合コンの社会学 の商品レビュー
真面目に合コンを分析した本 かつての学生のものから、社会人のモノに変貌した合コンは、かつてのお見合いや職場結婚の代替物。結婚・恋愛相手を探すことを目的とし、、社会的階層性が組み込まれているが、表面的にはそれを見せないようにする欺瞞性があるのが特徴
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常見陽平『ちょいブスの時代』(宝島社,2013年)の参考文献になっていた流れ(?)で読んでみた。 とくに気になったのは、第五章。『ちょいブス~』が参考にしていたのも、多分このあたりだったかと。 合コンの楽しみって、もはや異性との出逢いというより、むしろ同性の友だちを作るとか,仲...
常見陽平『ちょいブスの時代』(宝島社,2013年)の参考文献になっていた流れ(?)で読んでみた。 とくに気になったのは、第五章。『ちょいブス~』が参考にしていたのも、多分このあたりだったかと。 合コンの楽しみって、もはや異性との出逢いというより、むしろ同性の友だちを作るとか,仲間内でワイワイ騒いで飲むこと~になっちゃってるんでないの!?という指摘。 本来の目的とはかけ離れていってるのかもしれないけど、やっぱ同性の連帯感に勝るものはないんじゃないかなと思うわけで…。笑 あとは、なんといっても第六章。「理想の相手」ではなく「運命の物語」を~の節に、ものすっっごく共感した!! 曰く、男女が執拗に求め続けているのは、実は「理想の相手」ではなく、「運命の物語」の方なんだと。 〝私たちは、出逢えればいい、結婚できればいい、というわけではない。そこに、物語がほしい。〟(130頁) 〝おもしろいと思える人、直感で通じ合える人、いっしょにいて癒される人――それはつまり、ともに「運命」の物語を紡いでいける人、ということだ。〈中略〉たとえば「外国人」や「年齢差」はそれだけでじゅうぶんに物語の要素になりうるだろう。〟(134頁) …うんうん、実によく頷ける話であるなw でも、合コンこそが、この物語を構築するのに最適な場だ~という見解には、ちょっと疑問が残った。 思うに、運命の物語には“思いがけず”っていう要素が必要不可欠で、(表面上どんなに隠しても)自らガツガツ出逢いを求めて臨んでいる合コンにおいて、それはどうあっても成り立たないんじゃないかなと。たとえ周りにそうとはわからなくても、自分の中で出逢いを求めにいった自覚がある時点でアウト!みたいな。周囲への言い訳は立つけど、自分自身は騙せないから、それはもう偶然の出逢いではないよなぁと。 あくまで、そのとき自分の方は出逢いを求めてなかったんだけども“思いがけず”運命の人にめぐりあったのよ~ってな感じでなきゃいけないんだろうと思う。 その一方で、じゃあ職場恋愛は「運命の物語」にはならないのか?運命の出逢いの場としては味気ないか?って言われると、それも違うと思うんだなー。 それこそ“思いがけず”同僚の新たな一面を発見して惹かれたら、そこからはもう立派に一つの物語として始まっていくんだろう。 まぁ要するに、〝自分に納得のいくストーリーがつくれればいい。〟(134頁)ってことかw だけど本当は、どんなに平凡でありふれた話だったとしても、それはその二人にしか紡げなかった物語だから。二人で歩んできたってことだけでじゅうぶん、どれも特別で唯一の運命の物語なんだけどね。 でも心のどこかに、ドラマチックなストーリーを夢見る自分も残ってるんだろうねぇ…それが厄介なのかも?笑 補論では、出逢いにストーリー性がほしいと考える心理について、行き先不透明で流動的な昨今の社会情勢のなかにあって,少しでも堅固なもの(=代替不可能な二人の関係)を求めようとする心性の現れ~と説いているけれど、これには大いに納得した。 ひと昔前なら、結婚/交際相手は「三高」(=高収入・高学歴・高身長)でなきゃ嫌!っていう明確な基準があっただろうし、抽象的なものであっても、“親が安心・納得する人”とか、わかりやすい人物像があったように思う。 でも、今の人が最も重視している条件って、もしかしたら「三低」(=低姿勢・低依存・低リスク)よりもっとわかりづらい、居心地の良さ~みたいな、非常に曖昧で難しいものなんじゃないだろうか。 一緒にいて居心地のいい人,あるいは、自分のテリトリーに踏み込まれても許容できる相手…のような。 そういう相手は、もちろん出逢っただけじゃ相性なんてわからないし、そこへ更に自分だけの運命のストーリーも求めて~ってなると…そういう人にめぐりあえる確率って、いったいどれくらいなんだ!?!?笑 合コンを社会学的見地から考察する~という試みが、新鮮で面白い一冊だった。
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著者もあとがきにて言及しているが、社会学としてどこまで深掘りするかは難しい問題である。それにしても、タイトルにそれを名乗っている限りは、とことん追求してロジカルに展開して欲しかった。トピックがトピックだけに、バックボーンの論理的な考察なしでは、単なるインタビューの羅列としてとこと...
著者もあとがきにて言及しているが、社会学としてどこまで深掘りするかは難しい問題である。それにしても、タイトルにそれを名乗っている限りは、とことん追求してロジカルに展開して欲しかった。トピックがトピックだけに、バックボーンの論理的な考察なしでは、単なるインタビューの羅列としてとことんチープな方向に転んでしまう。
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「合コン」がどういうものか知らないので、もう処分するという友だちにもらって読んでみた。 うーむ、若いやつはめんどくさいなあ。というのが最初の感想。仲間内の序列は明らかなのに、誰かひとりが目だったり外れることがないように気を回したり、「キャラ」をかぶったり、そりゃ疲れるだろうよ。 ...
「合コン」がどういうものか知らないので、もう処分するという友だちにもらって読んでみた。 うーむ、若いやつはめんどくさいなあ。というのが最初の感想。仲間内の序列は明らかなのに、誰かひとりが目だったり外れることがないように気を回したり、「キャラ」をかぶったり、そりゃ疲れるだろうよ。 が、著者たちによれば、若者たちはかくも必死に偽装をこらしつつ、条件に適う「理想の相手」ではなく、「運命の物語」こそを探しているのだとか。結婚が経済的な生存戦略であることはあからさまになっているのに、なぜ古臭いロマンティック・ラブ・イデオロギーがいつまでもはびこり、なぜ若い世代が過剰に適応しようとするのだろうかと不思議になるが、阿部の補論は、階層化と不安定化が著しいこの世代においては、経済的条件と同時に、代替不可能な「純愛」という幻想もまた、安定を保障してくれる(かのように思われる)要素なのだという解釈を示している。 しかし社会が階層化し流動化しているのが事実としても、これほど息詰まる窮屈な関係性を彼らが自ら構築してしまうのはなぜなのか、そこのところがもうひとつ理解できない。当事者に対しては「もっと気を楽にもって」というアドバイスくらいしかできないだろうが、こんなに閉塞的な関係性しか想像できない若者が多いとしたら、それはこの世代だけの問題ではないと思うのですがね。
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〈「合コンは、誰もが参加できる平等な競争の場である」--広く共有されたこの前提は、実は幻想にすぎない〉 という立ち位置から、合コンという「場」にひそむコードをあきらかにしていこうというのが本書。「職業・年齢・容姿といった序列が如実に出るのが合コンだ」ってこと? いやいやむしろ、そ...
〈「合コンは、誰もが参加できる平等な競争の場である」--広く共有されたこの前提は、実は幻想にすぎない〉 という立ち位置から、合コンという「場」にひそむコードをあきらかにしていこうというのが本書。「職業・年齢・容姿といった序列が如実に出るのが合コンだ」ってこと? いやいやむしろ、そういった序列でもって「あらかじめ仕組まれている」のが合コンなのだ。合コンを通じて、若者たちは、(かつて「見合い」がそうであったように)あらかじめ出逢うべき相手と出逢い、釣り合った相手と結婚する。合コンは、ロマンチックな「運命の出逢い」を演出することで、結果的に社会構造の維持に貢献している「制度」なのである。 調査方法としては首都圏の女性20名・男性11名によるヒアリングということで、社会調査の方法としては狭く・深い方法をとっている。しかしこの調査方法が、山田昌弘でもなく、小倉千加子でもない、オリジナルな考察と結論を導いていると思う。なにより、調査対象から聞き取ったコメントがナマっちい。 ========================= 「一度、すごくかわいい男の子が目の前に座ったので、『うわあ、かわいい』って思わず言ってしまったら、あとで他の女の人たちにしかられた。みんなそう思ってるけど、合コンの場ではいわないものなのって」(女性・30代・専門職) 「未来のない大学院生っていうのは、けっこう使える。女の子は、大学院生と弁護士のあいだで揺れ動いて、最終的に弁護士を選んだ、と言える。私は収入で男を選んでませんって」(男性・30代・会社員) 「若い頃はばかだったから、自分の話ばっかりしてた。でも今はいっさいしない。聞き役に徹する。こんだけ稼いでて、こんだけ仕事ができて、こんな車に乗っててスポーツもやってて、なんて言われて『すごいねー』なんて言う女はめったにいないから。女の子の悩みをひたすら聞いてあげる」(男性・30代・会社員) 「あえてスカートとアンサンブル、みたいな合コンっぽい格好で行く。相手がそれを期待しているんだからとりあえずそれにあわせておく。……もし気に入った人がいたら、合コンではその人にはしゃべらせない。自分のプライベートな過去のこともどんどん話して、さばけた子だなと思わせる。それで、もう一回会いたい、と思わせる。男の人はしゃべりたがりだから、自分の話ができないと絶対に次、と思う」(女性・30代・会社員) 「合コンのことが書いてある雑誌とかを読むと、自分の良さを知ってそれを追究することが大切とか書いてあるけど、それは難しい。『自分らしさ』って言っても、それが『みんなに好かれる自分らしさ』じゃないといけないから。『みんなに好かれる自分らしさ』をつくっていくしかない」(女性・30代・会社員) ========================= うーん。「赤の女王仮説」というか、生物の進化を見ているよう。相手の行動を先読みして自分の行動を決めて、さらにそれを織り込んだ誰かが裏をかいて……みたいな。誰か、生物学者が研究しないか、この課題。交配相手を巡る、複数プレイヤーによる複数回繰り返しゲームの例として適当なんじゃないか。 こういった調査が裏打ちをしているぶん、最近の男女の恋愛模様についての考察としては『モテたい理由~男の受難・女の業』(赤坂真理/講談社現代新書)より遙かに説得力がある。 現代において、若者が「結婚」するための条件を理解するためには、従来の社会学が頼りにしてきた「経済」という側面だけではもはや足りず、「ロマンティック・ラブ」を「制度」と見立てた視点、「結婚」を物語消費の一側面として見る視点が必要なんじゃないか……というのがこの本のキモなのだと思う。そして、それはたぶん当たっているんじゃないか……と思う。
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私達が求めるのは「理想の相手」か「運命の物語」か ― http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334034320
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
なんとなく読了。 社会学に合コンを収めるというチャレンジングな内容だった。 よくある合コンの振る舞い方ではなく、色んな視点から現代の合コンの役割を考察していった内容であると言える。 しかし、ちょっと凝り固まった論点が多いような気もしないでもない。 ま、エンタメで読む分にはよいのではないでしょうか。 ■目次 第1章 出逢いはもはや突然ではない―合コンの社会学・序 第2章 運命を演出するために―相互行為儀礼としての合コン 第3章 運命の出逢いは訪れない―合コンの矛盾 第4章 運命の相手を射止めるために―女の戦術、男の戦略 第5章 運命の出逢いを弄ぶ―自己目的化する遊び 第6章 それでも運命は訪れる―合コン時代の恋愛と結婚 第7章 偶然でなくても、突然でなくても―合コンの社会学・結び 補論 合コン世代の仕事と恋愛―自由と安定のはざまで
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合コンの社会学というタイトルに惹かれて購入。 文章は全体的に優しく読みやすく、その場では何となく言っていることは分かるが読み終えて全体を振り返ると結局何が言いたかったのか分からなかった。 また社会学に関して全く知識がないので時折出てくる専門用語が全く分からなかった。
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合コンは現代社会の産物で、それにもてあそばれている若者が多いんだなぁと実感した。 今は自分が若いから結婚に対する焦りがないんだろうけど、もし焦る年齢が来たら合コンに行くようになるのだろうか。 合コンではなく興味や嗜好が似ている人達の集まりならいいのかな。 まぁでも恋愛を目的とした...
合コンは現代社会の産物で、それにもてあそばれている若者が多いんだなぁと実感した。 今は自分が若いから結婚に対する焦りがないんだろうけど、もし焦る年齢が来たら合コンに行くようになるのだろうか。 合コンではなく興味や嗜好が似ている人達の集まりならいいのかな。 まぁでも恋愛を目的とした集まりに行くことはないだろうな。
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文字通り、社会学の観点から合コンを分析しようとした1冊。 なので、ハウツー本ではないので、合コンに行く参考にはならず。 かといって、合コンについて特別な視点での分析があるわけでもないので、読後にもやもや感が残る一冊。
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