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読書と社会科学 岩波新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
| 発売年月日 | 2000/06/22 |
| JAN | 9784004202882 |

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読書と社会科学
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商品レビュー
4.2
40件のお客様レビュー
情報を得るための読書に対して、「自分の眼の構造を変え、いままで眼に映っていた情報の受け取り方」ひいては「生き方」が変わる読書のことを「古典として読む」と定義し、読書論が展開されていく。 この「古典」が意味するものは、古い時代に書かれており、その価値が認められている作品のことではな...
情報を得るための読書に対して、「自分の眼の構造を変え、いままで眼に映っていた情報の受け取り方」ひいては「生き方」が変わる読書のことを「古典として読む」と定義し、読書論が展開されていく。 この「古典」が意味するものは、古い時代に書かれており、その価値が認められている作品のことではない。一度読んだだけでは終わらず、捨てられない想いが残り、何度も何度も読み返して、そのたびに新たなものの見方を得ることのできる作品のことを指している。 そう言われれば、大切な本はずっと手元に置いて、何度も何度も読み返し、そのたびに新たな発見がある。それらの本は私にとっての「古典」であるということだ。 「古典」を読み進めるにあたって重要な信念を一言で表しているのが良い。「信じて疑え」。読者である自分と書き手である作者を、まずは信じて読み進める。その結果、沸き上がってくる「どうして自分はこんなふうに読んだのか」「どうして作者はこんなふうに書いたのか」を深堀りしていくことが重要だと説く。 流されるままに読むのではいけない。何度も登場する「本は読むべし、読まれるべからず。」の言葉の意味が、少しずつ心に落ちていく感触があった。 後半は、社会科学における認識手段としての「概念装置」を獲得することを目的とした文章が続く。 ものの見方を養うという点では前半と同じ。だが、さらに一歩踏み込んで、自分の眼を補佐をする「自前の概念装置」を得るためのヒントを事例とともに紹介している。 社会科学を志す学生向けの公演が元になっており、社会科学や自然法・実定法の知識があるとより理解が進んだように思う。それでいうと、この本は今の私では実力不足で、まだまだ読み深める余地がある。 これからも、様々なジャンルの本を数多読んでいく所存なので、力がつくたびに何度も読み返して、そのたびに新たな発見がある気がする。つまりこの本は、私にとっての「古典」のひとつになったということだ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
本を読む目的は、内容を覚えることだけにない。著者が持っているような、考えるための道具を、自分の中につくることが本質であるということを述べている。 この本で指摘されているような本質的ではない読み方をしていたことが多かったと反省すると共に、自分の中で読書がうまく役立っていないと感じていた理由も理解できた。 「少くとも、いい本は、上手に読めば、読んだだけの甲斐があったと思わせるものを持っております。読んで初めて眼が見えてくることは確かにある。読まなきゃ損です。真に自由な眼の持ち主になれない。で、本でモノが読めるように、そのように本を読む。それが「本を読む」ということの本当の意味です。本は読むべし読まれるべからず、とさしあたり言っておきましょう。」 「楽しいということ、楽しさの感覚を研ぎ澄まし楽しみの中身を深めることは、あらゆる意味で重要、ーそれ自体として根源的に重要だし、当面、読書会をどう運営するかという実際面でも、それを大切にすることが要点だと思うんです。」 「「楽しい」とは、魂がさまたげを排除しながら、伸び育ってゆく時の充実し満たされた情念です。そういう時にはふしぎに「ただ一人」孤独の我を意識すると同時に、相共に苦労をし激論をし合った仲間の姿が思い浮かんできますね。」 「会が楽しく育ってゆくかどうか、その鍵は、参加者一人一人がどの程度聴き上手かどうかにある。」 「報告をし発言した人が、私の下手な話をよくもこうまで聴きとって下さった、本当はそう思っていてうまく言えなかったんだというように事が運べば、そのような聴き上手に皆がなり、聴き上手を得て皆の考えがそれぞれに伸びてゆけば、万事目的は達する。会運営の要は、他人の言をいかに聴くかにあり、そして、その聴き上手には、本を大事に読むという仕事ー大事に取扱って「聴きとる」風習と技術ですねーを深めてゆくことによってなれる、もともと本とはほんらいそう読むべきもの、と私は思うんです。」 「読み方に二通り、根本的に性格が違う読み方があると思うんです。「情報として読む」のと「古典として読む」の二つです。」 「ところが、これとはまったく違った本の読み方がある。新しい情報を得るという意味では立たないかもしれないが、情報を見る眼の構造を変え、情報の受けとり方、何がそもそも有益な情報か、有益なるものの考え方、求め方をー生き方をも含めてー変える。変えるといって悪ければ新しくする。新奇な情報は得られなくても、古くから知っていたはずのことがにわかに新鮮な風景として身を囲み、せまってくる、というような「読み」があるわけです。哲学者は万人の(すでに)知ることを語る、といいますね。古くからの情報を、眼のも少し奥のところで受けとることによって、自分の眼の構造を変え、いままで眼に映っていた情報の受けとり方、つまりは生き方が変る。そういうふうに読む読み方を、「古典として読む」という名に一括しました。分野ではなく、読み方で分けている点に御注意願います。」 「虚心をもって本に接し、自分を本にぶつける様なことをせず、自分を殺し本に内在して、本から、本を通じて著者が言いたかったであろう言い分を、心を尽くして、耳を澄ませて自分で聴き取る様にしてください。著者を大事に本を読んで、そこに自然に浮かび出る自分自身の感想を何よりも大切にし、それを大事に育て上げる様にしてください。そして感想をまとめる場合には、全体の中で要するにどこが一番自分に面白かったか。つまり、そこのところの一つでも、この本を読んでよかったと思われるところは何かをまずハッキリさせる。そして、それはなぜであろうかと考える。つまり焦点づくり。これが読書の基本です。」 「「貧乏」だけを見ていては現在の「貧困」はとらえられない。「豊かさ」の仮象を作り上げているもののなかにこそ、貧困が潜んでいる。」 「物的装置を持たず、概念装置だけが頼りなので、等しくものをこの眼で見る手段であるはずの概念装置の意味役割が、かえって意識的に捉えにくいということもあるでしょう。本を読むという仕事がルーチンワークになり、何のためにそもそも本を読むのか、勉強の目的を明確にしないまま、いたずらに本を読む。で本を読んでも、本に書いてある学説を知るだけで、そこで著者が使った概念装置を、著者と同様、認識の手段として使ってこの眼で見る習慣が育たない。著者と同様に一個の独立の人間として、この眼をぎりぎりに働かせてものを見届ける訓練が意識的にされておりません。」 「本を読んで学説を知ることに狙いが向けられていて、肝心の認識手段としての概念装置を自前のものとして獲得する仕事がお留守になっている。」
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大学生の時以来、数十年ぶりに読む。専門書を読むうえで必須の読書の手ほどきではないだろうか。特に人文系の学問をする人は必読だと思う。ドゥルーズだかが「哲学は新しい概念を生み出すもの」的なことを言ったらしいが、その「概念」をどう理解するか、どう扱うか、はまったく自明なことではなく、意...
大学生の時以来、数十年ぶりに読む。専門書を読むうえで必須の読書の手ほどきではないだろうか。特に人文系の学問をする人は必読だと思う。ドゥルーズだかが「哲学は新しい概念を生み出すもの」的なことを言ったらしいが、その「概念」をどう理解するか、どう扱うか、はまったく自明なことではなく、意外と理解していない人も多いのではないか。この本は、その「概念」を理解して実際に取り扱う場面として、また学習しそれを深めるための手段としての読書をていねいに解説している。文献の読み方を教えてくれる貴重な基本書。
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