1,800円以上の注文で送料無料

たとへば君 の商品レビュー

4.6

41件のお客様レビュー

  1. 5つ

    21

  2. 4つ

    11

  3. 3つ

    2

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2011/10/30

歌人としての河野さん、そして 息苦しさを感じつつこの世を生き続けてきた繊細な、人としての河野裕子の姿が見えてきて、まったく歌をたしなむ素養などない私でも、その世界に引き込まれてしまいました。 短歌になじみの無い方にも広く読まれて欲しい一冊です。 ブログにレビュー書きました。 ...

歌人としての河野さん、そして 息苦しさを感じつつこの世を生き続けてきた繊細な、人としての河野裕子の姿が見えてきて、まったく歌をたしなむ素養などない私でも、その世界に引き込まれてしまいました。 短歌になじみの無い方にも広く読まれて欲しい一冊です。 ブログにレビュー書きました。 http://okyouduka.blog44.fc2.com/blog-entry-1110.html

Posted byブクログ

2011/10/06

昨年亡くなった歌人の河野裕子さんと夫永田和宏さんの四十年に及ぶ相聞歌と、その背景を語った文章をまとめたもの。よく目にする河野さんの写真がはかなく優しげなものであることや、没後に紹介された歌がしみじみ温かいものであったことから、勝手に想像していたものとはずいぶん違う内容であった。 ...

昨年亡くなった歌人の河野裕子さんと夫永田和宏さんの四十年に及ぶ相聞歌と、その背景を語った文章をまとめたもの。よく目にする河野さんの写真がはかなく優しげなものであることや、没後に紹介された歌がしみじみ温かいものであったことから、勝手に想像していたものとはずいぶん違う内容であった。 考えてみれば、厳しい表現者である二人が生活を共にしているのだ。歌作と人生が切り離せない人同士の関わりが、生やさしいものであるはずがないのだった。最も大事な人を深く傷つけるとわかっていて、思いを歌にしないではいられない、相手もまた心のありようを歌として活字にし、自分も世間もそれを目にする…、「表現者」とは何と凄絶なものであろうか。 お二人の出会いが京都の大学構内で、デートされるところも懐かしい喫茶店名が出てきたりなじみのある場所ばかりで心にしみた。河野さんが乳癌であることを告げられて一人自宅へ向かう道は、私にとって最も京都らしい思い出深いところだ。そのときの歌。 荒神橋、出町柳、葵橋、橋美しよ学生たちみんな誰も、泣きつつ帰る 文章ではこう綴られている。 「きらきら光る鴨川の水面が美しい。出町柳界隈を、いつものように歩いたり、自転車に乗って行き過ぎる学生達がまぶしい程若くいきいきと見えた。この世はこんなに明るく美しい所だったのか。何故このことに今まで気がつかなかったのだろう」 胸が詰まった。

Posted byブクログ

2011/10/05

立ち読みをしていたが、途中で「まずい」と思って中断。迷った末、値段に目を瞑って購入。 帰宅後すぐに読んで号泣。 こういうのはいけない。 最後の歌が美しくて切なくてつらくてたまらない。 いかんよ、いかん。

Posted byブクログ

2011/09/30

昨年なくなった河野裕子と夫、永田和宏の歌とエッセイ集。このエッセイと歌は二人が出会った若かった頃からの歌で相聞歌となるものを選んでいる。「たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに 私をさらって行ってはくれぬか」などはこれが40年近く前に読まれた歌なのかと衝撃を受けた。俵万智の「サラダ...

昨年なくなった河野裕子と夫、永田和宏の歌とエッセイ集。このエッセイと歌は二人が出会った若かった頃からの歌で相聞歌となるものを選んでいる。「たとえば君 ガサッと落葉すくふやうに 私をさらって行ってはくれぬか」などはこれが40年近く前に読まれた歌なのかと衝撃を受けた。俵万智の「サラダ記念日」でその日常的、口語調、恋歌が注目されるよりもずっと以前にこのように情熱的な恋歌があったのだ。若い情熱をぶつけ、またそれに永田が答えている歌がたくさんある。結婚後も歌の中に2人の感情の応酬をひしひしと感じる。たった三十一文字でこれほどまでに心をに表現し、また読む我々にそれがストレートに伝わるものだと初めて知った。河野が闘病中の歌、死の間際まで読み続けた歌は苦しいほどであり、どんな文章よりも本人の感情、死に対する恐怖、家族愛を読み取れる。もっと生きてもっと歌を作ってほしかった。

Posted byブクログ

2011/09/08

主に河野裕子氏が詠まれた歌、エッセイ、それに相聞歌として永田氏の歌、エッセイという構成。短歌の収録数は、他のエッセイ本よりずっと多い。 永田氏にとって河野氏は、一目ぼれ(たぶんそう)のまさに恋女房。 最近このご夫婦の本を立てつづけに読んでいるので、歌やエピソード、また既刊本の中...

主に河野裕子氏が詠まれた歌、エッセイ、それに相聞歌として永田氏の歌、エッセイという構成。短歌の収録数は、他のエッセイ本よりずっと多い。 永田氏にとって河野氏は、一目ぼれ(たぶんそう)のまさに恋女房。 最近このご夫婦の本を立てつづけに読んでいるので、歌やエピソード、また既刊本の中からの引用など既読部分も結構あったが、お二人が出会ったころの思い出など、初々しくも熱い思いに、読んでいてこちらが恥ずかしくなるくらい。 でもエッセイや歌から垣間見える、出会いから本当に最後のその時まで、飾らないありのままの自分をさらけ出し合い、心から愛し合い、真正面から「夫婦」であったことに、深い深い感銘を覚えた。 アメリカ時代を綴った河野氏のエッセイもとてもよく、本当に愛情あふれたご家族、ご夫婦だったんだなと実感。 「家族の歌」ですでに読んではいたものの、河野氏の最後のひと月の様子は、やはり涙なしでは読むことが出来なかった。

Posted byブクログ

2011/08/31

出会い結婚闘病、妻の死 そのなかで夫婦二人が互いにおくりあった歌と、それにまるわる話など。 手をのべてなたとあなたに触れたきに息がたりないこの世の息が(絶筆 河野裕子) 歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る(永田和宏)

Posted byブクログ

2011/08/12

詩を呼んで鼻の奥がつーんとしたことはたびたびあるが、短歌を読んで泣いたことは初めてではないだろうか。 河野裕子さん、折しも今日が命日。 昨年、乳ガンのためお亡くなりになった。 本書は、同じく歌人のご主人永田和宏さんとの相聞歌集である。 お二人の出会いから、結婚、子育て時代、そう...

詩を呼んで鼻の奥がつーんとしたことはたびたびあるが、短歌を読んで泣いたことは初めてではないだろうか。 河野裕子さん、折しも今日が命日。 昨年、乳ガンのためお亡くなりになった。 本書は、同じく歌人のご主人永田和宏さんとの相聞歌集である。 お二人の出会いから、結婚、子育て時代、そうして闘病、最期のとき。 たった31文字なのに、その中に込められた思い。 うれしさ、楽しさ、悲しさ、寂しさ、悔しさ、無念さ・・・ 一首、一首が胸に迫ってくる。 そんなに赤裸々に、そんなに激しく歌に詠んでしまって・・・ 最後の方はページを繰るのをちょっとためらってしまうほどである。 激しい人だったんだ、河野裕子さん。

Posted byブクログ

2011/08/07

河野裕子さんと永田和宏さん。お二人は、本当に相手のことを思いやり、そして尊敬しあった夫婦なのだと改めて感じた。 また、「家族の歌」では読み取れなかったが、、母としてではなく、一人の女性としての河野裕子さんの強さのようなものも、本書からは垣間見れたように思う。 女性の多くは、男...

河野裕子さんと永田和宏さん。お二人は、本当に相手のことを思いやり、そして尊敬しあった夫婦なのだと改めて感じた。 また、「家族の歌」では読み取れなかったが、、母としてではなく、一人の女性としての河野裕子さんの強さのようなものも、本書からは垣間見れたように思う。 女性の多くは、男性から大切にされたい、愛されたい、などと思うけれど、裕子さんにはそんなところが微塵も感じられない。逆に、「(永田に)すべての愛情をかけようと思いましたね。」「結局、子供よりも永田和宏を大事にしてやってきたというのが本当ですね」と、相手から何かをしてもらうことを望むのではなく、自分が相手を幸せにするために全力を尽くしてきたことが感じられる。 中学・高校時代に、よく学校で唱えていたお祈りに、 「愛されるよりも愛することを」 といったフレーズがあったことをふと思い出した。 裕子さんは、そのとおり実践してきた人だと思う。 もうすぐ、河野裕子さんの命日 8月12日がやってくる。 改めてご冥福を祈る。

Posted byブクログ

2011/08/01

本書はもの凄い本だから、覚悟して読んでいただきたい。これまで僕が読んだなかで最も偉大な恋愛小説は、小島信夫の『菅野満子の手紙』(集英社)だと勝手に思っているけれど、本書はまったく別のあり方でそれに匹敵している。1年前に亡くなった歌人の河野裕子さんとは、生前に1度だけお会いしたが、...

本書はもの凄い本だから、覚悟して読んでいただきたい。これまで僕が読んだなかで最も偉大な恋愛小説は、小島信夫の『菅野満子の手紙』(集英社)だと勝手に思っているけれど、本書はまったく別のあり方でそれに匹敵している。1年前に亡くなった歌人の河野裕子さんとは、生前に1度だけお会いしたが、たった1度の印象がこれほどまでに焼き付いて離れない人は、河野さんをおいて他にはいない。あれは、今から10数年前、僕が大学2年のときだったか。ある短歌賞の受賞者と選者という立場で、2日間、延岡でご一緒させていただいたのだ。当時、ライトヴァースに傾倒していた僕にとって日常を詠む河野裕子は憧れの歌人というわけではなかったけれど、彼女に接してすぐに、「この人はごまかせない」と直感した。あまりにも地に足がついていて、あまりにも力みのない自然なかたちで少女の無邪気さと家庭を持つ大人の女性の鋭さを同居させている姿に、20歳の僕は空恐ろしさを感じた。今から思えばとてもではないが短歌と呼べるような代物ではなかった僕の稚拙な歌にも、「意外と古風なのね。もっと自由にやればいいのに」とおっしゃり、後日、わざわざ、自身の結社の入会案内と結社誌『塔』を送ってくださった。短歌のことではない。もちろん、人として見透かされていたのだ。先日、そのことを実家の母に話したところ、当時の僕は「京都に遊びにいらっしゃいよ」と言われたとも言っていたそうで、あるいはそうだったかもしれない。訃報に触れたのは、昨年の8月、尾道に滞在しているときだった。結局、その後、僕が本格的に作歌に取り組むことはなかったのだけれど、なぜだろう、たった1度の河野裕子との出会いは、今でも僕の存在の芯に近いところにありつづけていて、それはとても幸福なことで、なんとまあ、不思議な人だった。

Posted byブクログ

2011/07/23

私が河野裕子という歌人を知ったときには、すでに癌が再発して病床にいた。『短歌』誌上で初めて作品を読んだときには、その情念の強さに圧倒されたと同時に、なぜこのような強さを持てるのかと不思議に感じていた。本書を読んで、はじめてその強さに納得がいった。 本書は共に歌人であり夫婦である...

私が河野裕子という歌人を知ったときには、すでに癌が再発して病床にいた。『短歌』誌上で初めて作品を読んだときには、その情念の強さに圧倒されたと同時に、なぜこのような強さを持てるのかと不思議に感じていた。本書を読んで、はじめてその強さに納得がいった。 本書は共に歌人であり夫婦である河野裕子と永田和宏の馴れ初めから河野さんの死までを、2人の当時のエッセイと歌で記述している。人の一生を1冊の本で表現するのだから、どうしても内容は急ぎ足になってしまうが、短歌が掲載されている個所になるとふと立ち止まり、当時の時間の速さで2人の生活が叙述される。そこから強い共感を感じる。やはりこの2人の物語は短歌でなくては表現できない。 短歌を詠んでみたいと強く思わせてくれる書籍です。

Posted byブクログ