聖少女 の商品レビュー
作品の咀嚼難易度や読み辛さを抜きにして、ルナティックな引力と作者の創造的な奥行きに溢れた1冊。 近親相姦という恋愛的タブーが前面に押し出されているが、作中の大半を占めるミステリアスな少女“未紀”の日記は、読み進めていくと暗黒の脳内を辿っていくような探偵小説的な側面が大きい事が分...
作品の咀嚼難易度や読み辛さを抜きにして、ルナティックな引力と作者の創造的な奥行きに溢れた1冊。 近親相姦という恋愛的タブーが前面に押し出されているが、作中の大半を占めるミステリアスな少女“未紀”の日記は、読み進めていくと暗黒の脳内を辿っていくような探偵小説的な側面が大きい事が分かる。 森茉莉の『甘い蜜の部屋』も読了しているが、少女の悪魔性を題材にしつつも個人的には良い意味で趣が異なる作品だった。
Posted by
ストーリーをたどるというのでなく、少女の行き過ぎた精神世界にただ浸るために読みたい作品。 「あたしにとって嫉妬というのは、自尊心の問題です。パパハドウシテアンナツマラナイ女トネルノカシラ。コノアタシトイウモノガイルノニ。そこであたしはますます完全な女になるためにはげみました。指...
ストーリーをたどるというのでなく、少女の行き過ぎた精神世界にただ浸るために読みたい作品。 「あたしにとって嫉妬というのは、自尊心の問題です。パパハドウシテアンナツマラナイ女トネルノカシラ。コノアタシトイウモノガイルノニ。そこであたしはますます完全な女になるためにはげみました。指の先から耳たぶまで、申し分なく愛らしいペルシャ猫になること。」
Posted by
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが…。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「聖...
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが…。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「聖性」と「悪」という、愛の二つの貌が残酷なまでに浮かび上がる。美しく危険な物語。
Posted by
直喩が独特であまり好ましい文体ではなかったが、発想がよくてそれを物語として表現できるあたりは素晴らしいなと感じた。 思春期という危うい時期に父という偶像、概念と交わることによって少女は生きた神に変容する。 罪を犯すことで聖なるものに変化する。聖性と悪は表裏一体の関係なのである。 ...
直喩が独特であまり好ましい文体ではなかったが、発想がよくてそれを物語として表現できるあたりは素晴らしいなと感じた。 思春期という危うい時期に父という偶像、概念と交わることによって少女は生きた神に変容する。 罪を犯すことで聖なるものに変化する。聖性と悪は表裏一体の関係なのである。 しかし、一度は神になった少女もいずれ女性という生き物に変わり、大人になってしまうのだ。解説の桜庭一樹も触れていたが、そのあとはいったいどうなるのだろう。大人になったあとの人生のほうが遥かに長い。少女性の儚さというのは裏を返せば人生の長さである。人生は短いという割には、少女のうちに泡になって消えられるような人はごく少なく大抵かつて少女だった女性は老いという形でまるで魔法が解けたように現実と対峙することになる。そう考えるとおそろしいし、同時にこの小説の幻想じみた雰囲気も少し理解できた。
Posted by
高校の時に1冊読んで、苦手だったのでずっと敬遠してきた作家。 母親とともに事故を起こし、生還したが記憶をなくした未紀の世話をする私。記憶をなくす前の未紀のノートから、「パパ」との関係を知る。一方で、私もLと名乗る、姉との関係が有った…。 いやー、苦手。嫌いというところまで行か...
高校の時に1冊読んで、苦手だったのでずっと敬遠してきた作家。 母親とともに事故を起こし、生還したが記憶をなくした未紀の世話をする私。記憶をなくす前の未紀のノートから、「パパ」との関係を知る。一方で、私もLと名乗る、姉との関係が有った…。 いやー、苦手。嫌いというところまで行かないが、色々こねくり回しているが、意味が上滑りしているような文章で、昔読んだ短編集同様、頭に全く残らない。歳を重ねれば読めるようになるかと思っていたのではあるが。 作中作となっている、未紀のノートの文章が、「AはBであった」のAとBが全くつながらないような文章で、普通の文章を読んできた人にとっては、ふわふわと掴みどころのない感覚を覚えるであろう。しかし残念ながら、その他の普通の記述においても、同様の捉えられない展開が続くため、章変わりの書き出しで一瞬ホッとした感覚が、数行で霧の中に沈む。 他の作家で『虚無への供物』を崇拝している文章に辟易したことがあるが、こちらは時代背景からも、サドの『悪徳の栄え』を崇拝しすぎており、作中のTSの影響(澁澤龍彦な)を受けたのだろうという文章が、多々見られる。ただ、澁澤のサド翻訳は、読み物として読めるんだよね。そのへんが全く異なる。 最後の夢野久作的な展開は、なんとなく読めた。読めただけで、最初から最後まで、なんとかしてほしいと思ったことは何一つ進まず。 好きな人は好きなんだろうね。ワタシには眠い文章でしか無い。
Posted by
「父と娘」「姉と弟」のキンシンソウカンが複雑にからんだ小説で、やはり文学的な、あまりにも文学的な作品。決して興味本位ではおもしろくありませんが、小説の本筋、これって「どういうことなのか?」という謎が最後まで引っ張っていくのです。
Posted by
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが……。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「...
交通事故で記憶を喪った未紀が、事故前に綴っていたノート。そこには「パパ」を異性として恋した少女の、妖しく狂おしい陶酔が濃密に描かれていた。ノートを託された未紀の婚約者Kは、内容の真偽を確かめようとするが……。「パパ」と未紀、未紀とK、Kとその姉L。禁忌を孕んだ三つの関係の中で、「聖性」と「悪」という、愛の二つの貌が残酷なまでに浮かび上がる。美しく危険な物語。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
読んでいて何となく思い浮かべていたイメージは、子供のするどい…というか病的な感性を肥やしにしてニョキニョキと無秩序に成長し、茎にナイフを入れると血がほとばしる植物、であった。 その異様な植物がいわばフツーの結末を迎えることや、オレがかつて上京したてだった頃の新宿や渋谷辺りの饐えたような空気感、そのゼンキョートー世代のおじさんおばさんの体臭のようなものも含めて、その世界観というかテーマは、結構理解できないでもない。 (好きか嫌いか、と問われれば、東京の子の文化みたいのがキライなので嫌いである) 解説(文庫本だから解説が載っている)ではちょっと浮かれたげなオサーンが「重要な少女小説」とか書いているのだが、これは少女小説というふうにレッテルを貼る必要のない小説だと思う。 で、もう一つ思ったのは、こういう本を今の若い人が読んだらどう感じるだろうか、ということだ。 ここに描かれているような秘すべき内面(罪悪感?羞恥心?)は、今はすごく希薄になっているか、ひょっとしたらもう無いのではないかと思うので、だとすると「まったくカンケーない」とか言われそうだ。 それとも我々が感じるようなことを同じように感じるのだとすれば、この小説にも時代を超えたある種の切実が含まれているということになる。 どっちかな? 訊いてみたい気もするが、実際に訊いてみることはないだろう。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ところでパパの日記についてはもうひとつ重大なことがあります。それはパパが生まれたばかりのあたしについて冷酷な調子で書いてあることなのですけれど、ここでそれをあなたに書くのははばかられます。パパはあたしの裂けめや女としての形状や色について失望にみちた批評をくわえたのち、呪いのように書いているのでした。 シカシコノ子ハ(予定ドオリ未紀卜名ヅケヨウ)母親ヨリモ美シクナルダロウ、ソシテボクヲ愛スルヨウニナルダロウ。恋人トシテ。ナニシロ未紀ハボクガツクッタボク自身ノ敵ナノダカラ。 これを読んだときからあたしのパパへの愛は突然変異して、はっきりと近親相姦的愛の相貌をおびたのでした。パパのことばの爪でしっかりと骨までつかまれたあたしは、誘惑のおそろしさと歓びにわれを忘れてしまいはした。十二歳。はじめての血をみたとき、あたしはそれを(母にはいわずに)愛の告白のようにパパにうちあけました。そして蒼い顔でパパをにらみながらいいました、アタシハイツカパパノタメニ血ヲ流シタイワ。パパはきびしい眼科医のような眼であたしの眼をみつめていましたが、あたしが泣きだしそうな顔になったとき、にやりと笑いました。モウ未紀トハイッショニオ風呂ニハイレナイナ。 こうして最初の黙契がなりたち、パパとあたしは、父と娘のあいだではいえないことばを使う共犯者同士になったのでした。かれはあたしのまえでは**工業社長という社会的存在はむろんのこと、父親という威厳の楯も棄てて裸の精神そのものでした。たとえば子どものなかにまぎれこんで子どもとおなじ顔で遊んでいる大人のように。あたしはそんなパパがそのうちふいに大人のお面をかぶりなおして、未紀、ソンナコトヲシテハイケナイヨ、イイ子ダカラネ、などというときがくるのではないかと、そればかりが不安でたまりませんでした。そこで先手を打って、あたしはよくいってやたものでした、たとえば、パパの顎の下をくすぐりながら、ダメダメ、ベッドデタバコヲスツタリシテ。サア、イイ子チャンダカラ未紀ニワタシナサイネ。また、パパはよくお酒を飲んで遅く帰ってきましたが、母のまえで社用で忙しい夫を完璧に演じたあとのパパの部屋にしのびこんでみると、パパは急に酔いを発したような眼をしてベッドでタバコをすっているのでした。あたしはパパのパジャマのボタンをはずして胸を軽く掻いてあげながら、今日ハドンナ女ノヒトトネタノとお話をねだりました。小さい子どもがお伽噺でもせがむように。 >作家は、事実としては確かに、嘘ばっかり書く。だが感情の面では、本当のことしかけっして、書かないのだ。だから、ある作家のある小説を特別に愛したとき、わたしたち読者は「感情」を探す探偵にならざるを得ない。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
解釈するには難解でしたが、感受したところを書けば、自己愛が精神によって他者への愛の形をとろうとしている(それも、ある種閉じたままで)、その愛の在り方を書いた作品なのかな…という感じでした。二つの近親相姦が描かれますが、どちらも遡れば、血の繋がりのもとでの肉体に関する否定的な事実に端を発し、近親相姦によってそれを裏返して愛に昇華しようとしている。そんなふうに思えました。 最初身構えたほど抵抗感が生じることもなかったし、言葉の連なりは観念的ながら不思議と引っかからずに読めます。ただ、テーマがテーマだけに、読む人を選ぶ小説だとは思います。私自身も、面白かったけど作品との距離は縮まらないまま読んだ感じで、聖化に美しさとかを感じるほどの衝撃は受けなかった。
Posted by