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リアル・シンデレラ の商品レビュー

3.9

91件のお客様レビュー

  1. 5つ

    25

  2. 4つ

    34

  3. 3つ

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  4. 2つ

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2012/05/06

姫野カオルコ著:『受難』における主人公フランチェス子の、 別の形がここにあった。 それも徹底的に地に足が着いた(と、ほんの少しのファンタジーのある)形で。 主人公の倉島泉の行動。 後半に行くにつれて、プッとどうしても噴出してしまう。 その滑稽な生真面目さに、瞬間どうしても「...

姫野カオルコ著:『受難』における主人公フランチェス子の、 別の形がここにあった。 それも徹底的に地に足が着いた(と、ほんの少しのファンタジーのある)形で。 主人公の倉島泉の行動。 後半に行くにつれて、プッとどうしても噴出してしまう。 その滑稽な生真面目さに、瞬間どうしても「カハッ」と笑ってしまうのだけど、 次の瞬間泣きそうになる。 何故彼女がそういった生真面目な行動をとってしまうのか? 彼女がその行動をとったとき、一体何を考えていたのか? それが痛いほど胸に刺さるからだ。 申し訳ないけど古本で買ってしまった。 そう、こうしてこの本を売ってしまう人がいるように、 きっとこの物語や泉ちゃんが好きじゃなかったり理解できなかったり何も感じとれなかったりハア?と思う人はこの世の中にいると思う。 けれど、自分にとっては身体の真ん中をがっしり掴まれ、 ぐいぐいと揺さぶられるような、そんな本だった。 『受難』がファンタジーの昇華なら、 『リアルシンデレラ』は日常の幸福のあり方、 それを体感させてくれた。 読めてよかった。

Posted byブクログ

2012/04/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

私の姫野カオルコ史上いちばん感動したかも。 (思えば10代で「変奏曲」に出会い、その衝撃は計り知れないものがあったっけ。その後時を隔てて「ひと呼んでミツコ」を通じて再会し、久々に著者の作品に触れる。) 確かに「小さいおうち」は総合的に上出来で、 このときどちらも直木賞候補で、結果的に「小さい~」が受賞したのも納得。 しかしながらこちらの作品のほうが強い印象で残った。 読了して、泉に涙してしまうのはわたしだけなんだろうか。 賞を獲るのと、感動するのとはやはり別であることを改めて感じさせる、対照的な作品。 周囲の人間から泉という人間がどんな人物だったか、 これもまた描かれていくタイプの物語だけど、 最後の最後まで、このあとどうやって終わるんだろうと 読み進められた。 もっとも登場人物が多くて、しんどい人にはしんどいかも。 簡単な系図がついているのは興味深いが、かといって全ての人が結果的につながっているわけではない。あくまで系図。 捉えようによっては悲しいととる人もいるだろうが、 ただ悲しいというだけではないと思う。 本当の悲しみを乗り越えた者にだけ備わる強さみたいなものが、 周囲の人間にはそれが時としてまぶし過ぎる時があるように、 泉の人物像や生き方は、容易には受け入れられないであろう。 それが言うならこの作品の哀愁というか、物悲しさというか。 こんなに感動したのに、その感動をうまく言葉にできないもどかしさ。 参考までに書評も紹介:わたしの大好きな藤田香織さんはじめ各方面からのものが著者のサイトにあったのでリンク http://himenoshiki.com/himefile/sen.htm

Posted byブクログ

2012/03/10
  • ネタバレ

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「自分は幸せじゃない」と思う人に シンデレラについて調べるライターが、長野県の旅館に生まれた”リアルなシンデレラ”の人生を通して本当の幸福とは何かを考える。 <2011.8 日経WOMANより> ♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。゜♥。゚♡゚・♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・ 個人的には、後味はよろしくありませんでした。 「精神的豊かさ」と「自分にとっての幸せ」について考えさせられる。 このお話の主人公は、童話のシンデレラのように、その本人の内心が語られることはない。周囲の人の語り口によって、想像される人。最初から最後まで。だから、語る人によって主人公は違うように映るけれど、どれも語る人にとっての真実で、主人公の真実で、それでいてホントウではない。 愛しいって「いとしい」とも「かなしい」とも読める。 主人公の倉島泉(くらしま せん)は、本当に愛しい女性だと思った。 シンデレラという物語について、男性が語る部分が序盤にあるんですけど、妙に納得というか、違和感なくすとん、と落ちたというか。 ♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。゜♥。゚♡゚・♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡ 「おれ、この人を応援できなかった。この人は継母や連れ子から意地悪をされるけど、彼女たちがしたことと同じ意地悪で下品なことを、この人もやり返すじゃん。ワタシはお城の舞踏会に行くのよ、でもアナタは行けないのよという継母たちの意地悪に対し、ハシバミの精に頼んで自分も行けるようにするというのはやり返しだろ? ワタシは王子様の花嫁選びにエントリーするのよ、アナタはエントリーできないのよ、という意地悪に対して、奥の部屋から賢しらに出てきて靴を履いてみせるというのもやり返しじゃないか。ゲロくね?  この人が、<いい>とか<すてき>だと思ってることや望んでることは、継母とその連れ子と同じなわけじゃない?  つまりこの人の価値観と、継母たちの価値観とは寸分違わないから、エグい合戦ものにしか見えなくてさあ……」 ♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。゜♥。゚♡゚・♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡ そう。同じ価値観と、同じ土俵の上で戦っているから、童話の中のシンデレラは「勝ち組の女」の象徴なのかもしれない。 多くの方が抜粋しているけれど、この物語の軸はここだと思ったので、やっぱり抜粋します。 ♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。゜♥。゚♡゚・♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡ 《自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分もうれしくなるようにしてください》  他人の幸運がわがことのように感じられるよう、他人の幸せをわがことのように喜べるよう、泉は願ったのである。 ♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。゜♥。゚♡゚・♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡ 他の方のレビューの中にも、本文の中にも、倉島泉を「富み善き美しき…」とか、称賛する言葉があったけれど、私には違和感がありました。 確かに彼女は「他人の幸福をわがことのように感じられ」たのかもしれない。そうすることで彼女は本当に「幸せ」だったのかもしれない。不幸じゃなかったのかもしれない。 幸せだとか、不幸だとか、私の価値観や私の物差しで測れるようなところに、同じ土俵に、彼女はいない。だから、彼女は幸せだったのだと思う。 でも、私は、かなしかった。 彼女の幸せが、自分の幸せの一部だと言ってくれる人が彼女の周囲にいてくれたら、と願わずにはいられなかった。 人は誰しも幸せになりたいと願ってる、と私の価値観は叫んでる。 あなた自身の幸せをあなたが願わずに、誰が願うのよ? そう彼女に言っても、「私は幸せよ」って言うだけなんだと思う。 だって彼女は本当に幸せだから。 でもやっぱり、私はかなしかった。 「他人の幸福をわがことのように感じられ」ても、あくまで「わがことのように」であって、そこには、「わたしの幸せ」があると思うの。 本当に他人の幸せ=自分の幸せになってしまったとしたら、こんなにかなしいことはない、と思ってしまった。

Posted byブクログ

2012/02/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 姫野カオルコ著「リアル・シンデレラ」を読みました。  シンデレラストーリーは、主人公であるシンデレラが意外と目立たない地味な存在ではないのか。主役よりも、意地悪な母あるいは姉妹、お城の王子、ガラスの靴を持ってシンデレラを探す家来、あるいは魔法使いのおばさん・・・のほうが存在感を持って語られているのではないか。  そう考える女性ライターが紹介された一人の人物――倉島 泉(くらしま せん)。諏訪温泉郷の小さな旅館の子として1950年に生まれた彼女は、母親に冷遇され、はたまた妹の陰で育ってきていた。  この小説の主人公であるはずの泉は、この小説に登場するどの人物に比べても、存在感の弱い人物として描かれてゆく。親の愛情も、男性をはじめ周囲の人物の関心も妹の深芳(みよし)ばかりに注がれ、泉は周囲の人間からそれほど顧みられることもなく生きてゆく。  しかし、泉はシンデレラのように周りの人間に見返しをするでもなく、意地悪に復讐するのでもない。  泉は己の分というようなものを悟りつつ、自分ではなく自分の周りの人間の幸せを祈りながら生きていたのである。  その泉の潔さが、ガンジーや不軽菩薩(ふぎょうぼさつ)という聖人のような存在を彷彿とさせる。ミーイズムが幅を利かせるようになって久しいこの世界とこの時に一度は読んでみたい作品です。

Posted byブクログ

2012/02/06

あるラジオ番組で紹介されていたというか、アシスタントをイメージした人物が出てくると聞いて、ずっときになっていたのでようやく読みました。 でてくるといっても物語にはあんまり影響のない形でしたが。 シンデレラの話に違和感があるということからはじまる。 泉という女性の関係者を取材した...

あるラジオ番組で紹介されていたというか、アシスタントをイメージした人物が出てくると聞いて、ずっときになっていたのでようやく読みました。 でてくるといっても物語にはあんまり影響のない形でしたが。 シンデレラの話に違和感があるということからはじまる。 泉という女性の関係者を取材したもの。昭和という時代背景。 内容的にはのめり込むこともなくって感じでした。

Posted byブクログ

2012/01/17

1950年、長野県諏訪から物語ははじまる。たった60年前ではあるが、現代と比べると、その違いを改めて痛感した。 私の親の世代が話す、1950年代とかなりリンクすることもあり、その時代の空気感をよく伝えていると思う。 シンデレラストーリーをモチーフに、一人の女性の一生を綴った本作...

1950年、長野県諏訪から物語ははじまる。たった60年前ではあるが、現代と比べると、その違いを改めて痛感した。 私の親の世代が話す、1950年代とかなりリンクすることもあり、その時代の空気感をよく伝えていると思う。 シンデレラストーリーをモチーフに、一人の女性の一生を綴った本作。 主人公の聖女ともいえる生き方を、関係者のインタビューと再現小説でつづる、ドキュメンタリードラマのような構成。 そこで浮かび上がる、泉(せん)の魅力。 全編にわたって、泉をとりまく関係者の人物描写が非常に巧みであり、それぞれの人物像をリアルにかつ立体的に浮かび上がらせる。 本作の魅力は、泉をとりまく人々の持つ、懐疑・嫉妬・打算といった心の闇と、泉の持つ無私の態度のコントラストにある。 自分と他者とのつながりや、喜びの共有について、改めて考えさせられた。 幸せは世の中に一定量しかないと考える方や、自分の幸福は他人から奪うことでしか解決できないと考えている方には、特に読んで欲しい作品。 現代社会から見れば、ファンタジー的な話を、ドキュメンタリー風の語り口で構成の妙は見事。 ただ、満点にできなかったのは、ラストの部分かな。。。 締め方を悩んだのだろうが、ちょっと投げ過ぎな感じは否めない。

Posted byブクログ

2011/12/27

最近の姫野カオルコは結構ちょうどよく面白いと思える。 理想のおとぎ話。現実にはないんだろうなって分かってるけど、理想がそこにある。そういう意味で読後感が少女漫画みたいかも。 結構好きです。やっぱり姫野カオルコまだ好きなのかも。

Posted byブクログ

2011/12/12

この話には広がるロマンが欠けているどころか、救いようのない委縮へと引き込む矛盾の堂々巡りがあるって、何ともやるせなく悲しい気持ちにさせる。 美しいモノが悲しさに溺れるわけがないのだから、ここに描かれた美には何か途切れて梯子の掛けようのない無理があるのだろう。 特にフィナーレの...

この話には広がるロマンが欠けているどころか、救いようのない委縮へと引き込む矛盾の堂々巡りがあるって、何ともやるせなく悲しい気持ちにさせる。 美しいモノが悲しさに溺れるわけがないのだから、ここに描かれた美には何か途切れて梯子の掛けようのない無理があるのだろう。 特にフィナーレの歪みには棘だったぎこちない思惑があって、読み手の心に整理のつかない思いを突き付け傷を残す。 大自然に逃げ場のないフィナーレはあり得ないはずだから、この作り話の終わり方は間違いを犯していると思う。 これがドキュメントだとしても、資料も足りず消化もされていないまま下痢をしてしまったようなもので、もう一歩踏み込んだ広く深いルポがなければそれぞれの心に届かない。 死にも失踪にも本音と建前があるはずで、それを思わせる余韻となる余白に到達していなければ永遠の世の中を切り取って全体を忍ばせることができない。

Posted byブクログ

2011/11/23

最初、泉を喪女だと思っていた。 けど、超絶リア充だった。 明らかに人間離れしてる彼女を神のように崇める作者。 負の部分もあるのに、ほのめかしてもいるのに、それは言及されずに終わる。 作者の願望がすけているんだろうか? ツ、イ、ラ、クの時も少しそう思った。

Posted byブクログ

2011/11/12

「シンデレラ」の価値観に対する疑問提起から始まる、せつなくて、あたたかくて、さみしくて、幸せな小説。 手触りや匂いまで感じられるリアルさと、おとぎ話のような世界観、という反対のベクトルがなぜか両立していて、読み終わったときには「すごくせつなくて哀しいのに、圧倒的に幸せであたたか...

「シンデレラ」の価値観に対する疑問提起から始まる、せつなくて、あたたかくて、さみしくて、幸せな小説。 手触りや匂いまで感じられるリアルさと、おとぎ話のような世界観、という反対のベクトルがなぜか両立していて、読み終わったときには「すごくせつなくて哀しいのに、圧倒的に幸せであたたかい気持ち」という複雑な感情になり、泣けてきて涙が止まらなかった。 「フレーミングによって意識を変える」とか「気は持ちよう」とかはよく言われていることだけど、そのような言葉を見たり聞いたりしても「確かにその通りだと思う。だけど…」と、なかなか身につまされるまではいかなくていて。 それが、このお話の泉ちゃんの3つめのお願いを読んだときに「そっか、こういうことか!」と、なんていうかすごく腑に落ちた。 直接的だったり、簡潔なひとことだけでは伝えられない、複雑だけど大切なことを伝えられるのが「物語」なんだな、と改めて本の力を感じました。 こういうことがあるから、読書が好きなんだよな~。 「精神的な豊かさ」とは、周囲の人々の幸せを自分の幸せと考えられる力(ダライ・ラマ) この言葉の解説書、アンサーブックだと思う。読んでみて!と人に薦めたくなる本でした。

Posted byブクログ