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光あるうち光の中を歩め の商品レビュー

3.3

70件のお客様レビュー

  1. 5つ

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  2. 4つ

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2015/07/15

トルストイの宗教観がわかる一冊。 紀元後すぐだろう古代ローマを舞台とする、新興宗教キリスト教のお話。当時の空気感はよくわからないが、たぶんこういう雰囲気だったのだろう。

Posted byブクログ

2014/09/04

愛、律法、幸福、基本的な概念の捉え方や、前提がかけ離れていて、「知らない以上、否定は出来ない」という無限ループに陥っているユリウスとパンフィリウスのやりとりに、理解の難しさを感じました。これが、少数派にすぎない原始キリスト教の姿の一面であったとすれば、本作で問われ続けた「瞞着」を...

愛、律法、幸福、基本的な概念の捉え方や、前提がかけ離れていて、「知らない以上、否定は出来ない」という無限ループに陥っているユリウスとパンフィリウスのやりとりに、理解の難しさを感じました。これが、少数派にすぎない原始キリスト教の姿の一面であったとすれば、本作で問われ続けた「瞞着」を擦り合わせながら、世界的な信仰へと変化して現代の姿もあるのだろうな、と想像を刺激されました。 前半部、「やって見せよ」「人に見せるためではない」という二人の問答があった。 幸福、あるいは飛躍して救済のための奉仕を淡々と積み重ねていると主張する姿に迷いは見られないが、パンフィリウスとユリウスの中間くらいの位置で、人知れず煩悶しながら救いを求めて共同体への奉仕を続ける人物として、「灰羽連盟」のレキを思い起こさずにはいられませんでした。 居候、使い古したものを譲り受ける、など、既存の共同体に恩恵を受けた存在としての在り方を中立的に描いた「灰羽連盟」との対比で、荒削りで、原理主義的な思想として、すんなりと希望を感じさせない描きかただな、というのが、初読の印象でした。

Posted byブクログ

2015/01/19

再読。3年半前に読んだ時も衝撃的で、文学嫌いな私でも読める本があるものだなと思わせてくれた本。 あれから私もいろんな勉強をして、思想が現代風に近づいたけれど、今読んでも違った意味でよかった。 意味や、普遍的な正しさが失われたといわれる現代にあって、もしまた規範的なものが必要とされ...

再読。3年半前に読んだ時も衝撃的で、文学嫌いな私でも読める本があるものだなと思わせてくれた本。 あれから私もいろんな勉強をして、思想が現代風に近づいたけれど、今読んでも違った意味でよかった。 意味や、普遍的な正しさが失われたといわれる現代にあって、もしまた規範的なものが必要とされるならきっとこういうものになるんだろうなと思った。そしてたしかにそんな日は近付いてきている。 ただ、この時期ってトルストイはたしか深い鬱状態みたいなものに悩まされていた時なので、これを盲信しすぎるの危険なのかもしれない。 光あるうち光の中を歩め.... 限界まで来たらだらだらするひと休みも可、という但し書きは必要そうだ。 再読2・ 事あるごとに、自分に甘えが強く見えすぎるときに読みたくなる本。”よく”生きるとは本当に難しい。欲を捨てることは同時に全てが無意味な無気力とかしてしまう危険性がある。特に自分がどれほどよく生きようと努めても、周りにはそういう人たちばかりではない(つまりその基準においてなのであるが)ので、人間嫌いが加速する危険性を秘めている。それでも自分が納得がいかない”悪行”を無理やり自分に強いるよりはいいのかもしれないのだが。

Posted byブクログ

2014/02/23

率直な感想としては私はキリスト教徒にはなれないだろうなということだった。 というかパンフィリウスや晩年20年のユリウスの生活の具体的なところが何も書かれていないのがずるいなと思った。 世俗的な生活を送っていたころのユリウスの苦悩や葛藤が詳細に追われているのに、パンフィリウスがあ...

率直な感想としては私はキリスト教徒にはなれないだろうなということだった。 というかパンフィリウスや晩年20年のユリウスの生活の具体的なところが何も書かれていないのがずるいなと思った。 世俗的な生活を送っていたころのユリウスの苦悩や葛藤が詳細に追われているのに、パンフィリウスがあまりに霧に隠れていて、そりゃこれだけならパンフィリウスの生活のほうが素晴らしく見えるわと。 パンフィリウスの人生における苦悩や葛藤がキリスト教の思想によってどのように乗り越えられるのかが知りたい。 トルストイが理想を外から眺めている状態=トルストイはパンフィリウスの仲間達の一員ではないんだろうなという気がした。 なんとかしてユリウスになろうとしている医者=トルストイと感じる。

Posted byブクログ

2018/03/05

イエスは言われた。 「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」 (新共同訳『聖書 旧約聖書続編つき』日本聖書協会、新約...

イエスは言われた。 「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」 (新共同訳『聖書 旧約聖書続編つき』日本聖書協会、新約聖書193ページ) この 光 の意味は 信仰心 ということなのかな。 神というわけではない。 闇の中にも 神はいるはずだから。  物語は キリスト生誕 100年後。 原始キリスト教の時代で、ユリウスとパンフィリウスの会話が基本となり、その間に 医師が話をする。 役者はそろっている。ユリウスの奥さんも、一時期、傾いたりする。 ユリウスとパンフィリウスは 三度であい、 そこで、ユリウスは パンフィリウスのところにいこうとするが 思いとどまる。一生のストーリーにしている。 老いた時に やっと パンフィリウスのところにいく。 物語の構成は シンプルで、結末も想定される。 光あるうちに光の中を歩もうとする物語であるからだ。 トルストイは キリスト教を信仰したいという想いが 最初から あったような気もあり、動機が明確だ。 その論議として、信仰を持つと言う必然性を書こうとするが どうも、成功しているとはいいがたい感じがする。 どこに無理があるのだろうか? 題材として 原始キリスト教であることが限界があるのかな。 弾圧に対して 殉死を えらぶということが、ある。 宗教と国家という関係がうまく説明できない。 共同体としか描けないところに弱さがある。 それに、共同体に関する ユリウスの指摘は 意外と正鵠をえている。 ユリウスに押し寄せる 幸福が欠落した気持ちが 人生の節目に起こる。 それが ふらふらとする 要因でもある。 これを読みながら キリスト教を信仰しながら 戦争を起こす輩がいること自体が 矛盾の極みである。 ここでは、はっきりしていないのは 利己的な社会形成と 利他的な社会形成 という視点で 腑分けするともう少し鮮明になりそうだ。

Posted byブクログ

2013/04/06

キリスト教に関して、所謂「入門書」にあたるような本は数多ある。掃いて捨てる程度のものから詳細に検討されたアカデミックなものまで、それこそ星の数ほどある。このような類書の氾濫は、非キリスト教圏に生きる現代人にとって、キリスト教への理解がどれほど喫緊の課題であるかを如実に示している。...

キリスト教に関して、所謂「入門書」にあたるような本は数多ある。掃いて捨てる程度のものから詳細に検討されたアカデミックなものまで、それこそ星の数ほどある。このような類書の氾濫は、非キリスト教圏に生きる現代人にとって、キリスト教への理解がどれほど喫緊の課題であるかを如実に示している。最近では大澤真幸と橋爪大三郎の共著『ふしぎなキリスト教』が講談社現代新書からベストセラーになるなどして話題を呼んだ。 西谷修が『世界史の臨界』の中でフランスの法制史家であるピエール・ルジャンドルの論旨を汲みつつ指摘したのは、近代以降のグローバル化社会というのが漂白されたキリスト教社会に他ならない、という点である。植民地政策やそれを支える帝国主義的イデオロギーを通して、ヨーロッパ文明は続々とキリスト教を輸出し、千年王国の到来を期した。それは例えばウェーバー流の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』であったり、「恋愛」というシステムであったり、より具体的には修道院に端を発する病院や大学であったりする。フーコーならここに『監獄の誕生』を加えるかもしれない。こうして漂白されたキリスト教は近代を構築しつつあらゆる社会制度に浸透し、現在も矍鑠と駆動している。要するに現代とは、聖書を読まず洗礼を経由しないキリスト教徒が地上に溢れる時代なのである。 殊日本に於いて、この近代化は極めて円滑に作用した。遠藤周作が『沈黙』の中で「日本は宗教の根を腐らせる沼地である」と宣教師をして語らせているが、その沼地は輸入されて来たシステムが含むキリスト教的なドグマを徹底して腐敗させ、形骸化し、馴化しつつ飲み込んでいった。故に我々日本人一般は高度にキリスト教化された世界に暮らしつつ、享受してきた近代的な恩恵の数々をキリスト教に帰することをしない。この辺りの問題に関しては丸山眞男などが度々批判的に言及している。 キリスト教をその理念の水準から知り、考える為に必要な要素を、老トルストイは小説という形式で簡潔に、そして見事にまとめ上げた。本書『光あるうち光の中を歩め』である。手元の新潮文庫版で100頁強という短さでありながら、2人の怜悧な青年同士の対話を通して原始キリスト教の様々な側面をテンポ良く提示しており、それぞれに象徴される聖-俗の対立は緊張感があり鮮やかだ。作中で主人公ユリウスをかどわかす悪魔を知的で老獪な医師として描く繊細なバランス感覚などは、いかにもトルストイらしい。 敬虔なキリスト教徒である旧友パンフィリウスの存在は、この悪魔的老人の登場によって主人公ユリウスから急激に遠ざかる。本書における聖-俗の対立はキリスト教徒-世俗の人間という構図を取らない。キリスト教徒(聖-旧友)と対置されるのは悪魔(邪-老人)なのである。トルストイはユリウスに象徴される俗性を、明確な聖邪の狭間で揺れる流動性、不安定性として浮き彫りにした。それはそのまま多くの人間が普通に暮らすこの現実世界の流動性であり、不安定性でもある。 パンフィリウスはキリスト教共同体における生活の理念、理想、目的を友に説く。ユリウスはその崇高さに心を動かされる。しかしその度に老人が登場し、極めて論理的にキリスト教が孕む欺瞞を痛撃するので、ユリウスはキリスト教ドグマと悪魔の入れ知恵に揺れる典型的な俗人としての地位を賦与され、読み手は彼の視点を拝借することでことの成り行き、論理の展開を冷静に傍観することが出来る。この辺りの構成は実によく計画されていて、トルストイの教義に対する真摯さが窺える。 冒頭、『閑人たちの会話』と題されたプロローグが用意されている。そこで人々はキリスト者としての在り方をあれこれと述べ、議論するのだが、誰も彼も一切神への愛を口にしない。どころか、キリスト教の最も基本的で重大な教義を全く考慮せずに、不毛な結果論ばかりを弄しているといった具合で、ここには彼らを「閑人」としたトルストイの冷笑が通奏低音のように響いている。 誤解を恐れずに言えば、このささやかな書評を読んでいる貴方も、僕も、ある意味では間違いなくキリスト教徒である。キリスト教への理解は時代への理解であり、それはまた時代からの、世界からの要請でもある。『光あるうち光の中を歩め』というのは、その要請に対するトルストイという巨大な才能からの、一つの解答だ。ぜひ参照されたい。

Posted byブクログ

2013/02/23

Bookoff、¥200 語られている内容はよく理解できるのだけど、話としては面白みに書ける気がしました。トルストイの小説をきちんと読んだことがないことやキリスト教についての自分の理解が乏しいせいかもしれません。

Posted byブクログ

2013/01/19

この人に興味がわいたのは、レーピンの描いた絵を見たから。NHKの「映像の世紀」では映像に残っているトルストイも見た。超idol。おじいちゃんでもアイドル。人々に生きる指針を文章によって与えていた人なんだと読んで納得。

Posted byブクログ

2013/01/03

数人の閑人が人の幸福について語るが誰一人幸福でないといった、結局口先だけで論じ合うのが関の山というプロローグから始まる本書。トルストイが考える人の真の幸福の生き方はキリスト教に答えがあった。理想(キリスト教)と現実(俗世)的な生き方をする登場人物2人の言い分はともに正論に思える。...

数人の閑人が人の幸福について語るが誰一人幸福でないといった、結局口先だけで論じ合うのが関の山というプロローグから始まる本書。トルストイが考える人の真の幸福の生き方はキリスト教に答えがあった。理想(キリスト教)と現実(俗世)的な生き方をする登場人物2人の言い分はともに正論に思える。若き読者は老いるまで老いた読者は死ぬまでの経験する総てが本書150頁の中にあるかもしれない。読みながら自身の過去を想い、先を思い、右往左往する。《彼は喜びのうちなお20年生き延び肉体の死が訪れたのも知らなかった》果たして我が身は。

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2012/11/03

俗世間での欲を捨て去りキリスト教に入ろうとするユリウスは、そのつど引き止められ、思い直し元の生活に戻っていく。はたして彼は自分の人生に満足を得られるのか。 小説の形はしているが物語の描写より、対話として語られる、「いかに生きることが人間の真の幸福か」にほとんどが費やされている。...

俗世間での欲を捨て去りキリスト教に入ろうとするユリウスは、そのつど引き止められ、思い直し元の生活に戻っていく。はたして彼は自分の人生に満足を得られるのか。 小説の形はしているが物語の描写より、対話として語られる、「いかに生きることが人間の真の幸福か」にほとんどが費やされている。 ユリウスのように人生の酸いも甘いも身をもって体験した後であろう、晩年のトルストイが発するメッセージとしてみるのは興味深い。戦争と平和をこの後読み返してみたらまた別の味わいがあった。 他の作品にもある説教くささも感じられるが、テーマへのアプローチが真摯で胸に迫る。突き詰めた結果が虚無ではなく「光」であったなら幸福のうちに死ねるだろう。

Posted byブクログ