私塾のすすめ の商品レビュー
志向性の共同体 村上春樹 40歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとにおいていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み替えが終わってしまった後では、好むとこのまざるに関わらず、もうあともどりにはできない。それは前にしかすすまない歯車なのだ。僕は漠...
志向性の共同体 村上春樹 40歳というのはひとつの大きな転換点であって、それは何かを取り、何かをあとにおいていくことなのだ、と。そして、その精神的な組み替えが終わってしまった後では、好むとこのまざるに関わらず、もうあともどりにはできない。それは前にしかすすまない歯車なのだ。僕は漠然とそう考えていた。だからこそそうなる前に、僕の中で精神的な組み替えが行われてしまう前に、何か一つ仕事をしてのこしておきたかった。ニーチェ ツゥラストラ 中公文庫
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「ウェブ進化論」の梅田望夫氏と「質問力」の斉藤孝氏の対談。 私塾とは江戸時代に活発な活動を見せた、一定の枠にはまらず塾主の個性と、 有志者の自発性を基盤として発展した教育機関である。(wikiより) 塾主へのあこがれが塾生を引き寄せ、そこから個としての強さを生み出す ...
「ウェブ進化論」の梅田望夫氏と「質問力」の斉藤孝氏の対談。 私塾とは江戸時代に活発な活動を見せた、一定の枠にはまらず塾主の個性と、 有志者の自発性を基盤として発展した教育機関である。(wikiより) 塾主へのあこがれが塾生を引き寄せ、そこから個としての強さを生み出す その場としてネット上のオープンソースコミュニティをあげられている。 一定の枠にはまらない 熟主の個性にあこがれた塾生たち集まり・・・ これは今の日本の現実世界には確かに希薄だ。 ネット上にしても、ただ自分の考えや感情を吐き出すだけの場としての方が強い気がする。 オープンソースコミュニティにしても、強烈な個性を持った塾主がいるコミュニティというより 組織の延長としてのグループに近いのかもしれない。 強烈な塾主とは、好きなことに凄まじく没頭できる人だと言う。 自分にはそこまでできるだろうか? 今は無理だろう。でもその一歩として 自分をオープンにして何かを成し遂げることはしてみようと思う。 確かに難しいことだし、誹謗中傷されることも覚悟しなきゃいけないかもしれないけど それ以上にいろいろな可能性があるという言葉は信じていいと思う。 意外と、オープンにすることで自分にプレッシャーがかかっていいかもしれないな(笑) ネット上に自分の旗を立てることで、誰かに見つけてもらえるかもしれないし、 自分からその旗を持って飛び出すこともできる。 個としての強さ・存在感を確立することがこれからの近未来はとても重要であると感じた。
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なんとなく不思議な感覚のする本だった。 内容がとても深いような、でも自分との距離感を感じるような…。 これはたぶん自分の目線、経験、考え方がこのお二方に遠くおよばないからではないか…。 もう少し、年齢を重ねた後に読み返したい。 その時、自分が努力を続けていれば腑に落ちる本に なる...
なんとなく不思議な感覚のする本だった。 内容がとても深いような、でも自分との距離感を感じるような…。 これはたぶん自分の目線、経験、考え方がこのお二方に遠くおよばないからではないか…。 もう少し、年齢を重ねた後に読み返したい。 その時、自分が努力を続けていれば腑に落ちる本に なるのではなかろうか。
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齋藤孝と梅田望夫の対談をまとめたものである。1960年生まれの2人が同じところと違うところを見つけあう。ある意味では愚痴の言い合い。ある意味では同志の表明。といったところ。 齋藤は別な本でも語っているように、 (自分を)バカにした人を、自分を認めなかった代表だと拡大解釈し、謂れ...
齋藤孝と梅田望夫の対談をまとめたものである。1960年生まれの2人が同じところと違うところを見つけあう。ある意味では愚痴の言い合い。ある意味では同志の表明。といったところ。 齋藤は別な本でも語っているように、 (自分を)バカにした人を、自分を認めなかった代表だと拡大解釈し、謂れなき罪をきせ、世の中を強大なる敵として闘う ことを続けてきた人で、梅田にも通ずるところがあるのだろう。ただ、2人のやり方が違い、立ち位置が違う。 この本は「けもの道」を進もうとする人たちへの具体的な応援歌になってくれればよいがどうだろう。対談形式で読みやすくしようという意図が梅田にあるかもしれないが、それであれば「編集者」との対談の方が、論が拡散しなかったのではないだろうか。
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私塾−。幕末維新期に志ある若者が集まり、相互研鑚を行った場。一生学び続けることが求められる現代において、どのような場所に私塾を求めればいいのか。 本書では、「過去の大人への私淑」を可能にするものとしての「本」、時空を超えて集まることのできる「ブログ空間」を現代の私塾と位置づける...
私塾−。幕末維新期に志ある若者が集まり、相互研鑚を行った場。一生学び続けることが求められる現代において、どのような場所に私塾を求めればいいのか。 本書では、「過去の大人への私淑」を可能にするものとしての「本」、時空を超えて集まることのできる「ブログ空間」を現代の私塾と位置づける。齋藤孝氏によれば、目標となる私塾は緒方洪庵の適塾と吉田松陰の松下村塾。この二つの塾では、単なる知識の移転ではなく、師のあふれる「学びへの情熱」が塾生たちの心を熱くしていたという。 ■見通す力■ 学習といっても、勤勉に努力するだけでなく、自分自身を含んでしまっている状況全体を把握する★見通す力★が努力の量と同じぐらい重要となる。「こういうふうに大体見えているんだよ」ということを多くの人と共有する、するとそこに向けて自分自身がどういうデザインをしていったらいいのかということを考えられるようになる、次の一歩を確信を持って踏み出すことができる。 ★「自分の歩みに確信を持てるかどうか」がじつは達成の一番の鍵★。 「形にならない思い」を育て、それによりパッションが大きくなれば、やがて「デザインする力」に変換できる。 ウェブ時代に個人に求められるもの、「個の強さ」「自助の精神」」「学び続けることの大切さ」=『学問のすすめ』にある「独立自尊」。明治時代と現代は求められるものが似ている。 ■あこがれる力■ 齋藤孝の中心概念は、「構え」と「スタイル」。スタイルとは、存在のありようのこと。たとえばシャーロックホームズの「依頼があると急に忙しくなるけど、それまでは暇」というあり方がスタイル。 ★スタイルの傾向・調査ワークショップ★ 自分が好きな「あこがれる人物」を三人あげる。三人の組み合わせのなかに、選んだ当人の個性が浮かびあがる。こうした意識化を行うと、自己の内部に重要な他者が何人も棲みこんでいる感覚が生まれて自己イメージが進化する。 「憧れる」という心理は、自己革新の推進力となる。“ロールモデルを消費する”そんな姿勢を重視する。ネットを通じて、「志向性の共同体」を発見することも、推進力の一つ。あこがれのベクトルを発見できる。ネットは危険の側面もあるが、志をもった良き大人、志向性をもった大人が、「志向性の共同体」をたちあげ、正しいふるまいを示すこともできる。そこでは、リーダーの情熱と没頭がとても重要。情熱に引き寄せられて、関心事をチャネルにつながりあう。 「サバイバルした先にある様々な未来の可能性をイメージしてほしい。そしてそれによって、一人でも多くの人の心の中に今を生きるエネルギーが湧いてくれればと願うのだ」梅田氏は、輝かしい未来像を示すものの、「そんなことはおれはできないよ」「興味ないよ」という人のところまで下りて行って、声をかけることは自分はできないと語る。齋藤孝氏は、意識世界ではなく、型(音読、四股踏み)を反復することで無意識世界を広げ、「できない」という恐怖を克服する方法を提案する。 そもそもモチベーションがない人にどのように火をつければいいのか。齋藤孝氏は「あこがれ」と「習熟=限定的成功体験」であると説く。「習熟」というのは、練習したらできた、という限定的な成功体験。これがあれば、できるって面白いと思える。そして、あこがれ。やる気のない人にとっては、一番の原動力になると説く。あこがれの喚起、これが重要。 ※私自身は、セオリーでできない、関心ないと思われるものを、ナラティブに挑戦する個人的な意味の発見を促す。 ■オリジナリティと定着のバランス■ 「質問力」「段取り力」・・、これまでその言葉がなかったのに、焦点があてられることによって、そこにみんなの経験が結晶化されるようなものをコンセプトとして紡ぎだす。概念としての言葉と、メソッドというか実際のやり方を残す(三色ボールペンなど)。 齋藤孝氏のロールモデルは、ナポレオン(知・情・意・体の四つがそろったリーダー)、嘉納治五郎(講道館創始者、身体文化を過去から未来に継承した人=姿三四郎)、ゲーテ(創作にも吸収にも貪欲だがあせりはない、質の高い仕事を大量に生み出しつづける人生)
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自分のロールモデルとは?自分の座右の書とは?自分に何ができるのか?と考えるのではなく、自分はどんな人になりたいのかを考えると頭がまとまる気がすることを気づけた。何度も読み返したい一冊。 【備忘録】 斎藤孝氏の文章より 日本人のうずうず感 P80 モチベーションは「あこがれ」と...
自分のロールモデルとは?自分の座右の書とは?自分に何ができるのか?と考えるのではなく、自分はどんな人になりたいのかを考えると頭がまとまる気がすることを気づけた。何度も読み返したい一冊。 【備忘録】 斎藤孝氏の文章より 日本人のうずうず感 P80 モチベーションは「あこがれ」と「習熟」が二本柱 P85 本が蒸留酒みたいなものなんですね。 オリジナリティ以上に「定着」に重きを置いた場合は、「あの人まだやっている」 自分がいいと思う概念や方法が、人々の習慣になるということが目標 日本の教育のことが本当に毎日心配で仕方がない。 ロールモデル ナポレオン 嘉納治五郎 ゲーテ 座右の書 『いしぶみ』『ある明治人の記録』『ツァラトゥストラ』 三か月、半年でやめたら、その会社に勤めたことさえアイデンティティになりません。三年、五年勤めたら、そこで獲得したものが、もう一人の自分としてのアイデンティティになります。 外から規定される役割と、自分のアイデンティティがずれていました 量をこなすことをおそれなくさせる この仕事は、もう、職人としてやりましょう。次が辛いとか言わないで 要するに、「なんとか職人」という感じの自己規定をしてみる 「言葉を味方につける」。人に言われてうれしかった言葉は、ちゃんと手帳にメモして残しておく 心で読む読書 僕は自分が熟成する時間、それを大事にしています 日本人は普通拍手をしません 梅田望夫氏の文章より 一つのことを最低何年かはやらないとものにならないというところは確かにあります。ただどうにもこうにもとんでもないところは、早く逃げ出してもいいと僕は思っています。 その会社から得られることをしゃぶりつくすという発想が大事じゃんじゃないかと思います。 (ノーと言われることを)人格を全部否定されたかのように思ってしまう 「五十人にあたれ」 「自分を売る」ということだから数あたらないと 提案と自分の人格は、まったく別のものですよね トヨタのナンバーワンセールスマンはどんな人かと言えばとにかく人が大好き 仕事の対象への愛情がないとサバイバルできない ちょっとやって駄目だからジョブホッピングしていくのでは結局何も見つからずに終わる可能性が高い 人との出会いを本当に大事にするということだと思います 座右の書 『森有正エッセー集成』『近代絵画』『金子将棋教室』 自分より年上の人に会わない そういう「決め事」というのは、人間の有限性に対しての自覚だと思う 流されたら本当に何もできない 「義理」とかそういうものを捨てる (アメリカは)無意識のうちに、自分が見たいものだけを見ているよさがある 言葉の背景に悪意などまったく存在しないところがなおさら悔しいし、口にした当人たちは何の迷いも葛藤も逘巡もなく言葉を発しているゆえ、こちらの怒りのぶつけどころすらわからなくなってしまいます
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ウェブ時代の伝道師に、伝説のスパルタ的教育伝道師が絡んで、憂国の士、しかし決して諦めない激情家のステレオスピーカー的活入れ本が出来上がった感じ。とても刺激になりました
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自分は、齋藤さんの本も、梅田さんの本も、ほとんどの本が好きだ。考え方や価値観が、自分にとって、とてもしっくりくる、ということなのだと思う。その二人が対談をしている本なのだから、これは面白くないわけがない。 二人が対談をすることで、その両者の考え方の違いも見えてくる。梅田さんが、...
自分は、齋藤さんの本も、梅田さんの本も、ほとんどの本が好きだ。考え方や価値観が、自分にとって、とてもしっくりくる、ということなのだと思う。その二人が対談をしている本なのだから、これは面白くないわけがない。 二人が対談をすることで、その両者の考え方の違いも見えてくる。梅田さんが、一部の「やる気のある人」をさらに引き上げることにモチベーションを感じているのに対して、齋藤さんは、全体のレベルの底上げをするということにやりがいを感じている、というところなど。 こういう、互いが違う考えを持っている部分のやりとりというのは、それぞれが持っている価値観のルーツが鮮明に見えてきて、とても興味深い。これは、自身の考えに明確なポリシーを持っていないと語れないことであるし、対談であるからこそ浮かび上がってくる面白さなのだと思う。 特に、齋藤さんからは、かなり激しい発言が多く出ていて、普段の論理的な語り口からすれば意外な感じだった。一人で本を執筆した場合は、きっとこういう部分は表面に出てこないはずで、それぞれが個別に本を出した場合より、素の本音の部分がはっきりと表われていると思った。 この本のメインテーマとなっている「私塾」という概念についても、とても共感が持てる提言だった。「私塾」の可能性について論じながらも、二人の活動分野が異なり、梅田さんはネット領域、齋藤さんは非ネット領域を専門にしているというポジションの違いも面白い。かなりやる気が出るメッセージが満載の本だった。 「自分探し」という言葉には以前から違和感があります。僕は、「自分がやりたいこと 」を模索していた時期はありますが、「自分」を探したことは全くないです。自分はここにいるのだから、自分を探しにいくことはないですよ。僕は常に、自分とは仲がいいです。自分のことは好きだし、自己肯定できるし、自分が敵になる状況というのは、どんなに悲惨な状況でもありえません。(齋藤)(p.29) オープンソースのプロジェクトでも、リーダーが没頭しているものではないとうまくいかないのです。その情熱にみんな引き寄せられてくる。(梅田)(p.45) よく、「言葉の端々にでる」といいますが、Eメールでも、いろいろな人から仕事の依頼がきますが、そのメールの文章を見ただけで、相当のことがわかる。その人の経験値もわかるし、人間関係のクセもなんとなくわかる。(齋藤) ブログだともっとわかります。履歴書を見るよりも、その人のブログを見たほうが人物がよくわかります。(梅田)(p.53) 今の時代は、話し言葉のようでないと多くの人にはなかなか伝わっていかない。話し言葉ぐらいが丁度いいという実感をもっています。密度の高い書き言葉で通じる層は、若い人全体の1、2割くらいではないかと思います。(齋藤)(p.73) 梅田さんは、メンタル・タフネスがありますね。いきなりの言いがかりを面白いと思えるというのは。僕は、気性はふだんはおだやかなんだけど、根に激しいものがあります。こちらを安く値踏みしてちょっかい出してくる人に対して、攻撃をし返してしまいかねない。(齋藤)(p.93) ある時、ふと思ったのですが、死ぬときにきっと「『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝氏死す」みたいな書かれかたをするのだろうな、と。何十冊、何百冊と本を出してきたけれど、結局そんなもんなんだな、納得がいかない、何十年も難しいことを考えてきたのに結局そこか、と最初は思いました。でもだんだん、人が世の中に定着させられるものは限られていて、そういうのは運命みたいなものだと思うようになりました。(齋藤)(p.105) 目を外に転じれば、オープンソースの世界では、お金をもらわなくても、朝から晩まで仕事ををしている人がいます。そういう環境ができたからです。だから僕は、大組織にせよ、組織以外での仕事にせよ、自分とぴったりあったことでない限り、絶対に競争力が出ない時代になってきていると思います。朝起きてすぐに、自分を取り巻く仕事のコミュニティと何かをやりとりすることを面白いと思える人でなければ、生き残れない。これが幸せな仕事人生になるのか、不幸なのかは一概に言えないのだけれど、いま、過渡状態で起きていることというのは、そういうことだと思う。(梅田)(p.145) 大抵の領域では、もうほかの誰かがすでにやってしまっているということがあります。ここまでやっちゃうのか、という人がけっこういる。そういう意味で厳しい時代です。厳しいからこそ、簡単ではないけれども、自分の志向性にぴったり合った場所を探して移っていかないといけない。(梅田)(p.148)
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熱い大人たちがいるじゃないか! 「ブログ」というものが、ここまで発展していたのか! って気づくきっかけとなりました〈おそっ!^^
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対談集。 「働くこと」や「自らのあり方」などに興味のある人には面白い対談だと思う。 最後の方にちらりと触れられる「『好きな仕事』でないとサバイバルできない」という章はとても印象深い。 ITの進化と経済のグローバル化で、いつでもどこかでビジネスは動いており、かつ、いつでもどこでも...
対談集。 「働くこと」や「自らのあり方」などに興味のある人には面白い対談だと思う。 最後の方にちらりと触れられる「『好きな仕事』でないとサバイバルできない」という章はとても印象深い。 ITの進化と経済のグローバル化で、いつでもどこかでビジネスは動いており、かつ、いつでもどこでもやろうと思えば仕事ができる環境が整うことにより(むしろやらざるを得ない状況に追い込まれる)、朝から晩まで情報と仕事に追われることになってしまう。そのため、その対象に惚れ込み、没頭できなければ、競争に耐えられない時代になってきているというくだり。 確かに身近な周囲を見ていても、全くその通り。 「好きなことを仕事にしたい」というような甘い考えではやっていけないということなのだろう。むしろ、「好きなことでなければ続けられない」ということらしい。それだけに、体力的にはもちろん、精神的なタフさも求められる。大変な時代に生まれてしまったものだ。
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