グレート・ギャツビー(華麗なるギャツビー) の商品レビュー
第一次大戦後のニュー…
第一次大戦後のニューヨーク郊外が舞台の物語です。華やかなパーティーのシーンが印象に残ります。
文庫OFF
最後の一文がアメリカ文学史に残る名文、と言われてたけど、多分訳者が気合入り過ぎててちょっと違和感あった。
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シニカルな言い回しがいい。キャラウェイってこんなんだったんだ。映画と違う。単なる華やかさ、そして夢が散る儚さではなく、複雑な人間模様があり、どこか諦めもあるような物語。読み終わった時になんだか本当に寂しくなった。自分が死んだ時、多くの人が悲しんでくれるだろうか、とか考えた。
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ぼくは彼をゆるすことも、好きになることもできなかったが、彼としては自分のやったことをすこしもやましく思っていないこともわかった。何もかもが実に不注意で混乱している。彼らは不注意な人間なのだ──
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アメリカにおける狂乱の時代を垣間見える一冊。勢いと危なかしさは今のアメリカにおいても残っていると感じる。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
たぶん、とても悲しい物語なんだろうと思う。結末は名文(のような気がする)。ただ……お話がうまくつかめなかったので、それがきちんと感じられないのが非常に残念だった。 なにしろ50年前の翻訳なので「言葉遣いが古いなー」と思いながら読んでいたのだけど、第8章の終わりでギャツビーが死んだのか死んでないのかよくわからなかったのが決定的だった。しばらくギャツビーが自殺したのかと勘違いしながら読んでいたほどである。 というわけで、野崎孝さんには申し訳ないけど別の訳で読み直そうと思います。とほほ…… 後日、村上春樹訳を読んだ。私が誤解した第8章の終わりは、野崎訳では ぼくたちが、ギャツビーとともに、家のほうへ歩きだしたあとで、園丁が、すこし離れた芝草の中にウィルソンの死体を発見した。 だが、村上春樹は 僕らがギャツビーを家に運びかけたところで、庭師がすぐそばの草むらのあいだにウィルソンの死体を発見した。 と訳している。原文は It was after we started with Gatsby toward the house that the gardener saw Wilson’s body a little way off in the grass, なので野崎訳のほうが正確といえば正確なのだけど、これではどうしても「ギャツビーがぼくたちと一緒に歩いている」と読めてしまうような気がするなー。英語だとそうじゃないんだろうか?
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この作品は、先輩に「読んでみな」と勧められた本だった。先輩は、ギャツビーの生き方に敬意を示し、「ギャツビーのようにならないといけない」と語っていたが、正直に言うと、読み終えた今もその言葉にはあまり共感できていない。 まず、この本は読むのが本当に大変だった。読んでいても、今何が起...
この作品は、先輩に「読んでみな」と勧められた本だった。先輩は、ギャツビーの生き方に敬意を示し、「ギャツビーのようにならないといけない」と語っていたが、正直に言うと、読み終えた今もその言葉にはあまり共感できていない。 まず、この本は読むのが本当に大変だった。読んでいても、今何が起きているのか、なぜこの人物はこう言ったのかが分からない場面が多く、ゴッドファーザーを初めて観たときの感覚に近かった。登場人物は自分の気持ちをはっきり説明しないし、言葉の裏や沈黙に意味が込められている。そのため、戦争の時代背景やアメリカンドリームといった前提知識がなければ、物語を追うこと自体が難しい。実際、ChatGPTに「なぜここでこうなっているのか」を聞きながらでないと、理解が追いつかなかった。 感想として最も強く残ったのは、ギャツビーの「過去を再現しようとすること」への異常なまでの執着だ。過去の幸福を信じ、それを美化し続けることで、ここまで人は自分を変えてしまえるのかと驚いた。戦争という極限状況の中で、自分自身と向き合う時間が増え、その結果、記憶の中の幸福が膨れ上がっていったのかもしれない。このような現象は、現代を生きる自分たちにも起こりうることだと思う。 一方で、その執着を原動力に、対岸に家を建て、毎週末パーティーを開き、「気づいてほしい」と待ち続ける姿には、どこか女々しさやこじらせた印象も感じた。ギャツビーの行動は純粋であると同時に、盲信的でもあった。 デイジーについては、正直なところ、特別な期待は抱かなかった。彼女がギャツビーを選ばず、結局はトムと生きていくであろう結末にも、「そういうものだろう」と納得してしまった自分がいる。そのため、ギャツビーのような生き方を尊敬できるかと言われると、正直難しい。ただし、どちらが美しいかと問われれば、ギャツビーの方なのかもしれないとも思う。 生きていると、現実と理想のどちらを優先すべきか分からなくなる瞬間がある。現実的に生きるだけではつまらないが、現実が見えているからこそ、理想を口先だけで語ってしまうこともある。一方で、本当に理想を信じ、その芯に沿って行動している人もいる。どのスタンスが正解なのか、人間が長く生きる中でも、まだ結論は出ていないのだと思う。少なくとも自分は、まだその答えを知らない。 また、ニックのトムに対する感情は、個人的に自分と父との関係を重ねてしまった。物語の終盤、ニックが自分の感情を抑え、トムと握手する場面は、正月に父から投げかけられた、こちらの気持ちを十分に想像していない言葉に対して、言い返したい思いを飲み込み、やり過ごした自分の姿と重なった。そのとき、自分も父に対して想像力を失った「大人」になってしまったのではないかと、少しだけ憐れみのような感情を抱いたことを思い出した。 ギャツビーは、自分を信じ、まっすぐに理想を追い続けた人物だったが、そうした人間性はこの物語の中では死んでしまったように見える。一方で、世界と自分を一つの視野で捉えられる者だけが、生き残っているようにも感じた。多くの悲劇があったとしても、今ある幸せを踏みしめ、自分の中身を育てていく必要がある この作品から、そうしたことを学んだ
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うーんなんかよくわからなかった。村上春樹の『ノルウェイの森』で主人公が読んでたから、読んでみる気になって買ったけど、よくわからなかった。 ギャツビーが底辺から成り上がったアメリカンドリームな人っていう感じで、デイズィていう人妻を略奪しようとしたのかなー。でもそのデイズィもギャ...
うーんなんかよくわからなかった。村上春樹の『ノルウェイの森』で主人公が読んでたから、読んでみる気になって買ったけど、よくわからなかった。 ギャツビーが底辺から成り上がったアメリカンドリームな人っていう感じで、デイズィていう人妻を略奪しようとしたのかなー。でもそのデイズィもギャツビーのこと好きだったしで……展開をうまく追えてなかった。最近早く読むのを意識しすぎているのか展開が追えない。本末転倒
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20年くらい前に、「グレート・ギャツビー」と「老人と海」はどっちがより沁みるか、友人と議論したことがある 結論は「老人と海(以下RU)」となった 「グレート・ギャツビー(以下GG)」は、まずフィッツジェラルドっていう名前がカッコ良いし、社交界が舞台で華やかだし、若い女がたくさ...
20年くらい前に、「グレート・ギャツビー」と「老人と海」はどっちがより沁みるか、友人と議論したことがある 結論は「老人と海(以下RU)」となった 「グレート・ギャツビー(以下GG)」は、まずフィッツジェラルドっていう名前がカッコ良いし、社交界が舞台で華やかだし、若い女がたくさん出てくるし、主人公は何だか影あるし、過去に引きずられがちな文章は含みを持たせるし、文庫本持ってるだけで様になるから、ハンチング被った学生がベンチで横になって読んだりしてた 一方のRUは、まず題名がダサいし、舞台は海だから誰もいないし、ヘミングウェイも無骨な佇まいだし、教科書にも載っちゃってるから真面目な印象だし、そんくらいしか言うことないし、文庫本持ってベンチで読んでたらたぶん「家で読みなさい」って言われるし でも、どちらも本当に素晴らしいんだ。若い頃、本当に憧れていたのはどんな生活だったか。本当に嫌っていたのはどんな奴らだったか。ギャツビーだって、海に出て1人でお魚さんと格闘したかったはずだぜ そんな凄みを全く感じさせないRUの勝ちってことにした。それと、俺たち親が大学行ってないからよく知らないことを良いことに勝手に生きて金のかかるコストジェネレーションだね、ってことにもした
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当時みんなが憧れていた理想を掴み、生まれた環境関係なく上流階級へ成り上がる、希望溢れるアメリカンドリームが題材となっている。お金持ちの煌びやかで視覚聴覚共に刺激を受ける豪華な生活などの描写が多く散りばめられている反面、呆気なく淡々と展開される現実や登場人物の強欲さ、汚い人間らしさ...
当時みんなが憧れていた理想を掴み、生まれた環境関係なく上流階級へ成り上がる、希望溢れるアメリカンドリームが題材となっている。お金持ちの煌びやかで視覚聴覚共に刺激を受ける豪華な生活などの描写が多く散りばめられている反面、呆気なく淡々と展開される現実や登場人物の強欲さ、汚い人間らしさ含めたギャップが面白いと思う。私は各々が都合よく相手を解釈していないか、相手の「本質」を捉えられているのかどうか、という著者の問いを見出した。人間って怖い
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