現代語訳 福翁自伝 の商品レビュー
福沢諭吉の(口述速記による)自伝。その齋藤孝さんの現代語訳。本の帯にあるとおり「『学問のすすめ』より面白い 日本最強の自伝」だった。抄訳なので、ぜひ原典を読みたいと感じた。
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絶賛の訳者あとがきの割にはあまり面白くない。 個人的には福沢諭吉がどういう境遇で、どう生きてどう考えてどう行動したかは別にどうでもいい話だ。 事実を書き連ねるのは情報量としては多く見えるけど、ベクトルがバラバラで、本としての力が弱い。
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福沢諭吉が65歳になって書いた自伝。若い頃は、無茶苦茶をしつつも一本筋の通った厳格さを備えていたことがわかる。当時の様子のわかる貴重で面白い一冊。 「「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも。君が義士と言え...
福沢諭吉が65歳になって書いた自伝。若い頃は、無茶苦茶をしつつも一本筋の通った厳格さを備えていたことがわかる。当時の様子のわかる貴重で面白い一冊。 「「義士は本当に義士なのか。それとも不義士なのか」と議論が始まる。すると私は「どちらでもよろしい。義でも不義でも。君が義士と言えば、僕は不義士にする。君が不義士といえば、僕は義士にしてみせよう。さあ来い」」p110 「枕がない。どんなに捜してもない。これまで倉屋敷に一年ばかりいたが、いまだかつて枕をしたことがない。というのは、ほとんど昼夜の区別がない。日が暮れたからといって寝ようとは思わず、しきりに本を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば机の上に突っ伏して寝るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るかで、今まで布団を敷いて寝ることなど、ただの一度もしたことがない。その時に、なるほど枕がないはずだと初めて気が付きました」p111 「そもそも日本人が初めて蒸気船というものを見たのは1853年、航海を学び始めたのは1855年、その勉強がなって外国に船を乗り出そうとしたのが1859年、すなわち蒸気船を見てから足かけ7年目である」p153 「むかしナポレオンの乱でオランダの運命は断絶して、本国は言うまでもなくインド地方までことごとく取られてしまって、国旗を揚げる場所がなくなったように思われたが、世界中にわずか一ヶ所を残した。それはすなわち日本長崎の出島である」p194
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福沢諭吉の自伝、現代語訳版。 まず単純に面白い。 あっけらかんとしていて自尊心にあふれ、卑屈なところがない福沢青年の大胆な行動、巻き起こる事件... そもそも世の中が大きく動いていた時代に、その急先鋒にいた人物の自伝である。面白くないわけがない。 そして読み物としての面白さととも...
福沢諭吉の自伝、現代語訳版。 まず単純に面白い。 あっけらかんとしていて自尊心にあふれ、卑屈なところがない福沢青年の大胆な行動、巻き起こる事件... そもそも世の中が大きく動いていた時代に、その急先鋒にいた人物の自伝である。面白くないわけがない。 そして読み物としての面白さとともに、 大人物かくあるべしという示唆に富んだものとなっている。 学問のすすめと合わせて読みたい。
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他の出版社の福翁自伝は読みきれなかったが、ちくまの現代語訳は 読みきれた この本を読むと福沢諭吉が 近い存在に感じる。学問のすすめの効果を長続きさせるために この本とセットで読んだ方が良さそう
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
素晴らしい。面白い。名作。 さすが、近代日本きっての偉人の自伝。 どうすれば福沢諭吉のようになれるのか、参考になる。 常に勉強に勤しめば、いつか役に立つ。余り、何に役に立つとか考えすぎてもいけない。 さすがに、時代が違うので参考にならない部分もある。
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それから考えてみると、今日の学生にしても学問を勉強すると同時に始終わが身の行く先ばかり考えているようでは、修業はできないだろうと思う。 およそ人の志は、その人の成り行き次第によって大きくもなりまた小さくもなるもので、子供のときに何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の...
それから考えてみると、今日の学生にしても学問を勉強すると同時に始終わが身の行く先ばかり考えているようでは、修業はできないだろうと思う。 およそ人の志は、その人の成り行き次第によって大きくもなりまた小さくもなるもので、子供のときに何を言おうと何を行おうと、その言行が必ずしも生涯の保証になるものではない。
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福翁自伝 部活の大先輩に勧められた福沢諭吉の自伝。福沢の破天荒な性格は文章にしてもなお面白く、その生きざまはぜひ真似してみたい。なんといっても福沢の因習にも社会にも全くとらわれない本質思考の姿勢と思い切りのよい性格が彼をここまでの人間にしたのではないかと思う。本質思考といえば、...
福翁自伝 部活の大先輩に勧められた福沢諭吉の自伝。福沢の破天荒な性格は文章にしてもなお面白く、その生きざまはぜひ真似してみたい。なんといっても福沢の因習にも社会にも全くとらわれない本質思考の姿勢と思い切りのよい性格が彼をここまでの人間にしたのではないかと思う。本質思考といえば、彼が初めて横浜に行った時、彼が苦学して会得したオランダ語が全く通じず、英語を学ぼうと決心したとき、彼が最終的に師事したのは長崎から来た子供であった。儒教的精神の色濃く残る幕末で、学びうるものは子供からでも学ぶという、本質思考はとてもすごい。なんといっても金のなかった福沢は何を学ぶにも無形財産(人脈)を頼りに飛び回り、結果的には当時のエリートしか乗れない咸臨丸への乗船や外務省での仕事につくというサクセスストーリーは学ぶものが多い。人々の胸は借りるだけ借りるというやり方でのし上がった福沢が、誰にもこびへつらわず、なれ合いを嫌うような性格であったことは面白い。もちろん人にものを頼むときには下手に出るが、横柄な態度をとられれば馬鹿野郎いつか仕返ししてやると表ではにこやかに退散する福沢のスタイルは読んでいて気持ちが良い。幼少期の話で面白いのはやはりいたずらの話である。物理学の大家・ファインマンもどうやら生粋のいたずら好きの人間であったようだが、福沢もファインマンも旺盛な知的好奇心がそうさせているのであろう。神なんかいるもんかと神社の神体を捨ててみたり、偽の手紙を作って友人を風俗におびき寄せ、丸刈りにしてやったり、もう目に余るものばかり。こう言ってしまうのは野暮だが、いたずらをよく解釈すれば、仮説と検証のサイクルと、目的達成のために役割分担といういわゆる組織を動かすために必要なことを楽しく学ぶことができる格好の舞台なのかもしれない。また、政治や経済にあまり首を突っ込まないということも学ぶべきことなのだろう。僕の好きなホームズも言っているが、脳の容量は決まっているため、何かに特化した人間になるためには何かを捨てなければならない。(ホームズは推理に必要な論理学や地学、薬草学に関しては天才的な知識を持つが、哲学や政治に関しては全くの無知であったと自認している)。福沢も、自らを政治の下戸と称し、新政府には手を貸さず私塾(慶應)のやりくりに命を燃やしたのであった。これまた野暮ではあるが、経営学者の楠木健は、優れたリーダーを見るポイントとして、「何をやらないか」を基準にしているそうだ。センスのないものには手を出さない。たとえ面目がつぶれようともやらない。そう言った、自己認識というか、群像の感覚を優れたリーダーは持っているという。福沢もその例にもれず、群像の感覚を持っていたからこそ、ここまでの人間になったのだろう。自分も彼のように、いつかはお札に顔が載るような人間になってみたいものだ。
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高校の英語授業で読みました。 先生の授業やり方が上手かったのか、英訳されている箇所(アメリカへ行った話)が良かったのか…学校で読んだ時はすごく面白い!!と思ったのですが、実際に本を買って読んでみるとすごく面白いというほどでもないかなという感じでした。 幼少時代の話はなかなか笑えま...
高校の英語授業で読みました。 先生の授業やり方が上手かったのか、英訳されている箇所(アメリカへ行った話)が良かったのか…学校で読んだ時はすごく面白い!!と思ったのですが、実際に本を買って読んでみるとすごく面白いというほどでもないかなという感じでした。 幼少時代の話はなかなか笑えましたが。
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敷居が高いイメージがあったが、読んでみるとそれほどでもなかった。福沢諭吉のイメージも変わった。だけど、志が非常に高いのはイメージ通りだった。
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