負けるのは美しく の商品レビュー
俳優、タレント、司会者として活躍された児玉清さんのエッセイです。 映画界に入った時の話から36歳で亡くなった娘の話まで、波乱万丈な人生を綴っています。 テレビにもたくさん出演し、夢を叶えたいわゆる「勝ち組」だと思っていた児玉さんの本のタイトルが、「負けるのは 美しく」とは一体ど...
俳優、タレント、司会者として活躍された児玉清さんのエッセイです。 映画界に入った時の話から36歳で亡くなった娘の話まで、波乱万丈な人生を綴っています。 テレビにもたくさん出演し、夢を叶えたいわゆる「勝ち組」だと思っていた児玉さんの本のタイトルが、「負けるのは 美しく」とは一体どういうことだろう、と思いました。 読み進めても読み進めても児玉さんの誠実なお人柄やユーモア溢れる様子、教養の高さは知れるものの、タイトルの意味がわからない。 と、思っていたら最後の最後でそれがわかり、はっとさせられました。 本当に、志の高い方だと思いました。 常に客観的に冷徹な目で自分を見てきた児玉さん。 厳しいその目には欠点ばかりが目に付き、挫折感や敗北感の連続だったそうです。その中でいつしか心に期するようになったのが「負けるのは美しく」というモットー。 ここで言う「負けの美学」とは、試合放棄をすることではなく、懸命に闘う自分を認める大きな心であり、勝ちにこだわりすぎないことで生まれる余裕のことなのかもしれません。 読書家だけあって、とても素敵な文章を書かれます。 軽い気持ちで楽しみながら受けた俳優の試験に合格したこと、学生時代に頼まれてフランス語の舞台をこなしたこと、日本語訳が出版されないならと英語の原書に挑戦したこと、1つ1つのエピソードは児玉さんが語るとまるで嫌味にならないんです。 ご家族の話には思わず涙してしまったほど。 志高く、それでいてしなやかに生きることを教えてくれる本でした。 豪傑と呼ばれた俳優や監督がたくさん出てくるのも楽しめる要素の1つです。 ・大部分の人は「できる」ということの意味をとても簡単に、低いレベルのところで考えていたからだと思えてならない。 ・俳優という仕事のもたらす、どうにも口惜しくてたまらぬ自分の至らなさ、誰にぶつけようもない、臍を噛む思いを、嘆きを、吸収してくれたのは、そして心底癒してくれたのは、読書であった。(中略)本の中には、僕の現実の世界をはるかに超えた豊かな世界がひろがっている。 ・A woman is like a teabag. You never know how strong she is until she is in hot water (Eleanor Roosevelt)
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博学な知識人である児玉清さんのこと、そんなにものすごくテレビや映画で見ていたわけではないんです。が、訃報を聞き、無性に読みたくなり、何冊かまとめて購入しました。 戦後66年の今年、戦前を知る人、そして戦後の高度成長期を知る人のお話はますます貴重になってきますね。 どんどん変化す...
博学な知識人である児玉清さんのこと、そんなにものすごくテレビや映画で見ていたわけではないんです。が、訃報を聞き、無性に読みたくなり、何冊かまとめて購入しました。 戦後66年の今年、戦前を知る人、そして戦後の高度成長期を知る人のお話はますます貴重になってきますね。 どんどん変化する映画の世界、そしてラジオ、テレビ。古き良き時代も含めて、過去の体験を語る洒脱な文体はワタシ的には好みです。 翻訳が間に合わず、原語で手にした本を読んでいくというのは・・・この人だから嫌味に聞こえず、羨ましくさえ思えます。 最終的には、涙なしには読めませんでした。 合掌。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
いつ頃からか児玉さんが好きになり、今年初夏にお亡くなりになり、最近偶然著作を見つけたので、完全にミーハー根性から読んだ。 児玉さんはやはり若い頃から格好良かったのだろうことがエピソードから予想がつく。(若い頃の写真は掲載されていないが分かる) 児玉さんは案外くせのある性格なのかもしれないと思わせるエピソードも多い。 腰掛で始めた俳優業、憧れていたわけでもなく、むしろ軟派な職業だと馬鹿にしていた節もあるのに(文学青年で、大学院で研究することを当初は目指していたくらいだから。)、更に実際飛び込んでみたものの何年も大きな成果が得られないのに、結局ずっと続けてしまったからかなり不思議。 児玉さんは自分のお母さんが好きだったのだと思う。奥さんとの超直感的な繋がりはそこにお母さんを見出したという気がする。 人生で二度も一方的で不条理な周囲からの断絶を経験するなんて。孤立と孤独の中それでも児玉さんはファイティングポーズをとり続けた。 読書好きで知られる児玉さん。 読書とは何だろう。いったい何を培養するものだろう。 結局他人が達観した真理をちょっと拝見させて貰って、そのせいで自ら考えることを怠ることにもならないだろうかと思ったりもした。
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児玉清氏の追悼として、母が買った本を借りて読みました。 『すばる』に3年間掲載された、自叙伝に近いエッセイ集。 芸能界きっての読書通と言われた氏ですが、実際にはこの人についてあまりよく知らなかったと、読んでみて実感しました。 穏やかで理知的な雰囲気を漂わせている氏で、おそらくは...
児玉清氏の追悼として、母が買った本を借りて読みました。 『すばる』に3年間掲載された、自叙伝に近いエッセイ集。 芸能界きっての読書通と言われた氏ですが、実際にはこの人についてあまりよく知らなかったと、読んでみて実感しました。 穏やかで理知的な雰囲気を漂わせている氏で、おそらくは真面目に小劇団で修業を積んだ人だろうと思っていましたが、まったく役者を目指していたわけではなく、家の財政事情により、たまたま東宝の俳優になったという話は意外でした。 あの上品な俳優さんが、東宝の面接に海水パンツを忘れ、なんと普通のパンツ姿で参加したなんて! それでも受かってしまう所が、やはり巡り合わせというところでしょうか。 芸能界はおそろしいところで、身に覚えのないスキャンダルを負わされて、東宝に見棄てられ、独立したという話にも驚きました。 結構激しい役者人生を歩んできたその半生は、思いもよらないことでしたが、実は頑固で負けず嫌いな性格だとのこと。 それで、初めは全くやる気のなかった役者業ながら、一念発起して修練を積み、仕事をもらえるようになったようです。 また、スキャンダルにつぶされずに、評価してくれない所属先から離れても役者を続けたというしぶとさは筋金入り。 タフでやる気に満ちていないと、生き馬の目を抜くような芸能界ではとても生き残れないのでしょう。 そもそも、大学で学生時代の篠沢英雄(その後教授に)に声を掛けられ、フランス語を彼に教わってラシーヌなどの劇に出たというわけですから、外国劇の素養があったのでしょう。 仕事でロシア語を話した時も、難なくこなしたようで、器用な人なんだろうなと思います。 今になって昔の映画などを観返すにあたり、当時一世を風靡していた俳優たちが時代と共にその名が薄れていくのと対照的に、当時はキワモノ扱いされていたウルトラマンとその出演者が、今なお脚光を浴び続けていることが、昔の栄光の銀幕時代を知る氏にとっては承服しかねるようです。 その反面、当時はとても感動した作品が、今観直すと、実際にはあまり質の高いものでなかったと気付いたりもするとのこと。 時代とともに変わる価値観の違いが語られていました。 短めのエッセイが収録されていますが、各タイトルの下には、必ず英文書物の引用がされています。 アインシュタインの言葉まであり、氏の教養の深さが観て取れます。 逆に、ワイドショー的に氏のことを知りたい読者には、ちょっとついて行けないお堅い部分もある本でしょう。 彼の自転車は、ラディゲ『肉体の悪魔』のヒロインの名前をとったマルト号という名前だったと知って、一気に親近感が湧きました。 彼もこの映画の大ファンで、それが高じてかつてパリまで行ったとのこと。 日本でもこの作品のリバイバルがなされたら、主役を演じたかったことでしょう。 後半部分に、愛娘を亡くした話が、何話にも渡って語られていました。 子供に先立たれる、一人の親としてのつらさと苦しみが、そこには満ち満ちていました。 彼も娘さんの後を追ってしまわれた今となっては、ダブルの悲しさをもって、痛ましいエッセイを読みました。 タイトルの意味について、あとがきで触れられていました。 この人は、自分の役者人生の中で、あまり勝ったという印象をもったことが無いとのこと。 なかなか思うようにはいかない、納得のいかない仕事ばかりをこなし、常に負けたという気分ばかりが積み重なっていき、もやもやした気持ちを抱える中で、彼が見つけだした哲学が「どのみち負けるのなら、美しく負けよう」という意識だったとのこと。 この言葉に、負けん気が強い、勝気な性格を持つ氏でありながら、しなやかで涼やかな雰囲気を漂わせる役者としての立ち位置ができあがっていったのでしょう。 あまり俳優の自伝的エッセイを読んだことが無かったため、役を演じ、決められたセリフを喋る立場の人の、生の肉声が詰まったこの本を、興味深く読みました。
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負けるのは、美しく。 それは、ひょんなことから役者の道に入ったものの、いくら懸命に闘っても曖昧模糊、達成感を感じられぬまま過ぎてゆく日々の中で、著者が見出したひとつの生きかた。とはいえ、この本に書かれたさまざまエピソードを読んでゆくうち、「美しく」負けるには「美しく」負けられる...
負けるのは、美しく。 それは、ひょんなことから役者の道に入ったものの、いくら懸命に闘っても曖昧模糊、達成感を感じられぬまま過ぎてゆく日々の中で、著者が見出したひとつの生きかた。とはいえ、この本に書かれたさまざまエピソードを読んでゆくうち、「美しく」負けるには「美しく」負けられるだけの際立った「才能」が必要であることがよくわかる。 「役者」としての印象よりも、「人間」としての魅力でいっそう忘れ難い存在であった「児玉清」という人物の、その優雅な「負けっぷり」を堪能できる洒脱エッセイ。
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2011年5月16日に亡くなった、児玉清さんのエッセイ。 俳優としての原点から、ちょっと笑えるエピソードまで、彼の半生がつづられている。波乱万丈の人生や、世間に対する怒り、救いを与えてくれた本や人との出会いが、あの優しさの源にあるんだなと感じた。 TVでの温和な表情や外見ににじ...
2011年5月16日に亡くなった、児玉清さんのエッセイ。 俳優としての原点から、ちょっと笑えるエピソードまで、彼の半生がつづられている。波乱万丈の人生や、世間に対する怒り、救いを与えてくれた本や人との出会いが、あの優しさの源にあるんだなと感じた。 TVでの温和な表情や外見ににじみでる知的さが、個人的にとても好きでした。 児玉清さんのご冥福をお祈りいたします。
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著者が亡くなったことが悲しくて悲しくて、すがるように買った本。 軽快でユーモアあふれる語り口はあまりにも生き生きしていて、すぐ側で児玉さんが語りかけてくれるようだった。 誰からも愛され、悠々と生きてきたように思える彼のような人でも、心ない人からの執拗な嫌がらせや、大切な人との別...
著者が亡くなったことが悲しくて悲しくて、すがるように買った本。 軽快でユーモアあふれる語り口はあまりにも生き生きしていて、すぐ側で児玉さんが語りかけてくれるようだった。 誰からも愛され、悠々と生きてきたように思える彼のような人でも、心ない人からの執拗な嫌がらせや、大切な人との別れを何度も経験していたらしい。(あまりにもイメージとかけ離れた、「身悶え」なんて言葉も何度か登場している。) 特に、亡くなった娘さんについて記された第5章は、深い愛情と悲しみがあふれていて心打たれた。 それでも、不思議と「悲痛さ」は感じない。 「美しく負けよう、負け方にこそ人間の心は現れる」というのは、もがき続け、苦しみ抜いた人生で見出したモットーだという。 苦悩の人生を生き抜き、いつも強さと冷静さ、ユーモアを持ち続けた彼のような人にこそ、あのような「美しさ」が宿るものなんだろう。 優しくて力強い、生きる希望に満ちた本。へこんだ時のお薬に。
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先だって、胃がんで、亡くなられた児玉清氏の回想記。最終章の父として、最愛の娘さんの死を語るページが心を揺さぶる。 見出し下に、ある英語の引用が、心に静かに残った。 ~Close your eyes and you can still see the smile.~ (Harlan...
先だって、胃がんで、亡くなられた児玉清氏の回想記。最終章の父として、最愛の娘さんの死を語るページが心を揺さぶる。 見出し下に、ある英語の引用が、心に静かに残った。 ~Close your eyes and you can still see the smile.~ (Harlan Coben){THE FINAL DETAIL}
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就職活動の一環としてなりゆきで受けた東宝映画のニューフェイス試験で、遅刻した上に水着を忘れ、パンツ姿で面接したが見事合格したこと。生来の天邪鬼が顔を出し、天下の黒澤明監督にたてついてしまった新人のころ。大スター三船敏郎をはじめとする数々の名優との思い出。運命の出会いと結婚、そして...
就職活動の一環としてなりゆきで受けた東宝映画のニューフェイス試験で、遅刻した上に水着を忘れ、パンツ姿で面接したが見事合格したこと。生来の天邪鬼が顔を出し、天下の黒澤明監督にたてついてしまった新人のころ。大スター三船敏郎をはじめとする数々の名優との思い出。運命の出会いと結婚、そして36歳という若さで逝った最愛の娘。読む人の心を静かにそっと揺さぶる感動のエッセイ。 「BOOK」データベースより
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思わず口をついて出て来たのが、人の命は短くて楽しきことのみ多かりき、というものですが、これは47歳で逝った『放浪記』で知られている林芙美子の有名な例の、「花の命は・・・」をもじったものですが、別に特に以前から考えていたというわけではなく、この16日の児玉清の死を知って意気消沈し、...
思わず口をついて出て来たのが、人の命は短くて楽しきことのみ多かりき、というものですが、これは47歳で逝った『放浪記』で知られている林芙美子の有名な例の、「花の命は・・・」をもじったものですが、別に特に以前から考えていたというわけではなく、この16日の児玉清の死を知って意気消沈し、落胆して残念に思うと同時に突如として湧き上がってきた言葉でした。 おそらくこれからは、週刊ブックレビューももう見ないかもしれません。本の紹介などどうでもよくて、思えば彼のあの語り口を目の当たりにしたくて見ていたような気がします。 本と交差する書評者たちと彼のあいだのゆったりとした心地よい和やかな雰囲気、互いに読書を共有した者のみこそが共鳴し合える至福の異空間での、短時間の確信に満ちた核心に触れた言葉のやりとり。 それらを当意即妙に最高の状態で現出させることが出来る、彼の読者としての発言と司会としてのまとめ役たる発言の他の誰にも真似できない魔術のような見事さ。 私は、毎回ほとんど夢見心地で恍惚状態でいたのかも知れません。 ドラマや映画でも、意志的な個性的な演技などというものは普通はうるさくて邪魔になるだけで、空回りしてちっとも良くないはずですが、児玉清の場合はまったく違いました。 もっと老けたときに、はたして笠智衆に接近するのかそれともまったく異なった地平へ飛翔するのか、楽しみだったのですが。 ところで、この本は彼の自叙伝で面白くないはずがありません。 パロディで始まったのならパロディで終わらなくちゃ、・・・・・逝くのは美しく・・・・・。
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