読書と社会科学 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
筆者は冒頭で、本を読むという行為を"情報として読む"と"古典として読む"の2種類に分類している。本書における"情報として読む"行為は、知識を得ることが目的であるため、例えば必要な箇所だけを拾って読むような「飛ばし読み」がこれに含まれる。一方で"古典として読む"行為は、"古くからの情報を、眼のも少し奥のところで受け取ることによって、自分の目の構造を変え、今まで目に映っていた情報の受けとり方、つまりは生き方が変わる。そういうふうに読む読み方..."を意味する。これら2種類の読み方は必ずしも対立項ではなく、むしろ"古典として読む"行為によって"情報として読む"行為が豊かになり、ひいては読書体験全体が豊かになるという相互補完関係にあると筆者は主張する。以上を念頭に置いて、本書では、"古典として読む"という行為の重要性と、それをを身につけるための方法論について重点的にまとめてある。 筆者は本書全体を通して「経験を伴う勉強」の重要性を強調している。それはつまり、"自分の眼"を養う行為である。知識とは、"自分自身の眼の働きを補佐する手段"として体得すべきものであり、それが逆転して初めから知識に寄り掛かるような態度は、真の勉強ではないという。 SNSによって世界の劇的な変化を経験し、現在進行形で進歩するAI技術によって時代の転換点に立たされている我々は、もう一度「勉強」や「知識」という言葉を再定義するために議論しなければいけない段階にあるのではないかと、本書を読んで感じた。
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経済学史の先生による講義の体を取った読書論。 いかに自分にとっての古典とするか。読みを深めるか。その本が提示するモノの見方を自分のモノにするか。鵜呑みにするとか新しい知識を得るということではなく、新しい顕微鏡(概念装置)を手に入れるということが必要だとする。 考え方としてはよ...
経済学史の先生による講義の体を取った読書論。 いかに自分にとっての古典とするか。読みを深めるか。その本が提示するモノの見方を自分のモノにするか。鵜呑みにするとか新しい知識を得るということではなく、新しい顕微鏡(概念装置)を手に入れるということが必要だとする。 考え方としてはよくわかる。それをどう実現するか?何度も真剣に考えながら読むしかないのだろう。
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前提として、この本でいう社会科学はかなり広義にとっているようであり、人文科学や自然科学にも十分通用すると感じた。 筆者の主張する、信じて疑う、高い授業料を払って経験する、は人生全般に言えるのだろう。概念装置という考え方もおもしろい。ベースとして概念装置を持つことで、本の読み方、...
前提として、この本でいう社会科学はかなり広義にとっているようであり、人文科学や自然科学にも十分通用すると感じた。 筆者の主張する、信じて疑う、高い授業料を払って経験する、は人生全般に言えるのだろう。概念装置という考え方もおもしろい。ベースとして概念装置を持つことで、本の読み方、社会の捉え方がクリアになっていくのだろう。 そもそも読書は知的な食事のようなものであり、その知的栄養分は血肉となり体内?脳内?に蓄積され、人格を形成していくのだと思う。概念装置は大事にしたい。
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やや表現が古めだったりすることもあり読みづらさもあったが、読書の姿勢や考え方について触れられていて非常に面白かった。 個人的には、深い読み方のできる古典や詩をもっと読みたいと思った。 また、「経験が最良の学校だが、その授業料はきわめて高い」というのが非常に印象に残る。 今だから...
やや表現が古めだったりすることもあり読みづらさもあったが、読書の姿勢や考え方について触れられていて非常に面白かった。 個人的には、深い読み方のできる古典や詩をもっと読みたいと思った。 また、「経験が最良の学校だが、その授業料はきわめて高い」というのが非常に印象に残る。 今だからこそできる経験というのを考えて実行していきたいと思う。
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読書論としてはとても上質で語り口も聞き(読み)やすい。一方で「社会科学」の指すところは現代とは異なっており、かなり古臭い雰囲気もある。
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タイトルは『読書と社会科学』とありますが、内容は社会科学を学ぶことに主眼がおかれており、社会科学を学ぶための読書なのだ。 本書で、私がすごいなぁと感じた部分を丸々抜粋しておく。 異なった用例の奥にある共通の部分ーーことばの奥にひそむところの革新的部分ーーは、平素日常語として無...
タイトルは『読書と社会科学』とありますが、内容は社会科学を学ぶことに主眼がおかれており、社会科学を学ぶための読書なのだ。 本書で、私がすごいなぁと感じた部分を丸々抜粋しておく。 異なった用例の奥にある共通の部分ーーことばの奥にひそむところの革新的部分ーーは、平素日常語として無意識に使っていたことばを注意深くーー少々無理をしてーー分析をし、掘りおこすという作業によってはじめて発見されます。ちょうど、「燃える」ということと、「錆びる」という一見無関係な現象の間にある「酸化」という同一の現象が、科学的分析の手つづきによって発見できるように。 (123ページ) この部分の例えが秀逸で、なるほどと膝を打ったところ。 本書に紹介されていて、ぜひ読んでみたい書籍も記録しておく。 『漢語の知識』一海知義さん 岩波ジュニア新書 『哲学・論理用語辞典』思想の科学研究会編
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本をどう読むか、について書かれておるのですけれども、難しいところも多々あれど、本を読む、のではなく、本で「モノ」を読むということがどういうことか、が熱を帯びた文章で解かれているのです。自分の視点をきちんと定め、わからないものをわかろうとする。そのためにどう自分の眼を養えばいいのか...
本をどう読むか、について書かれておるのですけれども、難しいところも多々あれど、本を読む、のではなく、本で「モノ」を読むということがどういうことか、が熱を帯びた文章で解かれているのです。自分の視点をきちんと定め、わからないものをわかろうとする。そのためにどう自分の眼を養えばいいのか。 決して効率よくその方法を教えてくれてはいない。そんなものはない。まあしかし、あったりまえだ。だからこそ読書はおもしろいのだ。私が付箋を貼ったところからひとつ紹介するならば、「人間は、人間に不可能なことを敢えてして辛うじて人間になれる、そういう変な存在です」 効率、スピード、How to…、巷に溢れるそんな言葉からは遠く離れた、1滴1滴、ゆっくりと身に染みていく言葉で満たされる読書論であった。もっかい読も。
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概念装置の持ち方 人の意見の受け売りではなく自分で判断すること 常識や法律のなかで考え行動できること 難解であったが人の意見をしり多様な価値観や理解を持つことが大事だと思いました
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わたしたちの日常生活の中で、社会科学の本をどのように読めば、世の中をとらえるツールとして活用することができるかを教えてくれます。第一章が市民主催の読書会における講義録であることもあり、学者として生きることを選択していない市民が社会科学の学術書を読むことの意味を、学者の側から示唆す...
わたしたちの日常生活の中で、社会科学の本をどのように読めば、世の中をとらえるツールとして活用することができるかを教えてくれます。第一章が市民主催の読書会における講義録であることもあり、学者として生きることを選択していない市民が社会科学の学術書を読むことの意味を、学者の側から示唆するような内容でした。キーワードは〈概念装置〉。
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flier要約 https://www.flierinc.com/summary/2939 ==== 内田義彦(うちだ よしひこ) 1913-1989年 1939年東京大学経済学部卒業、経済学博士 専攻―経済学史、社会思想史 ==== 「概念装置」と言う概念が本書の本丸なのだ...
flier要約 https://www.flierinc.com/summary/2939 ==== 内田義彦(うちだ よしひこ) 1913-1989年 1939年東京大学経済学部卒業、経済学博士 専攻―経済学史、社会思想史 ==== 「概念装置」と言う概念が本書の本丸なのだあろうか。 「概念装置」と言う言葉が私にとっては難しくその言葉を聞いただけでは何を指しているのか結局今もわかっていない。 1つ違うだろうな…と感じながら思ったのが「概念装置」を「自分軸」と言うように置き換えられることもあるのだろうかと言うこと。 自分軸と表現してしまうと価値観とか内側の思いと言うようなものをイメージしてしまいそうだが、「概念装置」はもっとデータや根拠、過去の歴史も踏まえた判断軸を指しているような気がする。 仕事に置き換えて考えてみたときに、上司の「概念装置」を理解をすれば、求められることややらなければいけない事に大きなギャップが生じることを防げるのではないかと言うように考えた。 また自分では思い至らなかったことを指摘・フィードバックされることが多いが、それも相手の「概念装置」を拝借することで自分にはない観点を取り入れることができるのではないかと言うように思った。 もう一つ心に残ったのは、「本は読んでも読まれるな」と言うもの 本の読み方には2つあり、1つが情報収集、2つが古典。 例えば自己啓発のような本でも情報収集のようにさらっと読むケースもあれば数年前に読んだものを改めて手に取り目を皿にして読み込むと言う古典としての読み方両方あるなと言うように思った。 私はほぼ情報収集としの読書しかしきれていないので古典としての読書をする時間を取れるようにしていきたい。
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