街場の現代思想 の商品レビュー
現代思想というタイトルになっていますが、中身は著者流の物事の見方・考え方を解説した本で、とても分かりやすくて面白かった。 教養は他人との情報の共有に不可欠のものですが、最近の学校では、教養が不足しているために共通の話題の基盤が持てないという事象が起きているらしい。ひとつには大学の...
現代思想というタイトルになっていますが、中身は著者流の物事の見方・考え方を解説した本で、とても分かりやすくて面白かった。 教養は他人との情報の共有に不可欠のものですが、最近の学校では、教養が不足しているために共通の話題の基盤が持てないという事象が起きているらしい。ひとつには大学の教養課程が廃止されたことにも原因があるそうです。現在の教育に危機感を持っているのは、以前教養課程を辿って学んだ人達ですが、そもそも教養課程の必要性を感じていない、或いは知らない世代の人達は危機感は感じていないと思う。 この本を読むと、自分に何が足りないのかを知ることができる。
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内田教授、面白い。正しいかどうかは別として、そういう考え方もあるんだという気付きをまじめに、面白く与えてくれる。ジメジメしたところがないのがまたいい。人生相談したこと自体が、ばかばかしくなるくらい。 こんな風に何事にも答えられるような大人になりたいものだ。年齢を重ねても自分の答え...
内田教授、面白い。正しいかどうかは別として、そういう考え方もあるんだという気付きをまじめに、面白く与えてくれる。ジメジメしたところがないのがまたいい。人生相談したこと自体が、ばかばかしくなるくらい。 こんな風に何事にも答えられるような大人になりたいものだ。年齢を重ねても自分の答えを見出せないことがある。いくら悩んでも答えは出さなければならない。いくつかの選択肢から選べばいいだけなのに悩むっていうのは、そもそも自分が納得できる選択肢を用意できていないってことなのかも。 ちょっと内田教授、癖になりそうだ。
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内田樹18冊目 街場の現代思想 内田樹の現代思想というからには、レヴィナス、レヴィストロース、ラカンなどがてんこ盛りかと思いきや、とてもかみ砕かれた読みやすい本。一種の定義集ともいえる。 最近の人々はオタクが多い。オタクの知識はそれこそ素晴らしいが、オタクが一世代前の教養主義...
内田樹18冊目 街場の現代思想 内田樹の現代思想というからには、レヴィナス、レヴィストロース、ラカンなどがてんこ盛りかと思いきや、とてもかみ砕かれた読みやすい本。一種の定義集ともいえる。 最近の人々はオタクが多い。オタクの知識はそれこそ素晴らしいが、オタクが一世代前の教養主義時代の学生と異なるのは、その知識が知識全体の中でどのあたりに位置しているのかという位置感覚であり、「知識についても知識」である。これは確かにそうであると思った。 文化資本が資本たるゆえんは、それが差異を生み出してそれを媒介にして交換が行われるからである。しかし、文化資本のひどいところは、それを身に着けようという発想を持つことそれ自体が、つまり、文化資本を手にして社会階層を上昇しようという動機付けそのものが、その人の触れるものすべてを「非文化的なもの」に変質させてしまう習性を持つということである。つまり、努力したら負け、一生この差は埋まらない。そして、文化貴族に追いつくべく努力した成り上がり貴族は、その努力の代償に、必ずや勤勉な差別主義者となる。ニーチェの考える距離のパトスが骨の髄まで浸透してしまったのである。 文化貴族はそのものの経験を語り、成り上がりはそのものの知識を語る。このような実弟的な差異が存在する限り、成り上がりは自分が追いつけないことを悟らざるを得ない。しかし、成り上がりにも良い面がある。これは、社会についての差異に敏感であることが、研究に活かされるからである。ソシュールのようでもあるが、その言葉を得たものがはじめてその概念通り世界を分節化することが出来るのである。そして、その最大の人物こそが文化資本という概念を提唱したブルデューその人なのである。 次は、定義集。 ・敬語について そもそも、「敬」とは身をよじるという意味で、それは逃れることはできないが、接触してはならないものということを表す。圧倒的に力のある他者には、敬語を使わなくてはならない。そのような他者と素で向き合っては、身が持たないのである。だから、緩衝材として敬語を使うのである。こうして、人は敬語という道具を使うことで、自分よりはるかに力のあるものを巧みにコントロールすることが出来るのである。敬語は互いを引き離し、むすびつけるのである。自分も、同期と後輩について話しているときに、明らかに媚びてくる後輩には逆に距離を感じるという話になった。そして、それを酔っ払いながら「媚びディスタンス」と名付けて盛り上がったことがあった。呑みの席ではあるが、真理に近づいていたのかもしれない。 ・転職について この状況、転職したほうが良いですかねという質問は既にアウトなのである。そのような質問が出る時点で、それは状況に先手を取られているといえる。まずは、状況に自分が先手を取らなければならない。 ・社内改革について 改革についてだが、これはどちらでもよい。しかし、一つ言えることは、レーニンの言う通り「革命的組織とは、それが将来実現する革命的社会の萌芽的形態でなければならない」ということである。つまり、改革集団の中で、自分が下っ端なら、改革終了後の自分の位置は下っ端なのである。このところをよく理解しないといけない。しかし、私が思うに、改革とは往々にして急進的なものである。改革を実行する急進的団体は、力強いリーダーのもので一種独裁的に改革を断行する。しかし、そのような団体が実現した社会は、やはり独裁的に物事を断行するものに、レーニンの定義ではなるのではないか。これではいつまでたっても民主的な社会の到来はないように見えてしまうのである。 ・結婚について 結婚とは終わりなき不快であり、育児も終わりなき不快の連続である。しかし、それによって人間は他者と共存する、他者と同期する作法を会得するのである。そしてこの作法こそ、何千年にもわたり人間を人間たらしめ、生きながらえさせてきた方法なのである。 ・離婚について 離婚とは、突然来るものではなく、ある種の願望の結実である。繰り返し繰り返し願望し、シミュレーションした結果なのである。人間は結局のところ自分の想像することのできる未来しか作ることが出来ない。
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一億総中流ってそんなに悪いこと?ってずっと思っていましたが、内田樹は言います、中流って自由ってことだ、と。 上昇志向の強い人は上をめざせばいいし、横並びがいい人はぬるま湯につかっている自由がある。 格差が固定化するよりよっぽどいいではないか。 物の価値を決めるのは自分であり、判断...
一億総中流ってそんなに悪いこと?ってずっと思っていましたが、内田樹は言います、中流って自由ってことだ、と。 上昇志向の強い人は上をめざせばいいし、横並びがいい人はぬるま湯につかっている自由がある。 格差が固定化するよりよっぽどいいではないか。 物の価値を決めるのは自分であり、判断を間違った時のリスクを負う責任を持て。 究極の選択を間違えないことが大事なのではなく、究極の選択をしないですむ選択をし続けることが大事。 これは難しいけれどそのとおりだと思う。 究極の選択を迫られる時点で追い詰められているということで、そうなると選択は自由意志ではなく、選択肢を押しつけられている可能性が高い。 “想像力を発揮するというのは、「奔放な空想を享受すること」ではなく、「自分が『奔放な空想』だと思っているものの貧しさと限界を気づかうこと」である。” キビシイのぅ。 “私たちが「価値あり」と思っているものの「価値」は、それら個々の事物に内在するのではなく、それが失われたとき私たちが経験するであろう未来の喪失感によって担保されているのである。” 他人の身になって考えてみろ!ということの胡散くささを彼は言う。 理解できる範囲だけが受容範囲でいいのか。 他人の身になったところでわからないけど、相手のことを尊重はする。それがコミュニケーションなのではないの? 共感でしか繋がれないのは、ネットで物事を検索していることに似ている。 「自分が知らないことを知っている」ことしか検索することができない。 理解しがたい相手の権利をも私は守る、という覚悟。 “逆説的に聞こえるかもしれないけれど、私たちが共同的に生きることができる人間というのは、私のことをすみずみまで理解して共感してくれる人間ではなく、私のことを理解もできないし、私の言動に共感もできないけれど、それでも「私はあなたの味方だよ」と言ってくれる人間のことなのである。” 難しいけど、私もそう思う。
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人生相談の皮を被った、現代思想の本。 「結婚は損か得か?」「転職した方がいいのか?」「どうして若者にはやる気がないのか?」といった問いに鮮やかに切り込んでいくのだけど、論を進めるためにニーチェやレヴィ=ストロースなんかを引っ張ってくる。 思考のフレームワーク自体はそこまで目新...
人生相談の皮を被った、現代思想の本。 「結婚は損か得か?」「転職した方がいいのか?」「どうして若者にはやる気がないのか?」といった問いに鮮やかに切り込んでいくのだけど、論を進めるためにニーチェやレヴィ=ストロースなんかを引っ張ってくる。 思考のフレームワーク自体はそこまで目新しいものではないように感じたけど、それを「知的装置」って呼ぶのはちょっとかっこいいなと思った。
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まだ若い自分には理解できない点が多々あった。 「他者」との共生やマイノリティへの想像力が大切なのは分かった。 だがそれがどうしたというのか。脳天気にこずるく快と得を享受している友人のほうが幸せそうではないか。共生や想像力は私に快も得ももたらさない。 死への想像ならとうにしている...
まだ若い自分には理解できない点が多々あった。 「他者」との共生やマイノリティへの想像力が大切なのは分かった。 だがそれがどうしたというのか。脳天気にこずるく快と得を享受している友人のほうが幸せそうではないか。共生や想像力は私に快も得ももたらさない。 死への想像ならとうにしている。金のために辛くつまらない仕事を嫌々として、適当な女と結婚して子どもを作り、より一層金が必要になって延々と仕事を続けるだろう。病気もするだろう。そして老いて死ぬだろう。 死への想像が今を輝かしてくれるというが、一体どのように輝くというのか。
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いつもよりほんの少し体系的に書かれてるため、彼の哲学が端から端まで網羅されてるように感じる。なんかお得。 手塚が人間性とは何かを追求するために、逆にロボットを主人公にすること。なるほど。内田さんもそういう視点の逆転を何回もする。執拗に。でも飄々としているように見せかけて。
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学生やブログの閲覧者たちの質問に答える形で、著者が教育や結婚、お金、仕事などのテーマについて語った本です。 まず取り上げられるのは、日本社会の階層化についての批判です。いわゆる格差社会論とは別の視点を示しているという点で、個人的には学ぶところが多く、たいへん興味深く読みました。...
学生やブログの閲覧者たちの質問に答える形で、著者が教育や結婚、お金、仕事などのテーマについて語った本です。 まず取り上げられるのは、日本社会の階層化についての批判です。いわゆる格差社会論とは別の視点を示しているという点で、個人的には学ぶところが多く、たいへん興味深く読みました。 次の、酒井順子『負け犬の遠吠え』についての感想が綴られた文章も、著者の視点は独創的だと感じました。著者は「「勝ち負け」という区分は何の実定的基礎づけもない幻想である」とした上で、自分の不幸を他罰的な文脈で説明してしまう思考こそが「勝ち負け」幻想を支えており、そうした幻想に捕らわれている者を酒井は「犬」と呼んだのだと論じています。さらに、「負け犬」はヨーロッパの「ランティエ」(金利生活者)と同じように、文化の創造者であり、批評者であり、享受者であるという見方が示されます。 以前読んだ中正昌樹の『リア充幻想』にも少し通じるような内容ですが、仲正の本が主に若い男性に語られたものだったのに対して、本書は30代の女性読者をターゲットにしているとのことで、その語り方の違いもおもしろく感じました。
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結婚や離婚については「そうかなあ?」と思うところもありましたが、大学についての一節は納得しました。シラバスをCD-ROMで配布するようになったら、誰もそれを読まなくなった。まわりの人からの情報で講義を選ぶようになってしまった。紙のシラバスならば斜め読みができて、「おもしろそうだな...
結婚や離婚については「そうかなあ?」と思うところもありましたが、大学についての一節は納得しました。シラバスをCD-ROMで配布するようになったら、誰もそれを読まなくなった。まわりの人からの情報で講義を選ぶようになってしまった。紙のシラバスならば斜め読みができて、「おもしろそうだなあ」と感じたものを選択することもできた。それがなくなった。大学というのは本来、自分がその存在すら知らないというようなものに出会う場であった。ところが今では、自分の知っているものだけ、あるいは将来的に役立つような実務的なもの(英会話とかパソコンとか)を中心に受講するようになった。それでは大学の存在意義がなくなる。私自身振り返ってみると、ちょっと変わった大学生をしていた(それがちょっと自慢)。理学部にいながら人文学部にもぐりこんで、科学哲学や科学思想史の講義を受けていた。読書会などにも参加させてもらった。もっともそれは、高校時代大好きだった数学や物理が分からなくなって、逃げ出してしまったというだけなのかもしれないですが。そんな中でヴィトゲンシュタインに出会ったりもしている。何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど、「何かすごそう」ということだけは分かった。理学部の集中講義ではプリゴジンに出会った。こちらはずいぶん本も読み込んで、なんとなく分かった気はしている。まあ、大学というところは本当におもしろいところだった。今の学生たちが、3年の後半くらいから就職活動に振り回されているのを見るとちょっと気の毒な気もする。働きだすとなかなか自由な時間がないのだから、学生の4年間は好きなことをすればいいのに・・・
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現代思想の解説書ではなく、雑誌の人生相談とかそんなのの寄せ集めです。 僕も内田センセイに相談に乗ってもらいたいことはたくさんあります。 しかしだいたい言われそうなことは分かるので、相談してもらった気になって一人で解決しています。 10年も前の物ですがやっぱり読めます。さすが。
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