光あるうち光の中を歩め の商品レビュー
有名な本なので取り合えず買ったのだが、あまりにも宗教臭がキツくて本棚に封印された本。 そういう思想流布の要素が強い本って嫌いなのよね。 でもある日、あまりにも読むものが無かったので読んだ。 まあ・・・非常にわかり易いというかコテコテというか・・・宗教本だわな。 一応は仏教国である...
有名な本なので取り合えず買ったのだが、あまりにも宗教臭がキツくて本棚に封印された本。 そういう思想流布の要素が強い本って嫌いなのよね。 でもある日、あまりにも読むものが無かったので読んだ。 まあ・・・非常にわかり易いというかコテコテというか・・・宗教本だわな。 一応は仏教国である日本人には分かり辛いかもしれんね。 欧州の(というかキリスト教系の)宗教史観があれば意味は分かる。 でもそれだけよ。
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中学生の時に読んだが、非常に敬虔な内容が書かれていて感銘を受けたのを覚えている。今思えば私が信仰をもつに至ったきっかけでもあったのかも知れない。これは短編集なのでロシア版芥川といった感じか。勿論日本的な倫理観を越え切れなかった芥川とキリスト教により人類愛に目覚めたトルストイ(後期...
中学生の時に読んだが、非常に敬虔な内容が書かれていて感銘を受けたのを覚えている。今思えば私が信仰をもつに至ったきっかけでもあったのかも知れない。これは短編集なのでロシア版芥川といった感じか。勿論日本的な倫理観を越え切れなかった芥川とキリスト教により人類愛に目覚めたトルストイ(後期)のThemeは際立って違うが、両者とも私が敬愛する作家である。
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キリスト教世界観。ヘッセのシッダールタに通じるものを感じた。おそらく仏教もキリスト教も、根本的にさして変わるものでもないのだろう。ただヘッセのシッダールタの想いの大きさ故だろうか、こちらにどうしても物足りなさを感じてしまった。キリスト教的というだけで、反発してしまうせいかもしれな...
キリスト教世界観。ヘッセのシッダールタに通じるものを感じた。おそらく仏教もキリスト教も、根本的にさして変わるものでもないのだろう。ただヘッセのシッダールタの想いの大きさ故だろうか、こちらにどうしても物足りなさを感じてしまった。キリスト教的というだけで、反発してしまうせいかもしれない。
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061017 読むのに時間がかかった。主人公が世俗で問題を起こすと、キリストに向かい、また、同じことを繰り返す。最後には、キリストの元に行き、教えを全うする。何というか、主人公は勝手すぎる。。
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聖書の入門編のようなもの。説教じみたところが鼻につくが、トルストイの晩年の思想が端的に表されているあたりは面白い。
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たかが150ページそこらの本なのに読むのが苦痛だった。終始淡々とした文章構成。「キリストの教えに従って生きよ」とトルストイは本書で説くが、まったく説得力がない。キリスト教徒なら感銘を受けるのかな?
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主人公のだらしなさで、信仰に生きる道の説得力が感じられなかった。小説としての面白さにも欠ける小論文のような構成。
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キリスト教と世俗の間で揺れる主人公ユリウスの姿。人生の途中で求道者への転機をはかったトルストイ自身の葛藤の過程を表現しているのだろうか。
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一人の、キリスト教の熱心な信者と、それを否定するもう一人の人間との問答集のような感じで物語は進んでいく。 キリスト教を否定する主人公ユリウスがキリスト教に対して提示する、疑問や矛盾点の指摘はもっともなもので、ユリウスは容易にはキリスト教の精神を信じようとはしない。 たとえば、私有...
一人の、キリスト教の熱心な信者と、それを否定するもう一人の人間との問答集のような感じで物語は進んでいく。 キリスト教を否定する主人公ユリウスがキリスト教に対して提示する、疑問や矛盾点の指摘はもっともなもので、ユリウスは容易にはキリスト教の精神を信じようとはしない。 たとえば、私有財産を否定しながらなぜ物を与えずに売ろうとするのか、結婚についてどこまで認めているのか、子供を巻き込んで改心する権利が大人にはあるのか、など。 その反駁に対してパンフィリウスは、一つ一つ丁寧に、惑うことなく熱心に答えてゆく。 ユリウスは悪人というわけではなく、どちらかというとごく普通の一般市民で、だからこそ、パンフィリウスと話す時、相手を信じる気持ちと信じられない気持ちの間で揺れ動く様子が、読んでいてよく伝わってくる。 物語の舞台は今よりもはるか昔のローマ時代だけれども、その語られているテーマが、現代に置き換えても違和感なく、そのままぴったりとあてはまることに驚かされる。人が抱える問題というのは、どの時代のどの国でもほとんど変わることはないのだということがわかる。 この本は、何よりもわかりやすい、キリスト教の基本的な教義を理解するためのテキストなのだと思う。 「異教徒の諸君はすべて、君のように、自分と、個人としての自分に、最も多く快楽を与えると思える女を選び出す。しかし、そうした条件下では、目移りがして、決定するのに骨が折れます。まして快楽を得る得ないは、結婚後でないとわからないのだから、なおさらです。が、キリスト教徒には、そういう自己のための選択なんてものはありません。(p.68) しかし、もう別個の生活がはじまったんですからね。これをぶち壊すわけにはいきませんよ。すでに着手したからには、最後まで押し通さなければなりません。父母や親友たちの不満、特にこの大転換の決行に行使しなければなるまいと思われる猛烈な努力を、まざまざと思い描いたユリウスはこう言った。(p.91) まさかあんた以外に、神の下僕はいないなんて考えているのじゃないだろうな?もしあんたが働き盛りの時に、神への奉仕に献身していたら、神に必要なことを、全部行っていただろうか?あんたは倍も、十倍も、百倍も、余分にやったに違いないと言うだろう。しかし、もしあんたがすべてのひとびとより何億倍も多くなしとげたにせよ、神の仕事全体からみれば、それは何でもありはしない。取るに足らぬ大海の一滴じゃ。神のもとには大きいものも小さいものもありはしませぬ、また人生においても大きいものも小さいものもなく、存在するものは、ただまっすぐなものと曲がったものばかりじゃ。(p.147)
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ロシアの文豪トルストイ著。 自己の欲望の赴くままに現世での成功を追い求める生き方か、世俗から離れた質素な原始キリスト教的歩みか、富豪の息子ユリウスと奴隷の息子パンフィリウスという二人の青年が生涯をかけて議論した命題。放蕩の限りを尽くすユリウスのある種人間的な魅力と、この世の価値...
ロシアの文豪トルストイ著。 自己の欲望の赴くままに現世での成功を追い求める生き方か、世俗から離れた質素な原始キリスト教的歩みか、富豪の息子ユリウスと奴隷の息子パンフィリウスという二人の青年が生涯をかけて議論した命題。放蕩の限りを尽くすユリウスのある種人間的な魅力と、この世の価値に全く興味を示さず淡々と生きるパンフィリウスの揺るぎなき信仰との対比が印象的。ラスト老人の話をブドウ畑で聞いた後、ユリウスが一人ぽつんと神の前に佇む姿は誰しも何かしら心打たれる情景ではないかと思います。
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