渚にて 人類最後の日 の商品レビュー
理不尽な状況での予定された終焉。 どう過ごすかはモロに人間性がでるね。 悔しい、やり切れない、葛藤、様々あるのは承知の上で、健康体で最後の日が予告されて自分の締めくくりを思うように過ごせるというのは、羨ましいと思ってしまう。
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1960年代の、オーストラリアのメルボルンを主な舞台とした群像劇 些細な軍事的な小競り合いから始まってしまった、核保有国同士の止まらない報復行為の果てに、北半球の大半の都市も国家も高濃度の放射能に汚染された死の区域と化してしまい、またその汚染は刻一刻と南半球の地にも迫っている メ...
1960年代の、オーストラリアのメルボルンを主な舞台とした群像劇 些細な軍事的な小競り合いから始まってしまった、核保有国同士の止まらない報復行為の果てに、北半球の大半の都市も国家も高濃度の放射能に汚染された死の区域と化してしまい、またその汚染は刻一刻と南半球の地にも迫っている メルボルンも北半球の都市と同じく、生命の生存が不可能になる、まさに“その日”までの出来事を、様々な人物の視点から克明に描いている作品 月並みではあるけど、“自分だったらどうするか?”ということをずっと考えずにいられない 人はいつかは死ぬものだけど、その期限がはっきりと定められてしまい、回避する手だてはなく、誰もが等しくその運命を避けられない状況下になったら? この作品では、それでもそれまでの生活を変えずに生き続ける人がとても多いのが、胸にくるものがあった 変えられない死が迫っているとしても、さりとてやりたいことを特別に探したりはしないで、それまでの日常の仕事をまっとうしている人がたくさんいる だからこの物語では、ホテルのバーで上質な酒を飲んだり、レストランで食事を楽しんだり、電気も水道も今際の時まで使えるし、医者も往診に来てくれるし、薬局で“その時に”必要な薬物を皆に行き届かせようとする 自暴自棄になる人より、迷い恐れながらも、身近な誰かを想い合ってる場面が多くあることが、何とも好ましい 彼らはすべて亡くなるのだと分かりきっているからこそ、その佇まいやあり方がより悲しみをかきたてる また、人間だけでなくペットや家畜が、人間が先に死んでしまった時に、どうしてやればいいのかと悩む人が幾人もいたのも、身近に動物がいる読者として嬉しかった (自分も何より考えるのはその事だから) この物語の主たる人物は大きく分けて2組の男女で ひとつはオーストラリア海軍海兵の通信士の夫と、娘を出産したばかりの妻、 その夫婦の友人にあたる農場の娘と、夫の上官にあたる原子力潜水艦艦長のアメリカ海軍将校 極限状態で人はどう生きて選択するのか? というテーマの中に強く“夫婦愛”が盛り込まれている 後者のふたりは夫婦ではないが、互いの夫婦観を尊重しあって想い合っていた、それがすごく素敵でうつくしかった 婚外恋愛と言ってしまえば、そうかも知れない でもそれよりは“同志”のように想い合っていた、2人にしかない特別な関係が結ばれていたと感じる また、この物語は“夫婦愛”などを始めとする民間人パートと 確実に生存者がいるはずのない地域からの無線が届くことを調査に出かける潜水艦パートにも分かれており、そちらもまた読みごたえあります 無線が発されていた原因を発見する場面の緊迫感と、ちょっとのユーモラスな話の緩急がおかしみがあって、悲しみはあるけどすごく好きな場面だった いい作品です SFの名著と謳われるのも納得です あの場面がいいよね、あそこも好きですね、なんてたくさん言い合える読書会がしたいなあって願わずにいられない、そんな一冊でした
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※このレビューにはネタバレを含みます
なるほどこれは名作。 古典SFだが十分に考えさせられる。 はい。あらすじ。 【第三次世界大戦が勃発、放射能に覆われた北半球の諸国は次々と死滅していった。かろうじて生き残った合衆国原潜"スコーピオン"は汚染帯を避けオーストラリアに退避してきた。ここはまだ無事だった。だが放射性物質は確実に南下している。そんななか合衆国から断片的なモールス信号が届く。生存者がいるのだろうか?-一縷の望みを胸に"スコーピオン"は出航する。迫真の名作。】 この作者さんは、きっと人間の高潔さというものを信じているのだろうな。 破滅の危機が迫っているにもかかわらず、多くの人々は変わらない日常を続ける。来るはずのない来年に咲く花を庭に植えたり、速記や簿記を習いに行ったり。 そもそも逃げる場所がないからということなのだろうが、暴動も起きず、物資を巡っての強盗や殺人やレイプなどもまるで起きない。 1957年の作品だからか、今なら地下シェルターを作ってという展開になるだろうが、それもない。 それぞれがそれぞれのやり方でそのときを迎える様子が描かれる。 悲しい話であるはずなのに、後半は目を少し潤ませながら、しかし、同時に口角を上げて読んでいる自分がいた。 「うん。うん。そうだね」と。 ★4の価値はあるな~。 さんざん迷った。 でもやっぱりキレイ過ぎる。そこが魅力でもあるんだけど。 そうそう。 作中で無料配布される毒薬が無性に欲しくなったな~。 そういうのがあると逆に安心できない? これさえあればいつでもたいした苦しまずに人生を終わらせられることができるってのがあるといいと思うんだけど。 昔、乙一さんのなんかの作品で、あくまで冗談としてだけど医者から毒薬をもらえたなんて書いてあって、著者紹介か、あとがきだったかな? これで安心できるなんて書いてたが、その気持ちはわかるな。羨ましく思った。 今のところ使う予定はぜんぜんないんだけど、ないんだけどね、持っていれば安心できるって気持ち。変かな? まあ、家族がいるとそんな簡単でもないんだろうな。 バカなことを書いてしまった(*´з`)
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終末の世界とそこに生きる登場人物たちの姿が淡々と冷静に描かれてるのが逆に胸に刺さった。何人かはそんな世界の中でも未来の話をして、読んでいる方も奇跡を信じたくなった。自然と引き込まれて読み続けちゃういい作品だったと思います。
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核戦争後、オーストラリアを舞台に人類の最後を描いた作品。 これといった大きな波もなく淡々と終わりに向け進んでいくが、そのシンプルさが妙にリアルでノンフィクションを読んでいるような感覚になる。 実際に人類の終わりを体験したことがないので現実ではどうなるのかわからないが、もしそんな時...
核戦争後、オーストラリアを舞台に人類の最後を描いた作品。 これといった大きな波もなく淡々と終わりに向け進んでいくが、そのシンプルさが妙にリアルでノンフィクションを読んでいるような感覚になる。 実際に人類の終わりを体験したことがないので現実ではどうなるのかわからないが、もしそんな時が来るとするならこの作品の人物たちのような終わり方をしたい。
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死が迫りつつあるにも関わらず冷静な主人公たちの姿をみて、地球最後の日は意外とこんなものなのかもしれないと思った。 遠くの国の争いであっても、決して対岸の火事と思っては行けないということを胸に刻む必要がある。
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新訳復刻版 原作は1957年の発刊。舞台は1961年のオーストラリア。 第三次世界大戦が勃発し、北半球で約4,700個の核弾頭が使われ、北半球は濃密は放射能に汚染され、死滅した。 かろうじて生き残った、アメリカ海軍の原潜USSスコーピオンは汚染を避け、メルボルンに退避してくる...
新訳復刻版 原作は1957年の発刊。舞台は1961年のオーストラリア。 第三次世界大戦が勃発し、北半球で約4,700個の核弾頭が使われ、北半球は濃密は放射能に汚染され、死滅した。 かろうじて生き残った、アメリカ海軍の原潜USSスコーピオンは汚染を避け、メルボルンに退避してくる。 しかし、南半球にも迫る放射能。シアトルからはとぎれとぎれのモールス信号が打電されている。 生存者はいるのか?オーストラリアに生き残る少ない人類の運命は? 映画化、ドラマ化もされた名作。 穏やかな気持ちで読める名作。
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※このレビューにはネタバレを含みます
終末を迎えた人々の生き方。 人間の尊厳を保った最期というべきか。 淡々とした静けさが好もしい。 人は必ず死ぬことは決まっているわけで、その時がわかった場合どうするか、と。残念ながら自暴自棄になるほど未来に希望をもたない身としては、本書の主要登場人物たちと同じく、その日まで普通に(普通って何?とも思うが)、静かに生きるのみと思う。
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きっといい作品なんだろうと思うけど、この新訳版が著者(訳者ではない)の意図を正確に汲み取れているのか大きな疑義があり、あえて感想は書かない。 理由は以下の通り。 まず、読み始めて違和感を覚えた箇所がいくつもあった。バイクが急に自転車に変わっていたりとか、別の潜水艦の艦長だったは...
きっといい作品なんだろうと思うけど、この新訳版が著者(訳者ではない)の意図を正確に汲み取れているのか大きな疑義があり、あえて感想は書かない。 理由は以下の通り。 まず、読み始めて違和感を覚えた箇所がいくつもあった。バイクが急に自転車に変わっていたりとか、別の潜水艦の艦長だったはずのタワーズがいつの間にかスコーピオンの艦長になっていたりとか。 きっと細部を詰めないお話なんだろうと判断して以降はあまり気にしないように読んでいたんだけど、ネットで調べてみたら旧訳から変更したり追加したりした部分が間違いだらけでおかしくなってしまっているようだ。 例えば上記のバイクの部分は「bicycle」を「バイク」と訳しているからなんだって。マジかよ。中学英語の最初期に出てくる単語だぞ確か。 当然ながら旧訳はそのあたりの間違いは無いようだ。創元の校閲は新旧訳文の差異比較と変更箇所の妥当性チェックってやらないのか? 次に、文庫裏表紙や帯などにあるあらすじの要約がおかしい。いや間違ったことが書いてあるわけではないんだけど、主題じゃないでしょこれ。 自分はこれが頭にあったので、特に前半、登場人物たちの日常が描かれる部分について、本筋と関係ないんじゃないの?といった印象で、非常にかったるく思えて流し読み気味だったんだけど、このストーリーでこの結末なのであればそれなりに意味のある描写なんだよなこれ。 まあ決めつけた自分が悪いと言われたらそれまでなんだけど、ミスリードに引っかかったモヤモヤが残ってどうにも読後感が良くないんだなこれが。 とりあえず東京創元社さん、創元SF文庫60周年フェアとやらで大々的にこの新訳版を売り出しているけど、やらなきゃいけないのは仕切り直してもう一回新たな新訳版を出すことだと思いますよ。いかがですか。
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ネヴィル・シュート(1899~1960年)は、英ロンドンで生まれ、オックスフォード大学卒業後、航空工学者として働く傍ら、小説を執筆し、生涯で24冊の作品を出版した。 その作品は、自らのキャリア・体験に基づいた、航空業界、ヨット、戦争などをテーマとしたものが多く、代表作と言われる、...
ネヴィル・シュート(1899~1960年)は、英ロンドンで生まれ、オックスフォード大学卒業後、航空工学者として働く傍ら、小説を執筆し、生涯で24冊の作品を出版した。 その作品は、自らのキャリア・体験に基づいた、航空業界、ヨット、戦争などをテーマとしたものが多く、代表作と言われる、近未来を扱った『渚にて』(原題『On the Beach』)(1957年)は、特異な作品である。 私はよく本を読む方だが、ノンフィクション系の本が多く、SFや近未来を扱った小説では、『1984年』、『すばらしい新世界』、『華氏451度』、『2001年宇宙の旅』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『星を継ぐもの』、『日本沈没』、『復活の日』等、超有名作しか読んだことはないのだが、本作品については、以前より気になっており、今般読んでみた。 読み終えて、まず感じたのは、小松左京の『復活の日』(1964年)との類似性(と違い)である。読後にネットで調べたところ、やはり『復活の日』は本作品を下敷きにしているとのことだが(本書の帯にも小松左京がコメントを書いている)、決定的に異なる結末を用意しながらも、両者のメッセージは同じものである。 そのメッセージとは、世界を敵味方なく滅亡させる核兵器や生物兵器(『復活の日』での滅亡のきっかけは、兵器として研究開発されていたウイルス)の愚かさであるが、近年の、ロシアのウクライナ侵攻や、ハマスのイスラエル攻撃とイスラエルのガザ侵攻に伴う中東の緊張感の高まり、北朝鮮の核兵器開発、中国の軍事力強大化等を見ると、そのリスク・脅威は全く変わっていないと思われる。第二次世界大戦後に作られた「世界終末時計」は、アメリカと(当時)ソ連が水爆実験に成功した1953年に「2分前」まで進んだ後、東西冷戦の終結等により1991年には「17分前」まで戻されたが、その後再び針は進み、2024年現在「1分30秒前」を指しているという。 更に、半世紀前と異なる点として、気候問題や環境問題、食料問題等、中長期的な観点から、人類の滅亡に繋がり得るリスクが増大していることがある。敷衍するならば、AIの進化や遺伝子工学の進歩も、人類(いわゆるホモ・サピエンス)を人類で無くしてしまうリスクを孕んでいると言えるだろう。「世界終末時計」も、現在では、そのファクターとして、(核)戦争だけでなく、気候変動や新型コロナ感染症蔓延を織り込んでいるのだ。 本作品では、人類の滅亡に直面した人々が、パニックに陥ることなく、それまでと変わらない日々を愉しみ、(穏やかに)最期を迎えることが、強く印象に残るのだが、それはおそらく、「破滅に直面してなお人には守るべきものがある。人は気高い存在であるべきなのだ。」という著者のもう一つのメッセージなのだ。(解説で小説家の鏡明もそう書いている) 様々な意味で未来への分岐点にいる今、改めて読む意味のある名作といえよう。 (2024年4月了)
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