デザインのデザイン の商品レビュー
評論に分類したけれど、エッセイに近いかもしれない。著者である原氏のデザインに関する率直な考え方が記されていて、「デザイン」の専門性とは無縁の私も非常に興味深く読むことができました。高校生の時に読んでいたら、デザイナーを目指したかもしれません(笑)。
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もう随分と昔の本なのだと巻末を見て思ったが、そんなことは感じさせない新しさ普遍性がある。 2016/1/27 ウユニ湖のど真ん中での無印良品の広告の撮影の時にカメラマンが、「4mの高さから撮りたい」と言ってしぶしぶ足場を溶接して組み上げ、上がってみたら「なるほどこれか」と感じたと...
もう随分と昔の本なのだと巻末を見て思ったが、そんなことは感じさせない新しさ普遍性がある。 2016/1/27 ウユニ湖のど真ん中での無印良品の広告の撮影の時にカメラマンが、「4mの高さから撮りたい」と言ってしぶしぶ足場を溶接して組み上げ、上がってみたら「なるほどこれか」と感じたという話が何故か心に残っています。
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日本のプロダクトは、機能や品質ばかりで美意識とか哲学が不足しており、日本人には「欲望のエデュケーション」が必要、とのこと。 マーケティングは市場を精密にスキャンしてしまうので、国内の平均的な欲望の水準を反映して、日本のプロダクトは、温厚で従順で優秀で故障が少ないが厚顔なデ...
日本のプロダクトは、機能や品質ばかりで美意識とか哲学が不足しており、日本人には「欲望のエデュケーション」が必要、とのこと。 マーケティングは市場を精密にスキャンしてしまうので、国内の平均的な欲望の水準を反映して、日本のプロダクトは、温厚で従順で優秀で故障が少ないが厚顔なデザインになる。 たしかに国産品は、電化製品も、車も、住宅も、色気がない。良く出来ているが、つまらない。 やっぱり身の回りはカッコいい物で固めたいので、比較的デザインの良いものを買おうとするが、あまり良いものが見つからず、ドライヤーひとつ買うのにも苦労する。 っで、結局輸入物を買ってしまう。 世界で戦える日本製プロダクトを生むために、マーケティングよりも、市場の欲望の水準を高水準に保つような戦略、というか、エデュケーションが必要。まずは市場の欲望水準ありき、中華のコックは香港で、すし職人は日本でしか育たないのと同じだ、とのこと。 無印良品などを手がける「デザイナー」である原研哉さんは、日本デザインセンターの代表である。 同社には、わが社のブランディングをいま一緒にやってもらっているが、懐の深さというか、蓄積された底力というか、とにかく、秀でている。 我々について非常に鋭い本能で理解したうえで、精緻に隙なく積み上げた、それでいてぎりぎりまで削ぎ落としたデザインを生み出してくれている。 そういうものは、石庭のように、ちょっとやそっとでは飽きない。むしろ後日見たほうが「そこはかとなく」心にしみるような感じだ。 今のところ、社内のチームがいちばんエデュケーションされており、ひじょーにありがたい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
マーケッターにぜひ読んでもらいたい本です。 デザインの発生からマーケティングとの関係性まで、歴史、思想、事例まで幅広く書かれている。 ▼マーケティング・デザインは欲望と向き合うこと 日本という畑の土壌を肥やす 引用↓ マーケティングを行う上で市場は「畑」である。この畑が宝物だと僕は思う。畑の土壌を調べ、生育しやすい品種を改良して植えるのではなく、素晴らしい収穫物を得られる畑になるように「土壌」を肥やしていくことがマーケティングのもうひとつの方法だろう。 この独自の市場における欲望の質を肥やしていくことが、収穫物の品質を向上させ、グローバルなステージでの日本の競争力を引き上げていくことに繋がるはずだ。 マーケットの要望に応えつつも、ユーザーの美意識に密やかに働きかけ、エディケーショナルな影響力を生むような、そういうデザインを目指していきたい。P148 ============== マーケティングを通して生活文化を甘やかしてはいけない。マーケティングは考え方を間違えれば、文化全体が怠惰な方向に傾いていく危険性をはらんでいる。
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おすすめ資料 第52回 「デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインである」(2007.11.22) 身の回りにある全てのモノは、デザインされており、コップ1つをみても様々なカタチがある。 デザインされたモノは作者の情報(メッセージ)を発信している。 私たちは、書籍やデザ...
おすすめ資料 第52回 「デザインを言葉にすることはもうひとつのデザインである」(2007.11.22) 身の回りにある全てのモノは、デザインされており、コップ1つをみても様々なカタチがある。 デザインされたモノは作者の情報(メッセージ)を発信している。 私たちは、書籍やデザインなどから情報を受信しているが、あまりにも大量の情報を浴びせ続けられているので、目の前で情報が発信されていても気づかないまま無意識にしているのかもしれない。 情報とは、言葉で構築され発信されていると、私は考えていた。 しかし様々なメディアを通じて言葉以外からも情報発信されていることに気づかされた。 著者は、デザインで五感にコミュニケーションをはかることによって人々に情報を認識させ、情報を無意識から意識へとシフトさせようと試みている。 情報が氾濫している現代社会において、情報を整理し、情報の『質』を高めることが重要である。 その1つの方法がデザインなのだろう。 2004年度サントリー学芸賞芸術・文学部門受賞作品
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独創性 「いまだかつて誰もやっていない斬新な方法で情報を表現することである」「わかりやすさだけでは、表現せず、オリジナルのある表現が情報にふよさらているとよい。」 分かりやすさ 「分かる」という事や、「分かっている」たいうこと、そして「分かっていない」という事などについて理解し...
独創性 「いまだかつて誰もやっていない斬新な方法で情報を表現することである」「わかりやすさだけでは、表現せず、オリジナルのある表現が情報にふよさらているとよい。」 分かりやすさ 「分かる」という事や、「分かっている」たいうこと、そして「分かっていない」という事などについて理解し、「分かる」を実現させる能力。 笑い 極めて精度の高い「理解」が成立したいる状態。
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本書での「デザイン」の定義が好き。 だいたい読み物風にサクサク読めるが、所々、なるほどと思わせるような箇所があってよい。
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【世界の原研哉がデザインを再定義する】 「デザインを再定義する」という意味を込めて「デザインのデザイン」と名付けたのだと思う。デザインを客観的にどういうものであるかを述べ、日本がどのようにデザインを手段として活用し、再度世界に繰り出すべきかを論じている。 今の日本のデザインは大...
【世界の原研哉がデザインを再定義する】 「デザインを再定義する」という意味を込めて「デザインのデザイン」と名付けたのだと思う。デザインを客観的にどういうものであるかを述べ、日本がどのようにデザインを手段として活用し、再度世界に繰り出すべきかを論じている。 今の日本のデザインは大衆化されたものになってしまった。大衆化されたデザインは「日本の大衆」にターゲットされたものであるから世界の人からはあまり歓迎されない。 欧米市場が世界、もっと言えば人間にターゲットを絞って商品開発をしてきたからこそ、世界でAppleやBMWが売れる。日本でも少し尖りたい人間は、国産ではなく、欧米を選ぶ。 日本は世界の下にある国だ。地図を90度回転させ、ユーラシア大陸をパチンコ台に見立てると、日本は一番下に来るという。つまり世界の文化が日本に集まってくる。 たしかに、日本は世界各国の文化/文明を吸収して成長してきた国なのかもしれない。そんな日本が再度復活する鍵は、ここにある。つまり、日本らしくありつつも、その中から世界で通用する「クール」を見つけ出し、発信するということである。 海外に生活したことがある私にとって、日本は特殊な市場だ。他の国が特殊すぎて入りにくいと思うくらい、本当に特殊だ。そこで醸成された文化があり、それは世界を時に驚かす。 龍安寺の庭園、富士山、平泉・・・そこには世界の人、つまり人間が心を動かされる何かが眠っていると思って仕方がない。日本人は近くにいすぎて気づかないけれど、そこに宝が眠っているのではないかと思う。 『日本の再発見』こそがデザインの分野にも必要で、それをできるかどうかが日本が今後も世界のトップとして走り続けられるかを決めるのではないかと思う。
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日本におけるデザインの第一人者である筆者の デザイン論が、彼の活動内容を振り返ることで展開される。 活動例事態はおもしろく、すいすいと読み進められるが その中から「デザインとは」という光る何かを感じとれるかは 人それぞれなのだろうと感じた。
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面白かった。が、時折立ち現れる「日本古来」「日本独自」にはちょっと辟易する。「日本古来」も「日本独自」も、日本以外の場所の歴史・文化・社会的な具体性・複雑性を見ないでいればいるほど、簡単に使える言葉だ。そうであるならば、日本の伝統!と言祝ぐとき、日本の歴史・文化自体の多様性にも、...
面白かった。が、時折立ち現れる「日本古来」「日本独自」にはちょっと辟易する。「日本古来」も「日本独自」も、日本以外の場所の歴史・文化・社会的な具体性・複雑性を見ないでいればいるほど、簡単に使える言葉だ。そうであるならば、日本の伝統!と言祝ぐとき、日本の歴史・文化自体の多様性にも、不感症ではないのかと訝りたくなる。 (ドナルド・キーンの言葉を思い出すのがよい。《日本人の嗜好は何世紀にもわたって変わらずに来たわけではなくて、おそらく日本の歴史のあらゆる時代、社会のあらゆる階層のすべてにあてはまる「日本のこころ」の定義はないのだと思われる。しかし、もし日本の高級料亭の典型的な部屋を「日本のこころ」の一つの代表例とすることに異議がなければ、そこにしか見られない特徴を指摘し、その起源をたどることは可能である。もちろん、これとまったく矛盾する日本人の嗜好の現れもまた「日本のこころ」に属する資格があるという事実を、しっかり頭に置いての上であることは言うまでもない。》) そういう瑣末なところで全体に対する印象を落としてしまった。デザインに対する興味は喚起されたし、デザインに対する著者の真摯さも伺える。しかし、言及した箇所、あれはダメだ。
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