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読書と社会科学 の商品レビュー

4.2

37件のお客様レビュー

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2011/04/26
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※このレビューにはネタバレを含みます

[ 内容 ] 電子顕微鏡を通して肉眼では見えない世界を見るように、社会科学では、概念という装置をつかって現象の奥にある本質を見きわめようとする。 自前の概念装置をいかにして作るか。 それを身につけることで何が見えてくるか。 古典を読むことと社会科学を学ぶこととを重ね合わせて、本はどう読むべきかの実習を読者とともに試みる実践的読書論。 [ 目次 ] 1 「読むこと」と「聴くこと」と(はじめに-読書の問題性;読みの構造;読み深めの諸相;聴くということ) 2 自由への断章(創造としての読み;経験科学の創造に向けて) 3 創造現場の社会科学-概念装置を中心に(はじめに-問題の所在;日常語で見えるもの;社会科学のウルトラ・アイ?;概念装置の手作りを) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

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2011/01/23

人文社会科学の書物を読み、深く研究するということはどういうことなのかを考えさせられました。学問研究のすばらしさと難しさを感じました。

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2010/04/05

 古典をどうやって読むのか、そもそも古典とは何か、古典をなぜ読む必要があるのかについて書かれた本である。「論語読みの論語知らず」という言葉がある。本「を」読むのではなく、本「で」モノを読む。これが肝心である。最近の人が陥りがちな読書の問題点について、大学教授である著者が自分の考え...

 古典をどうやって読むのか、そもそも古典とは何か、古典をなぜ読む必要があるのかについて書かれた本である。「論語読みの論語知らず」という言葉がある。本「を」読むのではなく、本「で」モノを読む。これが肝心である。最近の人が陥りがちな読書の問題点について、大学教授である著者が自分の考えを述べている。  古典を読む目的は、自分の頭の中に「概念装置」を作ることである。概念装置を通して人は物事を見ており、概念装置が出来上がっていれば真理が見える。「論語の論語知らず」にならないためにも、古典を自分の身にするには、著者を大事に本を読んで、そこに自然に浮かび出る自分自身の感想を何よりも大切にすることが必要である。  つまり、「①一番面白かったのはどこか」,「②なぜ自分は面白かったのか」を明確にすることが重要である。今回の場合で言えば、自分はこれまでとにかく読んでみたが全く身についていない古典がいくつかある(まさに自分の場合は「論語」がそうなのであるが)。この問題を解消するためにも、自分が感じたことを明確にする必要があると考えられる。

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2010/03/20

本を読む目的は認識の手段としての概念装置を獲得することにある。 著者が使った概念装置を、自分の眼でも認識の手段として使えるようにする。 肉眼のままでは気付かなかったことでも、学問的な装置や仕掛けを使うことで見えてくるものがある。 読書会の鍵はどう話すかではなくて、どう聴くか。 ...

本を読む目的は認識の手段としての概念装置を獲得することにある。 著者が使った概念装置を、自分の眼でも認識の手段として使えるようにする。 肉眼のままでは気付かなかったことでも、学問的な装置や仕掛けを使うことで見えてくるものがある。 読書会の鍵はどう話すかではなくて、どう聴くか。 古典は深く読めば読むほど人によって理解の仕方が異なってくる。 主観性を排した読み方ではありきたりな要約しか出てこない。 感想文を書く目的は自分の考えを他の人にも伝わる形にまとめることにある。 だからといって最大公約数的な浅い感想文になってしまっては本末転倒。 本は感想にまとめやすい形で読むべきではない。

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2009/10/04

古典を古典として読む。自分の中に概念装置を組み立てる。社会科学の初学者向けに、平易な語り口で語ってくれているが、中身はとても深い。今後の読書の羅針盤として。

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2009/10/04

読書について、情報としての読みと古典としての読みがある。古典としての読みはモノを見るための目を獲得する手段として読み、読み直すとより深いことが見えてくるような本にたいして行う。 概念装置を得るために読書を行う。モノを見るときに新しいことを見いだせるようにするためのフィルターのよう...

読書について、情報としての読みと古典としての読みがある。古典としての読みはモノを見るための目を獲得する手段として読み、読み直すとより深いことが見えてくるような本にたいして行う。 概念装置を得るために読書を行う。モノを見るときに新しいことを見いだせるようにするためのフィルターのようなもの。

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2009/10/04

大学で社会科学系に進むと決めたとき、友人たちによく「何を研究するんだ?」と質問されました。 確かに、高校までの知識ですと、「社会」の授業を延々としているようなイメージがあります。 実験があるわけでもなく、研究の結果として生産物があるわけでもありませんし。 自分も、友人たちと同じよ...

大学で社会科学系に進むと決めたとき、友人たちによく「何を研究するんだ?」と質問されました。 確かに、高校までの知識ですと、「社会」の授業を延々としているようなイメージがあります。 実験があるわけでもなく、研究の結果として生産物があるわけでもありませんし。 自分も、友人たちと同じような疑問をもっていたのですが、 ある先生がおっしゃった言葉でいまだに忘れられないものがあります。 「たとえば、法律の分野に『三権分立』というものがある。 高校までは、教わったように『三権分立』という言葉と中身を覚えればいい。 大学では、『なぜ三権分立なのか?』『四権はありえないのか?』を学びなさい」というものです。 なぜ、こんな話かというと。 当時の自分は、先生の言葉を、 「知識をただ詰め込むのではなく、得た知識で現実の社会を見るように」と説かれたものと理解しました。 そして、本書もまた、社会科学系の分野を学ぶ学生に、 「本で得た知識と現実の社会との照らし合わせ」を強く要求しているように思われたからです。 三権分立だの学説の定義だのを覚えることが重要なのではない。 それらの真意をとらえて、自分の考え方を見つめなおして、 そして、いまある社会を肯定(否定)的に見る目を養うことが重要なのだ、と。 このように本の情報を自分のものとするために、 著者は、どのように「本を読むべきか」と言ったことを自らの経験に基づいて書いていきます。 10年ぐらいしてまた読んだら、新たな発見がありそうです。 一般向けというよりは、社会科学を学ぶ人たちに向けた一冊だと思います。

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