河野さんの歌集を読んで「お前はこんなに淋しかったのか」と河野さんに伝えた、というエピソードが印象的で、仲がよく、お互いに何でも話す、言語化能力に長けた二人でも、分かり合えてないところがある、ということに、人と人との関係って、どこまでも淋しいものだな、と思いました。 淋しさって人間の芯にあるものですよね。 芯にある淋しさを分かち合うことはできないのですね。 それでも、二人でいることを選ぶことに尊さを感じます。 <手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が>                           河野裕子さん最後の一首

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2021/11/20

短歌のことは詳しくないが、この夫婦の出会いから河野裕子さんが亡くなるまでの人生の様々な場面を見せていただいた。その人生の瞬間瞬間を切り取って、情景や感情が揺さぶられるような言葉を紡ぎ、最期まで歌を詠み続けた歌人としての生き方に強く感銘を受けた。 もう亡くなっているのに、河野さん...

短歌のことは詳しくないが、この夫婦の出会いから河野裕子さんが亡くなるまでの人生の様々な場面を見せていただいた。その人生の瞬間瞬間を切り取って、情景や感情が揺さぶられるような言葉を紡ぎ、最期まで歌を詠み続けた歌人としての生き方に強く感銘を受けた。 もう亡くなっているのに、河野さんの歌や途中の文章がちゃんと私のもとに届けられ、おふたりに出会わせていただいたことが、不思議で尊いことだ。 永田さんから妻に向けられたものは、自分と重ねやすく、自分と妻の過去、現在、未来のことを思わず考えていた。 京都御所で親子4人の写真撮影の場面、すごくよかった。

Posted byブクログ

2021/07/29

本を読んでこんなに泣いたのは初めてというくらい泣いた。 妻が乳がんで亡くなるまで、お互いを詠んだ相聞歌をまとめたもの。2人合わせて千首ほどあるらしいがその抜粋。 「愛してる」とか「君が大事だ」とか言わずにこんなに愛を語れるのかと驚く。 特定の人物の短歌を体系的に読むことで、「歌...

本を読んでこんなに泣いたのは初めてというくらい泣いた。 妻が乳がんで亡くなるまで、お互いを詠んだ相聞歌をまとめたもの。2人合わせて千首ほどあるらしいがその抜粋。 「愛してる」とか「君が大事だ」とか言わずにこんなに愛を語れるのかと驚く。 特定の人物の短歌を体系的に読むことで、「歌がお互いに響き合う」というのがわかった気がする。 すれ違いを悲しんでいる歌などの間に、相手のなんでもない仕草を眩しく見つめている歌が挟まることで歌同士が引き立て合う、という感じかな。 最後に妻が死ぬということが分かっている状態で出会いから読んでいくの、答え合わせをするような感覚。ただ漫然と読むのとは全く違って、緊張感と悲しみがある。

Posted byブクログ

2018/10/27

副題に『四十年の恋歌』とあるが、恋から連想する甘い物だけではなく、もっと赤裸々な激しさを感じた。 私は歌を詠んだことはないけれど、三十一文字に凝縮して込められたものは、感じる事ができる。 疑似体験と言うのはおこがましいが、その時どんな想いで詠んだのだろう、出来上がった歌をどう感じ...

副題に『四十年の恋歌』とあるが、恋から連想する甘い物だけではなく、もっと赤裸々な激しさを感じた。 私は歌を詠んだことはないけれど、三十一文字に凝縮して込められたものは、感じる事ができる。 疑似体験と言うのはおこがましいが、その時どんな想いで詠んだのだろう、出来上がった歌をどう感じたのだろう、とご夫婦の事を思わずにはいられなかった。 敢えて言葉にすることで、気持ちと折り合いがついたのか、かえってえぐられるように辛さが増すのか。 それでも作品は残って、一首を読めばそこから鮮やかに当時の記憶がよみがえるのなら、やっぱり幸せなことだと思う。

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2017/10/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

味わう度量がなくて短歌は読めないんですが、 「詩を想い、そして思い出す日33」 というイベント向けにチャレンジ。 装丁からして、泣けますが 予想通り目頭が熱くなりました。 乳がんで逝った妻とその全てを見届けた夫。 河野裕子と永田和宏。 歌人夫妻の相聞歌、 40年分の全380首とエッセイ。 醜い部分も包み隠さず、記された家族の風景。 日本語の美しさよ。 ・たとへば君 ガサッと落葉をすくふやうに 私をさらつて行つてはくれぬか(河野) ・ざんざんばらんと、蹴飛ばし、打ったり、 抱きしめたり、つき放したり、人を憎んだり、つまりは体ごと他者を問い求めているということだろう ・一寸ごとに夕闇濃くなる九月末、 寂しさは今は始まつたことぢやない(河野) ・ひとことのやさしきことばはたちまちに われを浸すであろうと恐れき(河野) ・一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ(永田) ・手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が(河野/絶筆) ・歌は遺り歌に私は泣くだらう いつか来る日のいつかを怖る(永田)

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2017/08/21

歌で結ばれた夫婦の相聞歌 日常会話では伝わらないことが、歌になることで伝えられる不思議 饒舌さが心を伝える手段なのではないのだ ダンドボロギクをGoogleで検索して、ああこの花だったのかと花の名を知る。花の終わった後の綿毛がボロのように見えるからだという花の素朴さに、河野裕子...

歌で結ばれた夫婦の相聞歌 日常会話では伝わらないことが、歌になることで伝えられる不思議 饒舌さが心を伝える手段なのではないのだ ダンドボロギクをGoogleで検索して、ああこの花だったのかと花の名を知る。花の終わった後の綿毛がボロのように見えるからだという花の素朴さに、河野裕子さんの素朴さが重なる。

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2016/09/29
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

荒あらと肩をつかみてひき戻すかかる暴力を愛せり今も 子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る 君を恋ふこころかなしく書き更かす歌さへなべてわれがものなる でまかせの嘘のついでに言ひしことまさしく君を撃ち貫きぬ *寝息かすかー妻には妻の夜がありて告げねば知るはずもなきさびしさは 君に凭りバスに揺られて眠りつつ覚めてゐしなり二十歳の頃は *汝が眼もて世界見たしと告げられしかの夜のさくらかの湖の色 *「おまえなあ、もう、アホなケンカは買うなよなあ」 おほきな月浮かびたり六畳に睡りて君ゐるそれのみで足る 賢くならんでよろしと朝のパン食ひつつあなたが私に言ふ *あるいは泣いているのかもしれぬ向こうむきにいつまでも鍋を洗いつづけて *ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど *言つて欲しい言葉はわかつてゐるけれど言へば溺れてしまふだらうきみは *…永田さん

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2014/10/05

歌人夫妻の相聞歌のアンソロジー。妻の河野さんは、2010年に乳がんを患って亡くなっており、それを受けて編纂されたのが本書。大学時代の二人の出会いの頃から、ひかれ合い、結婚し、子育てをし、闘病しといった折々の出来事がそれぞれの視点から詠われる。 若い頃の何となく背伸びした言葉で詠っ...

歌人夫妻の相聞歌のアンソロジー。妻の河野さんは、2010年に乳がんを患って亡くなっており、それを受けて編纂されたのが本書。大学時代の二人の出会いの頃から、ひかれ合い、結婚し、子育てをし、闘病しといった折々の出来事がそれぞれの視点から詠われる。 若い頃の何となく背伸びした言葉で詠ったものから、ページを進めていくほどに歌は自然になっていく。それとともに、一家を営む悲喜こもごもも伝わってきて、それが何ともいい雰囲気を醸している。もちろん、家族だから楽しいことばかりではない。喧嘩をしたことも、意思の疎通ができず憂いてることもある。その思いが短歌というわずかな言葉の内からも読み取れるものだ。 河野さんが乳がんにかかってからの日々は、精神的に不安定になるなど大変なことが続いたようで、歌からもそれはわかるし、悲しく不安な日々でもあるのだけど、一方で、こうして支え合ってつらい時期を共にする家族というもののよさを感じた。果たして、自分が病気の妻を支える立場になったとき、永田さんのように振る舞えるだろうか。永田さんですら、河野さんが求めるほどには支えきれないときがあった。たぶん、自分はどこか突き放すような言動をとってしまうだろう。それが、自分が伴侶や子どもをもつことを恐れる理由。

Posted byブクログ

2014/05/25

かけがえのないご夫婦であったろうと思う。 思うのだが。 皆さんがお書きになっているような、うつくしい夫婦愛 というだけではなくて どうしてもこの相手でなくてはならなかったのに 心のうちに、どうにもならぬ距離感が、生活を共にするうち 双方に出来ていて、それを埋めよう、埋めたいと...

かけがえのないご夫婦であったろうと思う。 思うのだが。 皆さんがお書きになっているような、うつくしい夫婦愛 というだけではなくて どうしてもこの相手でなくてはならなかったのに 心のうちに、どうにもならぬ距離感が、生活を共にするうち 双方に出来ていて、それを埋めよう、埋めたいと苦闘して いたように私には見えた。 若く愛しあうことに燃焼し尽くした時期を互いに忘れないから。 離れることは出来ない。 でも、だから。 過去へ過去の愛情へと想いは向きながら 現実に積み重なっていく時間につれて増える 家族としての愛情をも、壊さぬように抱きしめていく。 そんな2つのベクトルの愛情を抱え込んだ 相聞歌であったと読めた。 まことに深く、苦く、それでいて他ではダメで。 いつか傷つけぬ愛を相手に届けなくてはと思いながら 病魔によってその願いは、「いつか」ではなく「今」からすぐ 伝えなくては、儚くなるものに変わってしまった。 修羅の時間も愛しあう時間も、作品・発表されるべき文に なった時には、美しく研ぎ澄まされたものになっている。 でも、ここに載らなかった整理されなかった膨大な量の感情と 想いが、ずっしりと質感と量感を持って感じられる。 夫婦愛とか思いやりなんて言葉では包めない なまな感情や傷があったように感じる。 言葉にしたら、相手が亡くなってしまった今も血を噴きそうな。 だからそれには触れず、研ぎ澄まされた美しい言葉という 「結果」で喪失の傷をかばうような そんな短歌であり、文章だった。 おそらくここに載せきれなかった「伝えたい言葉」は 亡くなった河野さんの内にも、見送った永田さんの内にも 突然工事中のまま、すっぱりと途切れた道のように たくさんあったままで。 「生きている時に伝えて置かなかったら、もう今言っても 間に合わないじゃないか。」 と言いながら、他人には見せないままで きっと宙に浮いているんだろうなと肌で感じるような本だった。 最近こんな風に、亡くなった方の最期の愛情ばかりを 読んでいる。何という理由もないのに。 死病を抱いていても小康を得ている間は まだずっとたくさん時間があるように思えて 時間など本当はないのに、それを忘れている事が多い。 諍いをしたり、一人でいたり。 いい気になって離れていると ふと。 攫われるようにひとは いなくなってしまうものなのかもしれない。

Posted byブクログ