枯木灘 の商品レビュー
中上健次の言葉に圧倒された。 きっとこの小説を読んで、新宮や熊野に行こうと思い そして行くようになったのだろう。 『奇蹟』がいちばん好きな小説には違いないのだけれど、 それは『枯木灘』があってこそなのだろう。 2002年6月9日読了
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秋幸サーガ第二作。 秋幸の父の存在で、物語はようやく動き出す。 誰かの視線と噂が、自らの物語を形作る。 「路地」は人間の内部に在る。
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血縁関係や文脈が複雑で、且つ長いので読破するのに時間がかかった。 半分を越えたところぐらいから話がどんどん動き始め、話の中に入り込めた。 青山真治監督の北九州サーガは『枯木灘』(及び『枯木灘』を含む紀州三部作)にかなりの影響を受けているのだなと思った。 こうやって発刊から永い年月...
血縁関係や文脈が複雑で、且つ長いので読破するのに時間がかかった。 半分を越えたところぐらいから話がどんどん動き始め、話の中に入り込めた。 青山真治監督の北九州サーガは『枯木灘』(及び『枯木灘』を含む紀州三部作)にかなりの影響を受けているのだなと思った。 こうやって発刊から永い年月を経て読んでいるとその直系の影響下も理解できてまた別の読み進める愉しさがある。 読み終えたあとは、巨人・中上健次にしり込みせず向き合い続けた達成感と、彼の言葉の威力に圧倒され、しばらく呆けてしまっていた。
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至高の作品。ち(血・地)にとらわれた人々のお話。 お兄ちゃんが… 方言がこれまた良い味を出してます。
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2009/2/8,12,13 「岬」の続編短編小説である。 去年の中期ごろ、「岬」を読み、今までに読んだことがないほど登場人物が多く、とても人々同士の内部がいりくんでいる物語だと思った。 血縁関係の複雑さとその苦悩がとても離れない作品だった。 「枯木灘」はその「岬」の続編であり...
2009/2/8,12,13 「岬」の続編短編小説である。 去年の中期ごろ、「岬」を読み、今までに読んだことがないほど登場人物が多く、とても人々同士の内部がいりくんでいる物語だと思った。 血縁関係の複雑さとその苦悩がとても離れない作品だった。 「枯木灘」はその「岬」の続編であり、私は少しばかり重い気持ちで読み始めました。 この本は主人公・秋幸の「岬」での深くとても煌びやかとはいえない境遇を知っていたとしても、やはり衝撃を受ける作品だった。 血縁関係に対する秋幸の苦悩、死んだ兄に対する苦たる思い、実父に対する憎き思い、その腹違いの姉妹達に対する悲愴な思い。 そして暴力。 中上健次がほとんど自らの身の上を書き綴っているといえるこの1冊は私の中に今までなかったであろう胸が騒ぐ思いを残した。
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『岬』に続く秋幸物語第二弾。ばりいかつい話しやった。しかも方便がばり僕の感覚にあってるし、心地よかった。これは名作やでえ。土方。24-25.
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複雑な血縁関係が入り乱れ、巻末の血縁図を参照しながら少しずつ、読み進めていった。人物の相関関係の説明が何度も出てくるのは雑誌などに連載されていたからなのだろうか。 人に、文学に、世の中に「正しさ」だけを求める人にとっては、もしかすると耐えられない世界かもしれない。しかし、それらの...
複雑な血縁関係が入り乱れ、巻末の血縁図を参照しながら少しずつ、読み進めていった。人物の相関関係の説明が何度も出てくるのは雑誌などに連載されていたからなのだろうか。 人に、文学に、世の中に「正しさ」だけを求める人にとっては、もしかすると耐えられない世界かもしれない。しかし、それらの「良識」を凌駕してあまりあるエネルギーが、この小説にはある。
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物語の典型をギリシャ悲劇に観て、新宮の海は地中海のように在り、説経節はエレクトラの悲劇として在る。短編『岬』がエレクトラの構造をそのまま新宮に置き換えたのなら、『枯木灘』はのちの『地の果て 至上の時』への橋渡しにすぎないのか? いや、『枯木灘』はエレクトラの悲劇のその後が書かれて...
物語の典型をギリシャ悲劇に観て、新宮の海は地中海のように在り、説経節はエレクトラの悲劇として在る。短編『岬』がエレクトラの構造をそのまま新宮に置き換えたのなら、『枯木灘』はのちの『地の果て 至上の時』への橋渡しにすぎないのか? いや、『枯木灘』はエレクトラの悲劇のその後が書かれているのだ。その後、とはポストの意である。乗り越えるために書く。書くことは、乗り越えることである。
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中上健次ほど、日本の作家(この定義も曖昧だけれど。日本語を標準テクストとして書いている作家として)の中で、海外の作家に例えられることが多い人もいないんじゃないかと思う。ガルシア・マルケス、スタインベック、ウイリアム・フォークナー、あるいはミッシェル・フーコー。何かしらの強い磁場を...
中上健次ほど、日本の作家(この定義も曖昧だけれど。日本語を標準テクストとして書いている作家として)の中で、海外の作家に例えられることが多い人もいないんじゃないかと思う。ガルシア・マルケス、スタインベック、ウイリアム・フォークナー、あるいはミッシェル・フーコー。何かしらの強い磁場を持った人たち。どうしようもなく自分から切り離せない沁みついてしまった何かを、根こそぎにするような文章を書いている人たち。ドメスティックな舞台を描きながらも、そこにぽっかりと口を開けて待っている何かに吸い込まれるように、僕は『枯木灘』を読んだ。一時期、渋谷だとかの「場所」が持つ「存在不安」のようなものが書かれた小説がいろいろあったけれど、本を閉じれば消えてしまうそれと違って、中上健次の作品の中には、本を閉じた瞬間からやってくるどうしようもない何かが筆圧のある文章で書かれている。はっきりいって、そのへんのホラーより恐い。
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文句ナシの傑作。中上文学、いや日本文学の到達点がここにある!初めはとっつきにくい文体かもしれないけど、読んでいくうちにハマりますから、ぜひ。
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