私塾のすすめ の商品レビュー
現代社会においていかに生きるかを考えることは、明治維新の時代にいかに生きるかということに似ている。明治維新を起こす原動力にもなったと言える私塾を現代でもネットを使って再現できるのではないか?という提言。 自分なりの発言媒体を各個人が持てることにより、今までの社会ではあり得なかっ...
現代社会においていかに生きるかを考えることは、明治維新の時代にいかに生きるかということに似ている。明治維新を起こす原動力にもなったと言える私塾を現代でもネットを使って再現できるのではないか?という提言。 自分なりの発言媒体を各個人が持てることにより、今までの社会ではあり得なかった密度の空間を作ることができるかもしれない。
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2008年。 学ぶ姿勢、考え方を学ぶために。 というよりは人生とは、生き方とは仕事とは? 職業とは?、を、考える上で自分とはの大きなヒントを与えてくれた。 同時に考えるきっかけを、与えてくれた。 っと感想書いているが。。。
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齋藤孝先生と梅田望夫氏の対談です。江戸末期や明治時代に起きた私塾文化について両者の見解などが述べられています。本書のタイトルほど私塾については言及されておらず、やや散文的な印象です。
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何かの学校に通って学ぶというのは、とても受身な姿勢だということに気づかされました。 効率はいいかもしれませんが、求めるものやその性質が異なるのではないかと考えさせられました。
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●幕末の緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾・・・この2つの塾からは、明治の日本を支えた人物が育っています。単なる知識ではない。師のあふれる「学びへの情熱」が塾生たちの心を熱くしていた。私にとっては「私塾」とは、塾という現実の空間や組織というよりも、概念です。師弟関係、熟成同士の関...
●幕末の緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾・・・この2つの塾からは、明治の日本を支えた人物が育っています。単なる知識ではない。師のあふれる「学びへの情熱」が塾生たちの心を熱くしていた。私にとっては「私塾」とは、塾という現実の空間や組織というよりも、概念です。師弟関係、熟成同士の関係を「私塾的関係性」を呼ぶとすると、この関係性は現代においては、もっと広がりをもって捉えることができる。少人数の、直接同じ空間を共有する関係だけでなく、インターネット空間でも「私塾的関係性」は成立し得る。 ●「形にならない思い」のようなものを育てていくことはとても大事。今は形にならないけれど、やがて形をもって現実化していくという、もやもやっとした感触をもっている人たちもいると思います。そうした「もやもや感」が育っていって、それによりパッションが大きくなれば、やがて「デザインする力」に変換できます。 ●ネットの中で「あこがれのベクトル」をみつける 自分の志向性と合った人がウェブではたくさんみつかる可能性が高い。インターネットがわれわれの能力の増幅器。蒸気機関や自動車が人間の筋肉の能力を増強したように、ネットが脳とか人間関係を増幅する。距離と時間と無限性の概念をゆるがしているわけです。リアルの限定されたコミュニティだけにとらわれず、未知との遭遇のありようががらりと変わってくると、いろいろな可能性が出てきます。リアルの組織を超えたところにできる志向性を同じくする人の集まりを、明治維新前後の私塾のイメージでとらえると、新しい発想が生まれるのではないかと思うんです。 ●「空気」をつくるのがリーダーの役目 大人の情熱ある人が方向性を自ら体現してそれを維持する、そうすると、そこに集まる人の集団が、チームとしての「空気」を共有するようになる。たとえば、非常にレベルの低い誹謗中傷などは言いにくい「空気」というのがありますよね。そういう良い「空気」をつくるのが、リーダーの役割なんですよね。リーダーがしっかりしていれば、そういう良い空間がネットの上でもつくれる。 ●「心で読む読書」、心の糧になる言葉をもつ 本を読んでいても雑誌を読んでいても、「自分のために書かれたような言葉」だというふうに思うことが多い。(=セレンディピティ感覚)。現実の人間との出会いだけでなくて、言葉と出会うということを大切にしていて、「なぜここに自分のために書かれたような言葉があるんだろう」と思える人というのは、「心で読む読書」ができる人だと思う。これだけ情報があふれていて、読むべき本も出尽くしている感じがあるなかで、「これは運命の言葉だ」のように思える人だけが、情報ではない、心の糧になる言葉をもてる人だと思うんですよね。 ●イチローは試合に出る前と後と、とにかく身体のケアから道具のケアから、とても長い時間をかけている。まわりのメジャーリーグの選手に比べても、圧倒的な時間とコストをかけて準備している。ということは、シーズン中、たいていのことはほとんど断っているということ。そういう「決め事」というのは、人間の有限性に対しての自覚だと思うんですよね。最近本当に感じるのは、情報の無限性の前に自分は立っているのだなということ。圧倒的な情報を前にしている。そうすると、情報の取捨選択をしないといけない、あるいは、自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない。流されたら、本当に何もできないというのが恐怖感としてあります。何を遮断するかを決めていかないと、何も成し遂げられない。 ●「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対局にある現実前提の安定志向、昨日と今日と明日は同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方・・・これらの組み合わせがじつに強固な行動倫理となって多くの人々に定着し、現在の日本社会でまかり通る価値観を作り出している。「本気で変える意志というものをもっていない、もやーっとした感じ」、「達成が問われにくく、朦朧としているという感じ」が日本社会全体を覆ってしまっている。我々はそんな日本社会の閉塞状況に危機感を抱いている。我々はそれらと戦っている。
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教育学者とITコンサルタントの対話。 全体にわたり対話形式でメッセージが伝わりにくいが、「おわりに」で梅田氏が、訴えを要約している。日本社会でまかり通る価値観に対する怒りや、閉塞状況による危機感を訴えているのだ。 閉塞感に危機を感じない状況と、それに対して警鐘を鳴らすという構...
教育学者とITコンサルタントの対話。 全体にわたり対話形式でメッセージが伝わりにくいが、「おわりに」で梅田氏が、訴えを要約している。日本社会でまかり通る価値観に対する怒りや、閉塞状況による危機感を訴えているのだ。 閉塞感に危機を感じない状況と、それに対して警鐘を鳴らすという構図は続いているが、今でも前者の存在は大きいと感じる。しかし、均衡が崩れたときには、これまでの価値観にすがってきた世代は完全に時代に取り残されてしまうと感じた。
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身体をつくること・ひたすらWEBの実現可能性を追求すること、それぞれ起点の違う熱い二人の対談。激動の今日におけるサバイバル指南に対し、頭で考えるだけでなく、読者自身が強い覚悟・意思・勇気を持って突き進んで行かなくてはならない。
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「私塾」っていうのはテーマの一つで、結局お二人の楽しい対談録、という趣ですがまぁそれはそれ。 シリコンバレーと教育の世界というまったく畑の違うと思われた2つのフィールドにいらっしゃる2人ですが、思いや志向の類似性は強いということと、何らかの形で現状を変えて行きたいというモチベーシ...
「私塾」っていうのはテーマの一つで、結局お二人の楽しい対談録、という趣ですがまぁそれはそれ。 シリコンバレーと教育の世界というまったく畑の違うと思われた2つのフィールドにいらっしゃる2人ですが、思いや志向の類似性は強いということと、何らかの形で現状を変えて行きたいというモチベーションは大きいのだと、それがありきたりの手法でないところに強みがあるのだなぁということがよくわかります。
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誰かの紹介で読んでみました。教育・ウェブと世界は違うものの、新しいことに自分の考えを持って取り組んでいる2人の対談でおもしろく読めた感じはしました。 ちょっと決めつけすぎというか、勝手だな、、という印象を持つ場面もあったけど、まぁ自分の好きに書けるのが本の良さでもあるし、いいんじ...
誰かの紹介で読んでみました。教育・ウェブと世界は違うものの、新しいことに自分の考えを持って取り組んでいる2人の対談でおもしろく読めた感じはしました。 ちょっと決めつけすぎというか、勝手だな、、という印象を持つ場面もあったけど、まぁ自分の好きに書けるのが本の良さでもあるし、いいんじゃないかなと。笑。 「量をこなさないと質的変化が起こらない」という一節なんかは、確かにそうなんだよととっても共感した部分でした。僕も量をこなすことを大事にしてみます。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
グローバルやIT技術により、四六時中仕事をする必要があり、仕事のとらえかたも、仕事は「耐えないいけないもの」から「好きじゃないともとない」ものに変わりつつあります。 そんなサバイバルな環境で、学び続けるには? その理想の一つが「私塾」です 志を同じくする仲間と熱く語り合い、学びたい。中心には信頼できる人格と力量を併せ持った師がいてくれる。(モデルは、幕末の緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾) そんあ私塾環境にするために 梅田氏は、自分の志向性にあった環境を見つけるべきで、ブログを用いることでそれが可能であることを説いています。 斉藤氏は、私淑(直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと)する人をロールモデルとして持つことすすめている。 読書というのは、自分の中に、自分の見方となる他者を住まわせることだと説く。 また、 教育論では、斉藤孝氏の考えにとても感銘をうけました。 「あこがれにあこがれる」 『何かに対する強烈な「あこがれ」を体現し、猛烈な勢いで学び続けている先生が身近にいれば、その「あこがれ」に感化される』 対話本の形式なので、二人の本音が見える一冊だと思います。特に斉藤孝さんがいいですね。ファンになりました。
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