たのしい写真 の商品レビュー
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たのしい写真 ―よい子のための写真教室 竹蔵はNikonD80とRicohGX200という二つのカメラで下手くそな写真を撮ることがあります。 町内会の広報部長という役柄、町内会のイベントなどで写真を撮ってブログや広報誌をせっせと作っています。 下手くそな構図、下手くそな露出。我ながらがっかりする写真が多いのですが、たまに”ほー、なかなか捨てたもんじゃないじゃん”という写真が撮れたりします。 そんなわけで、写真技術の向上というインセンティブを持っていたところ、書評で紹介されていた本書を手にしました。 ホンマ氏のまとめた写真史や、そこから垣間見た”決定的瞬間派”と”ニューカラー派”という二つの視点が新鮮でした。カメラの性質上、シャッタースピードを速くしてあるものにピントを合わせて他をぼかす”決定的瞬間派”と数秒という遅いシャッタースピードですべてのものにピントをあわせる”ニューカラー派”という二つは、ものの捉え方に根本から違いがあり、相反するものであるという指摘にまずは納得。そして、次に来た全てを演出して写真を作る”ポストモダン”で、写真という芸術が今に至っているとのこと。 それから、”写真=真を写す”と訳されているが、Photographの本来の意味は光画である。この意見もとても新鮮。そして、写真は映画やビデオと違い、時間を表現できないということに対してのアンチテーゼとして、写真を過去を切り取ってそれを固定化する作業という発想もなるほどです。 写真の本を読むと、いろいろな難しい言葉や写真を読み解く方法論みたいなのが多いですが、それって、そういった権威付けを行わないと、芸術家としての写真家が食べていけない(尊敬してもらえない)ということなんだなあということも、初めて気付いた次第です。難しいことを言う人はその中身が空疎!(自戒もふまえて) ということで、いろいろなお勉強ができました。決して副題にあるような”よい子のための写真教室”ではありませんので、副題に騙されることなく、写真の哲学に興味がある方に手にとって頂きたいと思います。 はてさて、竹蔵の写真の腕は向上するのでしょうか?まずは、決定的瞬間とニューカラーの撮り分けに挑戦でしょうか。。。 竹蔵
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ホンマタカシと小説家の堀江敏幸との対談が載っていて、堀江が「写真を撮った人と写真に写っていることの間の隙間があるから、真実に近くなる。」と言っていて、芯食っていると思った。その隙間に対してどう思うかも、ぼくらは写真や世界に試されている。
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写真が現在を切り取るだけではなく 作り込まれたアート写真もあれば 事実を捉えるための戦争の写真 その人の感情を捉えるモノ その瞬間を閉じ込めたい人 色んな意味や役割があって 「いい写真」って何なのか 色んな角度から 問題提起があっておもしろかった Photoがギリシャ語で光を表...
写真が現在を切り取るだけではなく 作り込まれたアート写真もあれば 事実を捉えるための戦争の写真 その人の感情を捉えるモノ その瞬間を閉じ込めたい人 色んな意味や役割があって 「いい写真」って何なのか 色んな角度から 問題提起があっておもしろかった Photoがギリシャ語で光を表すというのが すごく面白かった 真実を写すという日本語の訳とはちがう ニュアンスがある
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写真についての本というのは、おおきなジャンルになっている。写真を見ていると、何か言わずにはいられなくなるところがある。 ホンマタカシによる写真教室。 決定的瞬間 vs ニューカラー 言葉だけだと対概念になっていないが、写真の撮り方でいえば、シャッタースピードを早くして絞りを開...
写真についての本というのは、おおきなジャンルになっている。写真を見ていると、何か言わずにはいられなくなるところがある。 ホンマタカシによる写真教室。 決定的瞬間 vs ニューカラー 言葉だけだと対概念になっていないが、写真の撮り方でいえば、シャッタースピードを早くして絞りを開いて被写界深度を浅くして一部にだけピントを合わせて撮るのが前者で、シャッタースピードを遅くして、そのぶん絞りを小さくして、被写界深度を深くして画面の隅々までピントを合わせて撮るのが後者。ろしゅつをきめる、シャッタースピードと絞りのトレードオフによるものだ。 だからこれはたまたま取り上げられた対比ではなくて、もっと根本的な、写真のメカニズムに内在する対比なのだという。 「写真には大きく分けてふたつの撮り方があり、どちらかを選択するかによって撮る人による物や世界のとらえ方に大きな違いが生じるのだ」(p.35) 後半はいろんな話題がパラパラ出てきて、写真のまわりを大きく回るエッセー。写真について突っ込んだ記述をしてもよい文脈を持ったエッセーである。 わたしには、ジュリウス シェルマンの建築写真の話が面白かった。昼間の内観の写真を撮るとき、内部にたくさん照明を仕込んで、ウチ外の連続感を出すのだという。いまなら合成してHDRというのもあるが、ここでは一発で撮るのだから、すごいものだ。超有名なケーススタディハウスの夜景の写真も、夜景を7分も露光しておいてから、「そうは見えないが)作り込んだ照明をつけて内観を撮ったのだと言う。すげえ。
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写真のことを全く知らない自分にとって、写真を知るきっかけになる本でした。 写真にも"かの有名な"と呼ばれるような一枚があったりするんですね、、知らなかった。。 外国の方の名前は全然覚えられないけど、知ってる写真家の名前が出てきたり、気になる写真家さんも増えて...
写真のことを全く知らない自分にとって、写真を知るきっかけになる本でした。 写真にも"かの有名な"と呼ばれるような一枚があったりするんですね、、知らなかった。。 外国の方の名前は全然覚えられないけど、知ってる写真家の名前が出てきたり、気になる写真家さんも増えて良かった。 これから先、写真展に出向いたときにすこしでも前より写真を楽しめるようになってるとよいなーー。
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ユルい話が多いようだが、そのユルさを含め、写真に対する考えかたは僕の思いと共感できるものがあった。好きな本だ。
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写真の手法の歴史を追いながら、写真の撮り方とは撮影者の世界観の表明であり、写真とは撮る側が世界をどう捉えているかを可視化するツールとしての機能もある。しかし写真を撮る側と観る側とではその「世界観の捉え方」の受け取り方に振れ幅がある場合もある。アフォーダンスや小説と絡めた対談も面白い。
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写真のことに詳しい人が読めば、題名のように思うのかもしれないが、素人にはまったく「楽しくない」本だった。副題(「よい子のための写真教室」)にあるように、「よい子」でなければ楽しめないということなのであろう。 著者の意図が奈辺にあるかはわからないが、ひたすら自分が興味を持っているこ...
写真のことに詳しい人が読めば、題名のように思うのかもしれないが、素人にはまったく「楽しくない」本だった。副題(「よい子のための写真教室」)にあるように、「よい子」でなければ楽しめないということなのであろう。 著者の意図が奈辺にあるかはわからないが、ひたすら自分が興味を持っていることを、読者を想定することなく記述しているという感じがした。少なくとも自分には、この「写真教室」には入門不可である。
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「写真が本当なわけではない」という事は今や皆が知っているのに やはり写真に真実性を感じて惑わされる事が多いのは 「真実を写す」という言葉に惑わされているのではないか、そもそも photograph=写真 という訳語で良いのか、photo=光 graph=画 が正しいのではないのか、という話から始まり 「確かに!」と思わされ 惹き込まれ、あっという間に読み終えた。 大きく分けた歴史の話に続き、かつてあった 様々な境界線が無くなり「絵画から脱却することで生まれたモダニズムの写真が一転 ポストモダンの今日ではまたもアートに接近している」と括っている。ここでは 個人の小さな物語についても語られている。そしてこれが「真を写すだけではない」というテーマに繋がる。これらを述べた上で、以下のワークショップに入る。 1. あなたの好きな写真集の中から1枚の写真を選んで、それが、どのように成立しているかを言葉で説明し、次いでその1枚と同じ構造の写真を撮影してください。 2. 「写真は真実だけではない」ということを意識するために、最初からウソを取り込んだ写真を撮ってみよう。 3. 写真の楽しさは自由なところーですが、あえて撮影に制約を設けて、不自由な状態で撮影してみてください。 1. は「自分はその写真の何が好きなのか、どのような構造がその写真を成り立たせているのか、を言葉にして実際に撮ってみる」という作業にあたる。 2. では、被写体を疑う場合、「本当や真実といった装いに多くの人が引きずられてしまうが、強度のある写真というのは そもそも写っている事物や被写体を取り巻く文脈や関係性を全て取っ払っても鑑賞に耐えうる作品なのだ」ということ、また、写真プリントというもの自体を疑う場合、「我々が写真を見る時の知覚というのは、写真に写っている被写体を見る知覚が一つ、同時に 机の上に置かれた古くて小さなプリントか、額装されて白い壁に飾られた大きなプリントか プロジェクターによって壁に投影されたスライド画像なのか といった具体的に物自体の存在や形状の知覚 の二重の情報がある」という話で括られている。 3. では「自分の意思で動き回って決定的瞬間を探す」の真逆にあるのは「自分は動き回らず目に飛び込んで来る被写体を受け入れる」ことであるということが述べられている。 全編通して伝えられているのは、「写真=真実」 或いは 「決定的瞬間」でなければならない という呪縛から自由になろう、といったメッセージであった。 しかし「なんとなく」のセンスだけでなく、鑑賞も撮影も、言葉で説明出来る つまり戦略的に意図した作法や構造の観方・撮影の薦めでもある。 よくある 内容の薄いハウツーでも歴史だけの書でもなく、バランスの良い書という印象。 但し、書きたいままに書いているような部分も見られたので 熟読ではなくサラッと読んで ワークショップに挑戦して 自分なりに吸収するのが良さそう。
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ホンマタカシ流に写真史を教えてくれる。また、ワークショップやコラムを通して、写真について新たな見方を提供してくれる。
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