街場の大学論 の商品レビュー
学力低下の原因は日本社会全体が学力低下に無意識のうちに荷担しているという事実のうちにある。日本人の幼児化、大学のビジネス化、大学評価機構に切り込む。毎度、読みやすく、問題の核心を突いてくる本を出す人だなぁと思っている。
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面識もないのに、私が勝手に師匠として仰ぐ内田樹先生。内田先生は語るジャンルに関わらず「どんな不利な環境であっても、けらけら笑い飛ばし、居着くことなく、自分が何を知らないのか知る」ことを何度も繰り返し書かれている。他とは毛色の違う9章に、切なさを覚える。
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ウチダ先生の講演を聞きに行った。教養とキャリア教育がテーマだったけど、もっと広く時事問題にも触れていて面白かった。 歴史的視点、複眼的思考が重要だという主張には深く頷くところなのであります。真っ当に生きるということが、珍しいことになってしまっているニッポン。 日比谷高校のご友人を...
ウチダ先生の講演を聞きに行った。教養とキャリア教育がテーマだったけど、もっと広く時事問題にも触れていて面白かった。 歴史的視点、複眼的思考が重要だという主張には深く頷くところなのであります。真っ当に生きるということが、珍しいことになってしまっているニッポン。 日比谷高校のご友人を思う文章は切々と響きますね。
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”なぜ学力は低下するか?それは学力が低下することによって多くの日本人にさしたる不利益をもたらさないからである。というより、学力が低下すること によってかなりの数の日本人が現に利益を得ているからである――” 鳥肌モノの内田語録ばかりの「大学論」。『街場の教育論』に匹敵するほど惚れ...
”なぜ学力は低下するか?それは学力が低下することによって多くの日本人にさしたる不利益をもたらさないからである。というより、学力が低下すること によってかなりの数の日本人が現に利益を得ているからである――” 鳥肌モノの内田語録ばかりの「大学論」。『街場の教育論』に匹敵するほど惚れ惚れする内容でした。 ”学校とは「自分が何を知らないか」を学ばせる場である(だからたくさんの教科がある)。一方で受験勉強は「自分は何を知っているか」を誇示することである。「自分の知らないこと・できないこと」を知って初めて「自分の知っていること・できること」が共同的に意味を持つ。知らない・できないことは他人とコラボレーションして補完しあえばいいんだから。 だから、「自分の知らないこと」は「知る価値のないことだ」という風に思い込む子供たちを組織的に作り出しているのだとしたら、学校なんて存在しないほうがマシな気がする。” 痺れるね。
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内田樹の教育論。学ぶことの意義を再認識させられました。この人の考えには共感できる部分が多いです。 学ぶことの目的は知的好奇心の探究にあるはずだが、最近は学びを提供する側も受ける側もそれが目的になっていない、という主張が本書にありました。 例えば、大学も人員確保に必死で、資格取得...
内田樹の教育論。学ぶことの意義を再認識させられました。この人の考えには共感できる部分が多いです。 学ぶことの目的は知的好奇心の探究にあるはずだが、最近は学びを提供する側も受ける側もそれが目的になっていない、という主張が本書にありました。 例えば、大学も人員確保に必死で、資格取得とか就職有利を謳い文句に宣伝している。しかし、これらはそもそも自学自習するもので、大学で時間をとって教えるものではない。それこそせっかくの大学での時間を無駄にしている。大学ってそもそも知的好奇心を満たしたり、社会とは違った時間の流れの中でいろんな経験をする場所じゃないの?ってことが書かれています。おっしゃる通りです。ただ、資格取得などが受験生を呼ぶことも確かなので、子供の意識、親の意識、大学人の意識等々、国民の大学に対する意識がもう変わってしまった(変わりつつある?)ことは非常に残念です。本来の学びの目的を取り戻し、教育が改善されることを切に願っています。がんばれ、大学人。がんばれ、文科省。がんばれ、日本人。
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内田作品としてはどこか硬い。 おそらく編集による部分と立ち位置による部分があって、「街場」からの大学論になっておらず読みにくい。
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前半は大学経営の現状と提言。 後半は大学の理念と教養、文科省官僚との対話。 本文中で何度も、大学のダウンサイジングを提言。
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【35/150】内田先生の本はほんまにおもしろい。この本を読んで自分の大学生時代を振り返った。私が行った大学にはどれだけのミッションを持っていたのだろう? それはまあ今となってはどうでもよい。とにかくこの大学に行ったおかげで一人の師と出会うことはできた。3年のときに出会ったゼミの...
【35/150】内田先生の本はほんまにおもしろい。この本を読んで自分の大学生時代を振り返った。私が行った大学にはどれだけのミッションを持っていたのだろう? それはまあ今となってはどうでもよい。とにかくこの大学に行ったおかげで一人の師と出会うことはできた。3年のときに出会ったゼミの先生だ。でもこれは私が交通事故で1年休学したおかげで出会えた先生だ。事故がなければ出会えなかったと考えれば不思議だ。その先生に出会えたおかげで、私の目はアジアに向けることができたのだ。 その他に私塾的な存在として、ラボの大学生活動があった。ここでさまざまな仲間と出会えた。同時に当時の事務局員は私に大学の教授以上の示唆を与えてくれた。彼らとの出会いがなかったら今の私はやっぱりない。 そういう私も今はラボの事務局員であった、そうだった。 さて、今の大学生たちに私はどういう存在なんだろうかと考える。 常に意識してきたのは、彼らにとって「良質な壁」でありたいと思ってはいるのだが・・・・果たして!?
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Liberal arts主義の大学において実学重視の学部にいる私。 Liberal artsがよいか実学がよいかを議論するのはナンセンスで、どちらも重要だと思う。 そもそも教養というのは大学に入る前に身につけているものだと思っていた。 著者自身も述べているが、本の中でいくつかの矛...
Liberal arts主義の大学において実学重視の学部にいる私。 Liberal artsがよいか実学がよいかを議論するのはナンセンスで、どちらも重要だと思う。 そもそも教養というのは大学に入る前に身につけているものだと思っていた。 著者自身も述べているが、本の中でいくつかの矛盾が生じているのが残念でもあり、おもしろくもある。 「大学生の学力の低下は初等中等教育が悪い。」 「新入社員の質の低下は大学のせいではない。人を育てない企業が悪い」 という矛盾には、さすがに「それはないでしょ」と思った。 とりあえず、大学でのリメディアル制度は廃止してほしいですが。
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すぐれた医者は決して患者を責めない。たしかに多くの病気はご本人の生活習慣や健康管理の悪さに起因するのは事実であるから、患者を責めて「お前のせいだ」というのは簡単なことである。でもそういわれて、「よし、これからは生活習慣を改めるぞ」というふうになるかというと、ほとんどの場合はそうな...
すぐれた医者は決して患者を責めない。たしかに多くの病気はご本人の生活習慣や健康管理の悪さに起因するのは事実であるから、患者を責めて「お前のせいだ」というのは簡単なことである。でもそういわれて、「よし、これからは生活習慣を改めるぞ」というふうになるかというと、ほとんどの場合はそうならない。 ふつうは叱る医者のところから足が遠のくだけである。医者から足が遠のいたせいで健康が回復するということはあまりない。患者が嬉々として医者のところに繰り返し通うように仕向けるのが名医である。 学術的なイノベーションが可能なシステムというのは、一定数のマッドサイエンティストが生き延びられるような、隙間や暗がりが確保されていなければならない。
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