覘き小平次 の商品レビュー
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人は結局、自分勝手に生きている。 そのズルさをわきまえながら、 図々しさにちょっと照れながら、 人間クサく生きている治平さんが好きです。 主人公の性格(モノの考え方・・・哲学?)がすごく魅力的だったのと比べ、物語自体はフツウだったので、☆4つ。 ☆☆☆内容(ネタバレ)☆☆☆ 主人公、小幡小平次(こはだ=こへいじ)は、 押入れの中に引きこもり、 ふすまのわずかな隙間から、女房をじっと見ている。 話しかけても答えないし、 語りかけても応じない。 奥さんが叩こうが蹴ろうがわめこうが怒ろうが、 何もしない。 ただただ、ずっと、押入れの奥から 覘いている。 「何とか云ったらどうなんだい!!」 女房は、益々荒れた。 --***-- 小平次は役者だった。 何も演ずることができない、駄目な役者だった。 劇団の座長が死んだときも前妻が亡くなった時も、 腹の底から悲しくなった筈なのに、涙が出てこなかった。 泣くべきときに、何故か涙が出てこない。 もしかして本当は悲しくないのか。 悲しみとは何か。感情とは何か。 ひょっとして自分は何も感じないのか。 そう考えあぐねているうちに ・・・とうとう「自分がなんだか分からなくなっちゃった」人だ。 --***-- 遺体に取りすがり、涙に暮れる遺族が居る。 「さぞ無念だったろう、さぞ悲しかろう、悔しかろう」 思いやる。 だが実際は、人の心が分かることなどない。 他人の気持ちが分かろう筈もない。 「自分の身近な人が殺されたらショックだろうな。。。」 「自分が殺されたら嫌だなぁ」 というイメージを自分勝手に膨らませ、 遺族に“なったつもり”の自分、 “『家族を殺された人の役』を演じる”自分、 悲しい気持ちになった自分を、 憐れみ、なぐさめる。 遺族を思いやっているのではない。 自分の演技に、酔うている。 小平次は自分が嫌いだ。 苦しむ人を見るにつけ、悲しむ人を目の当たりにするにつけ、 ふつふつと感情を湧き上がらせる自分が厭だ。 不幸な他人を“演じる”ことでハッキリしてくる、 ずうずうしい己が厭だ。 いつでも薄く冷ややかで、静かな状態で居たがった。 そうして、 小平次はしゃべることができなくなった。 自分のことを語ろうが、他人の事を話そうが、 しゃべるという行為は結局『自己主張』になってしまう。 自分のことをしゃべるのは、厭だった。 --***-- 小平次は、他人を演じられない。 だから貶せない。褒められない。 呪えない。祝えない。 蔑めない。 怒れない。笑えない。悲しめない。 泣けない。 喜べない。 他人の心の内を、 覘くことしかできない。 そういう、悲しい男の物語。
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北海道出身の作家さん 初めての京極作品でしたが、筋が凄くぶっとくて新しい世界を見た気分です。 キャラがたってる作品なので、映画化してないのが意外なくらい。 小平次は温水さんにしたら、パロディになってまうなー
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これは、文庫うしろのあらすじ?には反対だなぁ。 異形の愛 て言葉が使われてるけど、愛じゃないと思った。愛って便利な言葉だなぁ。 いやー、愛ではなく、 もっと深い、なんとも言い難いどろどろというか、大抵の人が意識せず、意識したくないものの上に書かれた話だと思った。 小平次さんとは住めないわ。 治平さんがよかった。
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久々に再読しました。 表紙は怖いけど、自分は読み終わって「夫婦ってなんだろう」みたいなことをずっと考えていた。 何回も読み返して、味わい尽くしたい本。京極作品はいつもそうなのだけれど。
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元ネタが山東京伝の安積沼だけあってベースは戯作らしい面白さ。そこにミステリーや複雑な人間関係とストーリーを京極節で味付けされ、しっかり現代小説に。
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そう言えば京極作品初レビュー。 木幡小平次は日がな押入に籠り一寸五分の隙間から外を覘く。 その隙間だけが彼の世間。 女房に疎まれ詰られ忌み嫌われる廃者(すたりもの)。 ヘボ役者ゆえにろくな稼ぎもないけれど、幽霊役をやらせれば、2人といない名人芸。 そこに目を付けた芝居一座から...
そう言えば京極作品初レビュー。 木幡小平次は日がな押入に籠り一寸五分の隙間から外を覘く。 その隙間だけが彼の世間。 女房に疎まれ詰られ忌み嫌われる廃者(すたりもの)。 ヘボ役者ゆえにろくな稼ぎもないけれど、幽霊役をやらせれば、2人といない名人芸。 そこに目を付けた芝居一座から奥州興行に誘われて― とまぁ、そんな感じで始まる物語。 主人公はもちろん小平次ですが、この男、何もしない。 物語の進行にいっさい(自らの意志で)関わっていかない。 小平次は「ただそこに在る」。 それだけで周囲の人間が勝手に動き、(小平次から見れば)事態が勝手に進行していく。 全登場人物の輪の中心には間違いなく小平次がいるんだけれども、その中心が薄ぼんやりとして定かではない。 まるで小平次が好む押入の中の昏がりのよう。輪を剥ぎ取れば、そこにはきっと何もない。 京極夏彦の言う「妖怪はドーナツの穴みたいなもの」っていうのに少し似てるかも。 こういう小平次の生き方(「生きている」とは言いがたいけど)は、好き嫌いの分かれるところだろうなぁ。 ちなみにこの作品、従来の巷説シリーズと関わりがありますが、又市らの活躍を期待するとガッカリしますよ。 それは『嗤う伊右衛門』もだいたい同じだけど。
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どうやったらこんな文体でこれほど完璧に書けるのだろう。京極夏彦は実は昔の人なんじゃないだろうか… と思ってしまうほど、慣れ親しんだ現代文章とは違う。しかし、戸惑うのは最初だけで、読み進めるに従いどんどん慣れてきて、むしろこちらがその世界に引き込まれてしまう。 ジャンルはミステリーではないはずなのに、伏線や人物が徐々にからみ合って行き、謎とは思っていなかったことが実は謎だった、そしてそれが解決されるカタルシス。 こっそり又市一味が出てくるのもファンには嬉しい。
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『嗤う伊右衛門』とおなじく、切ない読後感に酔いしれています。 小平次の様子に、異様さ、不気味さを感じつつ、なぜか、お塚がののしるほどの嫌悪は感じませんでした。読み進めていくにつれ、彼を「強く頼もしい」存在に感じ、好意を持ってしまうのは、なぜでしょう。彼ら以外の登場人物は、あるべき...
『嗤う伊右衛門』とおなじく、切ない読後感に酔いしれています。 小平次の様子に、異様さ、不気味さを感じつつ、なぜか、お塚がののしるほどの嫌悪は感じませんでした。読み進めていくにつれ、彼を「強く頼もしい」存在に感じ、好意を持ってしまうのは、なぜでしょう。彼ら以外の登場人物は、あるべき自分の姿を探し、ないものを埋めようと必死です。人々の、あさましさや愚かさを描きながら、なぜか彼らを憎めないのは、自分の中にも同じものがあることを自覚させてくれるからかもしれません。そして、自分にはない強さを感じるから、小平次に好感を持ってしまうのかも。いずれにせよ、京極さんの、異形な者への優しいまなざしが、この切なく温かい読後感に繋がるのだと思います。あくまで主観ですが、お塚は小平次が愛しくてたまらないのだと思います。それゆえの、もどかしさ、腹立たしさを、ひしひしと感じました。こんな、不器用な夫婦愛を描かせたら、京極さんの右に出る者はいない、と私は思います。
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伊右衛門もそうだけど終盤の展開に痺れる…! ほんのりと、切なく不気味な読了感。 治平さん格好良かったです。言ってることがとても良かった。
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言葉で感想を述べるには、後二、三度読み返さなければならないだろう。 滞りのない展開はまるで清流。 種明かしがされているのに凍る背筋、冷える肝。 こんな怪談は初めて体験した。
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