クアトロ・ラガッツィ(上) の商品レビュー
タイトルに偽りあり、上巻だけで600頁近いのに、天将少年使節の話がでてくるのはラスト100頁もない。そのまえは、スペインのイエズス会の、戦国時代の日本での布教方針の世界戦略が、いろいろ調べた文献からずらずら引用されているだけ。じゃあ新書かといえばそうでもない、小説と銘打ってるので...
タイトルに偽りあり、上巻だけで600頁近いのに、天将少年使節の話がでてくるのはラスト100頁もない。そのまえは、スペインのイエズス会の、戦国時代の日本での布教方針の世界戦略が、いろいろ調べた文献からずらずら引用されているだけ。じゃあ新書かといえばそうでもない、小説と銘打ってるので騙された印象
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原田マハさんの『風神雷神』を読んで本著を知り手に取ってみました。 想像以上に事細かに書かれていて読むのにだいぶ時間がかかりました。 資料を引用し、きちんと事象について書こうという気概が感じられ、また単純に引用したものを信じるのか否定するのかではなく、著者の主張や考えと異なるところ...
原田マハさんの『風神雷神』を読んで本著を知り手に取ってみました。 想像以上に事細かに書かれていて読むのにだいぶ時間がかかりました。 資料を引用し、きちんと事象について書こうという気概が感じられ、また単純に引用したものを信じるのか否定するのかではなく、著者の主張や考えと異なるところは引用の情報の隙をみつけて論理的に異なる意見を述べるなど、著者の意見を理性的に読むことができて好感持てました。他の研究者の見方は良くないとか、感情的なものがないのが良かったです。 歴史の基本的な知識が浅いために、何度も文を読みながら頭がこんがらがることが。 教科書で語られない有名でない個人名が多く出てくるところでは、〇〇△△と苗字と下の名前があるとしたら、〇〇と読んだ後に△△と読んだり、聞き馴染みのないフルネームかつ、呼び方が複数あり、誰だったか?!と混乱することがありました。 読み始めたときに、注釈の飛んだ先が見当たらずどういうことかと焦ったらまさかの下巻に収録されているということに大変驚きましたが読み進めるとそれも仕方ないのかな、校正大変そうだなと。 今一旦読み終わりましたが、ここに何が書かれていたかと問われても何も正確に振り返ることができません。それほどコップから少し水が溢れた程度ではない大量の情報を浴びました。 著者が膨大な情報をまとめあげ本にしていることがすごすぎます。 ただ読んでるときに、へー!そうなんだー!と感心感動することはありました。事実を仔細に覚えてなくてもそういう頭で感じる新しい事実の喜びがあった、というのだけが記憶に残っていきそうです。それはそれで良いかな、なんて。 面白いですが読むのが大変です。 以下印象に残った文章。 p135-136 出会いがすばらしいものになるのは、それが出会って新しいものが生まれることであって、片ほうが、いっぽうに同化されることではない。 p138 浮気は愛を傷つけるが、誇りは奪わない。 p310 教育とは明日へ向けての「浪費」だ。若者に惜しみなく金を注がない国が栄えるはずがない。教育な未来への種まきなのだ。種をまかない畑、苗を植えない土地は、やがて不毛になる。
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歴史で学ぶ単語の1つとして認識していた、「天正少年使節」を通じて当時の世界と日本を知ることができた。3の話は非常に興味深い。
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ー 外国の侵略におびえるのは「小心者」であると彼(信長)が松永に言ったのは、日本の諸侯が、狭い領土を奪い合って国内で争い、日本の国外にも世界にも思いを致すことがなく、それのみか、世界の国々と交流するに先だって、まずその侵略を恐れるという思考そのものが志低く、小心に見えたからであろ...
ー 外国の侵略におびえるのは「小心者」であると彼(信長)が松永に言ったのは、日本の諸侯が、狭い領土を奪い合って国内で争い、日本の国外にも世界にも思いを致すことがなく、それのみか、世界の国々と交流するに先だって、まずその侵略を恐れるという思考そのものが志低く、小心に見えたからであろう。彼自身は、中世的封建制から、近世的絶対王政への歴史的過渡期に立っており、歴史が彼を、その車輪を前にまわすためのエージェントとして選んでいることは知らなかった。しかし彼は確実にその方向へと歴史をシフトさせるために出てきた人物だった。そのとき、先立って絶対王政を確立していたポルトガル・スペインの国情と、宣教師を通じてじかに触れあったことはまさに天啓であった。彼は地球儀を手にしてみずからの行くべき道を展望したのである。 しかし、信長の本心は、宣教師にも、惟政にもまったく見当のつかない規模のものであり、しかも、だれにとっても非常に危険なものであった。しかし、このとき信長は彼らにはその心の底は見せていない。さまざまな歴史史料は、信長が余人に思いもつかぬことを考えていたと言っている。やがて語ることになるが、今はそれを暗示するにとどめよう。彼はみずからが「神」になること、そして中国を征服し、アジアの支配者となることを考えていた。スペイン・ポルトガル王が世界の支配者であるという話は、「小心者」をこわがらせたが、信長にヒントを与えた。彼はみずからも彼らに伍して世界の支配者たらんと願ったのである。彼が帽子やひらひらの襟や金襴のマントを好んだのはただお洒落のためだけではあるまい。 世界の王のひとりになることが彼には望ましかったのだ。そのことはやがて明らかになるであろう。 ー 上巻、終了。 面白い!プロローグからグッとくる。 我々はなぜ、世界に出ていくのか。 天正少年使節がそのヒントになるかもしれない。 後の悲劇としてしか認識していなかったが、キリスト教布教の歴史と日本の戦国時代が、大きな歴史の中でどう動いていったのか詳細に語られている作品。 上巻、500ページ読んでも、彼らがまだ日本を出航をしないので、読むのに多少の根気がいるけど、読んでいるとなかなか面白い。
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16世紀の日本から派遣される天正少年使節に至るまでの物語とローマカソリックのキリスト教を中心とする帝国、スペイン、ポルトガルの世界の帝国時代の歴史を作品にした物語であるが歴史を勉強する上でも非常に面白くわかりやすい読み物でした。
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ずっと読みたかった本。 カタカナが苦手なゆえに世界史が苦手、という私には到底読み切れる自信がなく長年手を出せなかった。ある時、ドラマを観ることでしっかりとイメージ作りができたので挑戦してみることにした。 読みにくさではフロイスの「日本史」といい勝負。けれど、学術的な側面からの情...
ずっと読みたかった本。 カタカナが苦手なゆえに世界史が苦手、という私には到底読み切れる自信がなく長年手を出せなかった。ある時、ドラマを観ることでしっかりとイメージ作りができたので挑戦してみることにした。 読みにくさではフロイスの「日本史」といい勝負。けれど、学術的な側面からの情報が多く非常に面白い。自分の頭でしっかりと考えをまとめながらなので時間がかかるのだけれど、ページをめくる手は止められなかった。 とにかく初めのうちは戦国時代のややこしい話と、世界史が混ざり合った複雑さ。少年4人はいつ出てくるの?まだ旅に出ないの?ともどかしい思いだった。 船旅は風次第のこの大航海時代、ヴァリニャーノの手紙にしろ、使節団たちにしろ、奇跡的に海を渡った物語が400年を超えて語られていることに胸がときめく。日本だけでなく、イタリアにも残された逸話。 下巻もとても楽しみ。
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大好きな楠木建おすすめの著書。 むろん仏教においても慈悲は一切衆生に対するあわれみで、それは仏のなかに完全に具現されているものであり、大乗仏教では他人への愛が仏と同じほどに修行者にはだいじにされる。キリスト教の慈愛と仏教の慈愛はよく似ている。しかしそこには非常な相違もあった...
大好きな楠木建おすすめの著書。 むろん仏教においても慈悲は一切衆生に対するあわれみで、それは仏のなかに完全に具現されているものであり、大乗仏教では他人への愛が仏と同じほどに修行者にはだいじにされる。キリスト教の慈愛と仏教の慈愛はよく似ている。しかしそこには非常な相違もあった。貧乏や病気をどうみるかというところに大きな相違があったのである。キリスト教では貧乏や病気は本人の罪ではない。しかし、仏教には輪廻と前世の業の思想があって、貧乏や病気は、本人が前世で悪行を働いた結果だという見かたがあった。 これらの報告書を読んでいると、日本人は、ほんとうにザビエルの言ったとおり、非常に理性的で、好奇心が強く、理屈のとおったことが好き、つまり本来「科学的」な国民ではなかったのだろうかと思う。 …「好色」「裏切り」「虚言」「残酷―生命の軽視」「泥酔」、これがヴァリヤーノが見た日本人の五大悪である。 この時期、つまり十六世紀から十七世紀にかけて、西洋の世界支配が決定的になった。それはヨーロッパだけが資本主義的発展に乗り出し、その結果「世界経済」を圧倒することができたからである。『近代世界システム』という本を書いて、近代世界史の見かたを大きく変えたウォーラーステインは、ちょうどこの時期、つまりい1450年から1650年までのあいだに世界経済の第一期があったと書いている。それはまさに、この日本にキリスト教と西欧文化、そして世界経済の波が押し寄せてきた時代にあたる。日本はこのときから、否応なく世界システムの波紋にゆさぶられることになる。それはつまり、中心である西欧に植民地化されて、その周縁となるか、あるいはその外部世界としてとどまるかである。 …ヴァリヤーノは日本人を説得し、その上で、彼らをキリスト教に導くにはつぎのようにする必要があるとしてこのように書いた。 「善意の異教徒を説き伏せるには、つぎの三点を教示する必要がある。第一に、救いは仏教や神道いずれの宗派でも不可能である。第二に、創造主、世界の造り主である唯一の神のみが存在する。そしてこの方こそ、人びとが救いにいたるためにまもらなければならない掟を与えられた。第三に、魂は不滅であり、また唯一の神を認め、そのかたの掟を遵守した者が、永遠にわたって幸せを楽しめる別の世界での生活に入れる。反対に、その掟をないがしろにした者は来世で永遠に苦しむべく罰せられるだろう」「この熟考の結果、善意にあふれ、しかもさほど道徳的に腐敗していない多くの異教徒たちに改心の実を結ばせた」 大学の教師としてここでぜひ言いたい。教育とは明日へ向けての「浪費」だ。若者に惜しみなく金を注がない国が栄えるはずがない。教育は未来への種まきなのだ。種をまかない畑、苗を植えない土地は、やがて不毛になる。
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楠木建『戦略読書日記』で知った一冊。 天正遣欧少年使節団の話と思いきや、彼らはなかなか登場せず、全575ページの中の519ページ目でようやく出航。それまでは派遣に至る経緯や時代背景が綿々とつづられるわけなのだけれど、幾多の史料を紐解いて書かれたこの内容が抜群に面白い。この上巻だけ...
楠木建『戦略読書日記』で知った一冊。 天正遣欧少年使節団の話と思いきや、彼らはなかなか登場せず、全575ページの中の519ページ目でようやく出航。それまでは派遣に至る経緯や時代背景が綿々とつづられるわけなのだけれど、幾多の史料を紐解いて書かれたこの内容が抜群に面白い。この上巻だけで独立した一冊の本(タイトルは『イエズス会と日本』あたりか)になっても何らおかしくないほど。布教への苦労やイエズス会の内幕がぎっしり詰まって、575ページの中にムダはなし。腹いっぱいで下巻へ。
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1582年、宣教師ヴァリニャーノの勧めで、キリシタン大名の大友・有馬・大村氏はローマ教皇のもとに少年使節を派遣した。伊東マンショら4人は1585年にローマに到着し、教皇グレゴリオ13世に謁見した。 教科書ではこのように簡潔な記述ですまされる天正少年使節が、なぜ派遣されるに至った...
1582年、宣教師ヴァリニャーノの勧めで、キリシタン大名の大友・有馬・大村氏はローマ教皇のもとに少年使節を派遣した。伊東マンショら4人は1585年にローマに到着し、教皇グレゴリオ13世に謁見した。 教科書ではこのように簡潔な記述ですまされる天正少年使節が、なぜ派遣されるに至ったのか、どのような行程をへてローマを訪れたのか、帰国後どのような運命が待ち受けていたのか。 本書は、ヴァチカンに収められた膨大な資料をもとに、1549年のキリスト教伝来から1633年の鎖国令まで、80有余年にわたるキリスト教布教史を俯瞰しつつ、日本にとって少年使節とは何だったのか、上下二巻にわたって説きつくします。 上巻は、日本における布教の実態から始まり、ヴァリニャーノの信長への謁見、少年使節を派遣するまで。 教科書的には、キリスト教の布教はスペイン・ポルトガルの海外進出とセットで進められ、貿易を望んだ大名の庇護のもと、信者を増やしたとされています。 一面的には事実なのですが、本書では、仏教勢力との対立とイエズス会内部のスペイン・ポルトガル系とイタリア系の対立が、布教に大きな影響を与えたと指摘します。 仏教勢力からの反発は激烈で、朝廷に再三働きかけて、布教禁止の勅命を出させ、以後、布教禁止を日本の公式見解とすることに成功します。 違法状態にもかかわらず最大30万人もの信者を獲得できたのは、一つは、既存仏教からうち捨てられていた貧者や病者の支持があったこと、もう一つは、当時の知識人階級が、西洋の合理精神に共鳴し入信が相次いだこと。高山右近や黒田孝高(如水)はその代表例といえましょう。 とりわけ最大の理解者は信長でした。朝廷の勅命を無視する形で京や安土での布教を認めます。ヴァリニャーノと謁見した際には、自らを日本の国王として、西の帝国(スペイン)との文明交流を望み、教皇への献呈品として安土城下を描かせた屏風図を贈ったといいます。 信長との謁見後、ヴァリニャーノは少年使節派遣を企画します。目的は、日本での布教に必要な資金援助を獲得すること。もう一つは、日本人が直接、西洋文明とキリスト教の栄光を見ることで、日本での布教がさらに進むようにすること。 船の出航が迫っていたため、計画はかなり突貫的に進められます。教皇にあてた大名の書状作成や使節の人選に十分な調整を重ねなかったことが後日、使節はヴァリニャーノのねつ造で、4人は大名の係累でないと告発されるスキャンダルに見舞われてしまいます。 告発したのは同じイエズス会のスペイン人司祭ラモン。日本人の知的水準の高さを認め日本にあった布教を進めるイタリア人ヴァリニャーノに対して、スペイン人の彼にとって、布教とは未開の民を教化するもので、対等の関係はありえませんでした。実際、布教方針を巡ってはヴァリニャーノ、オルガンティーニらイタリア人と、コエリョ、フロイスらポルトガル・スペイン系は激しく対立します。この対立は、後に秀吉の時代、大きな悲劇につながっていくことになります。 ともあれ、東西文明の架け橋として4人の少年たち(クアトロ・ラガッツィ)はローマに向けて旅立ちます。(下巻に続く)
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・ヴァリニャーノはどうしても、使節を連れてローマに行かなければならないと思った。彼が「私欲」をもっていなかったことは明らかである。日本人の優秀さを世界に知らせ、世界の優秀さを日本人に知らせ、世界の援助を日本の教会にもたらすために、日本を宣伝したかったのである
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