私塾のすすめ の商品レビュー
ギリギリまでやると、ようやく次の道への一歩が見つかる。そうでないと「たぶんやればできるだろう」と甘く見積もる。
Posted by
「声に出して読みたい日本語」の斎藤孝さんと 「ウェブ進化論」の梅田望夫さんの対談が一冊の本になった感じです。 ふたりは同い年でありそれぞれ全く逆の道(教育とIT)の最先端を行くような感じですが底辺にある部分は恐ろしく似ていて「同志」と言う言葉がピッタリです 内容は 第1章 志...
「声に出して読みたい日本語」の斎藤孝さんと 「ウェブ進化論」の梅田望夫さんの対談が一冊の本になった感じです。 ふたりは同い年でありそれぞれ全く逆の道(教育とIT)の最先端を行くような感じですが底辺にある部分は恐ろしく似ていて「同志」と言う言葉がピッタリです 内容は 第1章 志向性の共同体 第2章 「あこがれ」と「習熟」 第3章 「ノー」と言われたくない日本人 第4章 幸福の条件 と進みますが その前後に はじめに――志をデザインする(齋藤孝) コラム梅田望夫「私のロールモデル」 コラム斎藤孝「私のロールモデル」 コラム梅田望夫「私の座右の書」 コラム斎藤孝「私の座右の書」 おわりに――私塾による戦い(梅田望夫) が挟まっているため2人の心と言葉のキャッチボールが展開されているようにも思えます。 非常に現代的な本と言えるし求めれば何でも手に入る時代に突入しているのがこの本で改めて実感します その「何か」を求められない人には生き辛い時代にも感じられるしそれも含めて情報による格差が仕事でも何でも広がっているんだな・・・とこの最近のニュースや風潮をリアルに感じてしまいます。 この私塾と言う価値観・・・実際にブログ運営をしている人には感覚的に理解しやすいと思いますし何か自分の追及する分野を見つけたのならばこれからの時代は大学に行って専攻するのも間違いではないのだけれど ブログをはじめネットの世界で同志を探して私塾を作り出す・・・そんな新世紀を感じます 底辺を広げる齋藤さんと上を伸ばす梅田さん逆のアプローチのようで芯の部分はお互いに共感しあえる存在。読んでいるとつくづく「似た者同士」だしこの2人に限って言えば「似た者同志」って表現が相応しいです
Posted by
かなり読んできて、 おおやはり梅田氏に共感するわ、に行き着く。 最後の最後、怒りを感じるポイントまで見事に一致するとは。
Posted by
リーダーの役目、求められるものや組織から得られるもの、学習するときに必要なもの、ネットやブログの活用法が分かり、その考え方は非常に刺激を受けました。
Posted by
「私塾的空間」。この言葉に大きく共感しました。将来の自分の生き方に迷いがある若者には是非読んでいただきたい一冊です。
Posted by
2人とも活躍する分野は異なるが、考え方、生き方に共通する部分が多いと感じた。特に自分にとってのロールモデルを複数決めて、その人の生き方、スタイルを自分のために消費するという考え方が面白かった。
Posted by
★尊敬する二人の対談ということで期待が大きすぎたせいか、あまりお互いの科学反応が起きなかった点に物足りなさを感じた。二人の志向性の違いが確認された気がした。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
新書で1日で読了。タイトルにもある「私塾」は既存の学習塾や個人塾という意味合いを超えて、ネット上で同じような「志向性」を持った人々をつなぐ、新たな「共同体」のことを指している。例えば、昔の松下村塾のようなものを現代風に蘇らせるとしたら、どのような形が可能か。その可能性を拡大するのにネットが大きな役割を果たすのではないか?そのことを梅田さんが齋藤さんに説得しているような印象を受けた。
Posted by
学び続けることの達人二人の対談だ。かたや三色ボールペン読書の斉藤孝さん、もう一方は、ウェブ世界を「犀の角のように」ひた走る梅田望夫さん。 機関銃のように本を出版しつづける斉藤さんと、インターネットと著作のインタープレイで新しい読者層を開拓する梅田さん。同じ年だという。斉藤さんの...
学び続けることの達人二人の対談だ。かたや三色ボールペン読書の斉藤孝さん、もう一方は、ウェブ世界を「犀の角のように」ひた走る梅田望夫さん。 機関銃のように本を出版しつづける斉藤さんと、インターネットと著作のインタープレイで新しい読者層を開拓する梅田さん。同じ年だという。斉藤さんの方が若干年長の印象だった。出版というメディアが中心だからの印象かもしれない。 二人に共通するのは、まなびつづけることの大切さを、次世代に伝えたいという強い思いだ。使う手法の違いはあっても、その思いは共通し、ポジティブなものの強さが伝わってくる。 彼らのロールモデルは、福沢諭吉のような明治の私塾のリーダーたちだ。 梅田さんは、こういった「志向性の共同体」をサポートするインターネットインフラの可能性を広く伝えることに使命感を感じている。 《梅田 ネットというのはいろいろ危険なこともあるから、ちゃんとガイドしてあげないといけないのですが、志をもった良き大人、ある志向性を持った大人が、自分はこういう関心をもった人間なんだよ、ということをウェブ上に立ち上げ広く示していく。科学でも、数学でも、文学でも。そういう「志向性の共同体」がネット上にたくさんできたら、子供でも、本当に自分の関心のあることをやっている大人の人たちの集まりに参加することができる。ネットでまずつながり、そしてリアルに発展していく、誰もがネット上で、志向性を同じくする若い人を集めて私塾を開くことができるというイメージです。それはウェブ時代たる現代ならではの素晴らしい可能性だと思うんです。》 斉藤孝さんは、ウェブのネガティブフィードバックを気にして、ブログはちょっと気のりがしないようだ。そんな彼に、じっくりと自分の経験を踏まえて、ネガティブなことが起こると傷つくのは事実だが、全体に比べれば、ほんの数%で、さっぴき、ポジティブなのだと説明する。このあたりの梅田さんの地道な実践性がぼくは好きだ。 《梅田 これからの時代は、新しいタイプの強さを個々人が求められていくと思うんです。その強さとは何かを突き詰めて言えば、オープンにしたままで何かをし続ける強さ。たくさんの良いことの中にまざってくる少しの、でもとても嫌なことに耐える強さです。底を乗り越えて慣れてしまえば、全く違う世界が広がる。》 斉藤さんの真骨頂は、やる気のない人には手も足もでないという梅田さんに対するこんなコメントにあらわれている。 《斉藤 端的に言うと、「あこがれ」と「習う」が二本柱だと僕は思っています。「あこがれ」というのは、これがすばらしいんだとあおられて、その気になってやってみるということ、もうひとつ、「習熟」というのは、「練習したらできた」という限定的な成功体験だととらえています。すべてにおいて成功するというのは難しいのですが、限定的な成功体験があると、「できるって面白い」と思える、それに何の意味があるかということは関係なしに限定的な成功体験によってモチベーションが上がる。》 斜にかまえたネガティブなコメントばかりが世の中にはあふれている。そんなどこかで聞いたような台詞にはあきあきだ。現実的でそんなにお節介じゃない、こんな明るいメッセージがぼくは聞きたい。最後に、梅田さんが単なる楽観主義者じゃないことを示すこんなコメントにはまったく同感だった。 《梅田 僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。》 好きこそものの上手なれが、圧倒的に増幅されるネット社会。いくらやってもあきないことじゃないとたしかに生き残れそうもない。
Posted by
モチベーションがない人がどうしたらいいかというご質問ですね。端的に言うと、「あこがれ」と「習熟」が二本柱だと僕は思っています。「あこがれ」というのは、これがすばらしいんだとあおられて、その気になってやってもるということ。もうひとつ「習熟」というのは、「練習したらできた」という限定...
モチベーションがない人がどうしたらいいかというご質問ですね。端的に言うと、「あこがれ」と「習熟」が二本柱だと僕は思っています。「あこがれ」というのは、これがすばらしいんだとあおられて、その気になってやってもるということ。もうひとつ「習熟」というのは、「練習したらできた」という限定的な成功体験があると、「出来るって面白い」と思える。
Posted by