生きてるだけで、愛。 の商品レビュー
寧子とつなきの分かり合えなさとか、それでも誰かと、北斎と富士山と波のザッバーンのように同じ世界をみたいし、繋がりたいという気持ちが切実。わたしの、この濃さを恋人で中和したい、という寧子の気持ちもなんとなくわかる気がする。 あと、本に対する価値観の違いで別れかける、はなんというか笑...
寧子とつなきの分かり合えなさとか、それでも誰かと、北斎と富士山と波のザッバーンのように同じ世界をみたいし、繋がりたいという気持ちが切実。わたしの、この濃さを恋人で中和したい、という寧子の気持ちもなんとなくわかる気がする。 あと、本に対する価値観の違いで別れかける、はなんというか笑ってしまった。
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おもしろかったな。 鬱で躁で学生時代にからだ全部のお毛毛を剃ってしまうくらい行動にムラのある寧子と、うってかわって味の薄い・なりゆきで付き合い出し3年になる彼氏の津奈木との同棲生活。寧子は25だというのに鬱になりバイトを辞め、彼にパラサイト状態。そこに津奈木の元カノがあらわれ寧子に別れることを強要する。 ちょくちょく、現代風の軽口が「そんな馬鹿な」とも思うけど、「死ねマン」とか普通におもしろいしなあ。ウォッシュレットごときで破談になるのもわけがわからないけれど、みつを的世界に決別するのはスカッとするし、「そうだろうそうだろう、あんたはコッチ側の人間だよ」といつの間にか僕も「コッチ側」入りしているのだ。 ラストも思いのほか、ほろり。 「わざわざ全裸」で屋上のシーンはもう舞台が思い浮かんできて、これこれ、これって演劇だよねっと思った。身体ぜんたいで表現していて、それがきちんと一枚の絵になってる。 そこで北斎の五千分の一秒をもってくるのも、恋愛小説的には王道なのだろうけど、そこまでわざとらしくないしサ、やっぱり寧子の破たんぶりがここに来てデレるのがいいのか。
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「メンヘル」とか「メンヘラ」という言葉をつい最近知った。意味を追ううちに「今」のある種の雰囲気をよく伝える言葉だと思った。 初めて本谷さんを読む。「今」の雰囲気を捉えるのに長けた人が、絶妙のタイミングでとらえたスナップ、この小説はそんな印象だ。そのためこの小説の良質ないくつかの部分は、実は案外賞味期限が早く過ぎてしまうものかもしれない、と感じる。逆に言うと、質のいいところは「今」の雰囲気を伝えようとする文章群の中においてはかなり際立っているようにも思う。「今」と何度も言っているけれど、私が主にイメージしているのはネット上の言葉。ネット上の言葉をずっと見ているとそこに、ある文法のようなものが透けて見えるような気分にとらわれるが、その目には見えない文法もこの物語を魅力的なものにするのに一役買っている気がする。物語の内容面においても、リズムにおいても。 ただ、たとえ新鮮さが失われる部分があっても、核になる部分は残るだろう。それはタイトルにもある「愛」なんだろうか。この小説は「愛」という言葉がとても似合う。また、はちゃめちゃのように見えて、とても端正な貌をしているようにも思う。話の内容はヘビーだが、小説全体としては破綻していない。寧子も津奈木も安定した枠組みの中でその愛らしさを発揮しているし、思わず笑ってしまうところもある。分量の割に、伝わるものは多い印象的な作品。 本谷さんが大事にしているものや、比重をどこらへんに置いているのかは、他の本を読み比べて確かめることにしたい。 余談ながら松岡修造を文章の中に見つけるとなぜかテンションが上がる。修造好きである。なんでかはよくわからない。 これまた余談ながら「もとや」さんなんですね… 「ほんたに」の「ほ」でずっと本屋(そこそこ大きめ)の棚を探していて見つからず「よもやの絶版か?」と思ってしまったよ…
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「死ねヤリマン」→「死ねマン」、この流れに声出して笑った。 過眠。メンヘル。25歳。 いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。この文が肝だと思う。きっとこの先も寧子は大丈夫ではないのだろうけど、そのときだけは、いつか北斎が見たような5千分の1秒の内だけは、よかったねガ...
「死ねヤリマン」→「死ねマン」、この流れに声出して笑った。 過眠。メンヘル。25歳。 いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。この文が肝だと思う。きっとこの先も寧子は大丈夫ではないのだろうけど、そのときだけは、いつか北斎が見たような5千分の1秒の内だけは、よかったねガッキン。 前日譚「あの明け方の」での松岡修造のディスりっぷり。やはり本谷は奇才だ。
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2006年芥川賞候補。 うつ状態の寧子(25歳)の苦しみ。同棲中の恋人、恋人の元恋人、バイト先の人々との会話のテンポが良く、リアリティがある。寧子が恋人に苛々しているときの台詞、間の取りかたが生々しく、自分が怒られてる気分になる。「そのごめんはどういう意味。何について謝ってんの?...
2006年芥川賞候補。 うつ状態の寧子(25歳)の苦しみ。同棲中の恋人、恋人の元恋人、バイト先の人々との会話のテンポが良く、リアリティがある。寧子が恋人に苛々しているときの台詞、間の取りかたが生々しく、自分が怒られてる気分になる。「そのごめんはどういう意味。何について謝ってんの?」は特に怖い。
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一日で読み終えた。 ストレートパンチをうけた。 イライラすること。忘れてたことまで彼女は詳細に私に突きつける。 こういう刺激求めていたと思う。 駄文にて失礼します。
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読んでみたかった本谷さん。 鬱で過眠症のメンヘラ女。感情のまま動く突き抜けた感がシュールで面白い。ひどい内面が延々と描かれているのに、不思議と厭にならない。どの登場人物もいるのかもね~と思ってしまう。元カノが必死すぎて笑える。 破滅的なダメ女の全てに共感はしないけど、少しは共感する部分もあり。 他の作品も読みます。
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最近多い「弱者のメンタルを赤裸々に描き、希望を与えるわけではないけれどやさしいまなざしをむける作品」の一つのようで、表現の目のつけどころでワンランク上をいってると思う。 読み終わって、表紙の北斎の絵をじっと眺めてしまった。 5000分の1秒でいいから、「この瞬間」を心に焼き付けて...
最近多い「弱者のメンタルを赤裸々に描き、希望を与えるわけではないけれどやさしいまなざしをむける作品」の一つのようで、表現の目のつけどころでワンランク上をいってると思う。 読み終わって、表紙の北斎の絵をじっと眺めてしまった。 5000分の1秒でいいから、「この瞬間」を心に焼き付けてもらいたい・・・・奇跡的な数字を要求しているのに、「それだけでいいから」と言ってしまえる主人公の甘えと切実さが、すがすがしい。 ・・といったけど、この物語の主人公の生活にすがすがしさなんか一片もない。25歳、メンヘル、無職パラサイト、過眠症。 同じ年頃として、女として・・・・いやーこんなん友達としては絶対愛想付かす自信あるけど(そもそも友達にしてもらえない気がする)、自分の中にもこの主人公のちっさな分身おるな。自覚的に内側にくくって出てこないようにしてるだけで。 「自分だって病んでひたすら寝てたいわ」という屈折した願望から、彼女のような人を甘えてる人間、と判断して自分の甘えを外部化(遠隔化?)してちょっと落ち着く・・・という、自分のすごく嫌な部分も発見したし、 こういう人でも誰かに「5000分の1の瞬間」を与える側になりうるんだよな、という新たな目線が生まれた。 薄い本なんだけど、個人的には印象深い一冊。 メンヘルっていうカテゴリーが未だによくわからないけれど(自己申告制なのか?)、「外に出てなんかしてくること」とか「自分を含め人一般とかかわること」、ひっくるめて言えばは社会的な行動をとることに、人より緊張するんかな。 素朴な疑問なんだけど、こういう人たちは、ほんとに食っていけなくなったら(親兄弟友人知人恋人、全てなくなった場合)どうすんだろ。メンヘルという言葉が市民権を得ている今、こんな疑問は愚問なのか。 真剣に悩んでいる人たちにとっては「高みの見物しやがって」と言われそうな感想だけど、これはある意味女子にとってはおとぎ話のような、相当ロマンチックな話だと思った。どんだけ突き放しても痛めつけても自分の一等酷い有様を見せても、ありのままの自分をうけいれてくれる…たとえ全体の5000分の1しか理解されてないとしても。 そんな至極女子的な甘えがぷんぷんするものの、嫌みは少なくい。状況の割に後味は軽いけど、インパクトは大。今後「運命の出会い」ときいたら電流びびっじゃなくて波ざっぱーんを連想するだろうと思う。北斎のね。
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「自分で自分に振り回されてぐったりする」 寧子の起伏の激しさには、周りだけでなく彼女自身も訳が分からず翻弄されてしまう。メンタルヘルスという言葉はあてがわれているけれど、「内側」の発露の度合いが違うだけで決して特別なものなんかではなく、それはきっと多くの人の内奥に流れているものだ。 彼女は自分の内面にあるエゴに気付いているからこそ、ネット上で同じような境遇の人たちの発露を目の当たりにして嘔吐し、パルコのカードが作れなかった時に自分の何かが見抜かれていると敏感に感じ取ってしまった。そういうものを前にして感情を顕わにすることができるのは、周りから見れば格好良いものではないのかもしれないけれど、どこか羨ましくもある。
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再読。 あらゆる難癖ででっちあげた孤独っぽさを本物と見間違えられてしまって、頼んでもいないのにあちこちからべたべた複雑に塗りたくられてるうちに今やなんだかやたら高尚な感じに固まりかけている表現を無造作にばりばり引剥がす、そういうエネルギーがある。 剥がした下に根を張るのはただ寂し...
再読。 あらゆる難癖ででっちあげた孤独っぽさを本物と見間違えられてしまって、頼んでもいないのにあちこちからべたべた複雑に塗りたくられてるうちに今やなんだかやたら高尚な感じに固まりかけている表現を無造作にばりばり引剥がす、そういうエネルギーがある。 剥がした下に根を張るのはただ寂しさで、そういう欺瞞と矛盾の多重構造をややこしくしないのは世俗的な強かさ、そういう筋の通らなさ。とても女らしいなとおもう。やっぱり好きだな。
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